異端審問編 下
第214話 異端審問開始
ついに本日、異端審問が開始される運びとなった。
場所は主教座聖堂(カテドラル)にて。
異端審問官を務めるのは教皇ユリア自らであり、そのことは広く民衆にも伝わっている。
くだらぬ市民どもに、情報をもたらしたのは新聞であった。
帝都ウィンドボナという巨大都市では数種類の新聞が存在しており、デマから真実までを書かれたそれは帝都の文化として浸透していた。
新聞見出しはこうだ。
■帝都ウィンドボナ速報!
『ケルン枢機卿、ついに異端審問の場に引きずりだされる!』
先日、あのマインツ大司教がアナスタシア第二王女『血妖精』ヴァリエールに、異端審問を仕掛けたのは誰もがご存じでありましょう。
『汝は異端者なりや?』
全ての始まりはその問いかけであった。
『ケルン派は異端である。排撃し粛清せねばならぬ。ケルン派の教義や指導者が聖書を冒涜していることは明らかである』のだと。
そのマインツ大司教の訴えに対し、血妖精ヴァリエールは山賊の血液で満たされたバスタブに漬かりながら、剣によって答えた。
『腐敗して顧みられぬ正統ごときの嫉妬に応じる理由は無い! くたばれ俗物が! 死ぬがよい、マインツ大司教!』と。
結末は、我が新聞紙が愛する読者の皆様もご存じであろう!
ヴァリエールの大勝利、血妖精は自らの甲冑を血まみれにして、唾を吐いてこう叫んだ!
『おのれら正統を騙るだけの欲豚どもが、このヴァリエールに勝てると思うてか! 酒! 金! 男! ものみなこぞりて全てを奪いつくせ!!』
そう叫び、敗北の五体投地をしたマインツ大司教の頭を踏みにじった会戦があったことも記憶に新しい。
正統はいずこや?
本当に神が味方するのであれば、残虐無慈悲の権化である血妖精ヴァリエールに負けることなど有り得ぬはずではないか?
誰もがそう思った。
あれはマインツ大司教が勝手にやったことゆえに、正統は誰も知らぬことと言おうが、これはもはや挑戦である。
血妖精が口にしたことは、正統への挑戦に等しい。
正統である教皇に対して挑戦がつきつけられ、教皇はその挑戦に応答したのだ。
何が正統にして、何が正しいかを明瞭づけようとしたのである。
主教座聖堂(カテドラル)にてお待ちしていると。
全ての事象は帝都にて収束することを、この時決定づけられた。
正統の腐敗に対する返答と、ケルン派が異端であるかどうかの判断も。
両者相互いの信仰に対する挑戦は、ここに産まれた。
そうだ、明日だ!
主教座聖堂(カテドラル)にて、現在帝都にいる三選帝侯(アンハルト・ヴィレンドルフ・マインツ)が集まり、その場にてユリア教皇が全てに対する結論を出すのだ。
正統は本当に『正統』なのか?
異端は本当に『異端』なのか?
その結論を出すための、たった一度きりの異端審問だ。
ユリア教皇はその場で、全てに対する結論を出すだろう。
同時に、その結末は当然のごとくとして荒れ狂うものになるだろう。
三選帝侯は、すでに帝都内の各所に軍勢を潜ませている。
教皇はカテドラルに軍勢を揃え待ち構えている。
互いを殺し殺され、殺しあうため強力な軍勢である。
今ぞ! と指をさせば、誰もが相手を殺すために動き出すのだ。
信仰の是非を問うための殺し合いを。
アナスタシア選帝侯の、継承式の慶事などどこへやら。
帝都ウィンドボナにて動乱の動き有り。
愛する市民の方々は、カテドラルにはどうか近づかぬように!
巻き込まれて死んでしまうぞ!!
そこまで読んで、新聞を投げ捨てられた。
「くだらぬ!」
アナスタシアは不満であった。
妹であるヴァリエールが、まるで山賊の血を飲み干すことを好む血妖精として書かれていることがだ。
自分がそれにも等しい『人食いアナスタシア』として語られていることからも、噂には敏感であった。
「……最近の新聞は適当なものだな。これでは主役はお前の妹のようだが」
ヴィレンドルフ選帝侯、カタリナがそう吐き捨てて、新聞を拾い上げて投げた。
投げた方向は、マインツ選帝侯オイゲンであった。
「皇帝が制御しきれていないのでしょう。多少のデマ混じりでも新聞は普通に流通しています」
検閲もロクにされていないのです。
マインツでは新聞の検閲をしているが、検閲作業にも金はやはりかかるだろう?
