第192話 教皇暗殺計画
「流石にこの展開は予想外だったが……まあ、誰にとっても悪くない結末ではないか。いや、巻き込まれたマインツ枢機卿は散々だがね」
アナスタシアが、羊皮紙を机の上に投げ捨てる。
今回のヴァリエール・フォン・アンハルトとマインツ選帝侯の争い仔細についてが記載されており、その全てを頭に叩き込んだ。
悪い結果ではない。
誰にとっても。
私などは口笛を吹きそうになってしまった。
「たった一つだけ譲れないものがある、か……」
かつて、このアスターテに対して、初陣後のヴァリエールが言ってのけた言葉を思い出した。
結局のところ、どこまでもヴァリエールは為政者として何ひとつ相応しくなかった。
あの少女がアンハルト選帝侯家を継げば、アンハルト王国など潰れてしまっただろう。
母であるリーゼンロッテ女王陛下や、姉であるアナスタシア、従姉妹である私が見込んだ通りの凡人にすぎない。
なれど、愚かな凡人だからこそ、誰もかれもが幸せであればよいと、どうしようもない寝言を本気で夢見る道化師だからこそ。
最後の最後まで何もかもが見捨てられぬと、自分が死んでも認められぬとあがき続ければカリスマ(神の恩寵)に至れるのかもしれぬ。
「ハーメルンの笛吹きのようだな」
ある笛吹きが、子供たちを連れさった童話を思い出した。
あの伝承のルーツは神聖グステン帝国における東方植民者たちが、その開拓に旅立った逸話を元にしたものと聞いたことがある。
あの何処にも故郷がなければ家すらない『ヴァリエールの落ち穂』どもは、彼女に率いられてポリドロ領に開拓に赴くのだ。
自分たちの本当の居場所を作るために。
いいだろう。
このアスターテとて、本当に能力がある者は、自分の人生に努力を尽くしたものすべてが報われるべきであれと祈っている。
我らが、彼女のこれからを応援してやろうではないか。
「アナスタシア、以前に凍結したポリドロ領の開発支援だが――」
「資金援助せよと? ファウストとその領民が移民も援助も嫌がるからと、一度は断念したのに?」
打てば響くように、アナスタシアは答えた。
少し呻き、こめかみを長い付け爪で叩きながらに呟く。
「難しい問題だな。ファウストとよく話し合わねばならぬ」
「確かにそうだが。今ならばきっと上手くいくはずだ」
結局のところ、ファウストはどこまでも領主騎士である。
なれど、ヴァリエールがその身を地面に打ち付けての懇願を断れなかった。
領主としての酷薄さと同時に、奇妙な善良さをも持ち合わせた結果として、ファウスト・フォン・ポリドロの人格を構成している。
開拓による植民は認められた。
アガペーと称して、最低限の援助も約束した。
なれば、話は単純だ。
「当初の我らの計画は移民と資材を大量に投下して、ポリドロ領を開発することであった。あの広大な農業適地のポリドロ領なれば最低人口2000はあってしかるべきだ。移民については今回の植民で賄える。後は資材、そして資金だ」
「素直にファウストが受け取るとでも?」
「受け取るさ」
ファウストは愚かな領主ではない。
最低限の援助しかヴァリエールに行わぬのも本音であれば、そのくらいしかできないのも本音なのだ。
先住民であるポリドロ領民の立場に配慮すれば、そんな身勝手をファウストがするわけない。
「領民への慰撫のため、現領民への土地開発のためと説明すれば必ずや金を受け取る。それすら拒むファウストではない。金を渡す理由については、まあヴァリエールが作ってくれた」
我が一族であるヴァリエールが、自分の部下を引き連れてポリドロ領に入植するという。
これは勝手をしたポリドロ領への償いと、そして婚約者であるファウストへの結納金である。
どうか受け取ってくれと。
「そうやって渡せばよい。金がファウストから領民に配られ、税も軽くするように働きかけろ。ちゃんとアンハルト家からも謝罪があったのだからと、我らの誠意さえあれば開拓民への悪意も薄らぐだろう。ヴァリエールの開拓も難易度が下がるはずだ」
「恩顧でファウストを雁字搦めにすることは出来なくなるがな」
そもそもの目的は、ファウストの好感度を得ること。
それに加えて、我らの愛人として恥ずかしくない程度の領地規模にしてあげたかっただけだが。
まあよいかと、アナスタシアが呟く。
そうだ、決して今回の騒動はアンハルト選帝侯家にとっても悪い話ではないのだ。
「まあ、公爵家から入植者にあてがう男ぐらいは私が調達してやる」
さすがにそれほど数は用意できんがな。
入植者1500に対して、50くらいが精々かな?
