38 貧血


 すでに途方とほうもない知識量を実現し、熟練した技能を持ち、場数ばかずも踏んでいるプロ中のプロ。そんな新藤の勇姿を、指をくわえて眺めてばかりはいられない。


 日々の修業にますます力を入れ始めたある日、一希は全身の重だるさとともに目を覚ました。目の前の大机で新藤が何か書き物をしている。一希ははっと身を起こしかけたが視界がぼやけ、思わずうめく。


「起きたか?」


「あ、先生、すみません私……」


 ひたいを押さえてまばたきを繰り返す。何とも言えない頭痛と吐き気に、何が起きたのかをいやでも思い出した。ソファーに横たわった一希はいつの間にか靴を脱がされ、薄手の毛布に覆われていた。


「気分はどうだ?」


「あ、何とか大丈夫です。あの、私……寝ちゃってました?」


「そのようだな」


 穴があったら入りたいとはこのことだ。一気に記憶がよみがえる。


 今日、夕食を終えた後のことだった。


「冴島、手いてるか?」


「あ、はい」


「これ、車に積むの手伝ってくれ」


 新藤が指し示したのは、玄関脇の台車に積み上げられたプラスチックケース十数個分のストロッカ。解体処理済みの部品だ。


「……はい」


 一瞬の躊躇ちゅうちょが新藤に見抜かれたらしい。


「いやなら別にかまわんぞ」


「いえ、まさか……」


 慌ててケースの一つに手をかける。結構な重さだ。持ち上げる前にしばし呼吸を整える。


「どうした、具合でも悪いのか?」


「いえ、大丈夫です」


 よっこらしょと持ち上げ、新藤の後について外に出ると、車は目の前にめてあった。さすが先生、抜かりなし。


 一つせ、戻ってまた一つ持ち上げる。……おかしい。これぐらいで汗をかくような気温じゃないのに。


 何とか二つ目を荷台に上げてひたいぬぐった瞬間、視界がぼやけ、暗くなってパチパチと火花が散った。「おい!」と、新藤の緊迫した声。朦朧もうろうとする意識。腕をつかまれる痛み。そこからはよくおぼえていない。


 気が付いたら一希はソファーに横たわっており、驚いて立ち上がろうとするのを新藤に止められた。しばらく横になってろと言われ、そのまま眠ってしまったらしい。


 もともと調子が悪かったところに、最近出前が続いていたのが申し訳なくて、昨晩は惣菜そうざい数品の作り置きをしていたら寝るのが遅くなった。


 布団に入ってからも、道具渡しのイメージトレーニングをぐるぐると繰り返しているうちに目がえ、なかなか寝付けなかった。


 それに加えて今日はたまっていた洗濯。そこへきて新藤が部品運びを手伝えるかと言い出したのだ。本音を言えば早く横になりたかったが、新藤の方がずっと忙しいし疲れているはず。


 新藤の仕事をできるだけサポートしたい気持ちもあるし、ここでへこたれていたら処理士どころか補助士にすらなれないかもしれない。そのプレッシャーは、一希にとって体の疲労よりもずっと身にせまって感じられた。




 どれぐらい眠っていたのかさだかでないが、ケースはすべて新藤が片付けたようだ。申し訳なさと悔しさがどっと押し寄せる。


「何なんだ? 貧血か?」


「かもしれません」


「何か持病じびょうでもあるんなら今のうちに言っといてくれ」


「大丈夫です」


「お前の大丈夫は聞き飽きた。ここで隠したって、どうせ試験のときには健康診断でバレるぞ」


「いえ、病気ってわけじゃないので」


「じゃ何なんだ?」


「今日はちょっと調子が……」


「お前はちょっと調子が悪いと気を失うのか?」


「気を失ったのは初めてです」


「明日にでも病院に行ってこい」


「あ、その必要はないと思いま……」


「まったく急なことで原因不明なのか、慢性のものなのかじゃえらい違いだ。医者に聞いてはっきりさせておけ。予測が立つんならまだいいが、いつ意識を失うかわかりませんなんて奴に爆弾を任せられると思うか?」


 まずい、このままでは完全に病気扱いだ。



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