第209話 主君へのケア


「どうだ、マルティナ。見事解決してみせたぞ?」

「いや、解決しましたよ。確かに解決しました。もうこれでザビーネ卿が善性に目覚めることは生涯なくなりましたけどね。ファウスト様は酷い人です。割と人の心が無いです」


 褒めるなよ、と笑顔で口にする。

 口の尖った表情で、マルティナが私を「褒めてねえですよ」と拗ねた口調で責めた。

 そうはいっても、他にどうしようもなかっただろうに。


「他に方法があったか? あるならば、道を返してやり直しても良いのだが?」

「ないですね。このまま道を真っすぐ歩きましょう」


 まあ、どうせザビーネですし。

 今更善性に目覚めたところで、彼女が無茶苦茶してきた人生がどうなるもんでもないから、このまま寝たままの方が幸せでしょうし。

 ヴァリエール殿下が生きている限り、その制御下にある限りは致命的なまでの悪事は働きません。

 これはこれで良い結末なのでしょう。

 マルティナは、どうでもよさそうに、少しだけ憐れみを含めながら。


「あの人は、一生ヴァリエール殿下の配下でいることが幸せなんでしょう。目玉がサファイアで、腰の剣の装飾がルビーで、金箔の肌で出来た何一つ身動きの出来ないヴァリ様という銅像の肩に留まる鳥。渡り鳥であることを忘れて狂った燕のようなものです。ならば、死ぬまでそうしていればいい」


 一つの真理を口にした。

 これにて、私のザビーネへの行為は肯定された。

 彼女は正気に返ったのだ。

 まあ狂気という名の正気であるが。


「正気に戻ったザビーネは、教皇に見抜かれたのならば、見抜いたところでどうしようもない手を打つだけだと口にしていたが? 私にはその方法など考え付かぬ」

「私は、いくつか方法が思いつきますが……」


 おそらくは、成り代わった聖職者を起点として何か計略を使う気では?

 教皇に見抜かれたところで、異端審問における一人の席を奪ったことに変わりはありません。

 マルティナが人差し指をくるくると回し、レクチャーするように状況を考える。


「任せておいて問題ないと考えます。仮に我々がやったところで上手くいくわけもなく、ザビーネという扇動家のみが人を容易く捻じ曲げ、欲望や本性を剥きだしにするよう口説けるのです。それは人を食ったような狂人の彼女にしか成せない所業なんです。何もかも任せるしかありません。それより、アナスタシア殿下に状況報告を。教皇が手ごわい相手であり、異端審問に出席するかどうかも考え直す必要がある旨をお伝えください」

「考え直せといっても――おそらく引かないだろう。ここで撤退を選ぶ御方ではない」


 あの人は、アナスタシア殿下は絶対に引かないだろう。

 自分の能力に自負がある上、そもそも自分の命の危機だからとか言って引くような人間ではない。

 安全策をとる時はあるが、それは自分が死んだらアンハルト王国がどうなるかわからないという責任を鑑みているだけである。

 どちらかといえば戦闘狂であるし、狂戦士一族の末裔としての誇りと自覚に満ち溢れている人だ。

 この状況では、絶対に引かない。


「そうなるでしょうね。それでも再考だけは促してください。ファウスト様が退くべきことも考える事態だということを伝えて、それだけ重要な問題であることを受け止めさせて。さらに、ファウスト様に対する疑心へのケアも行ってください」

「……私の忠誠を疑っている、のではなく。アナスタシア様側に原因があり、裏切られるのではないかと心配しておられるとのことだな」

「そうです」


 つまらんことだ。

 私の感想はそれだけである。


「よくよく話しておくことにしよう。何をそんなに心配しているのか分からないが、この私がアナスタシア殿下を裏切るなど有り得ぬとな」


 ザビーネを正気に返すことなどよりも。

 こちらの方が、よっぽど容易い事であった。







 ※






 ウンザリするほどに、繰り言を何度も。

 このアスターテは、だんだんと嫌気がさし始めていた。


「絶対にファウストの不信を買っている! あの長い言い訳は致命的だった。私は絶対に嫌われた!!」

「しつこい! ファウストは全く気にしてないといっているだろうが! どうでもよいとしか思っていない! いいか、彼にとっては全てが死ぬほどどうでもよいことなのだ。お前はファウストの事を騎士道精神の権化か何かだと思ってでもいるのか!?」


 男みたいになよなよと、くだらんことを!