流言飛語は抑えるべきだが、新聞を読む知識層ならば彼らの良識に期待を投げるのも一手。
とは思うが、まあこの有様ではどうもね。
そうマインツ選帝侯『候補』ではなく、故郷の使者から追認を与えられて選帝侯を正式に認められたオイゲンは吐き捨てた。
「新聞などが何を書こうが、どうでもよいでしょう。大事なのは、勝つか負けるかだけ……」
紙質の悪い新聞が、オイゲンの手の中でぐしゃぐしゃになった。
ぽいと放り投げられて、地面を転がる。
アナスタシアが、それを見て立ち上がった。
「……テメレール公、兵の配備は?」
「すでに整っている。カテドラルの周辺には兵を敷いてあるので、まあ外部は問題あるまい。問題は中だ、カテドラル内部にいくら教皇側の超人がいるのか……それがわからない。教皇自身の実力も詳細までは」
渋面を作りて、テメレール公は足元に転がる新聞を遠くに蹴とばした。
四人が話し合っている場所は、テメレール公の屋敷である。
潔癖症の彼女にとって、平然と人の部屋を汚す選帝侯連中は不快であった。
「ザビーネが異端審問の列席資格を持つ聖職者を殺して『すり替わって』いるが、教皇はそれを読んでいる。また、ファウストの奴を護衛と称して、部屋の外に立たせるぐらいは可能であった。だがな、異端審問が行われるその場に平然と立たせるのは選帝侯の権力であっても止めた方が無難だ」
それぐらい何とかしろよ、貴様に現場指揮官を任せた理由はなんだと。
三選帝侯がテメレール公に舌打ちしようとして、止めた。
「そもそも、ファウストがケルン派への侮辱や仕打ちに唐突に怒り狂って暴れだしてもマズイ。私はファウストをそれなりに理解しているつもりだ。部屋の外に立たせておくぐらいが一番良いだろう。必要あれば、ファウストの名を叫べ。すぐにでもドアを蹴り破りて現れる」
まあ、それもそうであるなと一端の理解を示したからだ。
ファウストには唐突に怒り狂う癖があることなど、知っている。
「ナヒドとその指揮下の暗殺者も――異国人であるしな、どうにも目立つ。やはり部屋の外にて護衛を任せるのが一番よかろう」
「あくまで、異端審問自体は正式に行わせるつもりなのだな」
「そう望んでいる。なにせ異端審問を受けるケルン派がそれを望んでいるしな。あれだ、異端審問の過程を通すことで、教皇とケルン派がそれぞれ何を考えているかを開陳する儀式にすぎぬのだ。教皇も本音では、ケルン派が異端かどうかなどは、どうでもよいのだ」
地球が太陽の周りをまわっているのか、太陽が地球の周りをまわっているのか。
地動説か天動説かなどの宗教上些細なことで揉めているわけではないのだ。
地動説が正しいなどとはすでに宗教が、正統のコペルニクスが論じているが――そのような世間にとって「どうでもよいこと」で、争っているわけではない。
正統か異端かなど、本当は大事ではないのだと。
テメレール公が口を開く。
「目的を再確認させてくれ。異端審問はやらねばならぬ。教皇が望んでいるからではない、ケルン派が望んでいるからだ。教皇の真意を問いただすためだけに、ケルン枢機卿は異端審問の場に立つ」
不安そうに、テメレール公が呟いた。
頼むから暴走だけは止めてくれという表情であった。
「それが終わるまでは動くなということだろう? 理解している」
何故ここまでケルン派のご機嫌をとらねばならんのかと思うが。
アナスタシアは再び渋面を作りて、人差し指でこめかみを軽く突く。
頭の中で理解している。
それはそれとして、全てが終わり次第、教皇は殺すがな。
そんな表情である。
選帝侯三人の誰もが、その殺意だけは揺るぎないものであった。
テメレール公は深いため息をついた。
それぞれの傍付は、やれやれという表情をしている。
そんな中で一人だけ――部屋の中で、壁際に立っていたファウストがくしゃくしゃになって転がっている新聞を、床から拾い上げた。
「ファウスト、どうした?」
「少し気になるところが。ケルン派側からの投書がありまして」
ファウストがくしゃくしゃになった新聞を戻すと。
新聞の片隅に、ケルン派の投書が小見出しに書かれていた。
■ケルン派からの投書
「神学」はその全体が知恵の探求であり、そして知恵の実がわれわれに人間の幸福を明らかにしてくれる。
ケルン派にとっての知恵の探求は、我らが所詮は人間にすぎぬことを学び、人間である事を完全な実現に導くことである。
それこそが、この「地獄」から「幸福」へたどり着くための唯一の方法である。
ケルン派の枢機卿は、それを教皇に教えることになるだろう。
ファウストは指でその投書部分だけをなぞり、千切り取って胸ポケットにしまいこんだ。
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