第140話 浅い夢

四回目の一騎打ちは酷かった。

とにかく酷かった。

我ら「狂える猪の騎士団」三十余名は、もはや三騎を残すのみである。

事情をある程度理解している忠義者が必死で挑み、何一つ事情を知らされていない日陰者が死に物狂いで挑み、そして茶番劇であることを理解している私は殺されかけた。

何一つ、全然、レッケンベルの奴は手加減しなかった。

命を保証すると約束したのに、何の心配りも見られぬ。

きっと良心と道徳が働いていないのだと思う。


「カーッカッカッカ!!」


酷く上擦った悪魔の声。

から笑う孤島の怪物――まるでミノタウロスもかくやという化け物、人面獣心の外道、糸目からは瞳の色すら把握することができない、ヴィレンドルフという蛮族の結晶。

クラウディア・フォン・レッケンベルには数か所の甲冑傷しか付けることが出来ず、また敗れた。

勝ち目など無いことは最初からわかっていた。

わかっているけど、私の部下が人質に囚われている。

挑まざるを得なかったのだ。

逃げる際に、忠義者が捕らえられてしまう。

私はというと、何も事情をわかっていない日陰者に死に物狂いで掴まれて――なんとかレッケンベルから逃げおおせた。


「忠義者すら失ってしまった」


どうしよう。

何もすることができない。

というのも、私は基本的に配下に仕事を任せている。

私とて高等教育は受けているので内政はある程度ならできるし、戦場においては空気や戦況の把握さえ俯瞰的な視点を持つことが出来た。

だが、細かい仕事といえば官僚任せになってしまうし、内政を担当する文官と言えば全て領地に置いてきてしまっている。

そして戦場の細かい指揮系統においては基本、忠義者任せとなってしまっていた。

万軍を指揮するとなれば、諸兵科を運用するとなれば、そうそうの人間には任せられぬ。

我がテメレール軍の欠陥の一つである。


「だが、私は動けぬ」


全身がズタボロになっており、身体の腫れや痛みはもちろんのこと、今後の人生に関わる致命的な障害が出ていないのが不思議なくらいであった。

裕福な資金から捻出した、田舎の城程度なら領地ごと買えるぐらいの費用から拵えた甲冑が身を守ってくれたのだ。


「唯一、日陰者が残っておるが、戦場以外では役に立たぬ」


日陰者――とある国にあった王朝の末裔は、ある程度の教育を受けているものの、指揮官や貴族教育を受けているわけではない。

そもそも異邦人である。

自分の命の恩人を貶すつもりはないが、私の代理が務まるかというと出来ぬ。

ゆえに私を覆う毛布の上は、連絡不備により生じた手紙で埋め尽くされている

これは別に私の安否を気遣っての手紙ではない。

それならば水晶玉による通信で済ませればよく、要は手紙という都合の良い形式に頼った一方的な連絡なのだ。

いくつかを開封する。


「もうレッケンベルから逃げることにします。これ以上は持ちませぬ。ごめんなさい。前線指揮官より」

「先払いの契約金だけで結構。後金はいらぬので、もう帰らせていただきます。もう無理。傭兵団より」

「軍役で契約した動員日数が過ぎたので、領地に帰らせていただく。お許しください。地方領主より」


全てが、もうこの戦場から撤退する――いや、しましたという報告である。

この戦は明らかに誰の目から見ても負け戦である。

戦略で負け、戦術で負け、モラール(士気)で負け、それ以上に最高指揮官同士の一騎打ちにて四回負けているのがどうしようもない。

もう何一つ勝ち目がなかった。

この戦争を経験した全ての人間の記録からは、このテメレールはどうしようもない猪騎士の阿呆と看做されてしまうであろう。

それは違うと言いたい、もう止めたいけどやめさせてくれないんだと弁明したいが。

