第218話 空気をパンに変える方法


「真剣に話をしようか。全ての人を飢えから救う術を生み出したと今枢機卿は口にしたところだが。口にして叶えば良いが、そんな夢物語など出来ないことは知っている。贖罪主のようにパンを産み出すことは我らにできない・・・・・・できれば、どれだけよいか。できないから、我らは争い、憎しみあい、奪い合っているのだ」


 教皇衣を揺らめかせる。

 震える声を悟られぬように、問うた。

 夢物語を会話する気などない。

 だが――ケルン派は真剣だ。


「真剣な話をしておりますし、我々が特殊な技術を所持していることは、教皇自身が推測されていたのでは?」


 ケルン枢機卿は、どうということもないと言いたげな声で答えた。

 私は再び口を開く。

 教皇として、恐れを周囲に悟られぬ態度にて。

 そうだ、私は恐怖を感じているのだ。

 推測はしながらも、ずっと確かな恐怖を抱いていた。

 もし、ケルン派が――贖罪主のようにパンを増やすなどといった御業にも等しい行為を。

 私やセオラの懊悩何もかもが馬鹿馬鹿しくなるほどの技術を見つけているというならば。

 私が神聖帝国に働いている裏切り行為は、神に対する裏切りにも等しいのではないだろうか。

 もし、それが真実であるならば。

 パン(小麦)とハンマー(槌)を爆発的に増やし、全ての解決を目指す努力をずっと続けてきたケルン派に対し、私がこのような異端審問じみた真似をしていることは、限りなく愚かでは――。

いや。

 まだだ。

 真実はまだ詳らかと言うほどに明らかになってはおらぬ。


「ケルン派の創始者、その彼女が最期に書き残したといわれる書物には我々の想像では及びも付かないような発想からの技術があったはずだと。そう――」


 私は朗々と、聖堂の全てに響き渡るような声で。

 誰の耳にも伝わるようにと、大きな声で口にした。


「書かれていたと推測はしていた。まるで異端の書。正統とわずかに違う歴史を辿ったかのような人物の発想があるのではないかと。まるで別の世界から訪れたかのような。だが、それは事実なのかね。私は確かにケルン派に肥料増産の技術がある可能性を見込んでいたが、枢機卿が口にしたほどの内容ではなかった。堆肥などの効率的な作り方といったものだった。全ての人が食える肥料を作る術など本当にあるのか? 実際に言われては、正直いって疑問視をしてしまう。現実的にはどうかね?」


 私は再び問うた。


「なるほど。お疑いはもっとも。現実には私たちもまだ叶える段階まではいっておりませぬ。まだ一歩手前どころか、二歩も三歩も手前といったところです。完成していたならば、細々としたことは気にせず、すでに世間に発表しております」


 ケルン枢機卿はまた答えた。


「当時の人間にとって。創始者が生まれた当時の人間にとって、ケルン派の創始者が残したメモ書きは異なる技術体系ともいえる内容で書かれていた。そうとはいえるでしょう。あの時代にはただの無意味な落書きであった。妄想の域を超えないものであった。そして今時分では異なると言えます。今のケルン派の技術力では、十二分に将来達成されるべき開発の範疇に入る物です。少なくとも」


 私の発言を、そこから失言が漏れ出ることを誘うかのように。


「少なくとも、私たちは『物質を超えたパン』をその手中にしつつあると言えます。全ての人が飢えを満たす程度の肥料を――あと少しで手に入れられるかと。麦の穂数を増加させ、また穂の粒数に大いなる実りを与える術を」

「より詳しい内容を聞きたいものだね。ああ、パンについてだけではない。もっと大まかな内容でも構わぬが」

「よろしいですとも。まずは創始者の書き置きがなんであったかを話しましょうか」


 枢機卿が、こほん、とわざとらしくも咳をついた。

 言葉など淀みもないくせに。

 本当にわざとらしく。


「先にも話しましたが、元々はただの落書きであります。なんと言えば揶揄できるのか――『あんなこといいな。出来たらいいな』とでもいいたげな、ただのメモ書き。一つのノートに大量の走り書きがある、何の学術体系があるわけでもない、奇妙な妄想ノートの走り書きでして。我々ケルン派の後継は彼女が残した数々の奇妙な発言をまとめるとともに、それを一冊の本にまとめました」


 私はと言うと悩んでいる。

 はて、私は。


「それは夢と妄想について書かれたノートでありました。だが、創始者はこう語っております。この方法は私にはできないし、きっと今の技術的にもどのような天才であっても達成することはできないが。真実であるのだと。誰も信じないだろうが、これは真実であるのだと。せめて後生の導になれば良い。そう言い残して――」


 枢機卿に誘導されていないか?

