第16話 ご挨拶

家事総取り締まり役のお容のあとについて、大広間に入りました。

薄い洒落た羽織をはおった人物が立派な椅子に座っていました。

これが、旦那様。

その隣には大奥様。


そして第二第三夫人は横に控えていました。

大奥様以外の

おふたりはとても綺麗なお着物に着替えて、美しく髪を結い直し飾りも華やかでした。

久しぶりの

旦那様のお帰りに心が弾んでいるのが分かります。

大奥様は新しい着物こそ着ていましたが、いつもと

変わらず高価な金の髪飾りひとつで上品に髪をまとめていました。

それがまた大奥様の気品を引きたてていました。


わたしは旦那様の前に跪き、ご挨拶しました。

「旦那様、永井珠里と申します」

旦那様はにやりと笑うと、「そうか、玲子が夢中で

稽古するほどの師であるようだな」

先程の庭でのことを言っているようでした。

わたしは、

旦那様が無遠慮にお稽古を見ていたことを大奥様に知られたくなかったので、

「ありがとうございます」と無難に答えました。

旦那様はつまらなそうな顔をしていました。が、急に

「せっかくだから、なにか弾け、皆で聴こう。

照美や安恵も聴きたいだろう」

おふたりの奥様に声をかけました。

照美様安恵様が旦那様に向かってにっこりと頷きます。

旦那様の

思いつきには皆様慣れているのでしょう。

あっという間に支度され、わたしは自分の箏の前で呼吸をととのえました。

なんでも

いいとのことでしたので、「碣石調幽蘭」を弾くことにしました。

心を込めて弾くこと。決して自分の技量に溺れないこと。

石橋先生のお言葉を思い出し、丁寧に弾じると自分の

なかの旦那様、ふたりの奥様へのもやもやした気持ちが薄れていきました。

大広間がわたしの箏の奏でる様々な音色で

満ちていきました。

わたしの箏の音を追いかけて。

目を閉じ、自分のなかに入っていく。

激しく、頭に浮かぶこの音色の作る風景。

強い風に煽られる人間たち。

苦しみ、嘆き。

徐々に無へ変わっていく、

荒涼とした大地に

佇むひとつの影は朽ちた石の柱に寄りかかり……

わたしの音が

わたしのなかでこだまして、どんどん箏を伝って皆へ響く。


目を閉じて深いため息をつき、

「なかなか良かった。箏曲は繊細なようで猛々しくもあり壮大だな。気に入った」

と旦那様。

わたしは大奥様の方を見ました。

大奥様は無言でしたが、目を細め頷いてくれました。

良かった。

認めてもらえたのです。

ほっと

したのもつかの間、「では次は玲子と一緒に弾くのが見たい。

玲子の分も支度を」

これが初めて、大奥様が人前で行う演奏です。

恐らく

初めからこうなることをわかっていたのでしょう。

大奥様の箏がすぐに運び込まれて、わたしたちの連弾の準備が出来ました。

「珠里、いつもの曲で」

「大奥様、

ゆっくり確実に行きましょう」

わたしたちは簡単に打ち合わせをして、演奏を始めました。

大奥様は

ひと月ほどまえから格段に上手になり、二三曲なら最後まで弾ける程の腕前になっていました。

けれど

人前とはまた違うので、大奥様を気遣いつつの演奏となりました。

それに

しても、高貴さが演奏にも現れる大奥様の箏曲は、初心者としては十分見応え聴きごたえのあるものと思われました。

同じ

女のわたしでも、演奏に夢中になって乱れた後れ毛の、額や頬にかかる様子に色気を感じドキッと

したものでした。

照美様はどちらかというと演奏より旦那様を気にしていました。

安恵様は小声で歌を口ずさみ、わたしたちの指先を

目で追っていました。

旦那様は、片手に杯を持ちじっと大奥様を見つめていました。

その目にはわたしのみたこともないようなかぎろいが浮かび、

なんとも言えない不安を感じたのでした。





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