そもそも相手が人間などではなく、超人の枠をはみ出た悪魔と知らずに挑んだのが間違いであった。

やはり、このテメレールが全て悪いのだ。

謝って許されるならば貴族の面子を投げ捨てても、そうしたい気分であった。


「故郷に帰りたい」


テメレール領に帰りたかった。

でも、帰れない。

部下や兵を見捨てて故郷に帰ることなどできないのだ。

両手で顔を覆う。

涙すら流れそうであったが、なんとかこらえる。

状況の全把握のため、再び手紙の束に手を伸ばす。

ヴィレンドルフの封蝋印が押された手紙である。

差出人はわかっているのだ。

――クラウディア・フォン・レッケンベル。

手紙の形式は公式なものではなく、手近な友人に宛てたような私信に近いものである。

声に出して読み上げた。


「最近は如何お過ごしでしょうか。お怪我などはされていませんでしょうか? 貴女の姿が戦場で見受けられず心配しております」


お前に殺されかけたから寝込んでいるのだが。


「挨拶はここまでとし、私情を申し上げます。英明と知られるテメレール卿であるならば、ある程度は御承知でしょう。思えば、現状を見れば私の力量不足を恥じるのみであります。前々から考えていた通り、兵隊の現地徴収策たる『ランツクネヒト計画』は上手くいきました。強制徴兵ではなく、志願制にすることで士気や練度を高める工夫。行き先の無い農民の三女四女を雇用してトラブルを防ぐ工夫。既存の概念を打ち破る新時代の風を呼び込むことが出来たと考えております。そこまではよかった。ですが、どうにも勝ち過ぎた。私とランツクネヒトは勝ち過ぎた」


そうだな、お前は勝ち過ぎた。

ヴィレンドルフから帝都までの道程にて、今は七つ刻みにされて死んだ皇帝の僭称者側に立った全ての城を焼き、騎士をぶちのめして財産を奪った。

そうやってランツクネヒトの武装を整え、掠奪物を売り払うことで酒保商人の懐を潤し、その酒保商人の一部から上前をはねる事で、お前は行軍資金を稼いだのだ。

お前に立ち塞がるものは全て餌でしかなく、また敵になるものなど一人もおらぬ。

『レッケンベルの騎行』と後日語られることになるそれを理解していながら、私は挑んでしまった。


「思えば、ランツクネヒトも哀れであります。彼女たちは私に『バラのはながら』を渡された者ども。枯れてしまっている価値の低い花を、価値あるものと信じ込んでしまったものたち。哀れなる農民出の無教養な、土地も財産も持たぬ者に過ぎませぬ。尊厳や権利を踏みにじられてきた者たちに、全ての戦における圧倒的な勝利と掠奪という初めて口にする甘い果実を与えてしまったならば、もはや誰一人止まらぬのも道理でした」


私も愚かだが、それならレッケンベルも大概である。

レッケンベルは確かに神聖グステン帝国最強の超人であり、戦場においては最強である。

頭も回れば教養もあり、人の気持ちも十二分に掴むことができるカリスマであった。

そして、だから。


「彼女たちはより多くの金貨を、今後の生活を保障する何かを、市民と言われる権利や、一部の指揮官は貴族の地位すら望んでいる。私とて、彼女たちの今後を何一つ考えなかったわけではありません。勝利した報酬として、皇帝の地位を取り戻した陛下に、そして次代のマキシーン王女殿下にランツクネヒトを今後継続雇用して給金を捻出するよう要請するつもりでした。ですが、そのような未来では足りないと彼女たちは望んでしまっている。私が渡した『バラのはながら』に固執して、この花を咲かせて見せようなどと夢見てしまっている。帝都ウィンドボナへの侵攻に成功し、勝利さえすれば、このクラウディア・フォン・レッケンベルが皇帝陛下になれるなどと言う何の根拠もない荒唐無稽な夢を見ているのです。もはや私では止められない」


