エピローグ

 満天の星空の下、月明かりだけが頼りな夜の森。


 辺りには、首を落とされた複数の体。私は最後の一体を送り出してから、瞼を閉じると眼鏡を外し、汚れを拭き取りました。そうしてまた、影を見ないように眼鏡を掛けて。この作業にも、もう随分慣れてしまって、それらの光景と夜空とを比べていると、私の胸は酷く痛みました。


 熊飼さんと怪物狩りを始めてから、丁度一ヶ月くらい。私達は行方不明者が多発していると通報を受け、とある県ととある山奥へ足を運んでいました。


「おーい、まだ生きとるかー?」


 熊飼さんは木に鎖で縛り付けた、捕まえた内の一匹──怪物の頬を強く叩いて呼び掛けます。怪物は虚な目をしていて、力なく開けっ放しになっている口は涎と血液でぐしょぐしょ。しかしそれも当然の事です。両腕は切り落とされて、残っている四肢は右脚だけなのですから、その痛みは相当なものでしょう。


 そしてこれが、今回の事件の原因、その一部だそうです。


 影から生まれた怪物は、人を食らい、そうして生まれたものは、奇妙な事に私達と似た存在や、恐れているもの、見知ったものに変わるそうです。熊飼さん曰く、それは『当然』のことらしいですが、その辺りの説明は全然してくれないのはもうわかってるので、私も一々問い詰めたりしません。つまりは自分で考えろ、と、そういう事なのでしょうけど、


 例えば今目の前にいる──四肢の欠損した、吸血鬼さんは、どう理解すれば良いのでしょうか。


「いやー、参ったねどうも」


 山奥での行方不明事件は、彼らの存在によってもたらされたものだと判明したのはついさっきです。それも気が付いたのは襲われてからでした。熊飼さんは『この近くに拠点があるだろう』と、どうやら吸血鬼は群れで行動する生き物らしく、この集団にもリーダーがいる筈だと。わざと息を残した一匹を捕縛して、現在はアジトの場所を聞いている最中です──いえ、聞いているというより、これは拷問ですね。


「ええ……本当に」


 言葉にもならない声を発する怪物を見て、熊飼さんは大きく息を吐き出しました。


 私達と違うのは立派な牙と白い肌、超人的な身体能力と後は充血した瞳くらいで、それ以外は全部人間にしか見えないのです。


 この一ヶ月私はこうした、聞いたことのある存在──伝承に名高い人狼を始め、口裂け女やメリーさんなどの都市伝説をルーツに持つモノまで、幾つかと邂逅していました。てっきり怪物とは、あの廃病院で戦ったような形とばかり考えていたので、最初に出会った時はそれはもう困惑したけれど、今ではもう──そしてこんな、異常な状況には慣れ始めているのに、異常の正体は不明なままだから、私はやっぱり答えが知りたくて、彼に付いていくばかりなのです。


「……やり過ぎですよ、これ。いくら相手が怪物だからって」


「そりゃ手足ぶった切って可哀想って事か、それともやり過ぎでアジトを聞き出せないって意味か」


 熊飼さんは『どっちだ?』とこちらに視線を送って、微笑みます。その試すような目付きに、私は思わず言葉を詰まらせてしまいました。同情しているのか、冷静でないと咎めているのか、自分でも分からなくなってしまったから。


 だから結局、


「……両方、です」


 こういう場合、私は最悪な選択を取ってしまう。優しくもなく冷酷でもない、先送りの怠惰で、勝手な思考。


「なるほど、ね」


 彼は軽く鼻を鳴らすと、前振りもなく──怪物の右足に斧を振り下ろし、切断しました。残っていた最後の一本が落とされた怪物は、絶叫しながら、傷口より血飛沫を上げます。


 咄嗟の事に私は呆然としたまま、


「がっ……この、野郎っ」


 しかし怪物が口を開いた事で、視線はそちらに釘付けになってしまいました。


「なんだ、ちゃんと喋れるじゃねえかお前」


 熊飼さんは鮮やかな色をした切断面に、刃先を押し付けて抉ると楽しそうに笑みを浮かべています。


「なあガハラちゃん。怪物にやり過ぎってーのは無いのよ。だってコイツらは、放っときゃ人を殺すんだぜ? 情を捨てろとは言わないが、判断は切り離しておくべき。はい、これメモ」


「……はい」


「んじゃあそこで黙って見てろ。眼鏡は掛けたままで、な」


 彼は私に力を使わせないよう釘を刺して、私は言われた通り黙って頷きます。


「怪物は人を食う。何もかもを奪う。つまりそれは人から生まれるって事と同じ。だからこそ人に似るし、真似もする。こーいう風に空想上の怪物も出てくるんだよ。だって人から生まれてんだから……んでここで、質問」


 そうして私が最も知りたいことを、最も話を聞きたくないタイミングで語るのです。


「そんなコイツらが──最後には何に変わると思う?」


 怪物の耳や鼻を削いで、傷口を焼いて、目玉をくり抜いて──と、凄惨な拷問を始めた瞬間でしたから、私はとても話なんて、聞ける状態では無かったんです。


 深い森の中で飛び散る血液、木々を貫通する程の叫びと嘆きに、苦悶の声が響く度、何度も眼鏡を外してしまいたくなりました。私の目は怪物を殺す力と惹きつける力を持っています。距離によってその力は効力を増して、最近分かったのは、何かに遮られると失うという事だけ。


