7話 少女と大人の男

 マコトさんが、怪物になっていました。血を吐き出しながら床を這いずるあの様は、見ていてとても心苦しいものです。リョータさんは体の大部分を失っていたけれど、動いていたからやっぱり同じく、怪物化していたかも。


 ならハルちゃんは? 


 体は今、私が持っている指先だけで動きはありません。だからこれはきっと、ただの人間の、ハルちゃんの一部に過ぎないんです。それならハルちゃんだった怪物が、もしかしたらいるかもしれません。だったら終わらせてあげないと。そしてそれは──見ず知らずの誰かには、任せたくない。


 私が、私の友達は、私が終わらせてあげたいのです。


「さて、そろそろ行くか」


 熊飼さんは一服終えると、また床に擦り付けて火を消します。それから懐中電灯を取り出すと、廊下の先を照らしました。そしてそこに怪物の姿はありません。


「はい」


「にしてもお前、落ち着いてんなあこんな状況でよ。気持ち悪ぃ、本当にただの現役JKか?」


 初対面の時から薄々感じてはいたけれど、熊飼さんは少し失礼な人かもしれません。格好だけは紳士的なのに。


「……そういえば、そうですね」


 言われてみれば私は、友達がいなくなって、知り合って間もない二人が、殺されるよりずっと酷いことになっていたのに、私はどうして。もう驚きも恐怖も体験し過ぎて頭がおかしくなっているのでしょうか。


「どうして、あんなものがここにいたんですか。どうして、私達はこんな目にあったのですか」


 これだけ手遅れになってから、私はようやく理由を問いました。すると熊飼さんは間髪入れずに、


「お前がいたからさ」


 と、返しました。分かっていたことだけれど、こうもはっきり言われてしまうと余計に重く、のし掛かってきます。


「どうやらガハラちゃんは変わったを持ってるらしい。それに釣られたんだろ。ただでさえ、この手の場所は集まり易いからな。まあ運が悪かったと思って、んで俺が来てやったのは不幸中の幸いってことで、トントンにしてくれや」


「熊飼さんはどうしてここに」


「どうしてどうしてうるせえよガキ。人生はお勉強じゃねえ、何でもかんでも説明が付いて答えがあると思うな。少しは自分で考えろ」


「熊飼さんがここに来たのには、説明が付くし答えがあるじゃないですか」


「説明も答えも、与えられるのは当然じゃないんだぜ」


 熊飼さんの言葉が、少し冷えた気がしました。私が、私達はこんな目にあっていて、それでも尚話すら聞いてくれず、突き放すような口調に私は、言ってしまう。


「だってあなたが、もっと早くに来ていれば……」


 思わず言ってしまって、


 すると熊飼さんは私の首に懐中電灯を押し当て、そのまま──体ごと壁に叩き付けました。遠慮の無い力で締められて背中が痛んで、息が出来なく、声が出なくなりました。


「この世界で嫌いなものは幾つもあるが、その中でも特に嫌いなのはうじうじしてるガキと、もしもの話。この二つだ」


 彼は相変わらず微笑みを絶やすことはありませんでしたが、それが何よりも恐ろしい。だって怪物を殺していた時と何も変わりません。


「受け入れず納得せず、口を開けば理由ばかりを問う。起こっちまったもんは仕方ねえのに、その上まだもしもの話なんてしやがる。鬱陶しい、面倒臭え、時間の無駄」


 そうして熊飼さんは乱暴に私を突き放すと、大きくため息を吐き出します。床に倒れ込んだ私は、見知らぬ大人からの説教で疲弊し、口からは勝手に謝罪が溢れ出しました。


「……ごめん、なさい」


 そんな私の姿に彼は苛立ちや、不快感を覚えていたのでしょう。せっかく消したのにまた煙草に火を点けて、それから続けます。


「……何時間前か忘れたが、ここら一帯を監視してる奴から、『廃病院に入った子供を見失った』と連絡があった。来てみりゃ確かにお前らの姿は無い。本来この場所には怪物など存在しない、言うなれば安全な心霊スポット。だった筈だがまあ、恐らくガハラちゃんが入った時点で、既に飲み込まれてたんだろう──つまり手遅れ。怪物の胃袋から吐き出されたお前を見つけた時には、もうこの有様だったってわけだ」


