第208話 ここでBボタンを連打


 ザビーネに与えられている私室へと入る。

 私の説得が失敗した時のためにマルティナも傍におり、更にゲストも用意している。

 準備は万端だ。

 ザビーネの進化、もとい人間の心に目覚めるのを止めて見せよう。

 計画名は「ここでBボタンを連打」である。


「……なんの用だい、ポリドロ卿?」

「どうしたザビーネ。この間は、今後はファウストと呼ばせてくれと言っていたはずだが? 私は気にせず、これからも卿の名をそのまま呼ぶことにする」


 私への呼称がよそよそしいものに変わっている。

 彼女の心境の変化。

 その原因を突き止めるべきか、さて、ある程度理解している以上は必要もないか。

 ともあれ話を切り出した。


「ザビーネ、残念な知らせがある。卿が弟を売ってまでして、聖職者とすり替わった件だが。どうも教皇にはすべてバレていたようだ。教皇から直接、もっとマシな手を使えとばかりに詳らかに説明を受けた」

「――っ!」


 窓外の雨を見ていたザビーネがぎょっとした顔で振り向き、まさかという表情に切り替わる。

 同時に、意気消沈した声で尋ねた。


「……私が弟を売った件も、ポリドロ卿にはバレてしまったのか。さぞかし軽蔑したことだろう」


 え、腹の底からどうでもいいけれど。

 思わず本音を口にしようとして、とりあえず止めた。

 少し羨ましい前世の価値観があるからとか、そういう話ではない。

 この世界の男なんぞ、所詮ほとんどは調度品の扱いや子作りのための番である。

 そういう扱いしかされぬものであるし、まあ金銭契約で売り買いされる話など珍しくもあるまい。

 売りっぱなしで捨てられたというわけではないし、それこそお家大事の危機であるというならば体ぐらい売れよ、役目でしょう、で話は御終いだ。

 そのための貴族であるのだし、紋章官にして濡れ仕事を担当してきた家系の役目だし、それで一生が台無しというわけでもないのだから――まあ、一言にするとだ。

 『ちょっと弟を男娼扱いで売り飛ばして、買った聖職者をぶっ殺してすげ替わっちゃったぜ! 情報もバッチリ抜き取れたよ!!』とザビーネが発言したとしても、何ら軽蔑などしなかったのだ。

 ザビーネは本当にクズだな、みたいに朗らかな気分で終わりである。

 そうではなく、その計略が成功しなかったことについて私は困っている。

 とはいえ。

 そうハッキリ言ってしまうと、今のザビーネは私に猜疑心を抱くだろう。

 真実は時に人を傷つける。

 私が言うべき言葉はだ。


「ザビーネ」


 ただ、名前だけを呼ぶ。

 ザビーネの座るベッドに腰を下ろし、横に座って。

 どこか不安定な彼女を支えようと肩に手を置いた。


「ポリドロ卿。私はもう何も分からなくなってしまった。何を言いたいのかは判っている」

「ザビーネ卿。きっと卿は勘違いをしている。卿は――」


 言うべき言葉は同情ではない。


「卿はひょっとして、自分が醜いだとか、薄汚い事をしてきたとか、人の心をやっと理解できたのだとか。そんな勘違いをしているのではないか」


 どのようにして、彼女が人間として芽生えさせようとしている善良を妨げるかである。

 私とザビーネは視線を合わせ、お互いの心を覗き見ようとする。


「違うと? 実家の苦境を知らぬ事とはいえ妹に押し付け、弟を計略のために売り払い、今の今まで他の哀れな人々をゴミのように見下してきた。これが人間のすることか?」


 ザビーネが感情的になり、長い金髪を振り乱しながら自分の体を揺すった。

 やめろ、まるで人間みたいなことを言うんじゃない!

