第136話 日陰者
敗北者はポリドロ卿による十三撃目にして、壁に叩きつけられて倒れ伏した。
気絶したようだが、致命の一撃ではない。
ポリドロ卿は一瞥すらせずに歩き出した。
別に認識する価値もない相手と看做したわけではない。
「強いな」
ポツリと、そう呟いた。
先ほど初めてポリドロ卿の連撃に付き合うことができた敗北者だけが、ではない。
意図は理解しているが――
「あっさり勝利しているように見受けられますが」
「実力差はあります。なれど、我が全身全霊の一撃を受けても、誰一人砕けて死ぬことは無かった」
ポリドロ卿は、全身全霊にて暴力を振るっている。
その暴力にて相手が硝子のように砕け散る結果は見えてこない。
だが私は、このアレクサンドラには、このような実力を発揮されたことはない。
「ポリドロ卿、私との模擬戦闘では本気を出されていなかったのですか?」
「――手を抜いていたわけではありませんが」
あのヴィレンドルフ戦役後、アンハルト王都にて何度も行った私との訓練では、模擬戦闘では一度も本気を出していなかったのにだ。
私は勝つ事などできまいが、ライバルにはなれると今まで考えていた。
少し、悔しい。
「本気を出したかったのならば、私に言って下されば良かったのです」
勝てるとは思えない。
なれど、先ほどの敗北者のように剣戟に付き合う実力程度はあるのだ。
「弓槍入り混じる戦場なれば面倒くさい」程度の認識を味わわせることはできた。
このような変人色物超人集団「狂える猪の騎士団」の相手をする必要までなかった。
「貴女を」
ポリドロ卿は困ったように、小さく口を動かした。
「貴女を怪我させたくなかったのですよ。困ります。お許しください」
その声が、本当に困った様子であることから。
私はその謝罪を許した。
仮に他の騎士からの言葉であれば、侮辱であると怒り狂った発言であるのだが。
「――この件が終わり次第、私と手合わせを」
なれど、どうもポリドロ卿は本気で困っているし、心から謝罪をしている。
貴方が私を傷付けたくなかったのは、戦友であるゆえか。
それとも、私に好意を持っているからであるのか。
そのように尋ねたかったが、私は自意識過剰の性ではなく、前者であるがゆえと承知している。
第二王女たるヴァリエール様の婚約者であるポリドロ卿に、このような横恋慕をすべきではない。
そう思うが、どうにも想いを止められぬ。
あの人肉食ってそうな我が主君アナスタシア様や、性欲に頭が狂うたアスターテ公爵に身を許す事になるならば、私とてそれに加わっても許されるだろうに。
マトモな人間などあの国にはそんなにいないのだから、私が加わったぐらいでバランスがとれるはずである。
第一王女親衛隊長として誓った主君アナスタシア様との契約は遵守するけれど、好意のしるしにどっかの領地買えるほど金くれないかなとか。
いくら無茶苦茶しても許されるくらいに心が痛まない悪徳領主の土地を襲っては、掠奪して金ぶんどれる仕事くれないかなとか。
手に入れた領主騎士としての地位と金でポリドロ卿の貞操を買って、子を孕んで、その子やポリドロ卿と一緒に小さな食事会を楽しみたい。
そのような、本当に小人物じみた、ささやかな夢しか見ていないのが私ことアレクサンドラであるのだ。
もうこれは全面的に許容されてしかるべきではないか。
そう思う。
「承知しました」
ポリドロ卿は、そんな私の思考を解さぬままに呟く。
――まあ、何にしても後の事だった。
「現れましたよ」
ユエ殿が、小さく呟いた。
しばらく歩いた後には、5人目の超人がいた。
直立している。
こちらに気づいたようで、ぶんぶんと片手を――うん?