 と、


「どーだ? 聞いたって納得出来ねえだろ?」


 熊飼さんは語り、最後を煙を吐き出して締めくくりました。時間の無駄だと言っていたのに丁寧に教えてくれたのは、彼が本当は優しい人間だからなのか、それとも私を哀れんだからなのか、どちらにしても今は判断することが出来ません。


「……はい」


「だと思ったよ。だから言わなかったし、言ったところでお前はやっぱり『もしもの話』を始めてただろう」


 しかしだとしても、


「熊飼さん、怪物って何なんですか」


 私は一体何者なんですか、と。


 聞こうとして、だけどそんな疑問が掻き消えるほどの──突如、建物全体を覆う大きな振動が起こります。そして廊下の奥か、どこからかは分かりませんが、金属が共鳴したような、高く耳障りな絶叫が聞こえて来て、不快な音に耳を塞ぐことすら出来ない程に背筋が凍り付いて、私はただ口を閉ざしてしまいます。


 揺れと叫びが収まらぬ中、見ると熊飼さんは既に歩き出していました。


「説明なんかしなくても、今から死ぬほど体験出来るだろうぜ。ガハラちゃん」


 強張る私など気にも留めず、彼はどんどん奥へと進んでいて、私は──ハルちゃんの指を必死に抱き締め、後を付いて行きました。


 熊飼さんから『持ってろ』と渡された懐中電灯と、月明かりを頼りに進んで行くと、暗闇で隠れていた場所にあったのは階段です。窓が無かったのでとても暗くて、もし何事もなかったなら今頃、私達は楽しくて、少しびっくりしながらここを上がっていたんでしょう、とは怒られるので口に出しません。それでもやっぱり思ってしまうんです。


「……」


「伏せろー」


 と、あんまりにも間延びした声が聞こえて、しかしぼーっとしていたので、私はただ呆然と立ち尽くしていました。


「え」


 見れば階段の上から、怪物が私に飛びかかって来ていて、しかし突然過ぎて体は動きませんでした。


 私はただ真っ直ぐに怪物を照らしていただけで、目の前には大きな口が、牙が、広がっています。


 すると横から腕が伸びて来て、それは怪物の頭部を鷲掴みに。熊飼さんは掴んでそのまま階段の手すりに叩き付けると、怪物は声をあげる事もなく大きく潰れていました。踊り場に投げ捨られ、次の瞬きの間には熊飼さんに、首を斧で両断されてもう動かなくなっていました。刹那の出来事に、私は側から見たらさぞ、間抜けな顔を晒していたでしょうね。


「あ……あの、もうちょっと……ちゃんと言って下さいっ」


「俺は言った。お前が突っ立ってたのが悪い」


 と熊飼さんは流して、さっさと階段を登って行ってしまいます。私は倒れた怪物に注意しながら、しきりに後ろを振り返りながら、付いて行きながら──本当にこの人は、と思っていました。2階に上がってからも熊飼さんの調子は変わらず、暗闇の中でも構わず斧を振り回し、殴り蹴り、時には強引に引き千切ったりなどをして怪物を圧倒しています。


 これではどっちが怪物か分からない。


 血塗れになりながら、それでも優しく微笑みながら、武器を振り回す姿は楽しそうにも見えて、自分が傷付く事など考慮していないみたいに暴れ狂う。仮に私が怪物だったとしたら、これほど恐ろしい相手は居ないかもしれません。


「伏 せ ろ」


「え、は、は、いっ!?」


 と、呑気に考えてたら再び命令が飛んで来て、私は自分に出来る精一杯の『伏せ』を実行しました。しかし飛んで来たのは命令だけでは無かったのです身を屈めた直後、熊飼さんは躊躇なく持っていた──斧を、私目掛けて投擲していました。私の頭上を斧が通り過ぎたかと思えば、背後から何かが倒れる音が聞こえて来ます。振り返るとそこには案の定怪物が居て、脳天には刃先が突き刺さって、絶命していました。