 と、自らの行動が左右されていないかを訝しんだ。

「ソドムとゴモラ」という正統の聖書には存在しない都市について。

 上手くケルン派の奇妙な隙を突いたつもりであるが、違うのではないか。

 私などがそう発言することはわかっていて、枢機卿は口にしたのではないか。

 逆に誘導されたのではないか。

 私は赤子の手を捻るように、無理矢理この状況に持ち込まれたのではないか。

 いや――


「我々ケルン派の後継たちはそれを信じました。創始者は超人で、どのようなホラ話でもどこか真実味を感じる語り部でありましたから。信じて、信じて、出来そうなところから少しずつ――土を集めて山を作り、また時にはそれを崩すようなことをして。学術と探求の末に、少しずつ技術を積み重ね、出来ることから現実化していきました」

「その中に火薬もあったと」

「そういうことになりますね」


 ケルン枢機卿が注目を集めてどうするのか。

 選帝侯どもの注目を集めても仕方あるまい。

 コイツラは所詮ただの獣よ。

 今、こうして、枢機卿と私が何を喋っているかにすら興味を抱いていないのだろうなと。

 明け透けに、私を殺したがっている態度で理解できるのだ。

 自らの名誉がどうであるだのとか。

 その名誉がもたらす領民に対する利益がどれだけ維持できるか。

 自分のところの領地領民さえよければ、余所がどこまでも不幸になっても知ったことではないとか。

 その範疇を出ない物であるのだ。

 それこそ、他人をいくら蹴落としても自分のところが救われるのであれば構わないと自負しているし。

 それを恥とも思っていない。

 もしケルン派から技術を手に入れれば統治者として有り難いとは感じても、それを独占して誰にも奪われぬようにするだろう。

 人に譲り渡すアガペーの概念がコイツラにはないのだ。


「色々な数式と、本当に創始者が一人で考え出したのか――怪しいところの。そんな疑問がたくさんに載っているノートでありましたが。我々はその疑問を一つ一つ解き読み解くことで、今日までやってまいりました。岩塩ではない塩の作り方、純化のさせ方。貝殻を砕いて肥料とする技術。そんな、とうの昔に存在している奇妙な内容も色々ありました。我々は簡単なものから実践を初めて、それがどういう意味を持つのか、どんな効果をもたらすのかを、何世紀もかけて調べ上げて参りました」


 領主や騎士にそれ以上を求めても仕方ないかもしれない。

 そして聖職者などは、もっと愚鈍だ。

 今でさえ、私のことをケルン派から火薬の技術を。

 その利益を貪るために、ケルン派に異端審問を突きつけているのだと。

 そのように、何もかも嘗めきったふざけた勘違いをしている。

 今も、私とケルン枢機卿の会話内容を理解できていないだろう。

 愚物だ。

 選帝侯も、聖職者も、愚劣な連中にすぎぬ。

 だが。

 だがしかし、だ――。

 本当に愚鈍なのが、教皇たる私ではないと、誰がどうしていえようか。

 私はおそらく思い上がっていたのだ。

 セオラと組めば、本当に世の中を少しばかりマトモに出来るなどと意気込んで、血迷っていたのではないか。

 新しい国家をつくるのだと、神聖帝国よりマシな国家を築くのだと。

 そんな夢妄想に溺れていたのではないか。

 ケルン派は、ケルン枢機卿は。

 私のそんな本音を聞きたいのではない。

 おそらくは、私がすでにこの神聖帝国を裏切って、モンゴルからの使者と話を進めているところまで気づいているし。

 下手をすれば、この場にその使者たるセオラがいることも気づいているだろう。

 私の本願でさえ、実は気づいている。

 この場で公にして言い回り、枢機卿に教えてやる必要すらも実はないのだ。

 ケルン派の目的は。

 他の誰でもなく、この教皇たる私を説得しようとしているのではないか。


「そのノートを私に開示することは? いや、全てを開示までしなくともよい。物質を超えたパンの秘術を明らかにすることは?」

「たとえこの身を磨いだ貝殻で少しずつ切り刻まれても、お断りします。しかし、技術の独占が理由ではありません」


 ケルン派枢機卿は、口説くように声を上げた。


「神聖帝国を裏切る者に見せるわけにはいかぬからです」


 魅力的な口説き文句であった。

 要するにだ。

 ケルン枢機卿は私の思惑など上回っていた。

 私が何をしたいかなど、全てお見通しであって、だからこそにこう言っているのだ。

 セオラを、モンゴルを、裏切って戻ってこいと。

 そうすればケルン派の秘術を教えてやると。

 馬鹿らしい。


「・・・・・・今更」


 小さく口ごもる。

 今更だ。

 それに、どうしても疑惑が残る。

 そうだ、確かに私は推測をした。

 哀れな民衆を暴力や不安から救済するために、ケルン派の彼女たちはどのような手段を見出している?

