第3話 あと1日
いよいよ、予告の日の前日となりました。警官の数は更に増え、廊下では警官とすれ違わないことが無いほどでした。窓から見える景色は、飛行機の作る影が落ちていて暗くなっています。
レヴィアンは焦っていました。途中から雨が降り出したのです。雨が降っていると、宝物を持って逃げ出すときに何かと都合が悪いのです。普通の方法で脱出を図れば、厳重な警備をしている警官に捕まってしまいます。今回彼らを欺くには、どうしても晴れている必要があるのでした。
「天気予報では、晴れると言っていたはずなんだけどなあ」
怪盗の誇りにかけて、予告の日をずらすわけにもいきません。レヴィアンはどうにもならない苛立ちを募らせていました。
その日、少女も泣いていました。昨日、街に出られなかったからではありません。
夕方、いつも通りせんせえに色々なことを教わっていました。少女のいる部屋は、2つに分かれています。勉強部屋と寝室です。少女は食事も、お風呂も、遊びも勉強部屋で行います。勉強部屋には時々せんせえが来て、ご飯を持ってきてくれたり、本を読んでくれたりするのです。
しかし、せんせえは寝室にほとんど来ません。おかげでレヴィアンは、せんせえにすらばれることなく潜んでいることができたというわけです。
お勉強時間のことです。途中から雨が降り出したので、ウサギのことが心配になった少女は、
「せんせえ、月のウサギさんは、大丈夫かなあ」
と呟きました。すると、せんせえは呆れて肩をすくめました。
「あのね、月にウサギはいないのよ。そんな下らないことを考えている暇があったら、もっと大切なことに頭を使いなさい」
「たいせつなことって?」
「決まっているでしょう。読むこと、綴りを覚えること、計算すること……。貴方は特に国にとって重要な存在となるでしょう。貴方は他の人以上に、どんなときも冷静に、正しい判断ができなくてはいけないんだよ」
少女はせんせえが意地悪を言っているのだと思いました。月を見上げれば、大きなウサギがいるじゃありませんか。ウサギたちは月の王女様が心配で心配で泣いているというのに、それが大切でないというのでしょうか。
少女はお勉強をほっぽり出して部屋に戻ると、涙を溢れさせながら、レヴィアンにしがみつきました。そして、すすり泣き、時に言葉を詰まらせながら、尋ねます。
「ねえ、月に、ウサギさんは、いるんだよね、王女様は、帰れるん、だよ、ねえ」
レヴィアンの頭は、明日のことでいっぱいでした。いつもなら笑って慰めてあげられたでしょう。しかし、今の怪盗にとって、少女の泣き声は正直耳障りです。
怪盗は、低い声で吐き捨てました。
「月にウサギなんか居やしない。月は灰色で、砂しかない。何も無い。黙ってくれ。今、大事なことを考えているんだ」
揺れる瞳、泣き崩れる少女。
「ひどい、ひどいよ! 王女様が帰れるって言ったのは嘘だったの? せんせえみたいに、けーさんやつづりの方がだいじなの? 王女様はずーっとひとりぼっちなのに、ウサギは寂しいと死んじゃうのに、それでもだいじじゃないの?」
泣きながら必死で訴える少女を目の当たりにして、レヴィアンははっとしました。顔が熱くなってきます。恥ずかしさの余りに。
怪盗は彼女を抱きかかえ、そっと髪を撫でました。
「私は大馬鹿者だ。月のウサギはここにいるじゃないか。大丈夫、ちゃんと帰ることができる。私が連れて行ってあげるよ。私は星の王子さまだからね。そう、大切な人を置き去りにして旅に出てしまった悲しい王子さ……」
レヴィアンは気づいたのです。かつて決別しようとした研究者達と同じように、自分も本当にたいせつなものを見失い、傷つけていたということに…………。
* * *
10年前、レヴィアンがまだレリアスという名前だった頃、星の力を操る技術は『魔導』と呼ばれていました。レリアスは幼いながら、『魔導』の才能を開花させ、今で言う研究者『魔道士』の助手として勉強していました。
まだこの頃は信じていたのです。星の力で人々を幸せにできるということ、それがレリアスにとって大切なものであるということを。
師匠は厳しい人でしたが、レリアスの働きを認めてくれたときはとても誇らしい気持ちになれました。実際レリアスは周りの人が「天才だ」「最年少で魔導士になれるんじゃないか」と噂するほどの腕前だったのです。
確かに『魔導』によって国は豊かになりました。小さなこの国ではエネルギー源となる資源が採れなかったので、海を挟んだ向こうの国から莫大な費用を払って石油を輸入しなくてはいけなかったのですが、その必要が無くなったのです。