 それを見て、私は思わず、赤ん坊みたいな四足歩行のまま熊飼さんの元へ駆け寄ります。


「ちゃんと出来たじゃねえか。次はお手でもしてみるか?」


 言われて流石にムッと来て、私はすぐに立ち上がりました。


「私は……何よりも先に、熊飼さんに殺されるかもしれません」


 それからせめてもの仕返しとして皮肉をぶつけてみますが、彼の表情には変化がありません。


「ところでやっぱりだ」


「……何がですか」


「奴ら、どうやらガハラちゃんを狙ってるようだぜ。よかったなモテモテでよ」


 何がおかしいのか、熊飼さんは冗談を言って『どうだ面白えだろ』みたいな顔をしています。ですが、私にとっては何一つとして面白い部分も無いし、冗談にも聞こえません。


「なんで私が……」


 そう呟いて、しかし原因ははっきりしていました。未だ痛み続ける、見えてはいけないものを捉え、それらを死に至らしめる、この目が今回の元凶なのだと、私は自分で知っていたし、先程は熊飼さんに突き付けられてもいましたから。


「怪物は人を食らい力を付けて、成長する生き物だ。だからより栄養価の高いもの、普通とは違うものを求める。お前の特殊な目は奴らにとってさぞ、とびきりのご馳走にでも見えてるんだろーなー」


 熊飼さんは『ふむ』と鼻を鳴らして、辺りを、殺し散らかした怪物を見回します。


「それにしてもこの量はちょい異常、か」


 私も思わず視線を送ってしまって、改めてその惨状に胃から込み上げるものがありました。


「……そうなんですか?」


「一人や二人食った程度じゃこんなことにゃーならん」


 怪物などを目の当たりにしている現状に於いて、右も左も分からない私ではありますが、熊飼さんの不穏な言葉には同意出来ました。だってこれが普通だったら、きっと私はもっと早くに死んでいるか、怪物に出会しているだろうと──いえ、今考えると、兆候はありましたね。


「ガハラちゃん、家族はどうしてる?」


 そう、熊飼さんもやっぱり、同じ結論に辿り着いたようです。


「いません……いなくなってしまいました」


 お母さんもお父さんも、お爺ちゃんもお婆ちゃんも皆。あれだけ否定していた『呪われている』という言葉、私は酷く嫌っていましたが、どうやら本当だったと認めるしかありません。全て手遅れになってから、信じていなかったもの全部を、信じるしかありませんでした。


「私だけが、生き残ってしまったんです」


 たった一人の友達さえ、私は失ってしまったんですから。


「みてえだな。まあそこが問題……どうしてお前が最後なのか」


 そう言うと、熊飼さんは私の手に視線を落とします。


「ところでさっきから気になってたがそれ、何を持ってる?」


 なので咄嗟に身を引きました。


「……何でもありません」


「見せろ」


 こう言われると分かっていましたから。


「いやです」


 私が拒否すると、熊飼さんは手を伸ばしました。だから思わず、自分でもびっくりするくらい大きな声で、


「やめてっ!」


 と。そうしなければ確実に奪われると思いました。


「これは……私の、たった一人の友達なんです……だから、お願いしますっ」


 私から奪わないで下さい、と生まれて初めて深く頭を下げて、殆ど土下座に近い態勢になっていたかもしれません。それでも構わなかったんです。ハルちゃんを取られるくらいなら、頭を下げるくらいなんてこと無かったから。


「たった一人、ねえ」


 熊飼さんはその時、初めて声を上げて笑っていました。俯いていたので表情は見えませんでしたが、2階全体に響く程に、顔を上げたならそこには、さぞ楽しげな表情があるのだろうと思えるくらい高らかに。


「いいよ」


 そうして私が視線を上げた時、同時に建物が大きく振動して、さっき聞こえた絶叫が響き渡ります。


「それはお前が持ってろ」


 熊飼さんは想像していたより少し抑えた笑みを浮かべていて、彼もまた上を見上げていました。私は揺れから落ちるコンクリート片に目を細めながら、天井を懐中電灯で照らして、


「まあ厄介にはなるかもしれんが、な」


 呼吸が止まります。


 満遍なく広がる黒い靄が、今にも覆い被さって来そうでした。

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