第143話 ストロンガー・ザン・ユー

テメレール公に、強力な頭上からの振り下ろし。

殺撃が入った。

グレートソードの柄が完全なる衝撃力を抱き、テメレール公の頭蓋という衝突点に強力な威力をもたらした。

あのサムライから学び取った『渦巻』による、筋肉の異常なる捻りから発生する瞬発を加え、私は魂消えとなりさえする。

頭どころか存在すらかき消すような一撃を放ったのだ。

悲鳴は挙がらず。

代わりに、強力な打突音が辺りに広がった。

確かに。

確かに私はテメレール公の要求通り、「やれ」という言葉通りに役目を果たした。

テメレール公を彼女の望み通りに討ち果たしたのだ。

なれど。


「ははっ」


テメレール公が笑った。

兜が変形し、頭蓋が割れ、血が流れている。

間違いなく頭蓋の一部が割れており、血の噴出が止まらず、髄液は漏れておる。

それでなお、テメレール公は笑った。


「あははっ」


笑い声が聞こえている。

テメレール公は地に伏して居る。

超人でなければ、いや、生半可な超人では完全に致命に至るダメージを与えており、同じ打撃を受けたのであれば、このファウストどころか。

疲労限界という一点を除けば、私より強かったレッケンベル卿すら打ち倒す一撃を受けて。

なお、テメレール公は笑っている。


「ポリドロ卿、離れて。そこまで! そこまでです! これ以上は死んでしまいます!!」


アレクサンドラ殿が絶叫して、私とテメレール公の間に割って入った。

立会人としての仕事を果たすためである。

誰もが、テメレール公がもはや何もできぬと見切っている。

このファウスト以外の誰もがだ。


「この疫病神めが。お前だ。お前がこの神聖グステン帝国を滅ぼすのだ」


テメレール公は笑っている。

もはや、何もかもが嫌になってしまった。

投げやりのようになってしまった、正気定まらず、なれど狂人とは呼べぬ理性に満ちた声である。


「お前は確かにレッケンベルを倒した。お前はレッケンベルを倒したんだ。このテメレールとて討ち果たした。お前は帝国最強の騎士かもしれない。なれど、それがもはや何になるというんだ。お前は全てを間違えたんだよ、ポリドロ卿」


ユエ殿が、テメレール公に歩み寄った。

怪我を手当てするためであり、必死にテメレール公の名を呼ぶが。

テメレール公は応じようとしない。


「お前はレッケンベルに劣る。たとえ、お前が一騎打ちで勝ったところで、どうしようもないほどに能力で劣るんだ。人食いアナスタシアなど相手にもならぬ。あの女はレッケンベルの策略に陥り、前線指揮する事すらままならず、本陣防衛に精いっぱいだったと言うではないか」


ユエ殿が、必死になって変形した彼女の兜を脱がした。

兜が脱げたテメレール公は、痛みゆえか、それとも悲しみ故か。


「カタリナも話にならぬ。所詮は乳母日傘で育った道化にすぎぬ。あれには、ほとほと愛想が尽きたよ。レッケンベルの後継者? あの小娘が? 笑わせるよ。あの小娘がレッケンベルの後継者ならば、私は今頃あの女の手で死んでいる」


何もかもを憐れむような表情で、涙を流していた。

頭部からは血が流れている。

黒ずんだ血であった。


「お前が一番ひどい。ファウスト・フォン・ポリドロ。お前はそれだけだ。一騎打ちの力量以外の何もかも全てにおいてレッケンベルに劣るだろう。お前は戦とあらば1000人を殺せよう。まさしく一騎当千である。なれど万軍には容易く負ける。それだけだ。そんな力自慢が、何の役に立つというのか。お前が何の役に立つというのか」


赤い鮮血ではなかった。

静脈の血が流れている。

ユエ殿が針と糸を用意しろと、テメレール公の側近兵に叫んでいた。


「来るべき遊牧騎馬民族国家の襲来に、『モンゴル』の襲来に対して、ただの力自慢が、何の役に立つのか」


モンゴル。

ある程度、ある程度は予想していたのだ。

ゲッシュを誓ったときに、覚悟はしていた。

なれど、その名は初めて聞いた。

この世界の騎馬民族国家の名が、一度は前世の文化圏全てすら覆いつくそうとした英傑。


「カリスマが必要だったんだよ。誰もが、この女ならば付いていっても良いと、従っても良いと、それで死んでしまってもよいと。そう認めてしまう英傑でなければ話にならぬのだ。お前ではない。私でもない。帝都さえも包囲し、私や皇帝の僭称者に勝ち得て、帝国中の誰もが知っている将軍たるレッケンベルのみが能力とカリスマを有していた」


