第170話 因果は集束する


選帝侯は七人いる。

神聖グステン帝国皇帝の地位を認める選挙権を有した者を選帝侯と呼び、最も財力に優れたアンハルト王国と、最も暴力に優れたヴィレンドルフを含めた四世俗諸侯家。

そして聖職者である三聖職諸侯(司教領主)を合わせて、七選帝侯としている。

勿論、聖職者である以上は一定の敬意を教皇に払わねばならぬ。

要するにだ。

私は教皇として、聖職位を持つ選帝侯を呼び出せる権限があった。


「お呼びでしょうか、ユリア教皇猊下」

「早いですね、マインツ大司教。呼び出して二刻も経っておりませんが」


――マインツ大司教。

選帝侯であり、私の忠実な部下でもある。

無論、忠実とは言っても騎士における寄親と寄子のような関係である。

相互利益による主従関係というのが大前提であった。


「呼ばれると思っておりましたので」


彼女の特徴を言えば、とにかく現世利益最優先といったところであった。

おそらく、このマインツ大司教は神など信じていないのだろう。

それは贖宥状を売りさばいては銀貨を稼ぎ、芸術家などを大量に雇用しては豪華絢爛な建築物を建てていることなどからも明らかである。

その行為の神学的是非を黙らせるために、有力な聖職者、もちろん教皇である私へも多額の献金を行っている。

要するに、世俗の垢と悪にまみれた人間というのが世間におけるマインツ大司教の評判である。

彼女の名前を口にすれば、心ある聖職者や騎士であるならば眉を顰めることも珍しくはない。


「呼ばれると思っていたならば、話は早い。この教皇ユリアの懸念、こちらが言うまでもなく解き明かして見せなさい」

「わかりました。御懸念を解きほぐしてご覧にいれましょう」


もっとも別側面から見れば、彼女は単純な悪とも言えなかった。

贖宥状なんぞ売り出したところで、優れた説教師がいくら購入を勧めたところで、これを買えば救われるなら買いますなどと信徒が奪い合うように買ってくれるわけではない。

不信心な貴族や商人なれば鼻で笑うだろう。

ゆえに、マインツ大司教はむしろ不信心な貴族や商人こそを攻撃対象に選んだ。

『贖宥状を買わぬのなら、貴様が過去に犯した罪を大いに糾弾して貴様を潰す』と書かれた手紙を、ニコニコとした笑顔で渡すのだ。

金を払いさえすれば、もちろんニコニコと贖宥状を渡すのだ。

要するに脅迫である。

その行為を何百回と繰り返し蓄財を重ねたのが眼前のマインツ大司教である。

脛に傷を持つ貴族や商人などのカモを見つけ出し。あげつらっては批難をして、これ以上言われたくなければ贖宥状を買えと脅すなど凡人が出来る行為ではない

そうだ、彼女は単純な悪ではない。

念入りにリサーチ(調査)を行い、アドバンテージ(優位性)を奪い、敵対象を叩きのめす邪悪なのだ。

一言で言えばとても凄いクズだ。


「――御懸念は、ケルン派でしょうな」

「ほう」


だが、いくら優れたリサーチ能力を持つマインツ大司教とて、私と皇帝がモンゴルへの寝返りを決意したことは知らない。

なれば、真実にまではたどり着けない。

マインツ大司教であれば、いつかは辿り着くだろうが――今はまだその時ではない。


「ユリア教皇におかれましては、ケルン派が一手に握る火薬という技術を奪い取ることが目的でしょうか?」

「……」


単刀直入の発言。

私がかつてコンクラーベにおいて資金援助を頼み、巨額の融資をもらうことでケルン司教を枢機卿とした。

彼女が指導するケルン派は、ここ数年で一気に躍進した。

無論、聖職者派閥であるのだからその力が貴族に対抗するための力の一助になってないとは言わないが。


「私はケルン派が流通させている硝石は、山から産物として掘り出すのではなくて。ケルン派が編み出した何らかの自然科学により醸成されているのではないかと睨んでいるのです」


マインツ大司教は優れている。

硝石の生産に関しては私の予測と一致しているし、まだ世に出て日が浅い火薬と言う暴力に対して、そこまで考えが及ぶ人物は少ないであろう。

彼女の能力に対しては、私は何一つ誹謗しない。


「しかし、今から我々が火薬を作り出すのは難しい。ケルン派が蓄積してきた技術や学識に追いつくのは難しいでしょう。ならば、それを丸ごと奪い取るのが正しい。教皇が枢機卿にしてやったにも関わらず、技術を秘匿するケルン派には教皇も思うところがおありなのでは?」