 そう言い放とうとするが、まあアナスタシアの気持ちもわからないでもなかった。

 やはり、あの長ったらしい言い訳は問題だった。

 子孫である我々でさえも、全てまでは信じていない言い訳だ。

 開祖アンハルトが自らの利益のために異教徒の暗殺者と秘密契約を結んで手引きをして、皇帝を殺害したことだ。

 凄い胡散臭い話だ。

 ファウストは『まあそんなこともあるよね。どうでもよいけど。そんなことより話が長くね?』ぐらいにしか興味を示していなかったのが本当のところと見ているが。

 アナスタシアから見ると違う。


「軽蔑された。無茶苦茶に軽蔑された。あの目はそうに違いない」


 ファウストが、とても冷たい軽蔑した目で自分の主君を見つめたことになっている。

 アンハルトが誇る最強の憤怒の騎士が、主君を軽蔑したことになっているのだ。

 我らアンハルト祖先の歴史は、決して誇れる話ではなく明確な恥部である。

 敵である異教徒に背を向けて手を組み、騎士として守るべき信仰を裏切り、主君すらも殺し、自らの故郷領地のために何もかもを打ち捨てた。

 騎士道精神から外れた、あるまじき行為である。

 敵から逃げ、神への献身はなく、主君への忠誠もなかった。

 これが立派な騎士の姿であるものか。

 ない。


「私は主君として侮られたに違いない。私の主君はこのようなものであったのかと、ファウストに侮られたに違いない。このままでは、教皇か皇帝に声をかけられ。アンハルトを見限るかもしれない」


 別にどれだけ穢れた過去があろうが、それは先祖のせいである。

 アナスタシアのせいではないし。

 まして、まあ言い訳は長かったが、全てではないにせよ裏切るに値する理由は確かにあっただろう。

 荘園領主には荘園領主なりの立場があり、その正義もある。

 ファウストならば辺境領主として理解を示すであろうし、別に気にせずともよいと言いたいのだが。


「このアナスタシアの恋が叶うことはもはやないだろう」


 当のアナスタシアが、無茶苦茶に気にしているのが問題であった。

 荒れ狂い、私に当たり、めっきりと落ち込んでしまっている。

 駄目な奴だ。

 こんなことでパフォーマンスを低下されても困るのだが。

 ぱあん、と。

 勢いよく両手を叩いて、こちらに注目させる。

 これで正気に返ってくれればよいが、そうはならないだろう。


「要するに、ファウストがお前を見限っていないと証明すればよいのだな?」


 容易い事だ。

 ファウストならば、そのような事は決してありませんと笑顔で言ってくれるだろう。

 ちょっと会話してもらえばよいだけだ。

 少しだけ耳元で囁くように、ファウストに頼んでみよう。

 他にも色々と頼んでいいかもしれない。

 こっそり尻も撫でさせてくれるかもしれない。

 あのおっかない、私を殺そうとしたポリドロ領民従士長であるヘルガは帝都にいないし。

 あれ、ひょっとして、これはチャンスではないのかな?


「できるのか?」


 アナスタシアが、頭を抱えて呻いている。

 長い髪の間から見える眼光は、相変わらず人間を食べていそうであった。

 頭蓋を長い爪で突き破り、そこから長い舌で脳髄を啜っていそうでもあった。

 本当に怖い面してるなあ、我が親族。

 それに怯えたわけではないが、もちろんできるとも、と頷いてやる。

 頑張れば、ファウストと自室でベッドインすることもできるとも。

 このアスターテの知略を生かせばできるはずなのだ。

 まあ、今は邪な事を考えている状況ではないから断念するがな。


「というよりも、まあ私が出向くまでもなく。ファウストがあちらから訪ねてくるだろう。そこの気配りは、従士の方がよっぽどしっかりとしている」


 ファウストはその辺りに気が回る性格ではない。

 そこが可愛いのだが、まあ今は私も才能を認めるマルティナが傍にいる。

 彼女ならば、状況を察して一言二言忠言はしてくれるだろう。

 アナスタシアに不信を抱いていないことを証明しろと、すぐにでも出向くように訴えてくれる。

 そう私は見切っている。


「大人しく、ファウストを自室で待っていろ。両手で自分の髪を掴んで、掻き毟るのはやめろ。髪質が荒れるぞ」


 一つだけ女として忠告をしてやって。

 さて、マルティナはマルティナで気を利かせて、さっさとファウストを寄越してくれないものかねと、小さくため息をついた。


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