第8話 セシリアのため息

 


 手紙の書き過ぎで右手に異様な疲労を感じながら、セシリアは机上に積まれた『処理済み』の手紙達に向かって盛大なため息をついた。


 山盛りのそれは、全て社交招待関連の手紙ばかりである。



 最近は特に送り主がバラエティーに富むようになってきたのだが、おそらくそれには社交界の噂以外に、セシリアの日々の社交活動も一役買っているのだろう。



 様々な所から声を掛けられる様になる。

 それはとても良い事だ。


 特に理由が社交の成果なのだとしたら、それはつまり周りから歓迎され社交的に必要とされているという事だろうし、そういう扱いを受けているだけで交渉事では十分に相手よりも精神的優位に立つことができる。

 やり易くなるのは間違いない。


 しかし勿論、メリットがあればデメリットだってある。

 その際たる物が、この手紙たちへの返信作業だ。


 参加にしても不参加にしても手紙の返信は行わねばならない。

 それが貴族の掟である。




 現在はその作業もやっとの事で一段落つき、休憩がてらのティータイム中。

 右手がもう限界なので左手でカップを持ちながら、セシリアは紅茶の湖面をぼーっと眺めていた。


 すると、背中越しにこんな声が掛けられる。


「テレーサ様との会話、最近はちょっと楽しそうだな」


 ゆっくりと振り返れば、そこに居たのは案の定ゼルゼンだった。


 口調とは裏腹に、彼は今とても美しい所作で紅茶のおかわりを用意している途中だ。

 セシリアの持つティーカップの中身が後一口だけだという事を、おそらく彼は目敏く発見していたのだろう。


(世話焼きなのは昔からだけど、それにしてもよくこんなに気がつくものだ)


 そんな風に彼の甲斐甲斐しさに改めて感心しながら、その一方で彼の言葉について考える。

 そして小さくクスリと笑った。


「そうね、思ったよりも楽しく話しているわ」


 その言葉は、紛れもない本心だ。



 テレーサとの交流は、思いの外頻繁に続いている。


 最初の内は、ただ「『対等』な友人を断る方が後々何かと『面倒』になりそうだ」と思っただけだった。

 しかし何度か話す内に、意外にも彼女との会話を楽しんでいる自分が居る。



 彼女は、セシリアが一旦社交を終えてレガシーの元に向かった後にいつも頃合いを見てやってくる。


 話の内容は様々だ。

 今どきの流行やお菓子、お花についての会話から、別の社交場で小耳に挟んだ話まで。

 話のチョイスは、特に他の令嬢達と変わらない。


 しかし彼女が他と違うのは、自分の好みや意見だけではなく、他貴族達の好みや意見の傾向などについても一緒に教えてくれる事だ。



 彼女にとっては特に意識してそれらを教えてくれている訳ではないのだろう。

 話をしている最中にふと思い出した事をそのまま口に出している、そんな感じだ。


 彼女の立場上、沢山の子女達が彼女へと話し掛けにやって来る。

 だからそれらは、きっとその中で仕入れた情報なのだろう。


 彼女の面白いところは、その答えから相手の性格や趣味趣向を分析し予測するところだ。

 そしてそれが案外的を射ていたりするから、意外と他の子女達との会話に役立つ。

 しかも話術があるものだから、尚更楽しく会話ができる。


 だから最近セシリアは、3人目の『退屈しない貴族の話し相手』を見つける事に成功したのだ。



 まぁそれは、もしかしたらテレーサとの一回の会話時間が長くても15分程度だからというのもあるのかもしれない。


 彼女のそんなタイムリミットは、おそらく取り巻きを廃して1人でこちらに滞在できる時間が、長くてもそのくらいだからなのだろうが、それはこちらとしても好都合だ。


 彼女がいる間はレガシーが頑なに無言を貫くので巻き込んでしまっているこちらとしてはちょっと可哀想な気がするし、もしそれが30分や1時間になってくればどうだろうと考えると、何だかちょっと必ずしも楽しめるとは限らない気がする。


 それに。


(相変わらず、理由の分からない違和感だけは健在だし)


 なんて、独り言ちる。


 結局何に対して違和感を抱いているのかは、未だに分からずじまいである。

 そんな相手に長時間近くに居られるのも精神的に疲れるので、こちらとしても今の距離感がありがたい。



 彼女もあれで良い息抜きになっているようなので、お互いに今くらいがちょうど良いのだと思う。

 



 因みにレガシーについては、彼女が来る時間帯はずっと手持無沙汰そうに黙っているので、一度「レガシー様も一緒に話しませんか?」と会話に誘ってみた事がある。

 すると何故か、怒られた。

 今にも泣き出しそうな顔で「やめてよっ! 僕にはまだハードルが高いって言ってるでしょ?!」と叫ばれたのだ。


 彼曰く、「子息ならともかく、令嬢と話すのはまだ無理! あ、王子も無理だからね?!」との事だったのだが、そんな彼に私はというと。


「レガシー様? 『令嬢と話すのはまだ無理』って、私も令嬢なのですが」


 私の事、一体何だと思っています?

 満面の笑みでセシリアがそう聞き返せば、レガシーに「い、いや何でもない……」と言われてスイーッと視線を逸された。



 なんて事を思い出していると、コツコツという足音が近づいてくる。


「それにしてもテレーサ様が入ったお陰で、お前の周りは一層大変な事になってるな」


 どうやら新しい紅茶が淹れ終わったらしい。

 ティーポットを手にこちらへとやってきたゼルゼンに、セシリアは最後の一口をクイッと煽って空のカップをソーサーに置いた。


「平民の俺からすれば社交場は全て自分より高位な方たちの集まりだけどさ、それでも主人が主人自身より高位の方たちに囲まれてる図はどうにもな……」


 カップから仄かな紅茶の甘い香りと柔らかな湯気が立ち上る。

 そんな中、何やら歯切れの悪いゼルゼンを見上げてみると。


「なんかこう、心臓に悪い」

「何それ」

「何って……だってお前、絶対また何かやらかすだろ絶対」

「絶対って何よ絶対って」


 口をツンっと尖らせながらそう言えば「日頃の行いを呪え」と言われた。

 ひどい。


「自業自得だろ」


 心を読まれた。


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