ただし俗物の思考。

俗物の思考である。

私はマインツ大司教を、心の中で嘲笑した。

別に、私はケルン派が嫌いではない。

マキシーン皇帝などは最後まで話を聞いてくれなかったが、私は決してケルン派を嫌ってはいなかった。

少なくとも、眼前の俗物などよりは、あのケルン司教枢機卿に敬意を――。

いや。

やめておこう。


「よくぞ解き明かしましたマインツ大司教。やはり私が貴女を呼んだのは間違いではありません。実は、私はケルン派へ異端審問を行う決意を固めたところなのです」

「それを先んじて私に話しておこうと。有難いですな」

「はい。それと線続きの話となるのですが――」


私は今からケルン派を異端認定することで、宗派ごと壊滅に至らしめるのだから。

それを考えれば、私などはマインツ大司教と一緒に地獄に落ちても仕方がなかった。

それでも守らなければいけない信仰が現世にあると。

そのように、あのケルン司教枢機卿ならば言うであろう。


「ヴァリエール・フォン・アンハルトを御存じですか? あの教会への献金をとにかく渋るドケチのリーゼンロッテ選帝侯の次女であり、帝都における継承式を控えたアナスタシア殿下の妹です」

「知っております。なんでも、くいっぱぐれの馬借や傭兵などを集めて帝都ウィンドボナに向かっているとか」


要するに行商紛いの行為ですな。

貴族の娘とあろうものが、よくやるものです。

マインツ大司教はそう言って笑う。

それは嘲笑ではなくて、むしろ好意を滲ませていた。

ヴァリエール殿下が計画した帝都までの行商を純粋に称賛しているのだ。

彼女は、金稼ぎが大好きだった。


「……そうやって笑えるということは」


話はここからだ。

どうにかして、このマインツ大司教を駒のように仕掛けてやる必要があった。


「まだ貴女は何も知らないようですね。マインツ大司教」

「知らないとは? このマインツが知らぬ事など世に数少ないと思いますが」


マインツ大司教が傲慢を口にした。

汚らわしい女である。

だが、利用せねばならぬ。

単純に、選帝侯家の次女を殺せと言ってもマインツ大司教は賛同しない。

アンハルト選帝侯と敵対するなど絶対に御免であろう。

何かと言い訳をつけては退けるだろう。

だが。


「ヴァリエールの旅団に、あのアメリア・フォン・ベルリヒンゲン卿が加わった事です」


教皇たる私にかかれば言葉一つで操ることが出来た。


「――」


マインツ大司教は、先ほどまで滲ませていたヴァリエールへの好意を打ち捨てて。

何一つ笑っていない目をした。


「はて、どうして、あの糞ったれの強盗騎士が出てくるのですか?」

「詳細は知らぬが。まあ、世間的にはたまたま通りすがったヴァリエール殿下の御心に打たれ、このように尊き御方に何もしてあげられぬとあっては、帝国騎士としての名が廃る。帝都までの道行き案内人を受け賜りたい。そういうことになっている」


無論、嘘だろう。

どう考えても合法的掠奪(フェーデ)を道程のありとあらゆる封建領主どもに仕掛けるつもりである。

かの悪魔超人クラウディア・フォン・レッケンベルにおける騎行とくらべれば上品な容姿は取り繕っていたが、内実は何も変わらぬ。


「ユリア教皇猊下。私はかつて、貴女に兵を出した。前教皇への断罪を経て貴女が教皇に成りあがった後に、薄汚いチンピラ領主どもから教皇領を取り戻すにあたって必要なだけの兵を出しました」

「憶えています。あの時は助かりました」


マインツ大司教は機を見るに敏である。

形勢が決定的となった瞬間に、彼女は私に媚びを売った。

それは兵力であり、物資であり、資金の供出であった。

確かに助かった。


「そうです。私は教皇猊下に貢献しながらも、ちゃんと司教区の事も考えていたのに。騎士は引き連れて行けども、自分の司教区を守り切れるだけの参事や兵を残したのに。あの薄汚いゴミが! 地べたを這いずり回ってその日を食べるのがせいぜいの、出自も貧しければ家紋すら持たぬような強盗騎士が!!」