 お前はチンパンジーだ。

 私は動揺しながら、とにかくも叫んだ。


「違うのだ!」


 何も違わないけれど、違うことにする。


「ザビーネ! 卿が感じているのは良心の咎めではない。きっと勘違いをしているんだ」


 間違いなく良心の咎めだろうし、何一つ勘違いはしていないと思いますよ。

 そんな冷たい目でマルティナが私に視線をくれた。

 私はわかっとるわそんなもん! という視線を返す。


「勘違い、何をだよ。何も勘違いなどしていない。私はクズだ。妹や弟に責任をとってやらないといけない。私は今まで誰も彼もを傷つけて、我利私欲のままに生きてきたんだ!!」

「それは違う、ザビーネ!」


 いや、違うことは何もないと思うけれど、本当に今更そんなことを言われても困る。

 私たちにとって今必要なのは、教皇の計画を覆せるだけのお前のサイコパスでクズそのものでしかない悪辣さだ。

 善良さなんか、今現在何の役にも立たん。

 捨ててしまえ。


「私はクズだった。ただの醜い我利的な怪物にすぎなかったんだ。今の状況は、怪物だった時の私の不始末が追いかけてきた結果にすぎないんだ。消えてしまいたい」


 どうにかして、元のザビーネに戻す方法はないかを考える。

 一つだけしかない。


「ザビーネはずっとヴァリ様のために生きてきた。その行為がどうして我利的と言えようか」


 これしか思いつかん。

 ザビーネを説得できるのは、改悛を止められるのは彼女が崇拝するそのものについて。

 その全てへの肯定にすぎない。


「……それは、私にとってヴァリ様が尊いものだったからで。結局は私欲だよ。自分自身の精神を満足させたいという我欲だ。自分自身の精神を満足させて、精神から自分の行動に対する賛成を得なければならぬという、それにすぎない。そんな自己欲求なんだよ。私には人としての心がなかった」


 マズイ、駄目だ!

 ザビーネの能力が、悪辣さではなくギリシャ哲学の人間機械論じみた思考に変異を遂げ始めている。

 哲学では飯を食えないから止めるんだ。


「これからは反省し、真人間として生きたいと――」


 キッパリとザビーネがそう告げようとしたので仕方もない。

 私はBボタンを連打することにした。


「ヴァリエール殿下! お入りください!!」

「いや、え、いいけど……」


 ひょっこり、と扉を開けてヴァリエール殿下が出てくる。

 酷く困惑した表情を見せている。


「ヴァリ様、何故こちらに!」

「いや、忙しいんだけどね。どうしてもお願いだから来てくれってファウストに言われて。まあ、ちょっとザビーネの方も上手くいってるか心配だったから別にいいんだけどさ……。アンタ何か落ち込んでるらしいじゃないの」


 ドアの前だと雨の音でよく聞こえなかったけれど、何の話をしてたのよ?

 何も知らぬヴァリ様が小首を傾げているが、ちょっとザビーネが真人間になろうとしていただけですと。

 正直にそういえばヴァリ様が喜んでしまうので、何も言わぬ。


「ザビーネ、よく見ろ。卿の主君で、私の主君でもある。善良無垢で、世の中が邪悪に染まっており、粗暴な暴力で溢れてしまっている状況で。それでも自分の皮膚一枚をめくりて金のブローチにして他人に与えられればよいなどと」


 そう考えている御方だ。

 小さな声で、ザビーネだけに聞こえるように話しかける。

 知っていると、ザビーネは小さな声で答えた。


「それを見捨てるつもりか?」

「何だと?」


 ザビーネが、信じられぬような目で私を見た。


「ヴァリ様を見捨てるつもりかと聞いている。よく考えろ。確かにザビーネは酷いこともしてきた。身勝手もしてきただろう。なれど、それはやらなければならぬことであって。そうしなければヴァリエール殿下はもう、我らの目の前にはいなかったかもしれん」


 ザビーネがいる意味を考えろ。

 ザビーネが邪悪である意味をちゃんと考えろと。

 ザビーネが卑劣な道化師であり、今まで沢山悪い事をしてきた理由を考えろと。

 もう勢いでハッキリと言ってしまう。

 間違ったことは何一つ口にしていない。


「絵合わせだと考えろ。よく考えるんだ。お前が何のために悪辣で極悪な騎士として、この世に生を受けたのかを理解するんだ」


 できるだけ、ザビーネのイメージを膨らませてやる。

 大きく、文字通りにスケールアップさせて。


「ヴァリ様の配下として生まれるためじゃなかったのか!?」

「ヴァリ様の配下として生まれるため!?」


 ザビーネがそれは思いつかなかった! と驚愕を示した。


「そうだ。よく考えろ。そして気付け。ひょっとしなくてもザビーネは……」


 ここでぐっと言葉を溜める。

 そして解放する。


「ヴァリエール様が生まれてきたときに無くしてしまった、悪辣という名のジグソーパズルの一欠けだったのではないか!!」


 とにかくも勢いで押すのだ!


