第142話 ヴァルハラより来たりて

このシャルロット・ル・テメレール公は決して弱者なのではなく。

むしろ、明確な強者であるのだ。

その自覚だけはいつも揺らいでいない。

あのレッケンベルに縋りつくことが出来た。

甲冑に傷をつけることが出来た、何十合と剣戟を重ねることが出来た。

あれからも努力を重ねた。

レッケンベルが死んでからも、その死すら疑って努力を続けた。

その事実だけが私を支えている。


「何もかもが終わったら、もう一度一騎打ちをしましょうか。戦場ではない、何かを掛けた勝負でもない。どちらが強いかだけを証明するための勝負を」


そう約束をしていた。

そのような約束をレッケンベルとしていたのだ。

すでに彼女は儚くなってしまったが。


「テメレールが言う、その遊牧騎馬民族国家とやらを打ち破った後ならば。ちょうど私も貴女も若いとは言えぬだろうが、騎士としての技量は最高に達する。良い勝負になるでしょうね」


『モンゴル』という国号を称するようになった、あの国を破った暁には、そうするつもりであった。

だから、ずっと努力をしてきた。

ゆえに、目の前の化物に抗うことが出来ている。

そして。

ただ、それだけだ。

手槍も同様の長さのレイピアを振り回し、ひたすらに剣戟を行う。

我が武器は、莫大な金と労力を投じた緻密な魔術刻印にて成立するゲテモノ武器で。

ポリドロ卿が繰り出すグレートソードによる質量と速度、その威力に耐えきることができた。

そうだ、武器は悪くない。

私の技量とて劣らぬ。

ゆえに、剣戟はなんとか成立している。

そして。

そして、それだけと言えた。

私はずっと考えていたことがある。


『何故、あのレッケンベルが負けたのか?』


誰もが抱く難問について。

その解明を私は果たしつつある。

推測はできていた。

私は本日この場にてポリドロ卿が眼前に現れたことにより、レッケンベルの死を受け入れて。

ヴィレンドルフの騎士どもが延々と語り継ぐ、歴史にすら残るであろう英傑譚を聞き入れて。

結論は、誰もが理解しているただ一つ。

持久力が、決闘における粘りが足りなかった。

レッケンベル卿は年老いているがゆえに、若きポリドロ卿には勝てないという結論である。

ヴィレンドルフの騎士どもはどうしても「全盛期のレッケンベル」であるならば、ポリドロ卿にすら負けなかったという、不愉快な理由付けをした。

阿呆どもが!

そのような身勝手を貴様らが唱えて良い道理はあるまい。

レッケンベルに粘りが、鍛錬の練りが足りないなどあるものか。

お前らはレッケンベルと戦場にて五回も殺し合ったことなどないだろうから、理解できぬのだ!

私だけが、私だけが理解しているのだ。

レッケンベルに何か「足らぬ」などこの世に在りはしない。

望月の欠けたることなど、何一つとして無いのだ。

どうしても、どうしても何か負けた理由があるとすれば。

レッケンベルに何かが不足しているのではなくて、それ以上の何かがポリドロ卿を最強の英傑たらしめた。


「偶然の勝ちと言うことは出来れど、私を侮ったから負けたのだ、相手が失敗をしたゆえに勝てたのだなどと、レッケンベル卿を少しでも侮辱するようなことを言うつもりは無い」


それがポリドロ卿が為した、堡塁前にて私に告げた回答である。

何がポリドロ卿に充足していたのか。

多分、それは、不愉快な事にヴィレンドルフ騎士どもが為した結論とは。

レッケンベルが不足していた、ポリドロ卿が充足していた、その見解は違えども。

内容としては変わりない。


「嗚呼」


重ねた剣合は三桁を超えたか。

剣先を重ね、剣刃を重ね、力で押し切ろうとして。

それ自体は互角であると両者が認識し、また相打ち合って、理解しつつある。

このままでは、テメレールが負け、ポリドロ卿が勝つ。

立会人であるアレクサンドラ卿や客将ユエ殿も、強力な超人であれば理解しているであろう。

息を切らし、ぜいぜいと喉を鳴らし、唾を呑む。

私は叫んだ。


「何故お前は疲れない!」


疲労しないのだ。

代わりに、時折不思議な呼吸音がしている。

息吹とでも呼ぼうか。

私の狂える猪の騎士団の一員たるサムライが使う、特殊な呼吸法を行っているのだ。

一撃を放った後に大きく息を吸い込み、呼吸を整える。

ぞっと言う音とともに、巨躯の大きな肺が息を吸い込み、吐き出す。

それだけの単調なる人体の奏で。

このテメレールの耳はそれを認識している。

ポリドロ卿が、静かに答えた。


「知らぬ」


返事こそすれど、つれない回答である。


「昔から、こうなのだ。我が母が、私に騎士としての教練を施しながらにして。ある日、数時間の教練の上で私の様子に気づいた。私は自分の体力が無いゆえに、子供の無尽蔵の体力に追いつけぬとばかり考えていたと」