その分、福祉やら教育やら、星の力を使った工業やら国を豊かにするためにお金を使うことができるようになりました。
しかし、どんなエネルギーであれ、大勢の人が一度に使えば不足してきます。星の力だけではエネルギーが足りなくなる可能性が出てきたのです。また更なる不安が国を襲いました。海を挟んだ向こうの国との関係が悪化したのです。
海を挟んだ向こうの国では、これまで重要な資金源だった石油が売れなくなり、一気に生活が貧しくなりました。不満の矛先が、この国に向いたのです。隣国も『魔導』の研究を始めました。
こうなっては、国の豊かさを保つためにも、隣国より優位に立つためにも、より多くのエネルギーを手に入れなくてはなりません。
そこで『魔道士』改め『研究者』が目をつけたのは、『月の力』でした。
この研究は、極秘で行われました。月の力は、星の力より強力な分、制御が難しかったのです。レリアスもなんとか月の力を扱おうと必死で研究を進めました。月の力が、更に皆を幸せにすると、研究こそが、自分にとって大切なのだと信じて。
ところが、研究が進む内に研究者達は更なる危険な実験を行うようになりました。月の力を、生物の体に直接取りこもうとし始めたのです。初めは好奇心だったのかもしれません。研究者達は、動物実験を何度も何度も行いました。
ほとんどの生物は、月の力に耐えきれず、息を引き取りました。レリアスは、この頃から、妙な胸の痛みを感じるようになりました。
これ程の動物たちを犠牲にしなければならないほど、自分は大切なことをしているのだろうか――そんな疑問が泡のように心の奥底から浮かんでは消えてゆきます。
師匠に尋ねてみたこともありました。この研究は間違っているのではないか。人間はこの領域に足を踏み入れてはいけなかったのではないのか、と。
師匠は素っ気なくこう答えるだけでした。
「仕方無いさ。これが仕事なんだから。これをしなきゃ予算が付かないし、予算が付かなきゃ好きな研究もできない」
実験の結果、月の力を取り込んだ生物は、奇跡を起こすことができるという結論に至ったのです。例えば、死にそうなほどひどい怪我を負っていたのにあっという間に治ったり、火に焼かれても火傷をしなかったりというような。
これが悲劇の始まりでした。国が、軍事利用できるのではないかと目をつけたのです。
レリアスの気持ちとは裏腹に、研究は推し進められてゆきました。遂に人間で実験を行うことになったのです。
月の力を取り込む実験は、特に機密事項とされました。国民の反発も大きいだろうと考えられたからです。従って、被験者を探すのはとても大変でした。
そこで名乗りをあげたのが、出産のため入院中だった師匠でした。なんと師匠は、生まれたばかりの我が子を被験者にしても良いと言い出したのです。
レリアスは幼い頃から先生であり、母親代わりでもあった師匠を愛していましたし、師匠の子どもも愛していました。妹ができたような気分だったのです。もし実験に失敗したら――例え成功したとしても師匠の子どもは失われてしまうのです。
レリアスは猛反対しました。いくら被験者が足りていなかろうと、仕事に誇りを持っていようと、国に脅されていようと、自分の子どもを差し出すなんて……と。
師匠はまくし立てるレリアスを遮ると、
「あんたの口出すことじゃない。夫は良いと言ったんだ」
と言い放ちました。師匠の夫も、また『研究者』でした。
「幼い子どもの方が適応能力高いし、実験にも成功しやすい。子どもの被験者は特に数が少ないからいいデータになるだろう。どちらにしろ世の中の役に立つんだ。我が子ながら誇らしいじゃないか」
師匠の意志は揺らぎません。レリアスは諦めて病室を出るしかありませんでした。でも、レリアスが部屋を出た後、師匠が一人きりですすり泣いていることも、ちゃんと知っていました。
(結局、師匠の子どもも、師匠でさえも守れなかった。『魔導』なんて、何の役にも立たないじゃないか)
無力な自分に腹が立ち、廊下の壁を蹴り上げました。ただ、親指の爪が痛むだけでした。
研究室を出たレリアスは、失ってしまった大切なものを探す旅を始めたのです。
* * *
――天文台に閉じ込められた哀れな子
それは神の悪戯か膨れ上がった欲望の産物か
満ちた月が欠け、月の力が揺らぐ時
――――奇跡が訪れる
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