6話 少女と怪物狩り

「あーあ、どえらいことになってんじゃん」


 声が、聞こえました。


 何をする気にもならないようなこんな状況に、これほどまでに相応しくない言葉があるだろうかと、私は薄く目を開きます。開いて顔だけを向けて、能天気な声の、その正体を知りました。


「おーい、そこの現役JK、生きてるかー? 死んでるかー?」


 廊下の奥から歩いて来たのは──見知らぬ男の人です。


「あなたは誰ですか?」


 私が聞くと、月明かりに照らされた男の人は、こちらを見下ろします。いえ、──見下していた、と言っても良いかもしれません。


 しかしその軽薄な口調とは違い、灰色で統一されたスラックスとベストは、とても紳士的でフォーマルだと思いました。敢えて言うなら、捲り上げたシャツの袖口。咥えた煙草は言動に見合っていました。


「ただのガキンチョに教えてやる名前はねえよバカたれ」


 年齢は、20代としか分かりません。高くすっと通った鼻筋や癖のある金髪と、私を見据える切れ長の瞳。発音こそ日本人だけれど、日本人離れした、モデルさんみたいに綺麗な人でした。男の人はゆっくり煙を吐き出すと、私の跨いで、這いずるアレの元へと歩いて行きます。私も釣られて顔をそちらに向けまして、廊下を埋め尽くさんばかりの量のバケモノにも驚きましたが、


 男の人が手にしているモノに、何より目を奪われていました。


 彼は咥えていた煙草を吐き出して床に落とすと、足の裏で火を消します。それから──持っていたを、目の前のバケモノに振り下ろしていました。深く刃先の突き刺さった頭部は両断されて、黒い液体と同じように靄が吹き出しています。

 

 引き抜いて振り下ろして、引き抜いて振り下ろして、


 まるで薪割りでもしているみたいに、単なる作業のように殺戮を続ける彼を見て、私はいつしか見入ってしまっていて、気が付けば上体を起こしていました。だってあの人はずっと、笑っていたんです。声を上げるでもなく、大きく顔を歪めるでもなく、ただ静かに微笑むように、笑っていました。


 どうして、どうして、あの人は笑っているのか。そう思って私は見ていたのです。


「っ」


 そこで突然、私は肩を掴まれました。びっくりして振り向くと、頭部が無くなっていたので、多分マコトさんだった体が、確実に死んでいると言えるような状態の体が一人でに動いて、私の肩を掴んで縋るようにそこにいました。


「……ごめんなさい」


 潰れた頭の、髪の毛と何かよく分からないぐちゃぐちゃしたものと、血液とで赤く粘っこく染まっていたその先端が、あのバケモノのように裂け始めていて、そこからはやっぱり同じように、不揃いで不恰好な鋭い牙が覗いています。


「大丈夫。今、送ってあげますから」


 無意識の内に言っていて、手が汚れることなんて考慮する間もなく、私はマコトさんだったものに触れました。するとまた目の奥から強烈な痛みと頭痛と吐き気が襲ってきたけれど、目を逸らさずに見続けていました。傷口から黒い液体と靄が溢れ出して、掌に伝わる振動を優しく宥めるように、マコトさんだったものが溶け出すまで、ずっと。


 そうして一際大きな震えを最後に、動かなくなった体を、見送りました。


「……どうして、こんなことになったんだろう」


 私は、どうしてこんなことをしたんでしょう。どうしてこんなことが、出来るのでしょうか。


「そりゃ全部お前らが招いた事だろーなー」


 背後から不意に答えが返って来て、私は振り返るとそこにはもう、動いているのは男の人一人だけで、床にはアレらが見るも無惨な姿で、両断されて、首が飛んで手足が欠損していて、転がっていました。そんな現場から彼は変わらぬ微笑みを浮かべながら、斧を肩に担ぎ上げてこちらへ歩いて来ます。


「ホラー映画で良くあるっしょ。調子こいた、お前らみたいなクソガキは殺されちまうってな」


「……あれは映画です。現実にあるわけ」


 ない。あんなもの、実際にいるわけないんだと言おうとして、しかし私は中断するしかありませんでした。


「半分は正解。だが事実ここにはあった。お前はそれでもまだ信じないと?」


 首元に、色んなものがこびり付いた斧を突き付けられてしまったからです。それに彼の表情には一切の変化がなく、先程と同じように微笑むばかりで、いつ殺されたっておかしくないと思えたんです。


