第219話 ライフリング

 ライフリングと呼ばれる技術がある。

 銃砲の銃砲身に『らせん』状の溝を彫るのだ。

 この『らせん』が銃身内で加速される弾丸に旋回運動を与え、弾軸の安定を図り、直進性を高めるのだ。

 その開発はケルン派の発表ではなく、他者によって行われていたが。

 ケルン派はとうの昔に開発していたが、あえて発表せずに秘匿していたのであろうな。

 そう思う。


「・・・・・・」


 沈黙し、指で椎の実の形をした弾丸を弄くる。

 問題はあった。

 ライフリングは命中率の向上、射程距離の延長に効果を現したが、それ以上に致命的な問題があった。

 まず『らせん』を刻み込む工程のための製作費の高さがある。

 次に弾丸が食い込んで回転するという仕組み上、銃口から弾込めすることへの手間による発射速度の遅さ。

 その二つは戦時において致命的な問題である。

 ゆえに、普及することはなかった。

 これがこの教皇の脳髄に刻まれた知識である。


「・・・・・・」


 悩んでいる。

 ずっと沈黙し、悩んでいる。

 ケルン派の秘術は何を作り出したのだろう。

 私の知識欲が、今にも飛び出しそうな決裂の言葉を留めている。

 ケルン派は何らかのメッセージを、この弾丸に詰めているのだ。

 椎の実のような形をしていて、弾丸の底には溝が切られており、凹みがあった。

 底部に鉄のキャップを押しつけて裾を――おそらく裾が広がる仕組みにしている。

 嗚呼。

 ケルン派は、ようは火薬・火器の発達において現在できる最高峰を私に差し出したのだ。

 予想する。

 この弾丸は小さくて、銃口からも弾込めされるように加工されていて、発射速度の遅さを改善した。

 当然のことだがライフリング技術における、工程のための制作費の高さも解決しているのであろう。

 そうだ、何を考えていたのだ、私は。

 ケルン派は明確に、技術を秘匿しているのであるからして、彼女たちは数世代先の技術をすでに発見している。

 彼女たちの創始者が残したメモに則り、技術を進めて、その開発を。


「・・・・・・この裾は?」


 口にしたのは交渉決裂の言葉ではない。

 致命的な、殺し合いの始まりとなるべき言葉ではない。

 質問であった。

 この凹みはなんだと。

 鉄のキャップを押しつけて、裾を広げて、なんとする。

 ケルン枢機卿は答えなかった。


「教皇猊下の想像にお任せいたします」

「・・・・・答える気はないということか」


 おそらくは、火薬の爆発により弾丸底の凹みの裾は広がり、ライフリングの「らせん」と吻合を起こすのではなかろうか。

 ・・・・・・その効果は?

 マスケット銃の欠点を補うことになる。

 最大の欠点、「弾丸がまっすぐに飛ばない」を補うだろう。

「弾丸がまっすぐに飛び、全ての力をそこに向ける」だろう。

 有効射程距離の極端な短さと、命中率におけるあまりの低さを補うだろう。

 いや、それだけか?

 胸甲を打ち破る強烈な威力も秘めているのではないか?

 頭の中ではいくつもの数式が思い浮かび、計算を始めている。


「・・・・・」


 それでもモンゴルの弓騎兵には届かないだろうと思う。

 彼女たちは、400以上にも及ぶ矢を総身に身につけていて。

 モンゴル騎兵の有効射程距離と、彼らの産み出したライフリングの有効射程距離は――どれくらいの差であろうか。

 モンゴルの潤沢な経済なれば、複合弓(コンポジットボウ)で射程距離600mを超える物もあるだろうが。

 だが、そんなものが量産できるわけもない。

 しかし、ケルン派のライフリング技術とて同じ説明が付く。

 はて、はたして実際に戦えばどちらが勝つ?

 射程距離のわずかな差は重要だが、戦術でどうにでもなる。

 私には、わからなくなっている。

 そうだ、私の脳は混乱を始めている。

 勝てるか?

 ひょっとして、ケルン派が火器技術の秘匿を解禁すれば、モンゴルに勝てるのではないか。

 この弾丸が正式に規格化すれば、それこそ容易にとはいかぬが、勝ちの目はあるのではないか。

 会戦での戦術にもよるだろうが――。

 ならば、やはり私の行為は神聖帝国への卑怯な裏切りとなるのではないか。

 いや、神聖帝国が糞なのは誰もが知っているが。

 国とも呼べぬ『万人の万人に対する闘争』状態が続いているのが現実だが。

 もし、ケルン派が全ての人の飢えを解決する手段を見つけようとしているのならば。

 このままケルン派の技術が爆発的に広がる方を待った方が良いのでは。

 今はどちらも、神聖帝国も、モンゴルも、民衆の行き先を保証できない。

 私は悩んでいる。


「ぱらいそ」


 孤児である私を拾ってくれた托鉢修道会の神母。

 彼女の故郷での楽園・天国の呼び方を震え声で口にする。

『ぱらいそ』はどこにある?

