ヴァリエールの帝都進撃編 下

第171話 ヴァリエール騎行はじまり


屈するより他はないだろうな。

そう考えた。

計算を終えたところで小さく頷いて、色よい返事をする。


「……ヴァリエール殿下。今回は我が財産たる領地にはびこる盗賊たちへの処罰、私が為すべき討伐を代行頂きましたこと。心より感謝申し上げます」


状況は詰んでいるのだ。

ここまで逃げ場を無くされては、どうしようもなかった。

眼前の相手はリーゼンロッテ選帝侯の子女たるヴァリエール・フォン・アンハルトであり、血統や世俗的名誉において私より遥かに上である。

いくら私が帝都までの街道すら支配下に置く封建領主とはいえ、さすがに選帝侯の子女と比べると田舎騎士に過ぎぬ。

当家は何分、ここ三代にて城と領地を拝領したような成り上がりの家であるわけだし。

こちらが名誉を侮辱されたならば、争う恰好だけでも取り繕う必要はあるが――その様子は全くない。


「神聖グステン帝国の法を加護し、善男善女を保護する名高き貴卿の代わりを果たせたとなれば、このヴァリエールも誇らしくあります」


妖精のような外見の少女。

彼女は甘い花香のするような声色にて、何一つ嘘などないようにして発言を行いて。


「貴卿の名声はアンハルト王国にも響いております。例を挙げるならば――」


我が家の来歴について、そして私自身の戦歴について。

何一つ知らぬことはないのだと、まるで優れた紋章官が原稿を用意したようにして、とても大げさに褒め称える。

周囲では、私に忠誠を誓う騎士や領民たちが満足したように笑顔を見せていた。

ヴァリエール殿下は、私の名誉を完全に満たしてくれている。

衆目の前にして、この田舎封建領主の私と、選帝侯家の子女であるヴァリエール殿下が全くもって対等であり、名誉を以て我が封建領主家を褒めたたえる価値があると示しているのだ。

正直言ってしまえば、私自身も悪い気分ではなかった。

これは私に利益のある行為である。

選帝侯の子女として、衆目の前で私を褒めたたえてくれる行為も。

山賊を一人残らず殲滅してくれた行為も。

今のところ、ヴァリエール殿下は私に明確な利益を与えて続けてくれている。


「――古くは貴家の三代前の当主様が、我が選帝侯家と馬を並べて異教徒を打ちのめしたこともありましたね」


ヴァリエール殿下が何もかもが嘘というわけではないが、多分その頃の脆弱な当家の立場では挨拶すらロクに交わしたこともないはずの力関係を無視した。

貴族的な『名誉改竄』と呼ばれる作業を公然と行いて、当家を褒めたたえてくれている。

選帝侯家の立場を背負いてそれをやってくれるのならば、それを拒む必要は欠片とてなかった。

早速、土地を貸し与えている修道院に喜捨を行いて、当家の新歴史を『発見』しようと思う。

アンハルト選帝侯家と仲睦まじく一緒に闘ったことがあるという話は、当家の名誉を補強してくれるはずであった。

私の記憶が確かならば、アンハルト選帝侯家は勇ましく異教徒相手に闘う当家の御先祖様に対して「貴卿こそ我が軍で一番、万夫不当の英傑よ!」と褒め称えてくれたはずである。