本当に哀れな者たちの心が理解できなかったのだ。

クラウディア・フォン・レッケンベルは採用したランツクネヒト全ての兵に一人一人優しく語り掛け、歓迎したと聞く。

お前にとっては万を超える軍の一人にすぎないかもしれないが、兵士にとってはお前しかこの世で縋りつく者がおらぬ。

現皇帝陛下の名前すらも、彼女たちは知らぬのだ。

どうなるかなど目に見えている。

――だが、結果論にすぎん。


「五回目の一騎打ちを提案します。これが最後です。貴女の部下たちは全て生きているし、身代金を勝ち取るためであると周囲に伝え、信頼するヴィレンドルフの騎士たちに保護させています。テメレール公、お許し有れ。全てを上手く落着させるために、帝都市民の虐殺を防ぐために、最後の一騎打ちを望む。ここさえ乗り切れば、後は囚われのマキシーン王女殿下がなんとかする手筈となっています」


レッケンベルは皇帝陛下になりたくないし、泥縄的簒奪を行うことが出来たとしても結果は見えている。

もはやヴィレンドルフという故郷には帰れず、彼女が育てているカタリナ王女の立場も保証されない。

私とて、もうテメレール領に帰りたい!

これほど故郷の地を踏むことを望んだことが、今までの人生であろうか!!


「テメレール公、お助けを」


このような手紙無視したいが、レッケンベルが怖い。

私がこの手紙を無視したが最後、時間稼ぎのために私の部下を一人一人ランツクネヒトに処刑させるくらいのことはしかねない。

誇り高い騎士であろうが、目の前の破滅を防ぐためには、えげつない手段に出ることが彼女にはできた。


「日陰者! 私の甲冑を用意しろ!!」


私は全身ボロボロの姿で立ち上がった。

最後の戦いだ。

誰もが指さして笑い、殆どの人間が背景を理解すらせぬ五回目の一騎打ち。

私はそこで人生全てを懸けて辿り着いた武芸の極みを見せ、自分がやはり他の凡百の超人どもではたどり着けない境地にあることを自覚し。

――同時に、私は騎士物語の主人公などではないことも理解してしまった。

私は、レッケンベルという主人公に立ち塞がる、ただの間抜けで何か勘違いをしてしまった悪役の類でしかなかったのだ。

数十合の剣戟を行い、何一つ手加減などせぬレッケンベルに私は敗れ、捕らえられた。

日陰者が私を今までのように連れ去ろうとして、失敗した。

何も知らぬ無邪気なランツクネヒトどもが指をさして笑っている。

全てがどうでもよい。

私は敗れた。

徹底的に負けたのだ。

もはや皇帝となる夢すらもどうでもよいとすら思えた。

だが、私のシャルロット・ル・テメレールとしての人生はまだ終わらぬ。

今は、ヴィレンドルフ選帝侯の屋敷にて捕らえられている。

身体の数か所が骨折し、寝台に寝転がっているだけの私に声がかかった。


「こんにちは、友達。ご機嫌いかが? 政治劇の後始末がやっと片付きましたよ」


糸目の悪魔、レッケンベルが微笑んで立っている。

酷く白々しい言葉を口にしている。

お前なんか友達じゃねえよ馬鹿死ね。

どんな狂った思考回路持ってたらそんな言葉吐けるんだ。

くたばれ悪魔め。

思わず罵りの声をあげそうになるが、無意味な抵抗である。

完膚なきまでに負けた以上は、従うしかなかった。


「私は敗者である。もう心も折れた。身代金をとるなり、私を殺すなり好きにせよ。なれど、部下だけは解放してやってくれないだろうか? それぐらいは私だって働いたであろう?」


