第141話 謝罪と決意

全身が脱力し、何処か寂しげな表情で、私を見つめるテメレール公。

それはまるで、憑き物が落ちたかのように見えるのだ。

はて――彼女の部下である「忠義者」の話を聞く限りでは、躁鬱病ではないかと考えていたのだが。

はっきりと私と視線を重ねるテメレール公の視点は定まっており、どう見ても正気の目である。

もちろん会話してみなければ、はっきりとはわからぬのだが。


「ファウスト・フォン・ポリドロ卿」


私の名を、テメレール公が口に出した。


「まずは、お見事と言わせていただきたい。我が狂える猪の騎士団における六超人をよくぞ打ち破った。褒めるというには大上段かも知れぬが、純粋な騎士としての敬意を述べさせていただく」

「……貴女の称賛、有り難く受け取ります」


誰だお前?

思わず、そんな感想を表情に浮かべてしまう。

アナスタシア様のパートナーとして、夜会において柔らかい声で私を褒めたたえてくれた彼女ではなく。

さりとて、堡塁前にてレッケンベルを打ち破ったなどと僭称した醜い男騎士めと激昂していた彼女でもない。

私が相対しているのは、どちらでもない一人の騎士であった。


「また――貴方が、ポリドロ卿が、レッケンベル卿を一騎打ちにて見事打ち破ったこと。これを私は認めよう。今までの誤解を訂正したい。そして、私はポリドロ卿に謝罪しなければならない。私の配下の忠義者、そのパートナーが夜会にて貴卿を侮辱したこと。その責の全ては、彼女の寄親にして夜会の主催者であるこのテメレールに帰結する」

「テメレール公」

「全ては私の不明のいたすところであった。申し訳なかった、ポリドロ卿」


テメレール公が、素直に謝意を述べて頭を下げた。

本来ならば、これだけで済む話であった。

そして、私としてはもうこれだけで良いと思ってはいるのだが。


「以上は私の本音である。ポリドロ卿が我が堡塁前で為した『砲弾返し』に対すること。私の『狂える猪の騎士団』を破った事。全てに対する、陰りの無い本心であるのだ。それはお疑いなきように」


もはや、そういう話ではない。

私とテメレール公は今から決闘をするのだ。


「さて、ヴィレンドルフ客将ユエ殿、それにアンハルト選帝侯――第一王女親衛隊かな? それとも、もはや女王親衛隊の隊長とお呼びすべきか? アレクサンドラ卿よ」

「選帝侯継承式が行われるまでは、一応まだ……」

「そうか。此度の事、誠に申し訳ない。お二人にも迷惑をかけた。いらぬかもしれぬが、御二人にも礼金を支払うことにしよう。貴女方には立会人として、最後まで見届けて頂けねばならぬゆえに」


私が謝意を受け入れて終わり。

すでにそれだけで済む話ではないし、何よりもテメレール公がそれで終わらせるつもりがない。

私が止めようと言ったところで、もう聞かぬであろう。


「そうだな。そうだ。おい、そこの兵士。忠義者によくよく言っておけ。これは私が約束したことだ。この勝負で何があろうが、どうなろうが、約束は最後まで守るようにと。私はヴィレンドルフの流儀自体は嫌いではないのだ。一度約束したなら、最後まで遵守するべきなのだ。あのレッケンベルに育てられたくせに、アイツが死ぬまで、その愛情を理解できなかった出来損ないのカタリナ女王などは本当に大嫌いであるが」


一種の殉教者のような顔をしている、テメレール公にはもはや何の言葉も通用しない。

それぐらいは、このファウストにも理解できる。


「そう。それぐらいだ。それぐらいが心残りよ。後は勝手に誰もが望み望むがままに命数を果たせばよい。死んだら負けだが、死にさえしなければ、その者の物語は続くであろうさ」


テメレール公は、私に負けるかもしれないという認識がある。

それは言動で理解できる。

そして。


「私は私の騎士物語を完遂するのだ。これは私の物語だ。もう誰にも邪魔はさせぬ」


同時に、雑念を捨て去る儀礼を行っているのだ。

秩序ある完遂に至った重装甲騎兵が、敵兵の槍の穂先をへし折りながらに突撃するように、それで死んでしまっても構わないと。

勝利のための儀式を、私の目の前で消化しているのだ。

そうして、全ての儀式を終えてしまったテメレール公は私に尋ねる。


「さて、私が言いたいことは全て言い終えた。何か貴卿も言いたいことは?」

「……聞きたいことは山ほどに。なれど、それは勝負を終えてからでもよいのですが」


アナスタシア様やアスターテ公爵、それにカタリナ女王が聞き出したいこと。

このファウストとしても知っておきたい、遊牧騎馬民族国家に関する全て。

それについては後でも良かった。

どうしても、先んじて聞きたいことがあるとすれば。


「三つ、お聞きしたい」


率直に述べる。


「尋ねよ」


テメレール公もまた、短く答えた。


「一つ、レッケンベル卿は貴女にとって何であったのか?」

「この世で最も憎たらしく、誰よりも強く、おそらくは今もヴァルハラにて私とお前の決闘を見守っているであろう神聖グステン帝国史上最強の英傑よ」


それは紛れの無い言葉なのだろう。

テメレール公は、視線一つそらさずに答えた。


「二つ、レッケンベル卿の情報源は貴女であったのか?」

「……答えよう。遊牧騎馬民族国家の情報を伝えたというならば、その通りである。おそらく、貴卿はレッケンベルが最初に彼の国の脅威に気づいたなどと誤解しているかもしれぬが、それは違う。私がフェイロン王朝と交易を行っていたことから最初に気づき、それをレッケンベルに相談したのだ。それ以上の詳しいことが知りたければ、私に勝利して見せよ」


