第2話 宴にて

○○県には永井家という、樫山の家には及びませんが良家として有名な家があります。

わたしは幼少の頃、そこに引き取られて、

養父母に育てられました。


幼い頃両親が流行病で亡くなり、一時的にとある寺に保護されていたわたしは、

その寺でたまたま聴いた箏曲の、しっとりした優しい音色にいつしか

寂しさを癒されていきました。

寺の尼たちが

いくらかの月謝を貰い、良家の娘相手の箏の指導をしていたのです。

小さかったわたしは、寺の用事を

言いつかるとちょこちょこ働いて、重宝がられていました。

特に箏曲の指導の日は、その手伝いのために部屋に入り浸り、

すっかり良家のお嬢さん方に可愛がられるようになりました。

やがて、琴柱の扱いや

弦の調整、琴爪を指に着けたりが

見よう見まねで出来るようになり、そうなるとすぐに曲を耳で憶えて

弾くようになるのでした。


一年ほどで、その寺に通うお嬢さん方の誰よりも上手くなったとき、

寺の庵主さんが

「この子は、良いご縁を付けてあげなければならないね」

と養女の先に「楽器の才」があることを売り込んでくれました。

庵主さんとも親しくしていた永井家に、養女として行けることが決まったとき、寺の皆は大変喜んでくれました。


永井家。

養父母は、良い人たちで、

わたしに十分な愛情を注ぎ、

素晴らしい教育を与えてくれました。


養父母は芸事を極めることに理解がありました。

そのおかげで、

わたしは○○県でも音楽家として名高い、石橋先生の元に通えることになりました。

それはそれは

熱心にお稽古をしました。

箏曲に魅せられたあのころ

先生の課題をきっちりこなすために夜も寝ずに練習したものです。

やがてわたしは、箏曲で身を立てたいと希望し、

養父母も

一人で食べていくことが出来る力をつけることは大切だと賛成してくれました。

石橋先生の厳しい稽古を続け、

念願の箏曲師範になったのは16のときです。


師範となった仲間には、いずれは大きな都市にいき、有名人の前で演奏を披露したい

と願う野心家もいました。

わたしはというと、ついに師範となり

自分で一生働くことができる、養父母に恩返しができることで

胸がいっぱいになりましたね。


当時、同じ年の友だちは皆そろそろ嫁いでゆき、子をうみ、母になっていくなか、わたしは人生を箏曲に賭けたのです。

それでも全く悔いや迷いはありませんでした。


それから、わたしはひとりの音楽家として

○○地方でも有名な

坂上先生と本郷先生の楽団に参加させて貰えるようになりました。

坂上先生はおばあさんで、少し口うるさいですが腕は確か。専門は堂鼓で笛もお得意でした。

本郷先生は、40代くらいの男性でその頃は病に伏せっており、

たまたまわたしの箏曲を聴いた方が、本郷先生の代わりにどうか、とすすめてくれたことでご縁ができたのです。


ああ、長々とわたしの話をしてしまいましたね、樫山家のことを話さなければと思いながら…

とにかく、わたしのような

まだまだ若い未熟な師範が樫山家にお稽古をつけにいけるようになったのは

こんないきさつだったのですよ。


あるとき坂上先生の楽団は、隣県の知事の宴会での演奏を任されました。

とても盛大なもので、

沢山の立派な方々が来るから

賑やかに華やかに頼むと、御祝儀も弾んでもらったのを覚えています。

なにしろそのお金で

養父母に新しい着物を仕立てて贈り、大変に喜ばれたのを覚えているからです。


さて、楽団ではもう何度も

同じ顔ぶれで息のあった演奏を続けておりましたが、

その宴会での楽曲「西廂記」や「風雅十二詩譜」「漢宮秋月」も、皆

満足のいく演奏が出来、

お客様に非常に喜んでもらうことが出来ました。

招かれたお客様方は、様々な地域の方々で、耳の肥えた方も少なくありません。

都で素晴らしい演奏を

聴いた方も大勢いるということで、

この時の賞賛は、

音楽家になった喜びに満ちた瞬間でした。

春の穏やかな日差しを浴びて、

風でふわりと香る

庭の花々を愛でながら、皆様に楽曲を楽しんでもらえた一日でした。

その後、

わたしたちは、別室で簡単な食事を頂き、知事からお心付を渡され

非常に良い気持ちで帰宅しました。


帰り際には坂上先生から、今日は皆の心がひとつになり美しいことこの上ない音を

奏でることができた。

これからもしっかりと練習を怠らず

皆とともに

楽曲をつくりあげていくことを忘れずに、とお話がありました。


わたしたちにとっては、何度となく緊張感をもって積み重ねた練習を

お客様の前で披露したという、ある意味では当たり前の一日でした。


けれど、その日。その宴には、

わたしたち下級の者でも、

その名は聞いたことのある、

あの樫山家の旦那様と正妻である大奥様が招かれていたのでした。

そしてどんなに言われても信じられなかったことですが

大奥様は演奏のあいだじゅうずっと、泣いていたそうです。

泣いて泣いて、それでも決して場を離れることなく一生懸命に、わたしたちの演奏を

聴いていたのだそうです。

隣にいた旦那様が驚き戸惑い、

大奥様の肩を抱いたり、落ち着かせようと言葉をかけ…

嗚咽は止みましたが、静かな涙が何度も大奥様の頬を流れ続けたのでした。



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