友好的に、まるで親友に出会ったように喜んで片手を振っていた。
「なんだアイツ」
ユエ殿が、先に疑問を口走った。
言葉にするのも無理はないと思う。
今からポリドロ卿と死ぬ寸前まで殺し合って、全身全霊でぶん殴られて死ぬほど痛い思いして地面に這いつくばる相手である。
そんな友好的に来られても困る。
「まあ、テメレール公の部下ですし」
私は首を傾げながらに呟いた。
頭がおかしくても、その言葉さえ口にすれば多少は納得できた。
三人して歩いていく。
やがて、ポリドロ卿のグレートソードの間合いには少し遠いか。
その距離にて対峙したところで、五番目の超人は叫んだ。
「太陽礼拝!」
彼女は、両手を頭上に大きく伸ばした。
胸を大きく前に反りだし、叫んだ言葉のように太陽を礼拝しているかのようである。
要するに、全くの無防備である。
剣を伸ばせば首に届きそうであった。
ポリドロ卿にその気はないであろうし、彼女とて戦場ならばこのような事はしないだろうが。
それはそれとして、決闘相手にふさわしくない姿であった。
「宜しければ、ご一緒に!」
彼女はそう私たちに呼びかけた。
ポリドロ卿は、少し困ったように首を傾げた後に。
彼女と同じようにして、両手を頭上に大きく伸ばした。
……付き合うのか?
私は嫌だよ、と思ったが、ポリドロ卿はやっている。
ユエ殿さえ少し不思議な表情をした後に、神聖グステン帝国ではこのような儀礼もあるのかと。
異文化に完全に騙されきっている可哀そうな異邦人そのままで、両手を大きく広げて胸を反った姿を保っている。
仕方あるまい。
私もやる。
両手を大きく伸ばして、胸を反って、太陽を称賛するようなポーズをとったのだ。
「太陽礼拝!」
彼女が、もう一度叫んだ。
四人して妙ちくりんなポーズをとっている。
少し阿呆らしくなっている。
「有難うございます! 有難う!」
彼女は朗らかとした声で、本当に嬉しそうに笑っている。
「私めは、「狂える猪の騎士団」にて『日陰者』を名乗っております。真名を貴方に、こうして友誼を示していただいたポリドロ卿に明かせぬ事、本当に申し訳なく思います。お許しあれ!!」
『勘当者』は激昂して家名を捨てた。
『サムライ』は国から離れたゆえ、もう名乗る気が無い。
『ケルン騎士』は頭がおかしいので、こっちが名など知りたくもない。
『敗北者』はテメレール公以外この世全てに興味を持っておらず、自分の名前すら忘れてしまっている節がある。
では『日陰者』は何が理由で名を名乗らぬのか?
疑問に思ったが――
「構わないさ」
ポリドロ卿が、酷く優しい蕩けそうな声で了解を告げてしまう。
これでは、理由が聞けぬ。
「さて、名を強いて聞くことはせぬ。なれど、貴女の出自は聞かせてもらいたいのだが。これも無理強いはせぬ」
やはり、優しい声であった。
時々、ポリドロ卿はこのように酷く優しい声をするのだ。
殆どにおいては、その声はマルティナが独り占めしてしまっている。
私はあの少女と時々世間話もするし、友好的な関係こそ築いているのだが。
――どうも、あのポリドロ卿に優し気に声を掛けられた瞬間に、微妙に甘ったるい声で返事するようになったマルティナは好まぬ。
あれは明らかに子供の声ではなく、男性として認識した者に対する声である。
あの少女は9歳児で被保護者の癖に、保護者たるポリドロ卿に懸想しているのだろうか。
嗚呼、どうでもよいことを考えてるな私。
「嫌であるか?」
「喜んで、とは言いませぬが、貴方にならばお答えしましょう」
日陰者は、柔らかな声にて答えた。
「それは私が、私たちが日陰者だからであります。さて、ポリドロ卿は大陸西の島国をご存じか?」
はて、この大陸西の島国。
知ってはいるが、ポリドロ卿はあまり――
「知っている」
頭の方はよろしくない。
私はそこまで理解して惚れているというか、それはそれで酷くよろしく大層に興奮する。
頭が可哀そうなポリドロ卿を騙くらかしてベッドで組み伏す将来を考えると、酷く興奮してしまうのだ。
