第6話 天災
私が小学6年生のとき、巨大地震による津波が私の町を襲った。
夕方4時頃に海域で発生したマグニチュード8の地震は、高さ30メートルを超える大津波をもたらし、その真っ黒な濁流は、家屋、自動車、道路など、人間が作ったもの全てを多くの悲鳴と共に飲み込んだ。
その日、私と弟は、ちょうど学校から帰ってきたばかりで、家には祖父母がいた。いつものように祖母が用意してくれたおやつを二人で食べていると、突然、祖母の携帯からけたたましいアラーム音が鳴り響いた。その直後、それまで経験したことのない縦の振動が、ガタガタと家全体を揺らした。
「うわああ! じ、地震や!」
「ケンタ、立つな!」
「そうやケンちゃん、立ったらあかん、落ち着いて!」
その後すぐに、それまで経験した中で一番大きな横揺れがきた。備え付けの食器棚から、食器類が一斉に飛び出して床に落ちた。
ガ、ガガン! ガシャーン!
「わああああ!」
私と弟は、反射的にテーブルの下に潜り込んだ。庭にいた祖父が慌てて家の中に入ってきた。
「塀が倒れたで! ケンタ! リョータ! ミチコ! みんな無事か?」
「おとうちゃん、みんな大丈夫や!」
そう返事をしながら、祖母はテーブルの上のテレビのリモコンを取ってテレビの電源を入れた。
テレビの画面には地震速報が映し出されていて、アナウンサーは叫ぶように、津波が発生したことを何度も何度も繰り返していた。
ウーーーーーーウ! ウーーーーーーウ! ウーーーーーーウ!
家の外では、近所の中学校の方から、大きなサイレンの音が聞こえていた。それは、その中学校の一番高い校舎のてっぺんに備え付けられたスピーカーから発せられていたものだった。
「大津波警報が発表されました! 大津波警報が発表されました! 住民の方は高台にある所定の避難所に直ちに避難してください!」
サイレンの音が鳴り止むと、今度は緊急の避難命令が聞こえてきた。何度も何度も繰り返され、あまりにリアルに響くその声は、恐ろしい化け物がすぐそこに迫っているような恐怖と混乱を私に与えた。
「じいちゃん! お父さんとお母さんは?」
「リョータ、大丈夫や、ふたりともおっきな病院におるんやから。それより今はわしらのことや、早く車に乗れ! 時間がないで!」
当時の自動運転技術はすでに、完全自動のレベル五に達していて、高齢者が運転する車には、事故防止のための完全自動運転システムを備えることが義務づけられていた。またこのシステムは、地震等の災害が発生したときに中央通信司令部の制御下におかれ、ハンドルの真ん中にある始動スイッチを押すと、車を自動的に走らせて、最短ルートで避難所まで送り届けるような仕組みになっていた。つまり、たとえ運転ができなくとも、その車に乗りさえすれば、安全に避難することが可能であり、特に、お年寄り等の体の不自由な人たちの命を守るために有効なシステムとされていた。
私とケンタは急いで、祖父の車の後部座席に乗り込んだ。
「ミチコ! 早くせんか!」
「おとーちゃん、ごめん、ケータイと財布を探しとったんや」
玄関から小走りでやってきた祖母が助手席に座った。
「ええか? 行くで!」
祖父が、早く押せと言わんばかりにチカチカと点滅している始動ボタンを押すと、ダッシュボードの中央に設けられたモニターに緊急避難の大きな文字が表示され、自動運転モードによって車が動き出した。
しかし、発進してから数分後、祖母が異変に気付いた。
「おとうちゃん、この道でええの? 避難所は高乃山の方ちゃうの?」
「そのはずや! なっ、なんやこれは? なんでこんな遠回りしとるんやこの車!」
避難ルートをモニターで確認すると、避難所までの最短ルートである、厳峡大橋を渡るルートが選択されておらず、もっとも遠い山添街道を行くルートが選択されていた。
「あ、あかん、手動にも切り替えでけへん! どうなっとんのや!」
「おとうちゃん、落ち付いて!」
「くそっ、だめや、ハンドルもブレーキもなんもかも効かへん、わしら完全に閉じ込められとる!」
私は、あれほど焦燥した祖父と祖母の顔を見たことがなかった。
「兄ちゃん、俺らどないなるん?」
「分からん! おばあちゃん、ケータイでお父さんとお母さんに連絡して!」
祖母はもってきたケータイを私に手渡した。
「リョウちゃん、あんたやってくれるか? 手がふるえてて今のばあちゃんにはちゃんと操作でけへん」
「わかった!」
私は、通話アイコンをタッチして父のケータイに電話したが、通信が混み合っているというアナウンスが流れるだけで、全くつながらなかった。母の携帯にもかけてみたが同じだった。
「兄ちゃん、LINEは?」
「今、やってる!」
しかし、LINE通話でも父と母は電話に出なかった。とりあえず、みんなで祖父の車に乗り山添街道を通って避難所に向かっているという内容のメールを打ち込んだ。
「おじいちゃん、おばあちゃん、だめや、二人とも未読のまんまや」
「向こうもきっと大変なことになっとんのやろ! しゃあない、こうなったら運を天に任せるしかないわ!」
祖父はそう言いながらも、ハンドルを決して放さず、じっと前方をにらんでいた。
私と弟は、後方から来ているであろう津波をリアウインド越しに気にしながら、その身をシートにぴたりと寄せていた。前のモニターには、津波到達予定時刻が34分後、私たちの避難所到着予定時刻が31分後と表示されていた。
「このまま行ければ、なんとか間に合うかもしれん」
祖父がそう言ったのには理由があった。予想していたのとは違って、道はかなり空いていた。また、土砂崩れなどの障害もなく、私たちの車は順調に進んで行くことができた。
「よし、あそこやな!」
私たちは、高台にある避難所に無事にたどり着くことができた。そして避難所についてから数分後、津波による濁流が町全体を飲み込んだ。轟々と荒れ狂う流れが、車と家を容赦なく押し流していて、バキバキバキと大きな音がするたびに、避難してきた人々の悲鳴が幾つも重なった。
眼下で起きているその光景を、私は息を飲んで見ていた。震災で初めに見た地獄だった。あと少し到着が遅れていたらと思うと言葉がなかった。
「おとうちゃん、なんか、ここに避難している人、ちょっと少ないんちゃう?」
祖母のその言葉で、私も気付いた。避難所にある車は、祖父の車を含めて、五、六台しかなかった。
「久保さん!」
「あ! 松田さんやないですか」
祖父の古くからの友人である松田さんが避難所に来ていた。
「あんた、車で来たんでっか? ようご無事で」
「どういうことです?」
「え? 知らんのですか、厳峡大橋が崩落したんですよ」
「なんですて?」
松田さんの話では、最初の大きな地震が起きた直後はまだ橋は持ちこたえていたのだが、その後の数回の余震で突然崩落したということだった。
橋を渡って避難しようとした人たちはそこで足止めされて渋滞となり、身動きがとれなくなってしまったらしい。
「じゃあ、もしわしらの車が橋の方に行くルートを選択していたら……」
結局私たちは、橋を渡る最短ルートではなく、距離的には最も遠い山添街道を行くルートを通ってきたために、津波から逃れることができたのである。
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