3話 少女と心霊スポット

 わっしゃわっしゃと落ち葉を踏み締め、雑草を掻き分けて、入り口に辿り着くと足音は渇いた音に変わります。ガラス戸に付けられた、立ち入り禁止の掛け札は二つに折られて地面に捨てられていました。他にもタバコの吸い殻や、酒の缶や花火など、まだ中に入りきってもいないのに荒らされた形跡はここだけでも充分過ぎる程。


 そんな光景に臆したのかは分かりませんが、先頭の二人の足は止まっています。


「よしマコト、お前先に行け」


「いーや、ここはレディファーストだろ」


「良いからさっさと行ってくれません? 寒いんで」


 リョータさんとマコトさんの調子の良いやりとりに、ハルちゃんが冷たく差し込みました。私は彼らと知り合ってからまだ数時間だけれど、二人よりハルちゃんの方が年下の筈なのに、何だか力関係がおかしくて、思わず笑ってしまいます。そうこうしているうちに緊張が解けたのでしょう、やがて二人が中に入ると、私とハルちゃんも中へ。


 まず目に入ったのは、受付。


 ですがそこにも大量のゴミが不法投棄されていて、ちょっと言葉には表したくのないものまでもが放置されています。続いてソファーも、革製のものだったのでしょうが、それはもうビリビリに引き裂かれていて、中のワタが飛び出してそこらじゅうに散らばっています。


 この時、私はある違和感を覚えていました。


 しかしそれが分からず、気のせいで留めている内に、リョータさんとマコトさんは着々と辺りの撮影を始めています。そうこうしていると、来るまでは心中でぐちぐち愚痴を溢していた私ですが、お恥ずかしいことに、少しドキドキしていました。例えるならそう、突然起きた停電でテンションが上がってしまうような、そんな胸騒ぎ、アドレナリンの放出に近いものだったかもしれません。


 だから、感じていた妙な感覚も気付けば次第に、闇に溶けてしまっていたのでしょう。


 それから受付の奥へと進み、診察室へと続く廊下に足を踏み入れました。月明かりに照らされた、ガラスや壁の破片が散乱する通路の先は暗闇に包まれていて、今まで感じていた以上の身震いを覚えてしまいます。


「なんか撮れた?」


「撮れてたらもっとリアクションしとるわアホ」


「決めた。お化けが出てきたらお前の足折って囮にする」


 勿論二人は仲の良いやりとりも欠かすことはありませんでした。


 しかし肝心のハルちゃんはというと、周囲を見回してどこか不安そうです。もしかしたら、意外と怖がりだったのかもしれません。長い付き合いですがそういえばホラー映画などを一緒に見る機会などは無かったかも。


 でも、それにしても、少し様子がおかしいような。


「ハルちゃん、どうしたの?」


 頻りに周囲を警戒して、怯えている感じでした。


「……笑わないって約束する?」


「笑わないよ、心配だもん」


 私は力強く頷きました。するとハルちゃんは『あのさ』と、視線を伏せて二人には聞こえないよう小声で、ボソリ。


「誰かに見られてる、気がするんだけど」


 と言いました。


 いつも自信満々に私を引っ張ってくれているあのハルちゃんが、しおらしくて可愛らしく思えると同時に、彼女が口にしたのはそんな思いなど吹き飛んでしまう内容。誰かに見られている──こういうスポットでは良くある現象ですが、他ならぬハルちゃんが言っているのです。


 私はすぐにでも周囲を見回しました。


 しかし居るのはやはり、撮影を続けているリョータさんとマコトさんと、そして私達の4人だけ。足音が増えているということも、何かしらの超常現象で人数がおかしなことになっているということもなく、ただの4人。


 あとはそう、やっぱり荒らされた廃墟が広がっているだけでした。


「荒らされた、荒らされてる……よね?」


 と、そこで私は改めて、先程から感じていたものの正体に気を配り始めます。鼓動が少しずつ早くなっていって、口の中が異常に渇き始めて、


「柚子? 何言ってんの?」


 ゴミだって散らばってるし、荒らされてるのは確かなんだけど、何故だろう。妙に壁がな気がする──落書きがない黒い壁一面、どこを見てもひび割れがない壁。


 傷一つ、ない? 


