「ゆ、幸綱どの、結局、長尾勢は退けられなんだか」


「ご覧のとおりでござる、藤若どの」


 計見城城主・市河藤若は、援軍を約束してくれた武田晴信が手一杯のため、その約束が果たされなかったことに、失望の思いを抱いていた。ところが、晴信が切り札として、真田幸綱を派遣してくれたことで、光が見えてきたと感じていた。

 藤若の聞くところ、幸綱は、砥石崩れという惨敗で晴信が攻略かなわなかった砥石城を調略し、しかも噂では河越夜戦――関東管領山内上杉憲政率いる八万と北条軍一万一千の戦い――において、北条方に加勢し、北条の勝利に貢献したという話だ。

 ところが、


「いやあ、やはり越後の龍はお強い。かないませんな」


「そ、そんな……」


 これである。今少し、頼りになる台詞を吐いてくれても良いではないかと思う。兵らも動揺する。

 しかし、これで長尾方に傾く藤若ではない。長尾景虎かげとらの潔癖は聞いている。今、寝返ったところで、「二心ある者は要らぬ!」と斬り捨てられよう。


「はあ……」


「落ち込まれるな、藤若どの。城を枕に討ち死にする際は、拙者もお供致すゆえ」


「要らぬお節介でござる」


 武田としては藤若を見捨てなかった、という言い訳が立とうが、当の藤若としては迷惑至極である。死んだ上に、長尾に計見城を取られる破目なんぞ、となげく。


「……大体、晴信どのも晴信どのじゃ。この計見城に駆けつければ、長尾と一戦できように、それにて決着を……」


「生憎、お屋形様は長尾の侵攻の対応に手一杯で……」


「それは承知しておる! だからといって、大将首を取る機を逃がしておるのではないかと言うておる!」


 藤若の言うことも一理ある。

 幸綱は沈黙するほかなかった。

 長尾がいくら蠢動しているとはいえ、そのである景虎を叩けば終わる。いかに信濃における長尾侵攻の対応があるとはいえ、そこは措いておくべきではないか。藤若としては、そうしてもらいたいところなのだ。


「…………」


 幸綱は頭をいた。

 しかし、晴信の方にも言い分がある。信濃をいわばかたちの武田としては、奪った領土に武田の被官なり、味方する国人なりを入れざるを得ない。対するや、長尾はするかたちなのだ。奪還した領土は、を据えればいい。しかも奪還した恩を売れるので、長尾方となる。

 つまり、この場合、奪還する長尾の方が楽なのだ。


「まこと、景虎どのはいくさ上手」


「感心している場合か……」


 藤若は先ほどの激昂が嘘かのように肩を落とした。諦念が湧いてくるのを抑えられない。

 幸綱はそんな藤若に何と声をかけてよいものかと思案していると、ふと気づくと、己の背後に猿飛が控えているのに気づいた。


「来たか、猿飛」


「遅うなり申した」


「何、構わん。して、首尾は?」


「殿の読み通り」


「重畳。で、霧隠は?」


の方へ向かいました」


 幸綱は破顔した。猿飛も霧隠も、真田の草の者(忍者)である。があって、幸綱は猿飛と霧隠に命を下していた。そして今、その狙いが当たり、策が動き出したことを知った。

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