第4話 彼女
「ほな兄貴、俺、そろそろ行くわ」
土曜日の朝、キッチンで朝食の後片づけをしていると、黒のスーツを身にまとった弟がやってきて言った。弟は、私よりも数センチ背が高いだけで、体型はほとんど同じくらいだったので、私のスーツをほとんど違和感なく着こなしていた。
「もうそんな時間か。あっ、そうだケンタ、今日は何時ごろに戻る?」
「今日? セミナー終わるんが4時ごろやから、そっからちょっと渋谷寄ってきて……帰るんはだいたい6時ぐらいになると思う」
「絵のことで俺の意見を聴きたいって、彼女が今日ここに来るんだ。せっかくだし、今夜は三人でどこかに食事でもどうかと思ってる」
「そんなん、俺のことなんか気にせずに二人でゆっくりしてきたらええのに」
「彼女、お前に会いたがってるんだよ」
「御木さんが?」
「ああ、久しぶりに三人でワイワイやりたいって」
「うーん、なんか社交辞令っぽく聞こえんこともないけど、確かにここんとこ俺も忙しくて、なかなかタイミングが合わんかったかな。よっしゃ分かったわ、今日は兄貴のおごりで飲みまくるか!」
「おごるのはいいけど、ほどほどに頼むぞ。じゃ、いつもの店、六時半で予約しておくから」
「オッケー!」
「それと、話変わるけど、おまえ、最近ちゃんと寝ているのか? 昨日もリビングで寝てただろ?」
「えっ? あっ、そうそう昨日は今日のセミナーのための調べ物をしてて、ちょっとソファーに横になったらそのまま寝てもうたんや」
「ふーん、でもケンタ、そもそもあんまり自分の部屋でそういうことやらないよな?」
「えっ? それは、やっぱりあれちゃうか? 俺らちっちゃいときからそうやったから」
幼い頃の私たちには、それぞれの勉強机というものがなく、二人とも、母親の目が届きやすい茶の間で勉強をさせられていた。
「確かにまあ、リビングの方が落ち着くっていうその気持ちはなんとなく分かるけど、ベッドで寝ないと疲れがしっかりとれないぞ」
「そうやな、これから気をつけるわ。ほな、行ってくる」
「ああ、気をつけてな」
弟は姿見の前で、ヘアスタイルと、ネクタイの締まり具合をさっと確認し、大学で行われる就職セミナーに参加するために出かけて行った。
◆
ピンポーン
朝10時を少しまわったころ、玄関の呼び鈴が鳴った。足早に行って扉を開けると、ジーンズ姿の彼女が両手を後ろ組みにして立っていた。
「おはよ」
「やあ、おはよう、さあ、あがって」
「おじゃましまーす」
彼女は、スニーカーのひもをほどいて、後ろ向きになってそれを脱ぐと、私の靴の横にちょこんと揃えて置いた。
「ふふ」
腰をおろしていた彼女は、そばにいた私の左の袖を掴むと、はにかんだ笑顔を浮かべながらすっと立ち上がった。
「あっ」
「フフ、気が付いた?」
彼女から、香水の香りがしなかった。さらに、普段はその顔立ちを自然と際立たせている化粧の薄い色合いも。
「あなた、あまり好きじゃないものね」
彼女の、きめの細かい白い素肌と自然な眉が、ほんのりとかすめるシャンプーの匂いとよく合っていた。普段は胸のあたりまでとどく髪の毛がアップにされ、透き通るようなうなじが、無垢な産毛をさらしていた。
私は、彼女の右手の甲に私の左手を添えた。なでるように彼女の右手に触れると、彼女は突然私の方に向き直り、ぱっと右手を返して広げ、私の左手に彼女の指を絡ませてきた。反射的に私の右手が彼女の左手に伸びて、私の右の手のひらを彼女の左の手のひらにすっと合わせた。
次の瞬間、彼女の大きな目の中に潜む漆黒の瞳が、射るような光を放って私の体の自由を奪った。彼女は静かな笑顔を浮かべ、その両手を私の手から離すと、今度は私の胸に当てがいながら横顔をそのままうずめてきた。私は、何かの力に促されるように、ゆっくりとした動作で彼女を抱きしめた。
胸の鼓動が速くなり、息が途切れ気味になっているのをごまかすように、私は彼女の、薄い茶色がかかった黒く豊かな髪の毛に頬を寄せた。
「ケンちゃんは?」
目を閉じながら、彼女は小さな声で聞いてきた。
「いない。就職セミナーがあるって、大学に行ったよ」