 しかし、だからこそ、この苦しみくらいならば眼鏡を取ってしまえば、それだけで終わらせられるのです。


 だけど、それだけはしてはいけない。ここで私がこの怪物を送ってしまえば、被害者が出るかもしれない。


「ったく……大分時間ロスっちまったが、まあ良い」


 だから、苦痛から目を背けて、怪物が息絶えるまで瞼を閉じて耳を塞いでいました。何もかもを熊飼さんに押し付けて、何もしないまま出来ないまま、私は何もかもが過ぎ去るのをただ待っていただけなのです。


 こんな事で、本当に命の使い道なんて見つけられるのでしょうか。


「お、終わった、ですか?」


「ああ。どーやらこの先に洞窟があるらしくそこに住んでんだと。てっきりバカでかい洋館でもあんのかと思ってたけど、残念。洞穴住まいとかアウストラロピテクスか何かかって話だよなー」


 彼は一体何が面白いのか大笑いをして、斧を肩に担ぎ上げると歩き出しました。私はそれについて行きながら、怪物の爪や牙で傷だらけになった背中に視線を向けます。


 銃も戦争も無いこの平和な国で、怪物狩りという、誰より死に近い仕事をしている熊飼さん。しかし、雑草を踏み締め、邪魔な木々を切り裂き押し進む姿は、誰より生命力に溢れていて、力強く、命が輝いているとさえ思えました。


「……熊飼さん」


「なんだよ?」


 だから私は、答えてくれる可能性なんて殆どないでしょうけど、聞かずにはいられませんでした。


「熊飼さんは、命の使い道を見つけているんですか?」


 私が言うと彼は振り向く事もせずに、間髪入れずに、


「知らん」


 と。


「え、だ、だってっ……」


 言い返そうとして、私は言葉を引っ込めました。


「もう良いです。真面目な返答を期待した私がバカでした。ごめんなさい」


 そもそも、熊飼さんとはそういう人だという事を思い出しましたし。


「確かにガハラちゃんは馬鹿野郎だな。だってそんなもんを一々考えながら生きている奴の方が少ねえだろ」


 しかも途轍も無い正論を当てられてしまって、もう歩く気さえも失いそうでした。


「ですね」


 そうして無言のまま暫く歩いて、沈黙を切り裂くように聞こえたのは大きな溜息。それから熊飼さんは突然立ち止まると、振り返って面倒そうな表情を私へと向けます。


「これこそが生きがいだ、やりがいだ、生まれてきた意味だと、大抵の奴はそーいう風な勘違いをして一生を終える。クソほど広くて、毎日何万人も生まれては死んでる世界で一つ一つには何の意味も無い、そこにあるのはただの一つなのに、な。だがまあそれが普通だし、平穏だし、つまりやっぱり、異常なのはこっちなんだろう」


 熊飼さんは笑って、それから踵を返すと、再び夜の森を突き進んで行きました。


「俺達の世界、お前が足を踏み入れた、吹けば飛んじまうような、いつ死ぬかも分からないこの世界が異常。死んだって怪物の餌になって終わるだけの、地獄だな」


「そんな世界……命の使い道なんて」


「こんな世界だからこそ、分かる事もある。死を身近に感じられるこの世界だからこそ、死にたがりのお前にはぴったりなのさ。だからよ、何の為に生きるかじゃなく──何の為に死ぬか、死んで何を得られるのか、考えてみな」


「死んで得られるもの、ですか」


「生きることは失う事だと誰かが言ったらしい。だけど俺は、死んで全部無くなる瞬間に初めて手に出来るものがあると思ってる。お前にも、いつかきっと見つかるよ」


「……はい」


「そしてそれがお前の死んで良い理由、命の使い道になるだろうぜ」


 私は彼の言葉を反芻しながら、理解する事も出来ずに後を追います。


 老いて死ぬと教育する普通の世界に生きていて私にとって、生よりも死に目を向けた彼の問いは、答えを導く事が何より難しいもの──しかし家族を失い、ハルちゃんを失って、私は全部を失ったと勝手に思っていましたが、死を意識して初めて、それは間違いだと気付かされたのです。


 私は何もかもを失った訳じゃなかったのです。


 私にはまだ一つ、この命が残っていたのです。


 そんな簡単な事さえ、私は忘れていたのです。


 母から貰った『大丈夫』を、たった一人の友達へと繋げたこの命が。


 そうしていつしか、私の中にあった『死にたい』という欲望は綺麗さっぱり無くなっていました。だって皆を殺してしまったこの命をどう使うべきか、だって今死ねば、それはただ死んだだけで、何もかも意味が無いし、何も得られない。


 この瞬間、私は初めて『命の使い道』と、正面から向き合えた気がしていました。


 熊飼さんとの怪物狩りがどんな終着点に辿り着くのかは分かりません。もしかしたら私も彼も、ただ死んで怪物の餌になって終わるかもしれません。何も得られることは無いのかもしれません。


「さて、血の匂いが濃くなって来たぞー。準備は良いか?」


 それでも、進むしかないのでしょうね。私は私を、命を脅かし続けるしかないのでしょう。そうしてこれからもきっと、私は色々なものを見送り続ける。


「はい」


 それがきっと、命を使う事に他ならないから。

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怪物狩らナイト 咲井ひろ @sakui

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