39 叱責


 一希は、痛む頭を押さえながらソファーの上で体を起こし、しぶしぶ口を開いた。


「実は、月のもので……」


「女の事情」的なことだけは意地でも口にすまいと思っていたのだが……。


「もともと最中は具合が悪くなるんですけど、このところちょっと疲れもたまってて……だから一応前触れもあったというか、自分で予測はできます」


「具合が悪いのかと聞いたよな? あのときになぜ言わなかった?」


「……すみません」


「すみませんじゃない! 理由を聞いてるんだ、答えろ!」


 新藤の怒声どせいがコンクリートの壁に反響する。


「こ、こんなことでへばってちゃいけないと思って……」


 目の奥がじわりとれた。唇をんでこらえ、何とか言葉をしぼり出す。


「先生が毎日こんなに働いてらっしゃるのに、私が具合悪いとか言って休んでるわけにいかないと思って……少しでもお役に立ちたくて……」


 怒鳴り返せず、しかも核心を避けた答えを返す自分が情けなかった。女々めめしい姿など本当は見せたくない。未来の処理士にふさわしく、凜々りりしく胸を張っていたかったのに。もし男に生まれていたら、同じように働いても倒れずにいられただろうか。いや、でも母は……。


「はっきり言っておくがな、お前が来る前は俺一人で十分回せてたんだ。今は雑用をお前に預けた分、当然俺の時間は余る。その分他の仕事を増やしてるだけのことだ。お前に休まれようが逃げられようが、手に負えないようなことにはならん」


「はい」


「それからもう一つ。体力は一人ひとり違う。誰もが同じ働き方をするのはそもそも無理だと思え」


「はい……」


 見透みすかされた気がした。母だったらこれぐらいこなしただろうな、という考えがちょうど脳裏をよぎったことを。


「調子が悪いときに無理をするのは、この世界じゃ迷惑にしかならん。何が可能で何が不可能かはお前が自分で決めることだ。他の誰にもゆだねるな」


――何が可能で何が不可能か……。


 師匠の目を直視できず、視線の温度だけを感じる。


「何だ? 言いたいことがあるなら言え」


「もし、不可能ですって宣言してしまったら、これだから女は、って言われそうで……」


 新藤はさして驚いた様子もなく、


「そりゃあ言う奴はいくらでもいるだろうな。だが、可能だと言ったくせに作業中に倒れたら? 事態はましになるのか?」


「いえ……」


「どうなるんだ?」


「周囲にご迷惑がかかります」


「ご迷惑?」


「……最悪、事故につながるかもしれません」


「わかってるじゃないか。今日はその可能性を考えなかったのか?」


「すみません」


「考えなかったのか?」


「考えませんでした」


「なぜだ?」


 食いしばった歯の隙間から嗚咽おえつが漏れた。活性の爆弾を扱っていたわけではないが、倒れたのがもしケースを運んでいる最中だったら、新藤が命がけで解体した大事な「商品」を壊していたかもしれない。


 あるいは新藤がとっさに支えてくれなければ、倒れた拍子ひょうしに頭を打っていたかもしれない。不調のまま無理を続ければ危険を招くと、なぜ考えなかったのか。安全確保は一番大切なことなのに……。


「わかりません……」


 本当にわからなかった。一希の震える呼吸と、ぐすんぐすんとはなをすする音だけが空間を支配する。やがて新藤の声がそれに加わった。


「まずは体調を整えろ。その後、わかるまで考えろ。時間はいくらかかってもかまわん。答えが出るまで他の仕事は一切禁止だ。そのためだけに時間を使え」


 どこに残っていたのかと驚くほど、新しい涙がどっとあふれた。お前にはもう用はない、出ていけ、と言われることを、無意識のうちに恐れていた自分に気付く。


「いいな?」


「はい……」


 新藤は書類を片付けて行ってしまった。


 貧血で倒れたのも初めてだが、これほど不甲斐ふがいなくみじめな思いをするのも初めてかもしれない。ソファーの端にうずくまったままひとしきりべそをかき、ようやく立ち上がる気力を取り戻したときには、涙を吸ったトレーナーのそでがいい加減冷え切っていた。


 面倒ではあったが、少し温まりたくてシャワーを浴びると気分もいくらか回復した。


 座敷はまだ戸が開いたままで、明かりがある。水を飲もうと台所に行くと、布団に寝そべって本を読む新藤が見えた。そっと会釈えしゃくして流しに向かう。すると、流し台のすみに何やら紙切れを見つけた。


――宇厳うげん流 調薬・薬膳……。


 そのような文字が印刷されており、住所と電話番号がそれに続く。どうやら封筒状の袋の端の部分を破り取ったものらしい。座敷から新藤の声。


「試しに一回行ってみろ。薬草中心の自然療法ってとこだ。効く効かないは個人差があるが、もし合えば長い付き合いになるかもしれん」


「はい、ありがとうございます」


 もちろん不発弾処理業のための健康管理という趣旨ではあろうが、新藤の気遣きづかいは一希の心にみた。



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