5話 少女と出会い

 私が初めてハルちゃんと出会ったのは、高校1年生の時。


 同じクラスで、席は前後。


 お父さんもお母さんもお婆ちゃんもお爺ちゃんも死んでしまって、親戚一同から『呪われている』なんて言われ続けて、いつしか自分から関わりを遠ざけていたあの頃。元々地味で孤独で、口数の少ない私には友達なんて、と思っていたんです。だから後ろからハルちゃんが話しかけて来ても、最初の内は全部無視していました。とても辛かったけれど失ってしまうよりずっと良いと。話しかけられて、遊びに誘われても、ずっと私は拒みました。


 しかしハルちゃんはそれでも、私に何度も話しかけ続けました。私が何度拒んでも、しつこいくらいに。


 遂には根気に負けてしまって、私はある日『どうして私に話しかけるの?』と聞きました。するとハルちゃんは『席も近かったし、なんとなく?』と返しました。何となくでここまで拒絶されても話せるなんておかしいと、そんな疑問を口にしてしまって、初めての会話のきっかけは、そんな感じだったと記憶しています。


 今日だけ、今日で最後。そう思っている内に気が付けば私は高校生活の大半を、ハルちゃんと過ごしていました。


 結局私は、やっぱり一人は辛くて寂しくて、友達が欲しかったんだと思います。それに自分が、やっぱり『呪われている』なんてことはありえないと、確かめたかったのかもしれません。


 だけど、私には、高望みだったようでした。


「ハルちゃん……ハルちゃん」


 鮮やかな切り口から溢れる、赤色の液体が、月明かりを反射してきらきらと輝いていました。それはとても綺麗なもので、しかし私は訳も分からず、これ以上溢れることのないように、しっかりと掌に包みます。


 包んで、それでも指の間から溢れるのは止まりませんでした。


「探さないと」


 私は足の竦みなどとっくに忘れて、気が付けば立ち尽くして廊下を眺めていました。周囲を見回して、リョータさんだった下半身はありました。マコトさんだった体も見つかった。でもハルちゃんだけはどうしたって見つけることが出来ませんでした。


 そうして暫く眺めていると、奥の方、暗闇から、ずるずる、床を擦るみたいな音が聞こえてきます。


 徐々に音は近付いて、次第にその何かが姿を現します。


 真っ白な皮をした、つるつるとした表面で、靄とは違うようです。だって足が無いことを除けば人の形をしていましたから。懸命に腕を前に前にと、喉の奥から鳴らしているような、鳴き声と共に床を這いずって、こちらへ。


「か、か、か」


 と、言葉で表すなら、そんな絞り出すような音を出していたと思います。


 やがてその腕がリョータさんだった下半身にかかると、それの、目も鼻も無いですが、頭部と思われる部分の中央が裂けていきます。


 あれは、口でしょうか? 


 唇はありませんでしたが、裂けた──いえ開いた箇所には不揃いな牙が生えていたので、恐らくそうだと思います。


 そうしてそれは、捩じ切られた部分から、覆い被さるように、


 噛み付いた。


 リョータさんだったものを、食べ始めていたんです。骨や筋肉になど一切構わずにばりばり、くちゃくちゃと噛み付いては咀嚼して、腰から膝の辺りを食べ終えた頃。真っ赤に染まった口を大きく開けて、廊下全体が揺れ動くような咆哮を上げながら、それから小刻みに振動していました。


 私はその様子を、何を思うでもなくじっと見つめていた。


 裂けた口元が真っ赤に染まり、真っ白な体から足が生えるその様子を。そうして私は気が付いたのです──コイツが、ハルちゃんも、あのように食べたに違いない。それのゆらりゆらりとした動きや、『かかか』と声を上げながらこちらに滲み寄る姿を見ていると、


「……笑っている、の?」


 そう思えた。このバケモノは、私を嘲けて笑っているんじゃないかって。同時に──ハルちゃんはもういないんだって、この、私が握り締めている指だけしか残っていないんだって、理解してしまいました。


「こんな状況で、ハルちゃんもいなくて、人が死んでいるのに、どうして笑っていられるの?」


 聞いても当然、返事など返ってくる筈もないけれど。


「答えなさい」


 答えなど、返ってくる筈もない。


「答えられないなら……私の前から」


 消えろ。


 私は何度も何度も『消えろ』と、自分でもこんなに低い声色が出たんだなと思えるくらいで、何度も何度も告げながら、近付いてくるそれに、向かって行きました。手を伸ばせば触れる程の距離になっても尚、私は『消えろ』と告げて、瞳を決して逸らすことなく、見つめ続けた。


 どうしてそんなことをしたのか、私には分かりませんが、それでも堪え切れない感情をぶつけるのに、目の前の何かは丁度良かったんだと思います。


 それにそうしていると、バケモノはまた震え出して、裂けた口や体の至る部分から、あの黒い靄を垂れ流して苦しそうにしていましたから、止める理由もなかったのです。


「消えろ消えろ消えろ」


 何度も呪いの言葉を吐きながら、遂には私は、空いた手でバケモノの首を鷲掴みにしていて顔を近付けていました。牙の覗く口元からは血の匂いが香っていて、すごく気持ち悪かったけれど、構わず続けました。それの足が、真っ白だった足が黒く染まって、ドロドロ溶けていって、私よりちょっと高かった頭がどんどん下がっていって、遂には床に這う形に戻っていても構わず続けました。


 跡形もなく、綺麗さっぱり溶け出すまで、延々と。


 そうして消え去ったものを見送っていた時、


「っ」


 両目の奥の方から、針刺されたような痛みが込み上げました。それに視界が滲んでいて、頭痛と吐き気。ぼーっとしている意識から、猛烈な寒気も感じていたので、もしかたら熱があるのかもしれません。


「……ハル、ちゃん」


 一仕事終えて、私は友達の指を眺めました。私の体温でまだ暖かい指先、私はもっと暖めようと両手で包み込んで、祈るような姿で、自身の鼓動に近付けて抱く。すると、彼女がとても近くに居るようで、私はどうしようもなく安堵していました。


 背後からは、先程とは比べ物にならない量の、床を這いずる音が聞こえて来ています。


 仮に振り返ったなら、アレがそりゃもう凄い数いるんでしょう。


 でも、もうどうでも良かったんです、そんなことは。アレが何かとかも、何もかもがどうでも良くて、ただこのまま、ハルちゃんを抱きながらなら何でも良かった。とりあえずは仕返しもしてやったし、


 あとは彼女の居る場所へ、私も行くだけ。


 それにもう疲れました、体調も最悪でした、何にもする気が起きなかったんです。死の直前、人は走馬灯のように人生を振り返るらしいのですが、今の私にはそれすらもありませんでした。


 冷たい床に体を投げ出して、胸に彼女を抱いても、何も。


 あと、どれくらいの時間かで、私はみんなのように食べられてしまうんでしょうか。


 痛いのかな、苦しいのかな、嫌だなあ、悲しいなあ。


「でも、ハルちゃんに会えるなら、それでも」


 遂には瞼を閉じて、雑音も聞こえないくらい意識は離れて行きます。深い深い、暗闇へと沈むような感覚でした。


 そんな時です。


 這いずる音とは逆の方から、今度はカツカツ、と完全に何かが歩いているような、足音が響いて来ました。しかし私は『また妙なものが出ただけだろう』と興味を持つことはなく、未だ瞼は閉じたままで確認すらする気が起きませんでした。


「あーあ、どえらいことになってんじゃん」


 と、そんな呑気な声が、聞こえるまでは。

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