「あ、ぅ」


 私は襟を掴まれ強引に立たされると、物凄い力に抵抗が出来ないまま、顔を窓ガラスに近付けられてしまいました。


「ほれ、見てみろよお前の今の姿。超笑えるぜ?」


 そこに映っていたのは、月明かりに照らされた夜の森、ではなく私と彼。ひび割れていて、不鮮明に窓ガラスに映っていた──私の両目はに輝いていました。まるで黒い影の中で、光る獣の目ように不吉を感じさせて、自分自身なのに酷く不気味で、自分自身だからこそ、とても恐ろしく思えてしまいました。


「な、なんですか、これ……」


「そういえばさっき、面白い事してたなあお前」


「なんのこと、ですか」


「とぼけるなよ、怪物殺してたろ。その目、一体どーいう仕組みなんだか」


「……分かりません。私、気が付いたら……あんなことを」


「なるほど、ね。そっかそっか」


 男の人が『ふーん』と鼻を鳴らす音が聞こえて、それから突然掴まれていた手が離れました。途端に私は体に力が入らなくなってしまって、床に倒れ込みます。顔を上げると男の人は私を見下ろしていて、表情はやっぱり微笑んでいました。男の人はポケットから小さな、白い粉の入った瓶を取り出すと蓋を開け、私はそれを頭の上から振り掛けられます。


「な、なにを……」


「見りゃ分かるだろ、塩かけてんだよ」


「だから、それがなんでって」


「大抵の怪物は塩を嫌がる。ほら、あれだよ。葬式とか行ったら家入る前にかけるだろ、それと一緒。ちなみに、鬼には豆をぶつけるんだぜ? あと吸血鬼にはニンニクと十字架と日の光で、狼人間には銀の弾丸だな」


「何を、言ってるんですか」


 私の問いには決して答えず、一頻り塩をふりかけ満足したのか、男の人は小瓶を再びしまいました。


「お前名前は?」


 それからようやく、かなり唐突ではありますが、人と人との会話らしい会話を始める気になったようです。


「……青木ヶ原、柚子。です」


「あ、おき……あー、面倒臭えからガハラでいいや」


 煙草に火を点け『立てるか?』と、差し伸べられた手を、私は呆気に取られたままで。


熊飼くまがいだ。好きに呼んで構わんが、くれぐれも呼び捨てにすんなよ」


「は、はい……熊飼、さん」


 熊飼と名乗った男の人は、満足気に頷くと、廊下の奥を見つめていました。また怪物が現れたのかと思い私も同じように視線を送りますが、そこにあるのはただの闇。先の見えない廊下が広がっているだけでした。


「俺は狩りを続けるが、お前はどうする?」


 何もないのに、しかし、熊飼さんは何か確信でもあるみたいに、そう言いました。


「どうって……」


「付いてくるか、ここで死ぬか。どっちでもいいが、死ぬならちゃんと──人のまま死ね。お前みたいなガキを殺したら寝覚めが悪いし、明日は朝イチでパチンコ行くって決めてるからな。少しでも運気が下がることはしたくねえ」


「付いて行って、良いんですか?」


「得体が知れないがお前のその目は、どうやら役に立つらしい。だからもし、お友達の仇を討ちたいなら手を貸してやる」


「じゃあ……まだ、終わってないんですね」


「さっきのは怪物の中でもただの雑魚だからな、多分まだいると思うぜ?」


 言われて、私は真っ先にリョータさんの残骸に目を向けました。すると驚くべきことに、膝下だけになっていた体は、ひくひく動いています。しかし流石に大部分を失い過ぎているからか、その場で震えるばかりで進むことは出来ないようです。


 また、目の奥が熱い、痛い。


「っ……ぃ……」


 けれども決して視線は逸らさずリョータさんも、マコトさんと同じように。


 それから私は顔を背けて、小さく呟きます。


「そう……なんですね」


 私はこの男の人の名前、それも苗字しか知っていません。それが本当なのかさえ分からない。そもそも怪物が何か、この状況が何によって引き起こされたのか、私の目に一体何が起きているのか、何一つ具体的な情報を手にしていないのです。


「熊飼さん、私を連れて行って下さい」


「はいよ」


 だけどそれでも、私は迷うことなく頷きました。全ては──ハルちゃんの為に。


 終わっていないなら、終わらせてあげないと。

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