「そうなの!?」


 ヴァリエール殿下が話の流れは判らずも、なんか自分の事を言われているっぽいと。

 その勢いに反応して、それが事実だったかのように驚いている。

 結構アホだなこの人。

 最近お祈りを欠かさないから何に祈っているのですかと尋ねたら、『ポンポンペイン神』と真顔で答えただけのことはある。

 ストレスで気が狂ったのかなと正直思った。


「そうだったのですか!?」


 ザビーネはザビーネで、ヴァリ様の言動は基本的になんもかんも自分に都合の良い風に解釈する癖がある。

 物神崇拝なものではないが、ヴァリエール・フォン・アンハルトという存在の行動全てに一種のフェティシズムを覚えているのだ。

 ヴァリ様が是とあらば、それを否定する機能を欠片も所有していないのだ。


「ひょっとして、私がヴァリ様に殴られて興奮したいことも!」


 殴られてよし!


「蹴られるために、わざと悪事を働いてヴァリ様に尻を突き出した時も!」


 蹴られてよし!


「もう、なんかヴァリ様がありとあらゆる虚しき者どもに崇め奉られることで、私が絶頂してしまうことも。全ては私がヴァリ様の一部であり、その加虐快楽を伝播して私が受け取っているためだったのですか!?」


 そんなわけないだろアホ。

 そう口にしようとするが、強引に自分の口を閉じた。

 とにかくも、ザビーネが段々と元に戻りつつある。

 このままだ。

 何の説明もしていないけれど、なんだかんだ流されてしまうヴァリ様の習性を利用するのだ。


「ヴァリ様、ハッキリと言ってあげてください。確かにザビーネは悪い事ばかりしているが、それでも殿下にとって全てが悪い事ばかりではなかったと」

「ええ……」


 いや、割と悪い事ばかりだった気がするけれど。

 ザビーネ、もうちょっと真人間になった方が嬉しいと常々考えているけれど。

 そんな瞳をしているが、まあヴァリ様の事だ。

 絶対に雰囲気に合わせて流される人である。


「いや、まあ……。確かにザビーネは悪い子だけど、どうしようもない変態で私のオシッコなら血が混じってても飲めますとか、本当に割とどうしようもない事も口にするけれど。しょうもないチンパンジーだけれど」


 ヴァリ様は、一つ溜め息を吐いて。


「何を落ち込んでいるのか知らないけれど、そうね。色々あったけれど、落ち込んだり、ポンポンペイン神に祈ったり、ピンク色のオシッコが出たり、本当に大変だったけれど。その苦労をした結果として私の部下たちの、その人々の幸福が叶うのであれば、歩いてきた道は間違いではなかったと思うの」


 本当に、どこかネジが外れているくらいに良い人だな殿下は。

 すぐ雰囲気に流されるけれど。

 

「だから、何を落ち込んでいるのか、悩んでいるのかは知らないけれど。ファウストが言ったように、ザビーネが私の部下であり、私の片腕として今までやってくれたことに非があるとは言わないわ。下を向いていないで、立ち上がりなさいザビーネ」


 本当は無茶苦茶不満があると言いたげな顔も窺えるが。

 ヴァリ様は空気を読んで、ザビーネのBボタンを押した。

 ザビーネは一旦、時間停止でもしたかのように止まって。

 首を大きく捻り、目を爛々とさせて、部屋に響き渡るぐらいに絶叫をした。


「そうですよね! いやあ、実は私もそうではないかと思っていたところです! 私はこのままでもいいですよね!!」


 先ほどまでの良心の咎めが嘘のようにして。

 人としての善良への進化の何もかもを投げ捨てて。

 ザビーネはキイキイとチンパンジーのように笑い、叫んだ。


「私が今までヴァリ様のためにと、自分の快楽のためにと、やってきたことには何一つ間違いはなかったんだ! これからもやりたい放題生きていくぞ!!」


 立ち上がって、両手を振り上げて叫んだのだった。

 ヴァリ様は、状況がいまいちつかめずに、不思議そうに小首を捻った後。

 

「何がなんだか分からないけど、とりあえずザビーネは慰めたわ。これで良いの?」

「大変結構です」


 とりあえず、なんとなく不思議そうな顔をするヴァリ様にそう答えて。

 私はここにいる全員の無茶苦茶さにドン引きし、呆れているマルティナに対して、「これしかなかったんだ」と言い訳を試みることにした。







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