問題は、アメリア・フォン・ベルリヒンゲン卿だった。

当時は誰もその名を知らぬただの強盗騎士が、主君も領地も家紋も持たぬ一人の黒騎士が、徒党を集めてマインツ大司教領を襲ったのだ。

留守を狙っての凶行だった。

さりとて尋常な相手ならば、そのようなもの跳ね返せるはずであった。

マインツ大司教とて選帝侯であり、そこらの騎士が名誉を傷付けられるものではない。

しかし。

ベルリヒンゲン卿はやり切った。

フェーデを最後まで成し遂げて、莫大な和解金を勝ち取ったのだ。


「私の領地を襲い、私の財産を傷付け、奪ったのだ。あの騎士のせいで、私の名誉がどれだけ傷付けられたか! 私がどれだけ帝国市民どもに嘲笑われたか!!」


後でわかったが、あのアメリア・フォン・ベルリヒンゲン卿は何年も前から大規模掠奪を計画していたのだ。

留守を狙っての行き当たりばったりの行動ではない。

ずっと、ずっと。

それこそベルリヒンゲン卿が強盗騎士を始めた最初の最初から、どうすればマインツ大司教領を攻め落とせるのかを窺っていた。

兵を集める方法は何か、物資を集める方法は何か、どこまで自弁でやっていけるのか、どこの商人なら強盗資金を投資させることができるのか、大規模都市への交渉の方法はどうすればよいのか。

何を相手が弱みとしており、どうすれば自分は勝ちを掴み取れるのか。

私が調べれば調べるほど、理詰めの戦略であった。

文字を読むどころか、簡単な計算すらできるのかさえ怪しい最底辺の出自である一人の黒騎士が、おそらくは独自に勉強を重ねて。

右腕を大砲に粉々に消し飛ばされながらに、そこまでやってのけたのだ。

もはや感嘆するしかない。


「選帝侯である私が、名誉を穢された私が、和解のためにあの薄汚い強盗騎士に衆目の前で抱き合うことさえ強要されたのです。どれだけの屈辱であったか!!」


被害者であるマインツ大司教にとっては、そのような偉業は何もかも業腹でしかなかったが。


「あの時、あの強盗騎士は私に耳元で囁いたんだ! 抱き合いながら、私の耳元でこう囁いたんだ!!」


司教杖が、絨毯の上に投げつけられた。

羊飼いの杖を模した司教杖を投げ捨て、人を導き諭す聖職者ではなく、純粋な名誉ある個人としての怒りを叫んだ。


「私の尻を舐めろ。陽気にいこう。文句をいってもしかたがない。本当に悩みの種だよ。だから陽気に楽しく行こう。何、ちょっと神聖グステン帝国における名高い選帝侯殿が、地べたを這いずり回る黒騎士一匹にぶちのめされただけさ。陽気で痛快じゃないかと。そのように、歌でも歌うかのようにさえずって」


マインツ大司教は本当に不快そうに耳を抑えている。

彼女にとっては領地を侵害されたより、都市を襲われたより、和解金と言う名の財産略奪を受けたよりも。

純粋に名誉を穢されたことが、何よりの苦痛であるようだった。


「最後にこう言ったのです。金を払ったから和解してやる。お前は私の尻を舐めた、そう歴史には残るけどな、と」


私にとってはどうでもよいことだった。

負けたマインツ大司教が間抜けなのだ。

どんな理由があろうとも、負けた以上は言い訳に過ぎぬ。

とはいえ、大前提として私が呼びかけた兵力の供出に応じた結果ではある。

だから、彼女が枢機卿になれるようには取り計らった。


「あの強盗騎士だけは許せない」


ゆえに、私にとっては過ぎた事ではあるのだが。

利用できるならば、利用するのが正しかった。


「……ならば、あの強盗騎士を仕留めなさい。それ以外に、貴女の選帝侯としての名誉が完全に回復される方法はない」


囁いてやる。

私は今から教唆を行う。


「表向きに和解をしております。それを破ることはできません」

「表向きにはでしょう?」


確かに和解した。

衆目の前で果たしたそれを選帝侯が自ら破ることはできない。

契約は重要である。

だが――正直、それは契約と言う名の建前を誰もが重要視しているだけであって。


「話を少し戻しましょうか。私はケルン派を潰すつもりです。異端審問を行って信徒の一人も残らず追い詰めるつもりです。それはケルン派信徒であるヴァリエール・フォン・アンハルトも例外ではありません」