チンギス・ハンが興した国と同じ名であるなどと、初めて聞いたのだ。

私は目を開き、もはや私に語り掛けているのか、それともままならぬ何かに叫んでいるのか。

それすら分からぬテメレール公の言葉を聞く。


「なんでお前らなんかが、あのレッケンベルを殺してしまったんだ。お前らの弱さが、中途半端な強さが、蛭のようにして、よってたかって彼女を殺してしまった。この帝国を救うはずだった彼女を、お前らが殺した!」


テメレール公が、ユエ殿の手を跳ね除けた。

兜が脱げたその美麗なる顔は、怒りでも悦びでもなく悲痛に歪んでいる。

何もかもがお仕舞いになってしまった。


「これはレッケンベルの物語だ。アイツが主役だったんだ! 私ですら脇役で、お前らなんかは、端役も端役。お呼びじゃなかったんだ! 何も知らない、何も理解しない、何もしようとしない、裏切りすらしたお前らどもとは違うんだ! 私はレッケンベルと一緒に何もかもをやろうとした。でも彼女は死んでしまった」


そのような表情で、頭からドス黒い血を垂れ流している。

ユエ殿が止めようと必死の表情で何か叫んでいるが、テメレール公にとっては視界にすら入っておらぬ。


「私なんか、私なんかでは、レッケンベルには及ばぬと理解している! でも、もうどこにもいないんだ。なら、私以外に誰がいるんだ。このシャルロット・ル・テメレール以外に誰がいるというんだ!」


テメレール公は立ち上がった。

頭から流れる黒い血が甲冑を汚し、それでもなお彼女は全てを気にしないでいる。


「私はレッケンベルになりたかった。でも、なれなかった。ならば、シャルロット・ル・テメレールとしてやるのみだと思った。そして、それにすら失敗した!!」


誰に言い聞かせているのか。

目はこのファウストを見つめているが、それすら定かならず。

もはや、自分に言い聞かせるような声で語っている。


「帝国中で力を合わせて打倒しようと思った。我が領地を守るため、帝国を救うため、私ができる何もかもをやろうとした。我が「狂える猪の騎士団」における「敗北者」から少ない情報を仕入れ、交易路を持つフェイロン王朝の残党を集め、異国の商人に金を掴ませ、モンゴルを編成する財務官僚にすら繋いで、多くの部下を潜ませて情報を手に入れたんだ。帝国に征西する軍団の規模も、軍の編成も、侵略ルートも、侵攻目標も、このテメレールは奴らの何もかもを掴んだんだ!!」


テメレール公の瞳の焦点はあっておらぬ。

こちらを見ているが、意識などどこか浮いており、それゆえに全てを告白しているような表情である。

ぞっとする声であった。

テメレール公は何を言っているんだ。

彼女は失敗したと先ほど言った。

モンゴルの征西における全ての情報を掴み、それを――。


「全部教えたのに! 私が知る情報の全てを教えたのに! 帝国を守護する為であるからと、あの二人には全ての情報を教えてやったのに!!」


テメレール公は、落ちていたレイピアを拾い上げており、

ゲテモノじみた長い刀身のそれで、石畳を叩き斬ろうとして――できなかった。


「皇帝も教皇も裏切りやがったんだ! もうモンゴルに勝てないと見込んで、帝国を見捨てる決断を下したんだ!!」


もう、彼女にそのような力は残されていない。

そして彼女が切り刻みたいのは、石畳などではなく。


「レッケンベルがいないから、もう勝てないって! テメレール公や、選帝侯たるアナスタシアやカタリナじゃモンゴルに勝てないって見切りをつけやがったんだ!!」


ままならぬ此の世の全てである。

私やアレクサンドラ殿、そしてユエ殿は、思考をまとめようとしている。

テメレール公が叫んでいることは。


「皇帝は裏切った。あのマキシーンの小娘は何もしようとしない。自分の一族の延命のみを考えている。自分の一族の血を。自分の愛する父母の血統を次代につなぐことが出来れば、神聖グステン帝国を生贄として、魔女の鍋にくべてしまっても良い。自分の血族さえ保護してもらえれば、帝国を売ってもよい。そう判断しているんだ」


帝国の至尊の座たる、最高位たる皇帝陛下と。


「教皇は地位を絶対保証しようとせず、王権神授説を否定する皇帝などいらぬと。マキシーンの小娘などいらぬと。負けが明らかなれば帝国の信徒さえ売り渡し、モンゴルのトクトア・カンに神聖グステン帝国の皇帝位すら明け渡して。宗教的権威の保護さえしてもらえればよいと判断したんだ」