そのように考えてはいたが、どうやら知っているようだ。
「では、西の島国の。その更に西の島国は御存じか。そこまで小さくはない。大陸と比べて、その島国と比べては小さいかもしれない。なれど、そこまで小さくはないと思い込みたいのだが」
どうも卑下した言い方である。
奇妙に思ったが、私は知らぬ。
なれども。
「知っている」
ポリドロ卿は知っているようであった。
「嗚呼」
日陰者が、呻いた。
それが何故かはわからぬ。
おそらくは、知っていると嘘か誠か知らぬが「知っている」と答えてくれたポリドロ卿に対し、心が揺らいでしまったのだろう。
「なれば、我が国の歴史は御存じか。我が国から東の島国に収穫物を収奪され、先祖伝来の習慣を禁止され、言語を禁止され、抑圧された歴史をご存じか」
今までの朗らかな言葉とは打って変わって。
日陰者の言葉は、憎悪に満ちていた。
「すまぬ」
ポリドロ卿は詫びた。
「それについては詳しく知らない。本当に申し訳ない」
何故、そのように詫びるのだ。
そう思うが、ポリドロ卿は先ほどの私へと同等に、いやそれ以上に困った顔をしている。
「申し訳ない」
だが、ポリドロ卿は本心を込めて酷く詫びた。
それは日陰者にも伝わったようである。
「――すみませぬ。何も知らぬ方に無理を強きました」
日陰者は、ポリドロ卿に逆に謝罪をした。
なれど、言葉は連ねる。
「要するに、私は西の島国の、更に西の島国の出身であるのです。私の国は、収穫物を収奪され、先祖伝来の習慣を禁止され、言語を禁止され、抑圧されました。だから、助けを求めました」
「それは誰に?」
「もちろんテメレール公であります」
テメレール公、西の島国に何か調略をしているのか?
「テメレール公は、西の島国の王朝の遺児であると、我が国のそこら辺のパン屋の娘に偽証させて、それを旗印に西の島国を滅ぼしてしまおうと企んだのです」
待てや。
「ちょっと待ってください」
思わず私は呟いた。
ポリドロ卿も、ユエ殿も、日陰者も私を見ていた。
「もう一度言ってください」
私は再発言をお願いした。
「テメレール公は、西の島国の王朝の遺児であると、我が国のそこら辺のパン屋の娘に偽証させて、それを旗印に西の島国を滅ぼしてしまおうと企んだのです」
「待てや!」
何言ってんだテメレール公。
何企んでんだよ。
我が大陸の西の島国の、更に西の島国。
存在すら知らなかったその国のパン屋の娘に、なんだかんだ言って第一王女親衛隊たる私であれば遠方なれど当然ながら知っている、強力な『西の島国』に闘いを挑ませたのか?
「狂ってるだろテメレール公!!」
「何をいまさら」
日陰者が微笑んだ。
「我が太陽が。偉大なる太陽であらせられるテメレール公が狂っているなど、何をいまさら。あの太陽が普通の人であるわけがない」
日陰者が太陽と崇める主君と同様、少し狂った表情であった。
いまさらながらに気づいた。
この日陰者、普通の超人ではない。
いささか頭が狂うている。
変人色物超人集団「狂える猪の騎士団」の中でも、殊更に狂うている。
「勝てるわけがあるか!」
「確かに、負けました」
日陰者が、寂しそうに呟いた。
「皆が力を貸しました。真実などどうでもよかったのです。あの憎き東方の強力な島国からのくびきを外せれば、真実などはどうでもよかったのです。実は『牢獄塔を脱出していた王朝の末裔である』などとパン屋の娘を持てはやしました。町の皆が力を貸しました。なれど、負けました」
「当たり前だろ!」
私は叫んだ。
勝てる道理が無い。
そもそも、国力が違うのだから。
「私はその戦争に従軍していました。なれど、負けました。もはや、国の何処にも行き場所がありません。そこでテメレール公が仰ったのです」
「何と?」
もう、段々話が読めてきたが、私はポリドロ卿に代わって呟いた。
「お前、何処にも行く場所がないなら私の所に来ないか?」
「お前騙されてるよ!」
明らかに騙されていた。
