第6話 明らかな挙動不審
背中越しに掛けられたその声に、クラウンは「えっ?!」と声に出して驚いた。
アランの他に普段彼を呼び止める声は無いため、これは極めて珍しい事だ。
しかし彼が驚いた理由はそこではない。
震える声に、クラウンは大いに聞き覚えがあったからだ。
「あり得ない」と思いつつ、目を丸くして振り返る。
するとそこには案の定の姿があって、クラウンは分かっていたのにまた声を上げてその人物の呼び止めに驚く羽目になる。
「レ、レガシー殿?!」
そう、話しかけてきたのはレガシーだった。
彼がコミュ障をだという事は、セシリアとの間に一悶着があるよりも前から知っていた。
それ程までに、彼の人嫌いは有名だ。
話しかけても無視される。
話したら話したで、意味不明な事しか言わない変な奴。
それが同年代の子達の間で囁かれていた、彼の良くない噂だった。
そしてそれをクラウン自身、疑った事は一度も無かった。
だって彼はいつも1人でポツンと居たし、誰とも話す気配が無かった。
そもそも自分は『革新派』で、彼は『保守派』の家の子だ。
接点なんてまるで無いのだから、自分には関係無い人物だった。
そんな彼との交流が始まったのは、しかしセシリアとの一悶着以後の事である。
噂ほど悪くない。
それが、彼に対する第一印象だった。
確かに話す事は得意ではなさそうだったが、それだって他の人と比べると極度な苦手があるというだけで、彼自身に悪意は無い。
まずそれがすぐに分かり、それから何度か話す内にちょっとずつ慣れてきて、最近ではセシリアと3人、それなりに話せるようになっている。
それでも彼にとっての天敵は健在だ。
前に聞いた時は、まず家族以外の「大人」にトラウマがあって、「人混み」も怖い。
そして「同年代の子達」にも、苦手意識を持っているので、どうやら「今のところ気軽に話せる他人はセシリア嬢だけ。彼女を挟んでだったらまぁ慣れればちょっとずつ……」という感じらしい。
つまりそれは「彼女を挟まなければ慣れてきたクラウンとだってまだちょっと難しい」と言っているに等しかった。
それを聞いて、少し残念な気持ちになった。
しかし苦手なんてもの、今すぐにはどうする事も出来ないのだから仕方が無い。
そもそもセシリアを交えても、やりとりにはまだ若干の辿々さが残る状態だ。
一対一で好きに話せるにはまだ時間が掛かるだろう。
そう思っていたのだが。
(まさか自分から話しかけてくれるなんて……!)
そんな事は初めてで、クラウンの中には形容し難いくすぐったさが込み上げた。
しかし目の前の彼を視界に入れて、すぐにそんな物は吹っ飛んだ。
明らかに、顔色が悪い。
真っ青な顔をして視線を忙しなく泳がせて、手をイジイジとしながらやけにビクビクした様子で周りをしきりに気にしている。
いつもセシリアの隣に座る冷静でマイペースな彼は、今や見る影もない。
以前と比べて改善しているか否かは判断材料を持っていないから分からないが、少なくとも自身の苦手を克服した人間の姿には見えなかった。
(……なるほど、これ程か)
思わずそう、納得した。
彼が今まであれ程までに、こちら側に寄り付かなかった訳である。
そんな風に思ったのだ。
と、そんな時だった。
全く空気を読む気がない真っ直ぐ過ぎる声が、2人の間に颯爽と乱入して来たのは。
「え? 何まさかクラウン様って、俺以外にも友達居たの?」
それは随分と失礼な物言いだった。
この声の主が誰かも、クラウンはよく知っている。
というか、今クラウンに向かってこんな物言いをする奴なんて1人しか居ない。
アランである。
正直者な所が彼の長所だが、だからこそその言葉が心に刺さるという事もある。
案の定、彼の言葉はハートのわりとど真ん中をプスリと刺した。
しかしクラウンだってここ最近で精神的には少し鍛えられているのだ。
このくらいの棘ならば、自分で処置可能だった。
見えない刺をブスリと抜きながら同時に少し感謝する。
(思わず状況に戸惑ったり納得したりしてしまっていたが、お陰で我に返る事ができた。俺の感情は今は良い。それよりも優先すべきは――)
そんな風に頭を回して、アランの言葉は華麗にスルーし、顔の青さが増しているレガシーに向かって笑顔を向ける。
「どうした? レガシー殿」
可能な限りの優しさを込めて、ゆっくりとそう尋ねた。
こんな所まで来たんだ、何か俺に用事があるんじゃないのか?
そんな風に尋ねてやれば、彼は肩をビクリと跳ねさせて少しの間逡巡を行う。
そして、数秒の後。
「ちょっと、君と話がしたくて……」
そう告げた。
告げられた言葉は、絵に描いたような尻切れトンボだった。
しかしそれで十分だ。
後に続くだろう言葉には、想像が付く。
(どうやら彼は、俺と二人で話がしたいらしい)
そこまで思い至り、すぐに「当たり前か」と独り言ちた。
だって彼は「人混み」も「同年代の子達」も苦手なのだ。
用事の無い人間とは出来るだけ距離を取りたいと思うのが普通だろう。
しかしレガシーが言い躊躇ったのは、おそらく「人混み」や「同年代の子達」への恐れだけが理由じゃない。
だってその表情には、恐れの他に申し訳無さも混ざっている気がするからだ。
だから「別にそんな風に思わなくても良い」という意思を込めて、クラウンは隣に向かって軽い口調で別行動を告げる事にする。
「じゃぁちょっと行ってくる」
「あぁ、じゃぁなー……っと、そうだクラウン様」
一度は手を振っておいて、すぐにクラウンを呼び止めた。
アランがする「来い来い」という手招きに応じて、クラウンがその口元に耳を寄せる。
すると。
「良かったね、俺以外にも話しかけてくれる友達が居て」
コソッと告げられたのは、まさかのそんな言葉だった。
あまりにしょうも無くて無性にイラッとさせられて、クラウンは思わず反射で「煩いわっ!」と返し、口元に寄せられた彼の手をペチンッと叩く。
すると一言言って満足したのか、彼はすぐに踵を返した。
だから顔は見えなかったが、その声はどう聞いてもニヤついていた。
揶揄うための言葉だった事は、それだけでもう明らかだ。
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