テメレール公は、私の下手糞な質問に少し躊躇った後。

何が聞きたいのかを嚙み砕いての返事が為された。

これ以上の情報はくれないだろう。

頭をがりがりと掻き、最後の質問を行う。


「三つ、貴女の部下が、忠義者が心配している。ある言葉を耳にしたといっている。『全ての情報を聞き終えた後は、お前も私を裏切るのか?』と。どういう意味であるのか」

「……余計な事を」


眉を潜めながら、彼女は少しだけ困った顔を見せて。

それでいて、もはやどうでもよいことだと。

おそらくは元来の性根であろう鷹揚さを見せ、少しだけ笑っていった。


「裏切者がいたんだ。ああ、この神聖グステン帝国に裏切者がいるのさ。皆が、誰もが、自分の大切な物のためならば、国を潰すぐらい何とも思っていないのさ。それは仕方ないことかもしれない。自分の故郷のため、自分の愛する者のため、恩寵のため。レッケンベルに渡された『バラのはながら』しか持っていないランツクネヒトならばそれも仕方ないと言えるさ。何も持たぬ哀れな者達が、目の前の金貨に目が眩んでも私は許されるべきだと考えている。それを責める方が筋違いなんだ。だがなあ。絶対に裏切ってはならない立場の者だって――嗚呼。良いだろう。そうだな。私が悪かった」


何かを糾弾するでもなく。

何かを馬鹿にするでもなく。

どうも、少しだけ寂し気な、ハスキーボイスの掠れた声が響いた。


「忠義者が、私の愛する犬どもが私を裏切るわけないのに。なんであんなこと言っちゃったんだろうな。この勝負が終われば、彼女にも謝ることにするよ。それでよいか」

「よろしいかと」


貴女の配下たちも報われるでしょう。

私にテメレール公を殺傷するつもりは最初からない。

いくらでも取り返すことはできよう。

そのように述べる。


「そうか」


テメレール公は、それに静かに返事をした。

だが。


「侮辱するなよ。ポリドロ卿」


どうも、会話の選択肢を間違えたようだ。

多分、今の言葉は言うべきではなかった。


「私はお前を殺す気はない。お前も私を殺す気はない。それはそれ、これはこれだ。どちらが死んでしまっても仕方ない。当たり所が悪く死んでしまっても仕方ない。決闘とはそのような覚悟で臨むべきなのだ。私を侮辱するんじゃない」


兜をまだ被っていないテメレール公は、酷く悲しそうな顔をしている。


「レッケンベル卿は。レッケンベルは。私と五回戦って、何一つ手など抜いてくれなかった。どの一撃も、私の物語を終わらせてしまいかねない強烈な一撃であったぞ。お前は私の決闘に手を抜くつもりなのか? 殺してしまっては拙いからと、手加減するつもりなのか?」


瞳の色が、少しづつ濁りつつある。

それは正気の目であると判断した先ほどと違い、視点定まりかねる表情で。


「私は侮辱されるのが嫌なんだ。レッケンベルより上がいるなどと断じて認めぬ。認めるものか。お前がアイツに勝ったところで、お前はレッケンベルの代わりにはならん。何の意味があるんだ。お前がレッケンベルに勝ったところで、何の意味があったんだ」


激昂と発狂を重ねた、狂える猪としてのテメレール公の顔が現れつつあった。


「一度、堡塁前でも言ってやったな。お前は、男ながらにして一騎当千に値する騎士なのだろう。でも、それだけじゃないか! レッケンベルじゃないんだ! 私のように死に物狂いでやってるわけじゃないんだ! この帝国で何が起こっているのか、お前は知りもしないだろうさ」


テメレール公が、狂気に至った表情で叫んでいる。


「私はお前の事を知っているぞ。知っているんだ。レッケンベルを誰が殺したのか必死に調べたから知ってるんだ。お前の英傑譚が帝都に流れ着く前から、何もかもを調べ上げたんだ。ヴィレンドルフで99人の騎士を打ち破ったこと。アンハルトでゲッシュを誓ったこと。何もかもを知っている。知っているんだ。その上で言ってやろう。お前は何も理解してないんだ。何もわかっちゃいないんだ。お前がレッケンベルを殺したことが、その罪がどれほどに深いものなのか!!」


その超人としての握力から、甲冑に覆われた鉄拳が軋みを挙げている。

狂える猪、猪突公という毀誉褒貶ある称号を持っているシャルロット・ル・テメレール公は。


「お前は何もわかっちゃいないんだ。かかってこい、ファウスト・フォン・ポリドロ卿。お前なんか産まれてくるべきじゃなかった。くたばりやがれ疫病神」


ありとあらゆる憎悪を超えた瞳と声で、ただ私を罵った。

私は、兜を被るように彼女に促した後。

静かに、私の存在意義を呟いた。


「私は母の名誉、領地のため、その全てを誇るために、この世界に産まれ落ちた」


その誇りに揺らぎなど欠片もなかった。


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