第5話 父から齎されたその情報



 テレーサはある日、父から執務室へと呼び出された。


 執務室に呼び出される等、これが初めての事だった。


 だから「一体どのような用事なのでしょうか?」という疑問を胸に抱きながら、目的地へと歩みを進める。




 コンコンコン。

 扉を軽くノックすると、中から「入れ」という声が返ってきた。


 いつもより低い、仕事モードの父の声だ。

 そう思えば、ちょっと緊張してしまう。


 しかしそれでも呼ばれているのだ、まさか入らない訳にはいかない。


 開いた扉の正面には、大きな窓を背中に背負い机に向かう父親が居た。

 しかし自分で許可を出したにも関わらず、彼は顔を上げる気配を全く見せない。


 そんな彼を前にして、テレーサは入室を躊躇した。

 もしかしから仕事の邪魔になるかもしれない。

 そんな風に思ったのだ。



 そもそもテレーサは、母から「執務室は男の人の仕事場ですから女性が入るものではないのですよ?」と言って聞かされている。


 それもあって少しの間逡巡したが、結局「呼ばれた」という事実が少し勝ったテレーサは、恐る恐る父を呼ぶ。


「お父様?」


 そんな問いに、やっと彼の顔が上がった。

 そしてテレーサを視界に捉え、納得したかの様な声で「あぁ」と小さく声を上げる。


「入りなさい」


 今度は目を見て、言葉が紡がれた。

 優し気な声と表情、その様子に安堵する。


(良かった、怒ってないみたい)


 そんな風に思いながら、いつもの優しい父に招かれて今度こそ本当に執務室の中へと入る。



 始めて見る執務室は、テレーサにとって少し新鮮な場所だった。


 だから最初は好奇心で辺りを少し見回して、しかしすぐに怪訝に思う。


 机の上には、沢山の手紙や書類。

 そこに何種類かの判子達が、まるでばらまく様にして置いてある。


 床には幾つもの木箱が置かれており、中をちょっと覗いてみれば中には大量の書類が入っているようだった。


 極め付けには、おそらく中から取り出したのだろう。

 紙の束が出しっぱなしで床に放り出されている。


 つまりこの部屋は、お世辞にも「片付けられている」とは言い難い場所だったのだ。


 そのことに気がついて、テレーサは思わずムッとした。


(何ですか、この『惨状』は。こんなに散らかしたままにしておくなんて、使用人達は一体何をしているのでしょう)


 今日一日でこのあり様ならばそれは父が悪い。

 しかし他の部屋で父が部屋をこんな風にしている所はただの一度も見た事はない。

 

 となれば、これは使用人達の明らかな職務怠慢ではないのだろうか。


 テレーサはそんな風に思い至った。


(酷い。このままではお父様が書類に埋もれてしまうわ。お父様の前ででしゃばるのはどうかと思いますが、少し使用人達に苦言を呈する事も必要かもしれません)


 それこそ、お父様の為に。

 そう思い、決心をして父に尋ねる。


「お父様? このお部屋はいつもこのような状態なのでしょうか……?」


 手招きされるままに室内に入ってきた娘のそんな第一声に、父・ノートンはまず怪訝な顔をした。

 しかしすぐに何を気にされたのか分かったのだろう、「あぁ」と納得声を上げる。


「この部屋は確かに一見ゴチャゴチャして見えるが、その実どこに何があるのかは直ぐに分かる配置になっているのだよ」


 だから片付いていない訳じゃないんだ。

 そんな彼の言葉は、傍目に聞けば明らかに片付けられない人の常套句だった。


 しかし少なくともテレーサは、そんな風には受け取らなかった様である。

 不思議そうな顔をしながらも、彼女はすぐに「そうなのですね」と言葉を紡ぐ。


 しかしそれは、必ずしも納得ではない。


(なるほど……私には荒れ果てている様にしか見えませんが、お父様がそう言うのです。きっと本当なのでしょう)


 そこに理解は無かった。

 彼女はただ、父の言葉を疑わなかっただけである。

 


 父の言葉を疑わない。

 これもまた、母からの教えの一環だった。


 曰く「お父様にはきちんと考えがあるのですから、決して反論したり対立したりしてはなりませんよ」という事である。


 テレーサは、そんな教えを当然の様に自身の行動指針としていた。

 そして優秀が故に、それは既にきちんと骨の髄まで染み込んでいた。


 だから、そんな自分の思考に何ら疑問を挟まない。

 それよりも、自身の中に生まれた義務感を片付ける事に成功したテレーサの興味は、もう既に別の所へと移っている。


「それでお父様、私にお話とは?」

「あぁそうだった、そちらに座りなさい」


 ノートンそう言って勧めたのは、荒れ果てた部屋の中でも、比較的綺麗な場所だった。

 ソファーに放り出された枕を除けば綺麗に片付いている、小さなミーティングスペースの様な場所だ。


 彼の言葉を受けてすぐさま枕を拾って避けたこの屋敷の筆頭執事を眺めながら、テレーサはぼんやりと「もしかしてここはお父様の休憩スポットにでもなっているのもしれないわ」なんて事を考えた。

 そして上座に座った父に倣い、テレーサも下座に着席し姿勢を正す。


 するとまずは父の前に、続いてすぐにテレーサの前へと淹れたての紅茶が差し入れられた。


 それを見て、思う。


(もしかして、これは話が長くなるという事なのかしら)


 いくつか話してそれで終わるくらいの話だろうと勝手に思っていたのだが、少なくともこのカップ一杯の紅茶を飲み干す時間くらいは掛かるらしい。


 そんな風に思いながら、テレーサは紅茶を出してくれた彼に目で簡単に謝意を述べた。




 父は紅茶に口を付けると、スッと優し気な視線をこちらへ向けて話し出す。


「テレーサ、知っているかい? 最近社交界で囁かれているこんな噂を」


 テレーサだって社交界に身を置く令嬢である。

 そして、噂話とは社交界の花と言っても過言じゃない。

 

 その会話の滑り出しに、興味を抱かずにはいられなかったのは必定だった。



 一体何の事だろう?

 そんな気持ちを隠さずに父に向かって首を傾げると、彼はそんな娘の反応に満足したのか、口角を僅かに上げつつ続きを口にする。


「お前の友人・セシリア嬢と第二王子殿下との間に、どうやら婚約話が上がっているらしい」


 その言葉は、テレーサにとって衝撃以外の何者でもなかった。

 思わず目を丸くして、告げた父に「それは本当なのですか?」と無言で尋ねる。


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