第2話 親の本音、執事の本音



 そう、これはひとえにセシリアの成長を思っての事である。

 

「マリーシアの時もそうでした。しかしあの子は自分の力で乗り越えた。おそらくはセシリアも、同じように乗り越え学びを勝ち取ってくれるでしょう」


 ワルターの呟きに、クレアリンゼが今度は自信と希望に満ちた声でそう応じた。

 

 子の可能性を信じる母の目は、未来に想いを馳せながら「そして」と天望を語る。


「将来、セシリアが第二王子からのアプローチ以上に『面倒』な色恋沙汰に巻き込まれた時、今回の経験はきっと役に立ちます」


 2人にとって、セシリアは可愛い娘だ。

 周りと比べると十分成熟しているように見えるかもしれないが、それでもまだほんの10歳の子供であり、まだまだ人生経験に乏しい。


 そんな彼女に2人が今正に与えようとしているのが、正にその経験だ。


「物事の躱し方を、セシリアには身をもって学んでもらう」

「権力者が相手の場合は特に面倒ですからね」


 それをまだ転べる内に経験できる事は大きい。

 少々失敗したところで、まだ親の目が届く範囲内の事である。

 いざとなれば、割って入ってフォローすれば良い。


 彼女はまだ、10歳。

 それが十分許される歳だ。



 しかし、それでも。


「だからと言って、腹が立たない訳ではありません」


 つまり、頭では「それが最も効率的だ」と分かっているが、感情がそれに伴わない。


 これはそういう話だった。


「セシリアが『良し』とするなら、それでも良いのです。しかしそうではないにも関わらず無理矢理外堀を埋める様な噂を立てるのですからいただけません」


 好きではない相手から言い寄られる事の面倒さも大変さも、クレアリンゼはよく知っている。

 だからどうしたって、なおさら頭に来るのだろう。


 しかし抱くその想いは、ワルターだって同じだった。


「俗に言う政略結婚は、我が領地には必要ない」


 今は特にそう言った後ろ盾も無い状態でうまく回っているのだし、後継のキリルもきっと上手く継いでくれるだろう。

 それだけの手腕を、ワルターは息子の方に見出していた。


 だからこそ、子供達には好き好んだ相手と結婚してほしいのだ。

 自分達と、同じように。

 



 セシリアは、彼に対して一応まだ「アイツとの結婚は死んでも嫌だ」という程の強い拒絶はしていない。


 この先、もしかしたら彼の中に、『面倒だ』と思ってしまう気持ち以上の良いところを見つける事が出来るかもしれない。


 そうなった時はその気持ちを応援するのも吝かではないが、2人はセシリアの両親だ。

 少なくとも今現在は、彼には微塵も好意が向けられていない。

 そんな事は、一目見ればすぐに分かる。



 つまり今の2人にとって、第二王子はというと『セシリアの前に立ちはだかるただただ目障りな障害物』以外の何者でもないのだ。


 だから。


「私たちがこの件で何かしらの手を出すとしたら、途中で状況が何かしらの破綻を見せるか、一通りの学びが全て終わった後か」


 これは、その時が来てやっと発散できる気持ちである。


 正直言って、今からもう待ち遠しい。

 そんな気持ちが顔に出てたのか、向かいでクレアリンゼがコロコロと笑う。


「その前に、旦那様の怒りゲージが振り切れない事を祈っていますよ」

「それはちょっと約束できないな」


 冗談めかして笑い返したが、この言葉は半分冗談、半分本気だ。




 しかしクレアリンゼはもう1人、まだワルターと似たような可能性を秘めた人物の名をこの場に挙げていないようだ。

 だから代わりにワルターが挙げておく。


「で、お前はどうなんだ、マルク」


 からかい口調で後ろに向かってそう問えば、ちょうど空いた主人のカップに淹れたての紅茶を注ごうと彼が近くにやってくる。


「そうですね、キリル様もマリーシア様も、最近は随分とその事でフラストレーションを溜めていらっしゃるようですね」

 

 執事はまず惚けたように他のメンツを引き合いに出した。

 するとワルターが「逃げるな」とすぐに釘を刺す。


 言葉と共に向けられたジト目は、間違いなく「正直に言え」と促していた。

 そんな主人に、彼は苦笑しながら口を開く。


「旦那様がいつ王族に反撃するか、ひやひや物だというクレアリンゼ様のご懸念は私も同様にしているところですが」


 そんな事を言いつつも、浮かんだ表情はとても良い笑顔だった。


 こういう時の彼は、大抵ひどく怒っている。

 それは、彼と長い付き合いのワルターが誰よりもよく知っていた。


「僭越ながら、私もお子様方の成長をずっと近くで見守らせていただいた1人です。そんな方々の頭を悩ませる輩を、私がまさか笑顔でスルーするなど、そんな事は出来ますまい」


 そう告げた彼が、少なくともワルターにはまるで研いだばかりのナイフのような切れ味を持っている様に見えた。


 きっと、だからだろう。

 非常に心強い我が執事の存在に、思わず不敵な笑みを浮かべる。


「幸いというべきか、『権力を笠に着て何かを強制してくる』という事態にはまだなっていない。だからどちらかというと『平穏だ』と言えなくはないが――準備はしておけよ、マルク」

「分かっております、旦那様」

 

 主人のカップを紅茶で満たし、彼は笑顔でそう応じた。


 そして。


「クッキーのお代わりのお待ちしましょう」

「えぇお願いね」


 彼はまた、いつもの完璧な仕事を全うするのだった。

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