聖職者の最高位たる、教皇猊下が裏切っているとの情報だった。


「そのような状況で、レッケンベルがいない今、誰が至尊の座にふさわしい。帝国中枢の情報すら掴めず、何も理解していない選帝侯どもか。違うね! 私しかもういないんだ。私はかつてケルン騎士の前で、彼女の前でゲッシュのような宣誓すらしたぞ。帝国を裏切らぬと、守るために全てを擲つと約束さえしたぞ!!」


アレクサンドラ殿と、ユエ殿がテメレール公を何かこの世における異物のように見ている。

私はというと。

手も震えず、足もすくまず、情報を手に入れて。

やっと、かつてアンハルトにて、リーゼンロッテ女王陛下の御前で。

ゲッシュを誓いし私だけが、テメレール公が何を言おうとしているのか理解できた。


「私は何もかも守らないといけない。配下を守ってやらないといけない。領民を守ってやらねばならない。国を守ってやらねばならない。この神聖グステン帝国に何人の人間が住んでいると思っているんだ。農奴がおる。神殺しの民がおる。放浪民がおる。それらすべてを、この地に住まう民と考えたなら、およそ数千万という人間がいるんだ。誰がそれを守ってやれるんだ。貴種として産まれたのだ。貴族として産まれたのだ。誇り高き騎士として生を受けたのだ。神聖グステン帝国の公爵として産まれたのだ。ならば、誰よりも強くなければならないのだ。あの愚か者どもを、くだらぬ民どもを守るものとして。誇るべき貴種として立っておらねばならない。この地にて、憎みあい、罵りあう、愚劣な、どうしようもない者達。私にまつろう民であろうと、まつろわぬ民であろうと、もはや関係ない。全責任が皇帝にはあるのだ。一度は皇帝位を目指した私の背には圧し掛かっている。お前らごとき餓鬼に、どうしようもなく何もわかっていない無能な餓鬼どもに頭を下げてなるものか。たとえこの首を千切り取られても、私は負けを認めない」


全ての主張を、テメレール公がその存在全てにおいて述べたかった事を告げて。

ほんの少し置いた後に、呼吸音がした。

私やサムライと同じ、ぞっとしたような音とともに大きく息を吸い込み、呼吸を整える。

息吹という、空手のそれとも少し違う特殊な呼吸法。


「諦めるものか! 『教皇』が裏切ろうと、『皇帝』が諦めようと、私だけは諦めないんだ!」


それをテメレール公は、私との戦闘経験において習得していた。


「このシャルロット・ル・テメレールがそう簡単に諦めると思ったら大間違いだ!! 私はお前よりも」


テメレール公は、もはや正気定からぬ表情ではなく。


「私はお前よりも、強い」


私の瞳をまっすぐに見つめていた。


「死んでしまったレッケンベルのためにも、レッケンベルに勝ったお前に勝たないといけないんだ。そうでなければならないんだ! 私は私の物語を全うするんだ! 最後まで――最後までやるんだ!!」


テメレール公の言葉は、自らを励ますようでいて、死すら覚悟した真なる決闘を前にして、何もかもを告白する痛悔者のようなものであった。

黒い血が流れている。

頭蓋が完全に割れている。

肉が潰れている。

甲冑の下、全身が内出血で膨れ上がっているだろう。

美麗なる顔の鼻の骨など、ありえぬ方向にへし曲がっている。

今すぐ五体を地に伏せば、きっとテメレール公は最上の幸せを味わえるであろう。

もはや死ぬことさえ幸せである痛苦を、先ほどまでの決闘にて与えている。

ハッキリ言ってしまおう。

どうあれど、もはやテメレール公が私に勝てる確率は皆無だ。

それは決闘相手たる私が、何よりも理解しているのだ。

なれど、テメレール公は指一本動く限り、負けを認めはしないだろう。

彼女はレッケンベル卿のため、彼女が誓った約束のため、全て担うこととした責任のため、最後まで抗うつもりなのだ。

私は確かにテメレール公の言葉全てを理解し、彼女の一言一言をかみ砕いていた。

同時に、彼女に同情するつもりは全くなかった。

戦闘中の騎士として心境は平然としており、何一つ動じることはなかった。


「すまない、テメレール公。貴女に対する今まで全ての誤解と侮辱は、このファウスト頭を床に擦り付け、血が滲んでも貴女が許すまで詫びることとする。それでも」


それでも、貴女に負けるつもりは欠片もない。

私は、貴女を、テメレール公が誤解している此の世全てを「わからせる」必要があるのだ。

私を止めようとするアレクサンドラ殿を、言葉ではなく腕にて弾き飛ばす。


「アレクサンドラ殿! どかれよ!!」


さて、説得の時間だ。

私はテメレール公に対し向き直り、グレートソードをぶん、と音を鳴らして片手にて振り下ろし。

地面に叩きつけて、それを手放した。

もはや武器は必要なかった。

論戦の時間である。

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