ポリドロ卿の母、アンハルトでは気狂いマリアンヌとして蔑まれども、ヴィレンドルフでは我が子のために全ての名誉を擲った。

アンハルトのモヤシどもには何一つ理解できなかった、真の騎士であるとすら謡われるマリアンヌの事。


「だが、どうやら違うようだ。我が愛息は生まれながらにして、特殊な呼吸と、それを受け入れる身体を持っている。我が息子ファウストは超人としての体躯と、筋力と、肉体の跳ねに加えて。どう尽くしても有り余る体力を持っていると」


そう私の母は、私に教えてくれたのだ。

そのようにポリドロ卿は告げた。

ああ、そうか。

私はふざけるな!という怒りと同時に、不思議な納得を受け入れてしまった。

ならば、どうあがいてもレッケンベルとて勝てぬ。

いくら殴り合っても、鎧を切り裂いて血の雫を零しても。

戦闘中に盛り上がった肉が傷を塞ぎ、一つ息を吸い入れただけで体力を回復させる。

我が狂える猪の騎士団における、勘当者が加えた骨のヒビすら短い時間に回復しておる。

そのような化け物に誰が勝てるのか。


「レッケンベルよ。私はお前と同じ魔境を味わおうとしている」


彼女が抱いた苦境を、私は認識する。

賦活する。

何度でも、何度でも、ファウストは賦活する。

生き返るのだ。

息を吸う事で、肺に空気を取り入れ、その全てを吐き出すだけの仕草で。

ファウストは生き返るのだ。

常人なれば気が狂って抵抗できぬほどの、痛みに抗うことができた。

それだけで、全力で剣を振り回すことができるのだ。

そうして、私のように。

そうだ、この私、テメレールがレッケンベルとの一騎打ちにて学んでいったように学習する。

必死に眼前にて得た情報全てをかき集め、最高峰の武人としての技量を以て完成していく。

相手が何をしたかったか、その間合いがどれくらいか、武器に加えられた威力はどれほどのものか、相手が成し得る全力がどの程度か、次の手段は何なのか。

何もかもを少しづつ、一合ずつに把握して、それを学習している。

ふざけるな。

そんな出鱈目な存在があったものかと思う。

いくら訓練したと言え、人が本気も本気の全力で動ける時間などどれだけであろうか?

3分動ければ上等な兵士だ。

5分動ければ素晴らしい騎士だ。

10分動けたならば超人だ。

15分を超えたならば、もはや特別に武に秀でた超人と言えるだろう。

30分を超えたなら、それすらも超えたなら、それはもはや。

――レッケンベルぐらいしか、この世にいないとすら思えた。

だが、いるのだ。

しかし、いるのだ。

眼前に、ファウスト・フォン・ポリドロという化物が存在する。

呼吸を繰り返すだけで、永久無限に、それこそ空腹で倒れるまで、飢えて死ぬまで動き続ける化物が存在するのだ。

何度で諦めた?

レッケンベルは何度目で諦めたのか?