正直に言ってしまえば、建前さえ取り繕えば、復讐など幾らでも許されるのだ。


「……仮に異端であったとて、他家の子女を殺すことはできません。アンハルト選帝侯家に恨まれたくなどない。私は選帝侯の一人であり、自分の領民がおります。彼らのためには自分の屈辱を呑むことも必要です」


今、マインツ大司教は必死に頭で計算をしている。

その回転の速い頭で、精々考えるとよいだろう。

どうすれば――


「私がどうとでも取り繕ってあげましょう」


どうすれば領民に言い訳して、建前を取り繕って復讐して、お前の名誉を回復できるかを。


「マインツ大司教。ヴァリエール・フォン・アンハルトは元々、アンハルト選帝侯家にとってそこまで重要な人間ではない。そりゃあ多少は恨むかもしれませんが、マインツ選帝侯家が彼女まで殺す気はなかったのだと。異端信仰を捨てなかったがゆえに仕方なくやったのだと。懸命に弁解をして、賠償金を差し出せばよろしい。もちろん、その賠償金は教皇たる私が全て出しましょう」


アンハルト選帝侯家は動かない。

ヴァリエール・フォン・アンハルトを殺したとしても、表向きにはマインツ選帝侯に謝罪を求めて終わりである。

仮にヴァリエールが愛されていたところで、形勢不利とあれば異端審問を受けたケルン派信徒となる彼女を庇おうとはしない。

貴族としての理屈を優先するはずである。


「私に泥を呑めと?」


マインツ大司教の脳内において、理性はおそらく止めておけと言っている。

なれど、人は本当に侮辱を受けたならば、自分が破滅してでも相手を殺すことを望む。

世の中全てが何もかもどうでもよくなるのだ。

それが侮辱というものだ。


「このまま強盗騎士の尻を舐めた選帝侯として歴史に名を残すのか。それとも強盗騎士どころか、他の選帝侯家の子女ごとぶち殺してでも名誉を回復した勇ましい選帝侯として名を歴史に残すのか。どちらがよろしい?」


さて、煽るだけ煽ったところで。

そろそろ助け舟を出してやろう。


「とはいえ――まあ、私としてはヴァリエール・フォン・アンハルトを殺すことが目的ではありません。彼女に帝都までの道行きにて、一信徒として保護しているケルン派の聖職者どもを差し出させるのは難しいでしょう。もちろん、マインツ大司教が復讐したいアメリア・フォン・ベルリヒンゲン卿を差し出させることも」


私の目的はケルン派を叩き潰す事である。

ケルン派の聖職者たちが、帝都まで辿り着くことを妨げ、彼女たちが保護している聖遺物を強奪すること。

マインツ大司教の目的はベルリヒンゲン卿の殺害である。

彼女が為した悪徳への報いを受けさせて、選帝侯家として強盗騎士にいいようにされた名誉を回復すること。


「だから、ヴァリエール殿下にはこう言って差し上げなさい。これは教皇であるユリアの命であると。教皇として異端審問することになるケルン派から離れ、悔い改めて改宗しなさいと。貴女は異端に騙された被害者であるのだからと」

「もし断るとあれば?」

「皆殺しにしなさい。異端を保護したヴァリエール殿下も、ケルン派聖職者も、それに付き従うベルリヒンゲン卿も、何もかもを」


私は暴力教皇と呼ばれている。

今さら、殺人など忌避するものか。

信仰を守るためとあれば、自分が地獄に落ちようが構いなどしない。

いや、ケルン派の教義に言わせれば。

私が異端認定することとなるケルン司教枢機卿に言わせれば。

――この世界そのものが地獄なのだ。

私たちはそこに住む哀れな罪深き住人でしかなかった。


「……承知しました。帝都から離れ、領地へと戻ることとしましょう。すぐに軍を束ねて、アンハルト選帝侯家ヴァリエール・フォン・アンハルト第二王女の異端信仰を正し、改宗を願うこととします」


断れば、殲滅することとなるでしょう。

マインツ大司教は私の言葉に、静かに決意を呟いた。

本当に、静かに。





第八章 完


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