第7話 両親
一方、町は甚大な被害を受けていた。何万人という人々が避難を余儀なくされ、亡くなった人と行方不明者は、合わせて数千人にもおよんだ。そして、その行方不明者の中には、私たちの両親も含まれていた。
両親は二人とも勤務医で、町外れにある総合病院に勤めていた。その日両親は二人とも、高速道路で起きた多重衝突事故の現場に派遣されていた。地震は、けが人を病院へ搬送する途中で発生した。地震により高速道路の一部が陥没し、道が分断されてしまったのである。引き返すこともできず行き場を失った救急車はそのまま津波に飲み込まれた。津波が引いた後すぐに捜索が開始され、救急車は発見されたものの、けが人、救急隊員、そして両親の姿は車の中にはなかった。救急車は、ほとんどのガラスが破られており、全てのドアが開け放たれたまま、何かに押しつぶされたように車全体が斜めに変形していた。
初めのうちは祖父母が捜索に参加していたが、体の疲労と心労とが重なって二人とも体調を崩してしまった。そのため私と弟が、地元の消防団員の人たちと共に、救急車が発見された現場に行って父と母を探した。しかし結局、両親を見つけることはできなかった。
その後、祖父母は、私と弟とを連れて、近くに住む親族の中で唯一被災を免れた祖母の実家に引っ越した。私と弟は、それぞれが大学への進学で上京するまでそこで過ごした。しかし、その間の時間の流れは家族とのさらなる別れをもたらした。私が大学に合格した年に、くも膜下出血で祖父が急死し、その二年後、つまりケンタが大学に合格した年に、祖母が大腸癌を患い、病気が発覚してからおよそ半年後に亡くなった。
私と弟が大学を卒業するまでに必要となるお金を、両親はすでに用意してくれていた。おかげで金銭面で苦労をしたことはなかったが、むしろそういう苦労を少しでもすべきだったのかもしれない。私の周りには、祖父母をはじめとして、私たち兄弟のことを憂慮し、励ましてくれる人々がたくさんいてくれたけれども、当時の私は、そうした人たちの思いを、どうしても自分の人生とうまくかみ合わせることができなかった。自分なりに、必死に生きていたはずなのに。
そうして震災から九年が経ち、私は御木・クジャールと出会った。今は、親しみを込めて「クジュ」と呼んでいる彼女に。
クジュに私の過去を指摘されたとき、私は思わず、彼女の目をじっと見つめた。おそらく私の顔色がかなり変わっていたのだろう、彼女は身構えるような表情を一瞬見せたが、意を決したように、すぐに私を見つめ返してきた。
私は、彼女の瞳の奥に吸い込まれそうな感覚に捕らわれ、はっと我にかえると、ぽつりぽつりと話を始めた。そして気が付くと私は、震災の時の体験のすべてを、私が見聞きして感じたことのすべてを、彼女に打ち明けていた。それまで誰にも語ったことのない、私の心の奥底にずっと沈潜させていた思い。その思いが、私の体全体を黒く染めていくように、一気に巻き上げられた。
両親が津波にさらわれて行方不明だと祖父から知らされ、大きくて重い石が、頭の奥に突然めり込んできたように感じたこと。
祖父母が止めるのも聞かずに学校の体育館へ行き、記憶の中にまで染み着くような、鼻をつんざく臭気に取り囲まれながら、生まれて初めて人間の死体を見たこと。
床に置かれたどす黒いそれを見て、物ではなく人であると認識したとたん、激しく嘔吐したこと。
死体をみるたびに吐いたが、しだいに感覚が麻痺してきて、いつのまにか死体をみるのが怖くなくなったこと。
いつまでたっても発見されない両親に、いても居ても立ってもいられなくなり、大人たちに黙って私と弟の二人だけで救急車が発見された場所に何度も行き、日が落ちるまで両親を探し続けていたこと。
弟は、がれきの中の死体を探し、私はさらに上の方にも注意を向けて、電線にぶら下がっている黒い物体を、初めは分からなかったが実は人間の死体だったその顔を、危ないから近づくなと弟を制しながら、おそるおそるのぞき込むようにして、その真下から見上げていたこと。
弟は、「にいちゃん、おった、おったで!」と、誰かの死体を見つけるたびに、「でも、お父さんとお母さんじゃないかもしれへんで!」と必ず最後に付け加えていたこと。
そして、見つけた亡骸が両親のものではないかもしれないという弟のその言葉は、耳をすますと、今でもその奥で響いているような気がすること……。
私は、自分が被災者であることを人に隠そうとはしなかった。大学で友人たちに聞かれたときも、私は淡々と話をすることができた。しかしその中身は、やはり無機的な事実だけにとどまっていた。心の中身を打ち明けようにも、それがどこにあるのかが分からなかった。
彼女に話をしたとき、初めのうちは、これまでと同じように、まるで他人の事のように話をしていた。しかし、彼女の凛とした刺すような瞳に見つめられているうちに、いつの間にか私の目から涙がこぼれ落ちきて言葉が止まらなくなった。私は、次第に半狂乱の状態に陥り、自分で何を言っているのかも分からなくなって、全身を振るわせながら泣きじゃくっていた……気が付くと私は、彼女に強く抱き締められていた。目に涙を浮かべている彼女の顔をみたとき、彼女の温もりが、私の心臓に直に届けられているような気がした。
震災のときの避難所で、私は周りの人々によく言われていた。両親のことで何かあるたびに泣いてしまう弟とは違って、私は全く涙を見せないと。泣かずにいつもそうやって弟を励まして、本当に偉いお兄ちゃんねと。
だがそれは実状とは全く違っていた。私は、泣かなかったのではなく、泣けなかったのだ。いつも当然のようにそばに居てくれた両親を突然奪われたという、子供には到底受け入れられない過酷な現実と、それを残酷に裏付けていたあの惨状とが、私の感情を、悲しみという言葉の遙か向こうまで押しやっていただけなのである。
クジュは、そんな私の心を、そう、何の束縛もない恣意ですらも到達できないほどに遠くなっていた心の重心を、彼女のもつ暖かさを感じとれる場所まで引き戻してくれた。
そして今、震災の日から13年もの月日が流れ、今日もこうして私は彼女のそばで、いや、はっきり言えば、私は自分の人生を彼女の人生に重ねるようにしてその時を過ごしている。
私は元々強い人間ではないし、彼女のいない人生を選べるほど強くなった覚えもない。彼女に支えられているという思いは常にあっても、彼女を支えているという意識はない。いや、そもそも誰かを支えることなど、私のような人間には到底できないことなのかもしれない。
あのときなぜ、震災に関する私の思いを彼女に打ち明ける気になったのかは分からない。だけど、寄り添うように静かに私の話を聞いていてくれたクジュの心にはそうした力があったのだと、今はそう思える。
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