ファウストとレッケンベルの結末を、このテメレールは知っていた。

何故レッケンベルが負けたのかを知っていたのだ。

数百合。

どこまでもどこまでも続くお互いが全力を振り絞った近接剣術戦を、誰もが見守っていたのだ。

敵も、味方も。

誰もが口を開け、眼前の不思議を受け止めたのだ。

誰も彼もが、どちらが勝つのかすらわからないまま、このままではレッケンベルが勝つであろうと。

手数はレッケンベルが多く、血を流した数はファウストが多く、消耗戦になればファウストが負けると。

そのような考えに至る。

そんな英傑譚を、吟遊詩人から何度も、何度も。

動揺を配下に隠し、誰にも判らぬように何度も聞いたのだ。

そして私は狂った。

色に溺れて手を抜いて死んだ。

あのアンハルト第一王女の卑劣な罠にかかり、数百人の重装甲騎兵にたった一人で挑んで死んだ。

実はこっそり生きていて、私を騙そうとしているのではないか。

そう自分を騙すことにした。

私は、ようやく死に物狂いのファウスト・フォン・ポリドロを眼前にすることで正気に返った。

お前が死んだ理由は、レッケンベルが死んだ理由は。

もはや明確となった。


「お前はヴァルハラより訪れたのか?」


ヴァルハラの戦士。

殺しても翌日蘇る猪のセーフリームニルの肉を食べ、ヤギのヘイズルーンの乳で作った酒を楽しみ、翌朝になれば再び殺し合う。

傷などその場で回復してしまい、死ぬことなどなく、無限永遠に殺し合いを楽しむことのできる。

そのような存在。

クラウディア・フォン・レッケンベルが悪魔の子であるならば。

ファウスト・フォン・ポリドロはヴァルハラの恩寵を受けて産まれたのだ。

そのような存在であると、もはや受け止めざるを得なかった。


「レッケンベルは途中で諦めたのか?」


レッケンベルは、首を刎ねられたと聞いている。

笑っていたと聞く。

その死顔は、いつもの細目で、顔は微笑を浮かべていた。

見苦しい仕草など、眼前の敵を恨んだ仕草など、一つとしてなかったのだ。

完全に死を悟った顔をしていたのだと聞く。

その首は花に包まれて、ヴィレンドルフ女王カタリナの元へと送り届けられたのだ。

私は結末を知っている。

同時に、その結末を嘘だと思っていた。

信じたくなどなかった。

貴様が死んだなどと思いたくもなかった。

だが。

理解している、何もかも事実なのだ。


「一呼吸するだけで賦活するファウストを眼前に、お前は何百回で諦めたのか?」


私は、レッケンベルの事を、何百合と刃を交わしたレッケンベルの事を考えている。

ずっと考えている。

レッケンベルが踏んでしまった轍を乗り越えるには、一手しかあるまい。

私との立ち合いにおいて、私の全ての技術を理解し終える前のポリドロ卿。

それがゆえに、レッケンベル相手に使おうと思っていた一つの技術がある。


「喰らえ」


地虫の構えをとる。

レイピアを下にやり、剣刃に手を添え、勢いづけて床の石畳すら切り裂く。

下からの籠手斬り。

ポリドロ卿が片手に握る武器を奪い、一方的に追いやることで得られる勝ち目。


「くたばれ、疫病神」


完璧に入った。

籠手斬りが完璧に入り、ポリドロ卿はグレートソードを手から取り落とした。

これで、勝ちの目が見えた。

私が、このテメレールが、レッケンベルすら撃ち破った相手に勝つのだ。

一瞬だけ。

一瞬だけ、私は達成感に満たされたが。


「そのパターンは、我が母上マリアンヌとの鍛錬により習得している」


無慈悲な言葉が、私の頭から降り注いだ。

取り落としたグレートソードを、ポリドロ卿は頭上に鉄靴で蹴り飛ばした。

私はそれに辛うじて反応し、かわしこそしたものの。

次の一撃には。


「殺撃」


頭上に蹴飛ばされた剣を、ポリドロ卿が両手にて握った。

握ったのは柄ではなく、剣先である。

甲冑に覆われた鉄拳にて、力強くグレートソードの刃を握りしめた。

混戦でたまに見られる、騎士の剣術である。

剣の刃ではなく、遠心力を抱えた頑丈なる剣の柄にて相手の鎧ごと叩き潰す剣術。

ハルバードやルッツェンハンマーが流行した昨今では、容易にみられぬもの。

その技法をポリドロ卿は習得している。

足元に零れた剣を頭上まで蹴飛ばし、その剣先を握り、その柄を相手の頭上に向かって振り落とすまでの作業を。

ポリドロ卿は狂ったような修練の元に、一つの技術として習得している。


「渦巻」


嗚呼、それは我が狂える猪の騎士団におけるサムライの技である。

彼女が主家にて狂った功績によりようやく与えられた、狂った修練の元に結実する秘奥義である。

それをポリドロ卿が為そうとしている。

何もかもが、虚しくなりつつあった。

私は強者だと思っていた。

せめて、レッケンベルに次ぐ二番目だと思っていた。

だが、その儚い望みすら叶いそうになかった。

私はおそらく、この世においては三番目ですらないのであろう。

であれば。

なれども。

それでも、私は諦めないのだ。


「やれ」


私はその一撃を受け止めきれぬことを理解し、それゆえに捨て台詞を吐いた。

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