「全くもって誇らしい限りであります。ただ――ヴァリエール殿下の手を煩わせてしまった件については、正直申し訳ないと思っておりますが」


ここまで褒め称えて頂けるならば。

ここは少しばかり謙遜の意味で、自分を卑下するような言動をしても問題はなかった。


「仕方ない事です。どの国でも事情は同じで、山賊討伐ができなかった理由は承知しております。軍役を騎士や兵に要求することは簡単ではありませんので」


ヴァリエール殿下は全てを理解しておられる。

――そうだ、別に山賊を無意味に放置してたわけではない。

私とて好き好んで山賊を街道にのさばらしていたわけではないし、我が領内に我が領民と言う大事な資産を脅かす可能勢がある賊どもがいることは常々不快に思っていた。

それこそ殺そうと決意するならば、領主である私ならばいつでも殺すことはできた。

だが、やらなかった。

できなかったではなく、やらなかったのだ。

理由はたった一つだ。

コストがかかる。

治安維持のコストが、山賊どもを放置する不利益を上回ってしまうからやらないのだ。

単純に私自らが忠誠厚き騎士や兵どもと全力で突撃して皆殺しにすればよいなどと、物知らぬ者なれば考えるだろうが。

それにどれだけ金がかかるかわかってないから、普段は畑を耕している兵を動員することがどれだけ領地財政にとって不利益なのか知らぬからほざけるのだ。

それに――追いかけても、少ししくじれば賊は逃げるのだ。

本当に腹が立つ話であるが、逃げるのだ。

それこそ面子も名誉も何もない連中であるから、法など何も守らない連中であるのだから、追いかければ平気で他の領地に逃げ込むのだ。

当たり前だが、国境線を割って他領主の土地に逃げ込んだ山賊を、完全武装の騎士団が入って追いかけるなどできはせぬ。

私とて、そのような事をされたならば公然と批判して応戦する。

山賊などよりも他領地の完全武装の騎士団の方がよっぽど怖かったし、その兵どもが私の財産たる領民を傷付けて収奪を行う可能性など珍しくもない。

神聖グステン帝国が為した法の庇護下の盟約を守っている互いとはいえ、そんなもん信用できるか。

結局この世界は自力救済(フェーデ)が事実上の法としてまかり通っているのだ。

治安維持に多大なコストを支払えば、それは結局領民に税金として圧し掛かるのだ。

帝都に繋がる街道の安全を維持し、旅商人を保護することは領地の利益につながるが。

――コストがその利益を上回るようであり、関所税を払いたくないからと街道を少し外れた数人の旅商人が襲われてくたばろうが、私の領民でもなんでもないんだから正直知った事ではなかった。

そういう話だ。

それはそれとして。


「心から感謝を」


嘘ではない言葉を告げる。

我が領地ではびこる山賊団を絶対的多数による暴力で皆殺しにしてくれたとあらば、それはもう感謝しかない。

明確な利益であるからだ。

私が怖いのは、その利益に対する支払いである。

結局、金の話になるのだが。


「旅でお急ぎとは思われますが、どうか今宵は我が城にて滞在して頂けませんでしょうか。色々とお話したいこともございます」


衆目に聞かれたい話ではない。

城に招いて、二人きりで静かに話し合う必要がある。

もう最初に決めていた事だが、ヴァリエール殿下に金を支払う以外の選択肢が私には許されない。

彼女が率いる1500名からなる旅団がその気になれば、もう我が領地などは容易く滅茶苦茶にされてしまうだろう。

会話相手の心情を考えるという手段に当たれば、ヴァリエール殿下の行軍においては値段交渉や外見上面子を取り繕うために一当て戦ったことにしてくれだの、そんな泣き言が通じるとはとても思えないのだ。

だからこそアメリア・フォン・ベルヒリンゲン卿なんて下衆をヴァリエール殿下は『雇用』している。

そうだ、おそらくは雇用だろう。

さすがにヴァリエール殿下がいくら有能とはいえ、あの残酷無慈悲でえげつないフェーデ(マインツ選帝侯への掠奪)を為した強盗騎士がただ頭を垂れるなどとはとても思えない。

