4  対面


 広々とした敷地。その外側を何周しただろう。靴底から伝わる土の感触が心地よくて、一希は走り終えるタイミングをいっしていた。


 ザッ、ザッ、ザッ、という規則的な足音。それに混じって、虫の羽音、鳥の声。今がさかりとしげる木々をそよ風が揺らし、青い香りを運ぶ。


 待ち時間をジョギングで埋めているのは、決してダイエットのためではない。同年代の女子の中でやや太めに見えるのは、骨格や筋肉のせいだ。「ぽっちゃり」よりは「がっしり」の方がしっくりくる。


 女の子らしからぬ体型を気にしていないわけではないが、ひどい風邪で体重が減ろうとも、「がっしり」の印象は変わらないのだから仕方ない。このところ運動に励んでいるのは体力作りのためだ。


 ジャージの上下に、いたんだスニーカー。伸びきった髪は黒いゴムで一本にたばねただけ。この格好で今日も授業を受けた。


 クラスで、いや、不発弾処理補助士養成科で、一希が紅一点なのは明白。かといって男子からちやほやされるがらでないのは一希自身が一番よくわかっている。今は特に、勉強最優先でなりふりかまっていられないからなおさらだ。




 放課後にバスを一本乗り換え、隣町で下車した。


 停留所から坂を上がった丘の上に、不発弾処理士、新藤しんどう建一郎 けんいちろうの自宅がある。外見よりも機能にこだわったらしき、殺風景なコンクリート造りの平屋。


――家っていうより、工場か倉庫みたい……。


 こうして足を運んだのは、電話だと適当にあしらわれそうな気がしたからだ。国内トップの実力を誇る処理士に、果たして話を聞いてもらえるだろうか。訓練学生ごときが、しかも前例のない女子生徒が、相手にされるだろうか。


 住所は電話帳で調べがついた。一希はこの三日間、新藤宅にかよってはその主を待ちぶせている。今日こそ会えますように。


――よし、もう一周したら休憩。


 スパートをかけようとしたそのとき、車の低いうなりが聞こえた。


――あっ、もしかして……。


 足を止め、耳を澄ます。バスではなさそうだ。エンジン音が徐々に近付く。


――あ、上がってくる……ってことは、間違いない、よね?


 一希はとっさに、木の陰に身を隠した。わざわざ会いに来ておいて隠れるのも変だが、いざとなると、万端ばんたんだったはずの心の準備が一割ほど後退する。


 まもなく、音の正体が姿を現した。


 本来は水色なのであろう軽トラック。土埃つちぼこりをしこたま被り、見るも無残だ。西日を背にして車内は見えないが、荷台には機材や工具箱が所狭ところせましと積まれている。


 あんじょう、その軽トラは門柱の脇を折れ、庭へと乗り込んでいった。砂利じゃりの上を進み、シャッターが閉まった車庫の前に停まる。


 エンジン音がやんだ。降りてきたのは、オレンジ色の作業服を着た大柄な男。


――うわ……本物。


 顔は写真の通り。専門書の寄稿欄などで何度か見かけた仏頂面ぶっちょうづらだ。年齢は知らないが、おそらく三十代前半。おじさんと呼ぶにはちょっと若いぐらいか。くせの強そうな黒髪が、すっかり日焼けの定着したひたい縁取ふちどっている。


 新藤建一郎は、車庫のシャッターを上げ、運転席に戻った。その横顔を見つめ、一希は躊躇ちゅうちょした。


――どうしよ……失礼のないようにしなきゃ。


 雲の上の人だし、機嫌の良さそうな表情を見たことがないせいもあり、何となく怖いイメージがある。しかも、今ここで嫌われたら、一希の職業人生には永久に傷が付くかもしれない。


 電話もせずに訪ねてきたことを今さら悔やんだが、ようやく手に入れたチャンス。逃している場合ではない。


 そう、これが第一歩になるのだ。十一年前のあの日以来、自分が背負った使命を果たすための……。


 新藤が車を車庫に入れ終えて出てきた。一希はおへそにぎゅっと力を入れ、ええい、と気合いを入れ直して、門柱のそばから声をかける。


「新藤さん……」


 自分でも驚くほど、かぼそい声。しかし、気付けば目が合っていた。汗の浮いたひたいの下で太い眉が中央に寄る。一希の声はますます上ずった。


「は、初めまして! 私、早川はやかわ技術訓練校で不発弾処理を学んでおります……」


 名乗りかけたのをさえぎられ、


「何の用だ?」


 低く平坦な声が一希のつむじに浴びせられた。


 顔を上げると、黒々とした二つの目。わずかな異常をも見逃さず、どんな現場をも完璧に守る、あの新藤建一郎の目だ。


 一希は無意識に姿勢を正す。


「お忙しいところすみません。私、新藤さんのご活躍をいつも専門誌などで……」


「お忙しいとわかってるんならさっさと用件を言え」


 新藤はごつい体をくるりと返し、車庫のシャッターをガラガラと閉めた。大きな工具箱を手にげ、のっしのっしと母屋おもやに向かう。その後ろ姿を一希は反射的に追いかけるが、用意してきた言葉が思い出せない。


――えっと……。


 夢中で言葉をつなぐ。


「え……っとですね、あの、助手はりませんか?」


――しまった! 


 緊張の上に慌てたせいで、前置きがすっ飛んだ。


 振り向いた新藤に見下ろされる。オレンジ色がまぶしい。


「実習希望なら学校を通して申し入れるのがすじじゃないのか? いきなり押しかけてくるとは非常識もはなはだしいな。担当教官は誰だ?」


「あ、違うんです。実習は秋頃に希望者をつのるみたいなんですけど、私、先月入学したばかりで……そうだ、これ、履歴書お持ちしました」


 新藤はその封書に目もくれなかった。


「四月入学か」


「はい。何か私にできることがあればお手伝いをと……」


「資格は?」


「まだ、これからです」


 一希は精一杯の笑顔で答えたが、新藤は石のように固まっていた。顔付きがますます険しくなる。


?」


「はい」


 思わず期待を込めて見つめるも、一流処理士の視線は冷ややかだった。


「一体何ができると思ってるのか聞いていいか?」


「たとえば、荷物持ちとか、機材の片付けとか、帳簿の管理とか」


「あいにくどれも間に合ってる」


「あと、お留守番とか、掃除、洗濯とか、お使いなんかでも……」


 一希が皆まで言わぬうちに、大きなオレンジ色はこちらに背を向けていた。


「家政婦の真似事まねごとなら他を当たってくれ」


 新藤は、玄関の引き戸に鍵を差しながらきっぱり。


「うちには余分な予算はない」


――予算?


 カラカラと扉を開き、新藤は中へと姿を消す。


「あ、いえ、そうじゃなくて、ちょっと待っ……」


 一希の目の前で、カラカラと戸が閉まる。


「新藤さん、違うんです。ちょっと聞いてください!」


 古びた戸を叩くと、思いのほか大きな音がして恐縮する。聞き耳を立ててみたが、新藤の気配はすでに遠ざかっていた。



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