第15話 『ハト』の成すべき行いは
殿下の噂。
そう言われて思い出せるのは『第二王子はオルトガン伯爵家・セシリア嬢に会う為に貴族のお茶会に顔を出している』というものくらいだった。
すると、本題の端っこに彼が触れた事をその表情で察したのか。
殿下はこう言葉を続ける。
「まぁ僕の気持ちとしては、どんな噂が流れようが大して気にはしていないんだけど、立場的には少し困るんだ。事実と異なる噂が囁かれるのは」
そんな言葉に、伯爵はピクリと反応を示す。
普段から『ハト』として彼の言葉を聞いている伯爵は、すぐに気が付く事が出来た。
彼が「気持ちとしては気にしていない」と言った事と、その真意の片鱗に。
そんな彼を知ってか知らずか、殿下は一度ここで言葉を切って視線を虚空に晒しながら苦笑する。
「父上から賜った『権利』の事もあるし、その辺はクリアにしておきたいんだけど……『どうしたものか』と、思ってね」
この視線のそらし方は、彼が誰かにお願いをしたい時の、一種の癖のようなものだ。
『ハト』になって、もう3年。
その癖は、当初からずっと変わらない。
彼がたまにする、こういう話のぼかし方は、おそらく彼なりの防衛策なのだろう。
伯爵は、既に殿下本人から、殿下とその兄との間の確執めいたものの存在を知らされている。
だから思う。
「この方はそういうシビアな世界に身を置いている方なのだ。ならばこういう言い回しになってしまうのも、仕方がない事である」と。
そしてだからこそ、殿下には『ハト』という存在が必要になるのだ。
彼の曖昧な言葉からその意図を違えず受け取り、その通りに行動できる。
そんな人間の存在が。
彼の真意のヒント達は、言葉の要所要所に散りばめられている。
気持ちとしては気にしていない。
事実と異なる噂が流れる事は、立場的に少し困る。
陛下から賜った『権利』。
状況をクリアにする。
それぞれの言葉の意図を解析し、それぞれの文脈を結びつける。
そして、彼は。
(――なるほど、そういう事か)
ようやく一つの答えに行き着いた。
「――お任せください、殿下」
「じゃぁ、頼んだよ?」
そう言って柔和に笑った彼の声に信頼を感じながら、デーラ伯爵は深く一礼をして部屋を出た。
デーラ伯爵は、「気持ちとしては気にしていない」くらいには好意を持つ相手との間の「事実と異なる噂が流れる事は立場的に少し困る」という問題点に対して、「陛下から賜った『権利』」を忠実に活用する方向で「状況をクリアにする」算段を整えた。
つまりそれは「オルトガン伯爵家の末娘と殿下の仲を、名実的に盤石にする為の算段をする」という事だ。
そして彼はこれ以上無いほどの人選を行い、その成功に自信を持っていた。
しかしその結果は――振るわなかった。
「……しかしまぁ、今考えても侯爵以上の適任は居なかった。これはおそらく、誰がやっても失敗する事だったのだ」
殿下には決して言えないそんな本音を、思わずポロリと口にする。
『失敗』の報を受けるその瞬間まで、すべてが上手く行っていると信じて疑わなかった。
そしてそれが上手くいけば、この先更に殿下が自分を重用してくれる。
そんな未来が見えていた。
そこには勿論「認められれば家としてももっと発展していく事だってできる」という野心もあった。
しかしそれ以上に、誰かに、否、誰よりも殿下その人に認められる事が嬉しい。
そういう思いを抱いている。
第二王子・アリティー。
デーラ伯爵が彼に対して抱く気持ちは、王族としての畏怖や敬意よりも親しみの方がより大きい。
勿論彼は、王子だけあって身に着けている物は高価だし、相応の気品も持っている。
しかし柔和な彼の笑みから感じられるのは、やはり相変わらずの『平凡さ』だ。
能力は兄に劣り、内から滲み出る様な覇気とは無縁。
気性だって『穏やか』と言えば聞こえは良いが、威厳が少し足りないと言えなくもない。
実際、そういった陰口を叩く者は多い。
そしてデーラ伯爵自身、彼を前に「確かにそういう部分もある」と思っている。
兄の言動は、常に苛烈で常識破り、しかもそれをさも当たり前かの事のように行う。
その姿は自信に満ちた堂々たる振る舞いだ。
その派手さの影に、どうしたって殿下の姿は隠れてしまう。
その結果、彼に対する周りの評価は、覇気が無い、欲が無い、自我が無い。
所詮は良い子ちゃんでしかないと、揶揄される。
比較される対象は、どうしたって近しい立場の人物になる。
そして彼の場合で言うと、それは異母兄でしかあり得ない。
何故なら王位を次ぐべき王族の男児は、彼と彼の兄の2人だけなのだから。
しかし。
(だからと言って、殿下に素質が無い訳では決して無いのだ)
そんな風に、伯爵は独り言ちる。
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