第11話 聞きたくて、聞きたくなかったその声は



 昼下がりの、お茶会会場。

 自身の社交を終わらせたセシリアは、いつものようにレガシーの元へとやってきていた。


 彼の隣に座り、他愛のない会話をする。

 それはいつもの事であり、セシリアにとってはほんの少しの寂しさを纏う平和だった。

 

 しかし、その平和が崩れる時がやって来た。



 近づいてくる足音に、話していたレガシーの声が途中で途切れた。

 どうしたのかと思っていると、彼は急に柔らかい微笑をセシリアへと浮かべる。


 そして、言った。


「セシリア嬢、うまくいく事を祈ってる。でももしダメでも慰めてあげるから」


 と。



 どういう意味なのか。

 セシリアはそう問おうとしたが、それよりほんの一拍早く鈴の名の様な声が響いた。


「――セシリア様」


 その声は、セシリアの耳に馴染んだものであり、最近は聞かなかった、しかし聞きたかった声だった。


「テレーサ様……!」


 驚いて視線を上げると、そこには思っていた通りの人影が居た。


 嬉しい。

 彼女の顔を見て、セシリアは瞬間的にそう思う。



 あんな言い方をして喧嘩別れのようになってしまったというのに、ちょっと現金かもしれない。

 それでも、もう話しかけてもらえないかもしれないと思っていたのだ。

 嬉しくなってしまうのは仕方がない事だった。


 しかしすぐに、そんな気持ちは塗り替えられる。

 しかしそれは、決して良い感情ではない。

 

(――怖い)


 抱いたのは、恐怖だった。


 もしかしたら、決別の言葉を告げられるかもしれない。

 もしかしたら、上部だけの和解を持ちかけられるかもしれない。


 どちらにしても、彼女の本音は否応なく読み取れてしまうだろう。

 それが分かっているからこそ、怖い。


 そんな風に思った時だ。


「お隣、座っても宜しいでしょうか……?」


 そう問われて、セシリアはハッと我に返る。



 隣を見れば、居るはずのレガシーが居なかった。

 彼を探して視線を彷徨わせれば、少し離れた所に彼の小さな背中を見つける。



 おそらくこれは「話したい事を2人でゆっくり話せる様に」という気遣いだったのだろう。

 

 気遣い自体は嬉しかった。

 しかし急に風通しの良くなってしまった隣に対し、心がジクジクと心細さに蝕まれ始める。


 そんな時だ、背中越しに人の気配が動いたのは。



 それがゼルゼンだという事が、セシリアにはすぐに分かった。


 普段の彼なら、絶対に必要以上の存在感は示さない。


 彼は執事の師匠であるマルクから『執事たるもの常に主人の近くに伏してあるべし』というマルクからの教えを受けている。

 だから彼は、不必要な身動ぎは絶対にしない。

 それが出来る技術も持っている。


 そんな彼が、自ら存在感を示してみせた。

 そんな『故意』の理由に、思い至らないセシリアでは無い。

 

(私は、1人じゃない)


 きっとゼルゼンが伝えたかっただろう答えを拾い上げ、セシリアは僅かにその口角を上げる。


 不安が安堵へと、ジワリジワリと塗り変えられていく。

 そんな心地よさを確かに感じる。


(今まででただの一度も、ゼルゼンが一緒に居てどうにもならなかった事なんか無い)


 そう、ゼルゼンという人は、セシリアにとって今までずっとお守りだった。

 そしてそれは、きっとこれからも変わらない。


 根拠なんか無くても、彼の事なら簡単にそう信じられる。


 だから。


「……えぇ、どうぞ」


 セシリアは平常心と取り戻し、社交の笑みでテレーサにそう言葉を返す事ができた。

 そして彼女が隣に腰を落ち着けたのを見計らって、セシリアはゆっくりと口を開く。


「テレーサ様。私には、先日の件を有耶無耶にしたまま貴方と『今まで通り』でいる事は出来ません。そして、先日述べた主張に関しても、謝ることは出来ません」


 まずは、そう言い切る。



 あの日以降、セシリアは何度も何度もあの時の事を思い出した。

 自分の言動に落ち度は無かったか。

 自分に謝るべきは無かったか、と。


 しかしその結果、セシリアの答えは「やはりあの場で譲れるものは何一つ無かった」という所に落ち着いてしまった。

 

「私はやはり、誰に何を言われても進んで殿下の元へ嫁ぐ気にはなれません」


 これは自身の譲れない心であり。


「領地や領民を盾に取られれば、あの地を治める領主家の娘として例え友人とだって戦わなければなりません」


 これは貴族である自分の譲れない『義務』であり。


「あの場で席を立ったのも、あれ以上の最善は無かったと思っています」


 これは互いの頭を冷やす為に必要な措置だった。


 胸を張ってそう言える。



 それでも、敢えて一つ挙げるなら。


「しかしあの日、最後に言ったあの一言だけは余計だったと思っています」


 残念です。

 あの日最後に、セシリアはそう溢した。


 それは確かにセシリアの本心だった。

 しかし同時に客観性に欠けた、ひどく感情に任せた主観でもあった。


「あの言葉だけは、私の八つ当たりでした。そのせいで、もしかしたら貴方の事を傷つけてしまったかもしれません」

 

 ごめんなさい。

 そう言って頭を下げた彼女の謝罪は、何とも不器用なものだった。


 こういう時の謝罪はきっと、すべてに対して謝ってしまった方が容易いだろう。

 しかし本気の謝罪をする時、セシリアは謝るべきしか謝れない。


 そんな性分が、彼女の仲直りを無自覚に邪魔している。




 そんな彼女に、今度はテレーサが一拍の沈黙を経て口を開いた。


「セシリア様の言葉に、私は確かに傷つきました」


 何故そんな酷い事を言うのだろう、そう思った。

 そう告げてきた彼女の声に、セシリアはゆっくりと瞼を閉じる。


(あぁ、やはりダメか)


 目を閉じたのは自衛の為だ。

 

 どうしたって、見れば分かってしまうだろう。

 見れば拒絶が確定しまう。

 それがひどく怖かった。


 本当ならば、耳さえ塞いでしまいたかったが、流石に淑女が相手の話し中にそうしてしまうのは角が立つ。

 だからその衝動は懸命に抑えて、その場に座り続けるしか無い。


 

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