 必ずや何かを見つけているし、探してもいるはずであると。

 何か不思議な技術体系を隠しているに違いないと。

 私やセオラはそう考えた。

 だが、『全ての人を飢えから救うほどの力』なんて夢物語までは信じられない。

 神は信じられても、そんな物があるとは信じられぬのだ。

 あまりにもホラ話じみたスケールに過ぎる。

 それに――


「・・・・・・」


 口ごもる。

 決定的な台詞を吐こうとして、止めた。

 致命的な台詞だ。


『どうせ神聖帝国がモンゴルに勝つなど天地がひっくり返ってもあり得ない。負けるにしたって負け方というものがあるのだから、おとなしく降伏した方がまだマシだ!』と。


 その事実を口にするわけにはいかなかった。

 瞬間、アナスタシア選帝侯は激高して咆哮するだろう。

 そこのドアを蹴破って、ファウスト・フォン・ポリドロ卿が姿を現すだろう。

 あるいは、もっと別な誰かかもしれぬ。

 セオラは一人ここにいるだけの存在ではない。

 大量の超人を護衛として引き連れており、主教座聖堂(カテドラル)の内部に潜ませている。

 外では静かな殺し合いが始まっているのかもしれぬ。

 ポリドロ卿とて、すでに死んでいるのかもしれぬ。


「・・・・・・」


 口ごもっている。

 決定的な言葉を口に出せずにいる。

 致命的決裂を起こせずにいる。

 これからやることなど決まっているというのに。

 殺せば良い。

 三人の選帝侯はこの場で殺す。

 ファウスト・フォン・ポリドロ卿とて、セオラが引き連れる超人たちであれば、恐るるには足らぬはず。

 私は決して彼を侮っているわけではないが、多勢に無勢というものは現実にある。

 そのはずだ。

 ケルン派はどうしようか。

 いっそ、私に裏切りを止めるよう説得するのではなく、こちらに寝返ってくれたのならば。

 いや。

 駄目か。

 ケルン派は自らが開拓に参加した歴史的経緯から、そのアガペーから、決して信者を裏切らぬだろう。

 いっそ腐りきった信仰など一度なくしてしまった方が良いという私の考えとは、根本からして違う。

 掌に血を滲ませながら開拓を行い、信仰を教えてきた者が敬虔な信者を裏切るわけもない。

 最初からどうにもならなかったのだ。

 もっとケルン枢機卿と話をしたかったが。

 いくら話し合ったところで、この致命的な決裂だけはどうにもならなかった。

 神聖帝国がモンゴルに勝てるなど、何がどうあってもあり得ぬことと同様に。

 だから。


「ケルン枢機卿。もっと貴女の話が聞きたかった。だが決意は変わらぬ。出来れば貴女をこの場で失わぬことを祈っている。諦めて、私どもに従ってくれることを心から願う」


 私は神聖帝国を見捨てることにするのだ。

 ケルン派が死に物狂いになって守ろうとする開拓地ごと売り渡すのだ。

 迷いを振り切ろうとして、最後に心残りを口にした。

 もっと、色々な話を聞きたかったが、聞くべきだったが、もうここまでだ。

 決定的な決裂を告げよう。

 私たちがどうして神聖帝国を裏切り、セオラとともに新しい国家を築くのかを。

 そうして、今の選帝侯どもには皆殺しになってもらうことを。

 小さな、本当に小さなポリドロ領のような、ケルン派とともに耕された開拓地にも犠牲になってもらうことを。

 そう呟こうとして。


「教皇。私の話はまだ終わっておりませぬ」


 すると、もぞ、とケルン枢機卿がローブの中を動かした。

 私に近づいて、手を差し出す。


「お渡ししたいものがあります」


 枢機卿のそれは、しわがれた老婆の手。

 開拓に明け暮れた者の手であった。

 何をと、一瞬思ったが。

 その中に握られているものを、私は受け取った。

 奇形の弾丸であった。

 椎の実のような形をしていて、弾丸の底には溝が切られており、凸凹があった。

 私はそれを見て、一瞬だけケルン枢機卿が何をしたいのかと考えて。

 こんなものが何になるのかと呟こうとして。


「・・・・・・」


 教皇としての膨大な知識の中から、ほんの少しだけ引っかかったもの。

 それが何であるかを少しだけ推測して、立ち止まる。

 神聖帝国への決定的な裏切りを口にする前に、躊躇をした。

 視界の端に映るセオラを包んだローブが、その迷いに気づいたように少しだけ揺らめいた。




――――――――――――――


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