 私にはわからなくなりつつある。

 この異端審問もどきを始める前までは、揺るぎない思いであった。

 私と、そこにいるセオラで、新しい国家を築けると思った。

 それには多くの流血と地獄をともなうだろうが。

 それを犠牲にして、やっとの事で新時代が作れるとさえ考えたのに。

 今の私は自分の大背がちっぽけで、間抜けなように思えている。


「・・・・・・」


 私は悩みあぐねた末に。

 一つだけ、たった一つだけ。

 信用というものについて考えた。

『セオラは本当に信頼できるか?』ではない。

『たとえセオラが保証したところで、その実行を確約出来るか?』である。

 空手形だ。

 何の保証もない。

 保証できるのは、唯一セオラの人格そのものである。

 彼女は魅力的だ。

 嘘だってついていないし、彼女は魅力的な人格者そのものだ。

 だからこそ超人軍団なんて奇妙な物を率いて神聖帝国まで押しかけて、夢を語る。

 新しい国家を築くための道理も説いた。

 彼女は嘘つきではない。

 だが、やはり確約は出来ない。

 セオラが信用できないという意味ではない。

『モンゴルという国家がセオラを裏切らない』と確約出来ない。

 同じ信仰を持つケルン枢機卿と比べると、どうにも信用できない。

 だから、私は――。


「セオラ、私は――」

「いいさ、ユリア教皇」


 ローブ服のセオラが立ち上がった。

 それが揺らめいて、こちらにゆらりと、少しだけ動いて。

 諦めたように、何もしなかった。


「・・・・・・」


 彼女もまた、私と同じように悩んでいるように見えた。

 ああ、ケルン派の技術は彼女にとってこそ必要な物だから。

 彼女こそが本当は欲しいものだろうから。

 この世を、コモンウェルス(国家)を作り上げるために、何もかも足らぬ足らぬの世の中にこそ。

 ケルン派の技術は彼女が望んだ救済を招くだろう。


「・・・・・・どうする?」


 私は彼女に問うた。

 本当に不思議な言葉であった。

 どうする? という質問も何も、セオラにはどうすることもできない。

 彼女はモンゴルの侵攻を止められない。

 仮に死んだところで、止めるための術がない。

 自殺にすら価値はないだろう。

 唯一出来ることがあるとすれば、せめてマシな条件で神聖帝国を降伏に導くことだけだった。

 その大破壊の上で、誰よりもマシな国を作るだけだった。


「・・・・・・もし」


 セオラが小さく、私に答えているかも定かでない言葉で。


「時代が違えば、私と貴方は真の友人になれたであろう。だが、それすら時代は許さぬようだ」


 明確な返事を行った。


「この失敗はよく考えておくとしよう。二人、目指すところは同じでも、どうにもならないこともあるもんだ。あまりにもモンゴルは奪うという行為に長け、誇りすぎているゆえに。私は教皇の信頼を勝ち取ることがついに出来なかったのだ」


 致命的な決裂は、この教皇ではなく。

 全ての会話を理解した、モンゴル帝国皇帝の娘トクトアの娘セオラが吐いた。


「この場にいる全て殺す。教皇、貴女もだ。その上で、可能ならばケルン枢機卿を拐って帝都から逃げ出すとしよう」


 セオラは、指一本動かすことはせず、ただ決裂を告げた。

 私は三つの弾丸を、ケルン枢機卿に返した後に。

 やはり、ただの事実を全員に告げた。


「告白する。この私、教皇ユリアはモンゴル皇帝の娘セオラと秘密契約を結んでいた。だが、もう『なくなった』。この場で両者の契約は破談した。原因は私がモンゴルを信頼できぬがゆえに。ゆえに、裏切りの代償としてこの場で教皇の退位を表明する。三選帝侯は私を殺すなり、教皇位を他の者に指名するなり、なんなりと好きにせよ。もはや命にも権力にも未練はない。ただし――」


 口ごもることはない。

 決定的な台詞を吐く。


「もう後戻りは出来ない。今をもってして、神聖帝国が降伏することは許されなくなった。綺麗な負け方などどこにも存在せぬ。『おとなしく降伏した方がまだマシだ!』などという選択肢はもうない。勝つことに邁進せよ。さしあたってだ」


 とりあえずは。

 そのために必要なことは、ただ一つ。


「そのローブの女、セオラを殺せ。彼女はモンゴル皇帝の娘セオラ、神聖帝国に攻めてくる際の指揮官の一人にして、モンゴルでただ唯一の超人軍団を任されている強力な将軍だ。殺せば、勝ち目も少しは見えてくるだろう」


 冷徹に、敵をただ殺すことだけだ。

 そこまで言い切った瞬間、アナスタシア選帝侯は激高して咆哮した。


「ファウスト! 出番である!!」


 はて、誰が現れるのだろうかと思った。

 聖堂の全ての人間がドアを見た。

 そこのドアを蹴破って、ファウスト・フォン・ポリドロ卿が姿を現すだろうか。

 あるいは、もっと別な誰かかもしれぬ。

 セオラの引き連れている護衛の誰かかもしれぬし。

 案外、テメレール公爵の率いる『狂える猪の騎士団』の誰かかもしれぬ。

 そう思って、ドアを見つめるのだが、今のところ何の反応もない。

 ――何が起きている?


「・・・・・・」


 三選帝侯が立ち上がり、帯剣を引き抜き始めている。

 そんな一瞬の隙だった。

 聖堂にいるローブをまとった二人の内、一人が動いた。

 ザビーネ・フォン・ヴェスパーマンを名乗る品性下劣の腐れ外道にして、暗殺者だった。

 ナイフを引き抜き、同じローブ姿であるセオラの背後に彼女が立っている。


「――」


 やれ、と本当に誰にも聞こえぬ小さな声で。

 座ったままの、猪突公テメレール公爵の唇が命令した。

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