間抜けな悪役とて、部下を哀れに思うぐらいの情はあった。

私はもう別によいが、彼女たちは助けてやりたい。


「いえ、貴女には借りができたと私などは思っています。このまま貴女も、貴女の部下全員も解放することとしましょう。どうもご迷惑をおかけしました」


レッケンベルの瞳はやはり見えず、何を考えているのかよくわからないが。

領地に帰れるなら、それでよい。


「なんと申しますか、テメレール公には本当に申し訳ないことをしたと思っているのですが。ですが、最初に貴女が襲い掛かってきたわけですし、まあ私が一方的に謝るのも変だと考えております。最終的には皇帝陛下にお願いしてランツクネヒトにも食い扶持を残したわけですし、私どこから見ても悪くないですよね? 死後は聖人として崇められるようなことを成し遂げましたよね?」


あれだけ無茶苦茶した上に、戦場では茶番ですら手を抜かない気狂いが何をほざいているのか。

お前は死後ヴァルハラに行くか、生まれ故郷である地獄に悪魔として再臨するかの二択しかない。

お前が正義なのは、誰よりも狂ったように強いからだ。

そして、強さは何にも代えがたい正義という証明である。

敗北は何よりも邪悪である。

なれば正しいのはレッケンベルで、悪いのはテメレール。

そうなってしまう。

もはや、これ以上は会話したくないのだが。

どうもこのレッケンベルは突っ込みを入れざるを得ないようなことを平気で口にする。


「今回の事って日記に書いても良いですかね」

「馬鹿だろお前。何一つ記録に残すな」


こんなもん歴史に残したら、帝国歴史上でも極めつけ強力なアホと哀れな弱者しかいない時代だったと後世で馬鹿にされるわ。

私の名などは、ありとあらゆる騎士物語で罵られ嘲笑われる仕打ちをうけるだろう。


「テメレール公を五回も見た! 五回も来た! 五回も勝った! とでも書いておけ」


それでよい。

私が敗れた事自体は事実なのであるから。

さて、しばらく動けぬが、どうしようか。

私の言葉を聞いて『愛するカタリナに贈る私の日記帳』などと表紙に書かれた本に、早速私が言った言葉を書いているレッケンベル。

本気で頭がイカれている彼女を見つめている私。

それから、それからだ。

騎士物語の主人公たるレッケンベルと、それに巻き込まれた間抜けな悪役たる私の静かな交流が始まったのは。

あの2年前までの5年もの間、私と彼女の友誼は静かに続いていたのだ。

何も知らぬカタリナ女王などは、私を見逃した代わりに、レッケンベルへの生涯の情報提供を約束したなどと勘違いしていたようだが。

年に数百回もの文通を重ねているようであれば、そのような勘違いもしようか。

まあ、よい。

何を勘違いしようが、どう誤解されようが、どうでもよい。

レッケンベルはもうどこにもいない。

だから、『私がやるしかないんだ』。

もう私しかいないんだ。

騎士物語の主人公が死んでしまったところで、間抜けな悪役の物語は別個として存在している。

私の物語は続いてしまっている。

お前がちゃんと私を殺さなかったから、私の物語は続いてしまっているんだ!!

だが、時々思うんだ。


「本当に死んだのか。嘘をついているんじゃないのか。レッケンベルの事だから、また何か変な策を考えてるんじゃないのか。私を騙そうとしてるんじゃないのか」


死ぬわけがない。

あの悪魔が死ぬわけないんだ。

私はあの悪魔の死に顔一つ拝んでないのに、それを信じろというのか?

そのような不信をずっと抱いている。

抱き続けることが出来たんだ!

目の前に。


「失礼。テメレール公、遅くなってしまいました」


堡塁前にて大砲を打ち返し。

レッケンベルと同じように我が配下の全てをなぎ倒し。

あのレッケンベルと同じように、どこか惚けた雰囲気を見せるポリドロ卿が眼前に現れるまでは。

私は、ずっとレッケンベルの生存を信じていたのに!

浅い夢がついに醒めてしまった。


「ファウスト・フォン・ポリドロ卿」


お前が、レッケンベルを殺した。

くたばれ、疫病神が。

私は小さく呟き捨てて、少しだけ泣きそうになった。

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