西方の島国に勝てれば、もちろんそれはそれでよかったのだろう。
だが、目的はそこではない。
多分、負けても『超人とか欲しいものは仕入れたから、まあ良いか。安い買い物だった』的な考えであったのだ。
私はそこを攻める。
「もう一度言うが、お前はテメレール公に騙されて――」
「侮辱するな!!」
なれど、日陰者は怒った。
要するに、この『日陰者』という名は我が国から見て認識すらされぬ、西方の島国の更にその島国という存在を自嘲したための名であるのだ。
私は黙り、日陰者は叫んだ。
「テメレール様は、私の太陽はそこまで賢くないわ!!」
私の太陽は頭が悪いと叫んだのだ。
「私の太陽は、私のテメレール様は。この旗印にされたパン屋の娘に対して、もうどうあがいても負けるから逃げてしまえと。私の所に来いと、そう仰ったのだ」
お前、旗印にされたパン屋の娘かよ。
西方の島国に難癖つけるためのネタを、テメレール公は仕入れていた。
「テメレール様は仰られた。このまま神聖グステン帝国を支配したならば。私が皇帝の座に就いたならば、お前が西方の島国を支配する目もあるぞと。そう仰られたのだ!!」
「お前はそれを信じているのか?」
私は疑問を口にした。
正直、口をするまでもない疑問であった。
「私は信じてない」
そして、予想通りの言葉が返ってくる。
なれど。
「だが、私の太陽は。たかがパン屋の娘が、国家の王になる価値があると仰られた方は。頭がおかしい愚かな方は、そう信じておられる。超人なれば、その能力に価値があれば、私が力を貸せば、西方の島国の王たりえると考えておられるのだ」
テメレール公は頭がおかしい。
「貴女が考えている通り、テメレール公は頭がおかしい」
その考えを読んだようにして、日陰者が呟いた。
「興味が無いのだ。肌の色も、出自国も、産まれも興味がない。犯罪歴がどうでさえ、そのような事は些末な慮外であると考えておられる。パン屋の娘であるとか、皇帝を輩出した家の生まれであるとか、そのような事に興味はないのだ」
そのような人が今まで、我らの上にいたか。
あの太陽が空に輝いていなければ、私は今頃パン屋でパンを売っている一市民であったろう。
日陰者はそう呟いた。
そっちの方が良かったと私は思うのだが。
日陰者はそう考えていないようだ。
「確かに、あの御方には、あの太陽には欠点がある。頭が悪いという欠点がある。他にもあるのだ。男嫌いだとか、子供を作らぬとか、そのような太陽としてふさわしくない拘りに満ちている」
何度も考えたが。
この日陰者は狂っている。
「なれど、我が眼前のポリドロ卿を手にすれば、そのような考えすら改めてしまうであろう。何せ、あの人は超人という明確に優れた者に弱いのだから。その弱さが、レッケンベルという強力な超人に惹かれて今回の事態を招いてしまったとさえ私は考えている」
日陰者は、陽気に笑っていた。
友好的ですらあり、殴るのにも不都合とさえ感じた表情のままで。
「なれど、ポリドロ卿を得られれば違う。私が勝ちさえすれば、私があの御方の期待に答えさえすれば、太陽に成り得るのだ。嗚呼、長々と話したが、つまり私の言いたいことはだ」
日陰者は笑って呟いた。
「ポリドロ卿。私に負けて、テメレール様の配偶者になってくれないか。そうすればあの御方は本物の太陽に成り得ると私は考えている」
無茶苦茶な要求である。
ポリドロ卿は正直に答えた。
「お断りする」
ポリドロ卿は私に対する先ほどまでと同様、酷く困った表情であった事を証言しておきたい。
私ことアレクサンドラは、此度の事を日記に残すことにした。
テメレール公の無茶苦茶さを後世に残しておきたいと思ったのだ。
だが。
まあ、ポリドロ卿がそれを許してくれるかどうか。
困りつつも少々愉快気に笑っているポリドロ卿を横目に、私はそんなことを考えた。
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