第3話 出会い

あの隣県の宴会からすぐのことです。

わたしは

坂上先生に呼ばれました。

先生は

とても興奮した様子で、わたしを別室に招き、

ニコニコと話し出しました。

「珠里、とても素晴らしい話があるよ。

おまえに

箏の個人教授を頼みたいというお話だ。

早速今日、

伺う事になっているが、一体どこの家だと思う?

驚くよ、樫山家だよ、あの名門の。しかも奥様だそうだよ。

一体なんだって

おまえをご指名なのかわからないけれど、素晴らしいことだ。

名誉なことだよ。さあ、失礼のないように支度をととのえて。

私も付き添うからね。

全くこんなこと初めてだよ、私は誇らしいね、おまえを

育ててくださった、

石橋先生も鼻が高いだろうよ」

わたしはただもうひたすらに、口をぽかんと開けて、

先生の話を聞くばかりでした。


わたしが、個人教授を?

しかもあの樫山家の奥様に?

まだ師範になって

たった1年かそこらというのに、わたしを指名してくださったと?

今振り返れば、天にも登るような気持ちを思い出すけれど、

あの瞬間はとてもとても…

それに

坂上先生は

いつもこんな調子で一方的によく喋るので、わたしはなにがなにやら

質問もそこそこに支度をさせられて、樫山家へと向かいました。


そうそう、ちょっとしたことですが、

わたしの師である石橋先生。

わたしが一人前になったのを区切りとして、引退されたのです。

いまは趣味で箏を奏で、

身内や知人を喜ばせるにとどまっていましたので、わたしは石橋先生づてに

坂上先生の楽団へお世話してもらったのです。

だから

先生同士が知り合いでした。

その石橋先生の名前まで…出たのです。

結局、坂上先生の言う通り、

石橋先生は

わたしが、樫山家で働くと知った時

まさに鼻が高いよ、と言ってくれたんですけどね。

全く、私たちおばあさんの話は、あっちこっちへ

飛んでしまうのでよく

気をつけないといけないわね。


そう、本当にあの時の坂上先生が、

今のわたしみたい。

わたしも

坂上先生もどれほど興奮していたか…


そしてこのとき、わたしの一生が決まりました。

樫山家の大奥様に尽くさせていただく人生が始まる、きっかけが訪れたのです。


わたしも坂上先生も浮き足立って、気がついたときはくるまを下り

樫山家の前に立っていました。

大きな立派な門構えに

すっかり気をのまれていると、門番の男の人が「もしかして琴の先生かい」と声をかけてきました。

わたしたちが頷くと、

「いま、家事の取り締まりの容子さんを呼んでくるので待っててください」

と丁重に中へと案内してくださって…


まもなく立派な着物を着たこぎれいな女性、岩井容子が、

「坂上先生と珠里先生ですね」とこちらに

近づいてきました。


わたしが、先生と呼ばれたのですよ、

わたしがね。

どきどきして、もごもごと口の中で挨拶を返すと、

容子はわたしをチラリとみて

「こちらで大奥様がお待ちです。

初めてとはいえ、

失礼のないように気をつけてください」

と注意をされてしまいました。

全く、樫山家ときたら、

召使いまで立派な着物を着て

美しい者を雇うのだと、わたしも坂上先生も感心しきりでした。

容子は

大奥様からの信用も、召使いたちからの信頼も厚いしっかり者で、

家事の総取り締まり役になるべくしてなった人物でした。


さて、屋敷の長い通路を通って、沢山の部屋の入口の前を通って…

奥の間の立派な椅子にその方は座っていました。

髪に見事な金の細工の飾りを差し、若草色の上品なお着物はとてもお顔の色に合っていました。

すっと背を伸ばしたその姿。

なんて綺麗なひとなんだろう。

わたしはその姿に一目で心を奪われました。


これが樫山家の正妻、大奥様の玲子様との出会いでした。



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