と適当に試算する。
売春夫や、放浪民として安く叩き売られている男の子を買い取れば済むだろう。
この状況なら彼らの出自がどのような者であれ、文句を言うつもりもないだろうし。
男の側だって、元の環境よりはマシな暮らしができるさ。
そう言ってのける。
「……ヴィレンドルフとの国境線。緩衝地帯として、ポリドロ領を利用しようというつもりか?」
今の今まで黙って様子を窺っていた、カタリナがようやく呟いた。
もちろん、アンハルト選帝侯家としても利益を得ねばならぬ。
「そのつもりだ。これはファウストを夫とし、ヴィレンドルフ王家に子を迎えるつもりの貴女から見ても悪い話ではないはずだが?」
アナスタシアが告げる。
カタリナは少し考えて、まあそうだなと頷いた。
「なるほど、アンハルトがあまりにも身勝手な事をポリドロ領に対してすれば、逆にヴィレンドルフ側が親族関係であることを理由にして、こちらに受け入れても構わないということか。アンハルトの次代がヘマをすれば、侵攻によらずしてポリドロ領周辺の封建領主を引き入れられると」
「そういうことだ」
ポリドロ家にも武器を持たせてやろう。
ポリドロ領は現在アンハルトに属しているが、正直理由さえあればヴィレンドルフにいつ鞍替えしてもおかしくない位置に領地がある。
ならば、もう中途半端な嫌がらせなどはせずに、アンハルトが今後も無視できない環境にしてやればよいのだ。
アンハルト一族の血を引き継ぐヴァリエールの子がポリドロ家領主となり、またその異母姉妹にはヴィレンドルフの王がいる。
都合の良い立ち位置であると同時に、ポリドロ家も勝手をせぬ立ち位置だ。
「悪くない話だとは思わんか?」
アナスタシアが、カタリナに水を向けた。
欲しいものは、冷血女王カタリナが出せるもの。
「代わりに何をヴィレンドルフに求める?」
「開拓という事業にあたって、10年20年という時間はあまりにも短いと思わんか? 私はいつ敵国が攻めてくるかもわからぬ辺境領にて、可愛い妹に開拓などさせたくないね」
「和平交渉についてか」
カタリナが、ポツリと呟いた。
彼女はその冷えた頭で考えているのだろう。
金融を重視するアンハルトは別に領地拡大など望んでいないが、武力を国是として尊ぶヴィレンドルフは違う。
領地の再拡大を誰もが望んでいる。
悪魔超人レッケンベルがアンハルトに侵攻してきた理由にも、その側面は存在した。
もっとも、最近では何か別な理由があったのではないかとも思うが。
「いいだろう。自分の父親が住んでおり、異母姉妹が統治するポリドロ家と戦うなど、次代のヴィレンドルフ選帝侯家も望まぬだろうしな」
「では不可侵条約をここで」
「このカタリナが生きている間だけは、約束しよう」
カタリナは確かに約束した。
ヴィレンドルフとの長期間にわたる不可侵条約は、アンハルトに利益をもたらすだろう。
「……ヴァリエールの開拓詳細については、まあ後回しでもよい。どうせ開拓を始められるのは、我らが故郷に帰りついた後だ」
もっと重要な話があるだろうと。
アナスタシアは呟いた。
内心、最近可愛いと思っている自分の妹が一生懸命にやっていることを応援したくて仕方ないであろうに。
その顔はどう見ても人肉とか食べてそうであった。
だが、少なくとも今から話す話題は、その人肉食ってそうな顔こそが相応しい。
「ザビーネ・フォン・ヴェスパーマンが到着した。カタリナ選帝侯御指名の暗殺者だ。サイコパスで人間のクズだ。ヴァリエールや身内以外の何を殺しても、何の痛痒も感じない。聖職者を殺せば絹の法衣を奪って、質屋に叩き売るだろう。そんな彼女を用いて、何をするかね」
私は呟いた。
誰もが理解していることを呟いた。
これから為すべきことは、特段大それたことではない。
戦場にて聖職者が死ぬことなど、何も珍しくはない。
先日マインツ枢機卿が殺されかけたようにである。
アナスタシアは望みを語った。
これから何をするかについて、理由と目的を単純に述べた。
「教皇暗殺だ。私の妹であるヴァリエールを殺そうとしたのだ。もはや話し合う理由すらないだろう。賽は投げられた。あの暴力教皇ユリアを、暴力をもって叩きのめしてやる。殴り殺した死骸を椅子に座らせて、その御前にて堂々とケルン派への異端認定を新教皇に取り消させてやろうではないか。薄汚い神聖グステン帝国の裏切り者を、晒し者にしてやる。次の教皇を誰にするかは、私とカタリナで決めようじゃないか」
静かに、本当に静かにだ。
人肉をたらふく食った大蛇のような、爬虫類の笑顔のままに呟いて。
アナスタシア・フォン・アンハルトは教皇をぶち殺すことを望んだ。
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