第220話 フェイロンの武人


『サムライ』と二人、分厚いドアの前で立っている。

 静かに、異端審問という名の会議の邪魔をせぬようにだ。

 いくら選帝侯とて、あまりにも多くの人間を警護として引き連れるわけにはいかなかった。

 ナヒドと名乗るロリババアは異国人の上に、あまりに怪しすぎて引き連れるわけにはいかぬ。

 テメレール公爵の率いる「狂える猪の騎士団」とて全員が金魚の糞のようにくっついているわけにもいかぬ。

 だから、私とサムライで二人だ。

 とはいえ、最初から二人きりだったというわけではない。


「さて、ユエ殿ともう一人は、いなくなってしまったな」

「そうですね」


 サムライと話す。

 三人の選帝侯とテメレール公爵はそれぞれ一人ずつ許された警護の超人を引き連れていた。

 アナスタシア殿下は私ことファウスト。

 カタリナ殿下はユエ殿。

 オイゲン殿下は名も知らぬ超人を――彼女の側近中の側近という話であった。

 そして、テメレール公爵はサムライを。

 こうして、最初は4人が異端審問の行われる扉の前に立っていたのだが。

 いつの間にやら二人になっている。


「・・・・・・ユエ殿はどうされたのだろうか? オイゲン殿下の配下とともに、近くを索敵してくると口にして、ここから離れてしまったが」

「おそらくは」


 サムライが、どんぐりのような眼で呟いた。

 茶色い目の色をしている。

 28歳にしてはやや幼い丸い顔をしたそれが、私には好ましかった。


「匂いを感じて、自分から接敵することを望まれたのではないでしょうか?」

「接敵?」

「ユエ殿と、最近になって少し話をしました。フェイロンと倭の国、国は違うが私に多少の親近感をもってくださったそうです。よく話しかけてくださいまして。少しばかり仲良くなりました」


 どこか、ぼうっとしている。

 私はサムライの表情から、そのような印象を受けた。

 どこか見ているような、笑っているような、それでいて何も考えていないかのような。

 アルカイックスマイルをしながら、サムライは遠くを見ている。


「その話を聞くに曰く、どうしても自分が勝てなかった超人が近くにいる気がすると。この帝都ウィンドボナのどこかにいる気がするんだと」

「ほう」


 サムライの言は奇妙である。

 こういう言い方は失礼であるが、少々説明が足らずに言を漏らしている。

 意味を噛み砕かんとする。


「・・・・・・今はなくなったフェイロン王朝の超人が、ユエ殿と同じ故郷の超人がこの近くまで来ていると?」


 おそらくは、そういうことを言いたいのであろう。


「はい」


 サムライは答えた。

 私は彼女のぼうっとした横顔が嫌いではなかった。


「そして、もし本当にそうであるならば。モンゴルの手のものがすでに帝都に及んでいるということでありましょう。万騎長クラスの指揮官クラスが帝都におり、その護衛に来ているものと考えます」

「ほう」


 自分は頭が悪いと先日サムライは口にしていたが。

 なかなかに知恵が回る。

 そうサムライをやや見直して、周囲に目を配る。

 気配は何も感じない。


「すまんな」


 口にして謝る。

 どうも、そういう気配を感じるという技能に欠けている。

 私は暴力は得意中の得意だが、そういった敵の気配をいち早く察知するとかの、達人じみた技能には長じておらぬ。

 先日のナヒド襲来の時は気づいたが、あれは彼女がこちらに意図的に教えてくれたからだ。

 なんとなくヴァリ様がヤバイことになっているとか。

 そういう虫の知らせのようなものには長じているのだが――と。


「いいえ、そこのあたりは私が補えば良いのです。私は戦えばポリドロ卿にはとても勝てませんが――そうした能力には長じておりますので」


 はあ。

 と、サムライはため息をついた。


「もっと、お話したいことがありました。ヴァリエール殿下にお願いしたこととか、様々なことを」

「お願い?」

「余計なことを言いました。まずは生き延びてからと考えます」


 サムライは奇妙なことを口走った。

 まあ、ここまで近づけば私でも理解できる。


「敵か」

「如何にも。ああ、ユエ殿ともう一人は敗れたようですが、死んだわけでもなさそうなのでご安心を」


 はあ。

 と、またサムライのため息。

 それを消すようにして、遠くから走り込んでくる音が聞こえる。

 足音は一人分。


「さて、ポリドロ卿、どうしましょうか? 提案がありますので耳をお貸しください」

「聞こうか」

「私の予想を話します。まず、敵が単身突撃しているのは、聖堂の外で待機しているナヒドの一味や『狂える猪の騎士団』相手に他の敵が手間取っているからでしょう。時間がないと判断したのかもしれません。この扉の先に」


 サムライが、扉を指さす。


「目的があり、ひょっとすれば教皇が手配していたのかもしれません。あるいはモンゴルの指揮官クラスが一人混ざっており、その救出に来たのかもしれません。あるいは三選帝侯やテメレール様を殺しに来たのかも。ひょっとすれば、その全てかもしれません。何にせよ――」


 足音は近づいている。

 地面を強烈に叩く、猛烈な足音であった。


「単騎でここまできたということは、一人だけでそれをやりきる自信があるということです。私は・・・・・・ユエ殿が二人がかりで敗れたことから、その自信に値するだけの強烈な超人が来たのだと考えます」

「ほう」


 私は感嘆の息を漏らした。


「・・・・・・私個人としては、ここにとどまって四人がかりで殴りかかれば、とも思いますが。ユエ殿の武人としての気性が良しとしなかったのでしょうね。たとえ勝てないとわかっていても」