彼女は、その細い顎を引いて私と目を合わせると、両腕を伸ばして私の抱擁を解かせた。そして、背負っていた小さなバッグを肩からはずし、さらに上着を脱いで床に置いた。
アップにしていた髪の毛を右手でほどき、首を左右に振りながら、その長い髪を流すように背中の方に垂らした。手ぐしで髪をすっと伸ばした彼女は、見据えるように私と対峙すると、その瞳の奥からさらに強い光を放った。
私の顔をかすめるように彼女が両腕を伸ばしてくるのと同時に、私は彼女の腰に手をまわした。彼女を引き寄せると、彼女の両腕は私の肩にかかり、そのまま彼女は私の顔を抱き寄せるようにしてその薄い唇を私の唇に重ねてきた。
触れ合う唇と舌の感覚をむさぼりながら、互いの息が聞こえるほどに抱き寄せ合うしぐさが、二人の情欲にさらなる熱をもたせた。攻めたてるような彼女の舌の動きは、私よりもはるかにバリエーションに富んでいて、その動きに合わせようとしているうちに、なんとも言えない陶酔感が体中を巡った。
しかし彼女は、私がそれに浸ることを許さず、私の左手をつかむと、そのまま彼女の胸元に引き寄せて、まさぐることを強要した。勿論抵抗などしない。白いブラウスの裏側に潜む誘惑が、私のさらなる情欲を駆り立てた。彼女は、ブラウスのボタンとブラジャーのフロントホックを素早く外し、私の左手を彼女の右の乳房に密着させた。
手の平から溢れる流動的で柔らな感触が、揉みしだくという行為そのものをまるごと吸収してしまう。私は彼女の背後にまわり、彼女の両方の乳房をわし掴みにした。それらを交互に揉みまわしながら、彼女の髪の毛と首の間に私の顔を割り込ませて、鼻と舌先を彼女のうなじに這わせた。
「う……は、はあ……」
彼女の、あえぐような吐息がこぼれ、はじけた。
半ば虚ろになった彼女の瞳が私の方に向けられると、彼女はベルトを外してジーンズを脱いだ。細長い足のしなやかな動きが、ほのかに光るような華奢な白さをあらわにした。
彼女は私に背中を向けて壁際に立った。引き締まった足首から上向き気味のお尻までの直線的なラインと、ブラウス越しに透けて見える、お尻からウエストまでのえぐるような曲線とが、人形のような造形美を想わせた。
私は、彼女のすぐ後ろに立ち、赤いショーツから少しだけはみ出したおしりの部分に私の両手をあてがった。
彼女のせかすような息づかいに従い、私の両手を、彼女の腰、わき腹、わきの下へと、手の平全体でさするように移動させた。そして、私の右手を、彼女の右の乳房のすぐ下に滑り込ませると共に、左手を彼女の腰のあたりに戻し、右手で彼女の乳房を優しく握るようにしてその乳首の位置を探りながら、左手を彼女の前の方からショーツの中に潜りこませた。
左手の薬指、中指、そして人差し指を一本づつ使って、彼女のすでに濡れた陰部を小刻みになでつけた後、ゆっくりと中指を押し入れ、そのおよそ第二関節から指先までの部分で、わずかにこすり上げて、こすり下げる、そうした所作を繰り返し、温もりのある粘液で覆われている内側をすっすと愛撫した。
「あっ、う、あああ!」
彼女の声が廊下に響いた。
右手の人差し指と親指で、彼女の右の乳首を軽く摘みながら、彼女の左の耳たぶにキスをすると、彼女は壁に両手をついて私の方に大きくお尻を突き出した。促されるように彼女のショーツを無造作に下に降ろすと、無垢で柔らかな白いでん部がむき出しとなった。
その刹那、もはや抑えきれない衝動が、私の下腹部の奥で重い何かとなってそのままペニスへと伝わった。彼女をじらすつもりはない。だがその前にあと一つだけと、私はその場にしゃがみ、奥の方で息づいているであろう彼女の秘部をめがけて、そのたふっとしたやわらかな彼女のでん部を、両手で左右に押し広げながら顔をうずめようとした。
ジリリリーン!
突然、聞き慣れない音が鳴り響いた。リビングの方から聞こえるそれは、ほとんど使われずにもはやオブジェ化している黒電話の音だった。
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