 ソファーや机なんかはボロボロにされていて、やっぱり傷があったりしたのに、建物の外観と同じ黒い壁だけには、何もありません。古い建物で、悪い人達に散々荒らされているのにも関わらず、傷が無いのです。


 そうして私は、気が付くと無意識に手を伸ばしていました。


 伸ばしてはいけない、正体に触れてはならない、気が付いてはならないと直感しつつ、黒い、ぼやぼやとした壁へと向かって手を伸ばした。


 その瞬間、


「……あ」


 やばい、そう思いました。思ってしまったんです。


 そう思って、あれほど離さないと思っていた、自分から離さないでと言ったハルちゃんの手も、離してしまう程に。


 私が壁の一部、1階を支える柱に触れようとしたその部分が、瞬く間に白く、本来の色に染まって、気が付くと辺り一面の壁が私の想像通りの廃墟へと変わっていきました。ひび割れも、塗装の剥がれも、落書きも、ちゃんとそこにはあった。


 私にだけ、見えていなかった。


 いえ、を見えていたのは私だけだったのでしょう。すなわちこの建物全てが、今外に出たらならきっと黒い箱ではなく──真っ白な、それこそ病院らしい見た目に変わっているだろうと。


 私がここに入る時見えたあの黒い箱のような姿は、その全てがあの黒い靄だったんだろうと。


「あー、ど、どうしよう……」


 そう思った時、口から溢れたのは文字通りどうしようもないこと。


 今まで経験したことのない規模で、例の靄に覆われていた建物。再三言いますが私は幽霊なんてこれっぽっちも信じていないし、見えてしまったものは全て脳の異常だと納得しているけれど──それでもこれはやばいです。何がやばいかは分かりませんが、この建物にはこれ以上居てはいけない気がするんです!!


「柚子?」


 私の動揺はハルちゃんのみならず、いつの間にかリョータさん達にも伝わってしまっていたようでした。


「あ、あの」


 自分達が置かれている状況を説明しよう、そう思って口を開くも、私はそこで言葉を詰まらせてしまいます。


 だって一体なんて言えば正しく伝えられるのか、分からなかった。『この建物から今すぐ逃げないと』をどう伝達すれば良いのでしょう。あの黒い靄を、どう説明すれば分かってもらえるのでしょう。自身も理解していないアレを、どうやって他人に理解させられるのでしょうか。


 きっと信じてもらえない。


「……」


 自分さえ信じていないのに、どうやって他人に信じてもらおうとしているのでしょう。


「柚子」


「……え」


 俯いた視界にふと誰かの手が、自分の手を包んでいました。伝わる体温は、さっき自分が離してしまったもので、


「ウチら友達っしょ。言いたいこと、あるなら言わないと分かんない」


 暖かい言葉は、柔らかさは、良い匂いは、私の友達のものでした。


「分かんないけど、言いたくないなら言わなくても良い。柚子が決めな」


 顔を上げた時見えたハルちゃんの瞳は真剣そのもので、私へと向けられていた微笑みは、例え何を言ったって許してくれそうな、そんな感じだったと思います。


「ここから出たいの」


 だから、私はまるで呆気に取られたみたいに、反射的に言ったみたいに、すっと言葉が出て来たのでした。


「りょーかーい。いやー、実はウチも結構怖くてさー。本当はすっごい出たかったんだよね」


 するとハルちゃんは陽気に返して、月明かりさえ差し込みそうもない建物の中では不釣り合いな程、明るい笑みを浮かべていました。そうして次に視線を鋭く変えるとリョータさんとマコトさんに『今の聞いてたっすよね? もう出て良いすか?』と威圧と怒気を込めて言い放ちました。


「もち。やっぱJKにはちょっと厳しかったねごめん。また今度来ることにするよ」


 とリョータさん。


「俺も全然いいよ。若い子の初々しい青春も見れたしお腹いっぱいだわ」


 とマコトさん。


 二人もまた笑顔で了承してくれて、ハルちゃんが突っ込みを入れて、和気藹々と雰囲気が緩んでいます。動悸の止まらなかった私も同じように気が付けば微笑んでいたんじゃないかな。


 そうして私達は、すぐに出口に向かって歩き出しました。やっぱり下らない、それでいてクスッと笑ってしまうようなやり取りを繰り返しながら歩き出し、少しだけ進んだ廊下から受付へと戻りました。


 歩いて歩いて、だけど建物にはすぐに入ったばかりなのに、


 歩いて歩いて、歩いても歩いても、いつまで経っても入って来たガラス戸が見つからなくて、それどころか廊下からだって、


 会話が途切れて、早足になって、


 歩いて歩いて、私達は、もう入り口も出口も──見失っていた。

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