 サムライが少しユエ殿への憐れみを感じさせながら、微笑んだ。


「くだらぬ、とは言い切れぬか」


 四人で殴りかかって囲んで殺せば良いのに。

 とは思うが、まあ武人の性よ。

 どうしても実力試しをしてしまいたいと思うのは。

 かつて宿敵であった者が近くにおり、その腕試しが出来るとあれば勇んでしまうのも無理はないし。

 彼女が客将として勤めているヴィレンドルフはそれを許す国風である。

 カタリナ女王はこの顛末を知ったところで、何も叱らぬだろう。

 それに――


「ポリドロ卿。私はどうしましょうか?」

「何もせんでくれ。守り切れぬ」


 サムライは超人である。

 それもかなり強いランクの超人である。

 だが、やはりどうしても『上澄み』には勝てぬ。

 かつて、私とてどうして勝てたのかさっぱりわからぬところがあるヴィレンドルフの悪魔超人レッケンベルに、『狂える猪の騎士団』30名が挑んで、一方的に半殺しにされた事例がある。

 超人は強い。

 強力無比なる暴力にて、単体で一方的な殺戮をできよう。

 まるで前世で読んだ武侠小説に出てくる登場人物のように。

 なれど、超人もまた超人の『上澄み』には一方的にぶちのめされるだけなのだ。

 さて。

 フェイロン王朝の武人と言ったな。


「ポリドロ卿」


 またサムライが私の名を呼んだ。


「楽しそうですね」


 少しだけ笑っている。

 ああ、そうだ。


「楽しみだとも」


 このファウスト・フォン・ポリドロ。

 別に殺人狂というわけではない。

 領地領民の保護に比べればたいした意味はなく、全ての争いにさえ価値はないものと思っている。

 なれどだ。

 力比べは得意中の得意であったし。

 我が母などは、私が新たな技術を覚えるたびに激賞してくれたのだ。

 だからか。

 だからだろうな。

 まるでパブロフの犬のように、私は騎士として闘いを好むのだろう。


「なるほど、このファウストは荘園領主の騎士としてあることを最優先としているが。個人としては、やはり武人であるのだろうな」


 力比べは大好きだった。

 私が上で、お前が下なのだと。

 そうやって蔑むことを好むのでは決してない。

 ただ単純に私より強いかもしれない奴をぶん殴るのを、殴り返されるのを、大の好みとしている。

 相手の技術を目にし、学び、身につけることも。


「・・・・・・それでこそポリドロ卿。私が見込んだ男(おのこ)です」


 サムライはぼうっとした目で私を見て、微笑んだ。

 そうして、大きな足音がだんだんと大きくなる。

 こちらに近づいているのだ。


「それではポリドロ卿。私はドアの前で立っています。アナスタシア様が絶叫をあげたならば、何か異変が起きた旨を伝えなければなりませんゆえ――」

「ああ。その時は伝えてくれ」


 大きく足を踏み出す。

 十歩だな。

 それ以上は必要ない。

 数を数える必要さえない十歩を踏み出す間に、相手はこちらに足速をゆるめて近づいてくる。

 すでに敵の姿は見えている。

 当然、あちらもこちらを目視している。

 この西洋では、奇妙な服の女だった。

 きらびやかな衣服を身にまとい、それでいてユエ殿に近い服で、横にスリットの入った道士服のようであった。

 フェイロン人特有の、長い銀髪に切れ長の目。

 長い足をしていて、それを、だん、だん、だんと踏み荒らしてこちらに向かっている。

 私は五歩歩いた。

 彼女はにこりと微笑んだ。

 いたいた、とこちらを認識したようにして、まるで恋人のように手さえ振っている。


「貴方がファウスト・フォン・ポリドロ卿か? この扉の先にて、異端審問とやらが行われているのに間違いないか? ああ、それ自体はどうでもよいのだが」


 確認であった。

 なんとなく嘘を吐こうかと思ったが――止めた。


「間違いないさ。貴女の目的地はここで間違いない。さて――」


 ボキリと、指の骨を鳴らした後に。

 右手で左手を覆って、仕草をする。

 左右の人差し指、中指、薬指、小指の4本の指をそろえ、一方の掌をもう一方の手の甲にあてる。

 拱手。

 ・・・・・・戦う前の作法はこれで良いのだっけか?

 この世界の作法など知らないが、多分これで良いはずである。


「? 嗚呼、ユエの奴から作法を聞いたのか? 礼儀正しい漢は私の好みだぞ」


 相手も、同じく拱手の仕草をした。

 お互いにお辞儀をし、さて、と会話をする。


「先に戦った、ユエ殿は無事か?」

「無事、とまでは言わぬが、まあ五体満足で気絶しているよ。異国に流れ着いた後も研鑽したようだな。大分強くなっていたよ」


 ならば他に聞くこともない。

 殺し合うだけだ。


「さて、やるか」

「まあ、待て。そう急くな」


 相手の女が、掌を鷹揚にかざした。


「お互いの名も聞かずに殺し合うのは無礼なのだぞ。名乗りは武人の礼儀よ」

「ならば、名を聞こう。我が名はファウスト・フォン・ポリドロ。ポリドロ領の荘園領主にして、他の何者でもない。それ以外に何の変哲もない男騎士である」

「よろしい。とてもよろしい」


 相手の女が、ぱちぱちと拍手をした。

 楽しそうに。

 お楽しみにしていた食後のデザートが来たような風情で、拱手を解いて。

 薄い唇を開いて、にこやかに笑うのだ。


「我が名は雷白野(ライハクヤ)。貴殿を打ち破る女の名だ。かつてフェイロン王朝最強の武人と呼ばれ、今では超人兵団の副団長である。ポリドロ卿はこちらの帝国で一番強いらしいな。期待しているよ」


 名乗りを上げて。

 ようやく――我々は武人としての衝突に至った。





―――――――――――――


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