いや――希望的観測は捨てるべきだ。

たとえ、それが雇用と言う単純な金銭的契約に基づくものであったとしても。

私たち封建領主の心をへし折り、利益を叩き出すためにベルヒリンゲン卿の雇用などを考えつくヴァリエール殿下に、どうやって私のような田舎騎士が立ち向かえるのだろうか。

私は今、心底ぞっとした。

そうだ、何を浮かれていたのだ。

殿下の誉め言葉一つで浮かれている場合ではないのだ。

ベルリヒンゲン卿が算定した当家が支払えるだけの最大限の額を、ヴァリエール殿下が要求してくるのは間違いない。

なるほど、確かに支払うことはギリギリできるだろうが、それは領地にとって致命的なダメージにもなりかねない。

……領民は我が財産だ。

なればこそ、増税だけはしたくない。

パンを分け与えられる個数が減る三女や四女がいるかもしれない。

家を出ねばならず、淫売宿に売られる男が出るかもしれない。

それに思い至れば、領主として全責任を背負っている私の背には冷や水が浴びせられるようであった。

私はヴァリエール殿下や衆目の手前、項垂れる事も出来ずに――静かに、泣きそうになった。





――――――――――





ヴァリエール殿下が要求したのは意外な内容であった。


「殿下、その、正直にお尋ねしますが」


確かに巨額ではあった。

当家が支払える限界ギリギリから少し加減された程度、その額を確かに要求されていたのだが。

条件が、少し変わっていた。


「その、私が支払った殆どを、我が領地にて使って下さるという条件はどういう意味で?」


意味がよくわからなかった。

これは羊皮紙に刻まれた公式文書であり、ヴァリエール殿下の封蝋も装飾として押されている。

その文書によれば、ヴァリエール殿下は必ずや当家が支払った礼金の全てを街にてほぼ使い切るとあった。

彼女が酒保商人としているイングリット商会が、領地の商人と交渉した上で適正価格にて物資を買い入れると記載されているのだ。


「そのままの意味となるわね」


ヴァリエール殿下はあっけらかんと言い放った。

はて、どうしようかと迷う。

だが、殿下の花香のする声に誘われて――というよりも、この場には私と殿下しかおらぬ。

衆目や配下のいる前ではとても口には出せぬ、泣き言を吐いても多少は許される状況であった。

少なくとも殿下の前ではそうしてもよいと思えた。

そのような雰囲気を持つのが、ヴァリエール殿下であったのだ。

だから口に出す。


「……正直、私は殿下にできる限りの財産を搾り取られると覚悟しておりました」

「それは私の本意ではないのよ。貴女に恨まれたくないし」


私の泣き言に、答えが返ってくる。

その殿下の言葉には、何一つ嘘が無いように思えた。


「だから、その、ギリギリ泣かなくて済む案を用意したわ。というよりも、正直今の旅団規模がどこまで膨れ上がるのかわからないのもあるし」


物資が必要だというのはわかる。

殿下の旅団はすでに1500名を上回る規模であり、こうして会話をしている間にも殿下との謁見を望む黒騎士や傭兵団、旅商人や芸人がひっきりなしに訪れていると聞く。

まあ、殿下は何の土産も無しでは御会いにならないと彼女の配下であるザビーネ卿が全て断っていると聞くが。

娯楽である旅芸人や楽師や説話を語る聖職者を含めて、パンパンに膨れ上がっている。

ともかくも、今も旅団規模は増大していた。

ならばパンや干し肉といった食料であり、腐らぬ水であるワインやビールが必要と言えた。

それは分かるのだが。


「……その、私の領地にて産出している雑貨や鉱石、織物から工芸品まで、何から何まで買いあげることになると思われるのですが」

「文書に書いてある通りよ」


確かに書いてあるのだが。

はて、殿下は何を考えているのだ?


「私が支払った額を領地に落としてくれるというのは本当に有り難いのです。自分の領地で銀貨が流通してくれるのであれば事実上は物資提供のみとなり、確かに殿下への御礼は痛手なりとて、致命的な問題にはなりませんので」

「まあ……それでも、貴卿には痛手だと思うけれど」


まあ、痛いは痛い。

さりとて、私が放出した銀貨が領地内で回るとあれば、そこまで致命的な痛手ではないのだ。

どうせ私の手元に税として返ってくるのだから。

最初に抱いた痛手への想像や、自分が受けた利益を計算すれば上等も上等と言えた。

物資は大事だが、また時間を経て生産すれば良い。

ただ。


「この田舎領主ごときには殿下の御心が分かりかねます。どういうお考えで?」

「最初に言った通り、貴女に恨まれたくないのと。物資が旅団に必要だから、その消費分と。最終的に帝都で清算するつもりだから――」


そこまで言われて理解した。

そうか、要は我々のような封建領主にだけではなく、殿下は帝都の交易ギルドにも金を払わせるつもりなのだ。

選帝侯子女としての血統と、千剣の暴力を背景に「物資を全て買いあげて金払うか、お前等が死ぬか選べ」とギルドを脅すつもりなのだ。

ギルドとて、どうにか金銭に換算できるものであれば膨大な物資とて拒めはしない。

これは殿下による騎行への負担の分散でもあるが、それだけでなく交易により更なる巨額を稼ぎ出すつもりなのだ。

えげつなくて、この私などにはとうてい思いつかぬ計画で――


「イングリット商会が計算して、これなら帝都で利益に換算できると思える物資は、全部買い入れる形で清算したいと思うのよ。傭兵団にも少なからず荷物を持たせて、商隊への護衛費用や運搬費によって彼女たちへ給金も支払ってあげられるし……」


同時に、殿下の御慈悲とも言えた。

私はぞっとした。

眼前の御方は、どこまで考えて今の行動を為されているのだろうか。

利益のみではなかった。

慈悲のみでもなかった。

ありとあらゆる観念を交えて、今の行動を実行されておられるのだ。

私は背筋に蕁麻疹のようなものが起きたが、それは恐怖によるのみではない。

強い畏敬が込められていた。


「ヴァリエール殿下」


私は平伏した。

神聖グステン帝国の皇帝を除けば盟約以外の忠誠を誓わぬ、この成り上がり一族の当主が抱く僅かばかりの憧れが発露した。


「……どうしたの? たとえ衆目の目がないとはいえ、領主としてそのような行為をしてよい立場では」

「この田舎騎士めが、主従関係などに欠片も価値も感じた事のない封建領主騎士めが誓願いたします」


そうすれば、もう止まらなかった。

他人の目などないのだから、私だけが個人的に誓う分には構わなかった。

私はヴァリエール殿下を。


「貴女への臣従礼(オマージュ)を望みます。アンハルト選帝侯家の第二子女としての貴女ではない、ヴァリエール・フォン・アンハルト個人に対してとなります。同時に、この私は封建領主の立場としてではなく、私個人の誓いとなりますが――」


敬愛してしまった。

これはアンハルト選帝侯に対してではない。

我が領地を託してのものではない。

なれど、忠誠宣誓である。


「どうか、今後貴女を主君として仰ぎ、永遠の忠誠を誓いますから。この御身に貴女からの加護を与えてくれないでしょうか。それを許してくだされば、私は貴女の危機にどんなことがあったとて駆けつけましょう」


私はこのえげつないことを平然とやる妖精殿下に心底惚れこんでしまった。

騎士として、偉大なる主君を持つことは永遠の憧れであり。

その憧れに、眼前の殿下がふさわしいと感じてしまった。

ならば、宣誓するしかなかったのだ。

私は十分な躊躇いの時間を受けた後に――見事、ヴァリエール殿下からの臣従礼を勝ち取ったのだ。

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