第135話 敗北者

ケルン騎士は結局、甲冑を脱がせてからの気道確保をポリドロ卿が行い、ユエ殿が人工呼吸をし、私が胸部を何度も圧迫したことで蘇生した。

胸部への強打にて、拍動する心臓が拍子を止め、そのまま死に至る――そういったことは、訓練でも稀にあることだが。

ケルン派では心臓殴りの儀があることからか、治療法が熱心に研究されたそうだ。

その教義では心臓を止めることが目的ではなく、そこからの蘇生こそが大事であるのだ。


「贖罪主の行為をなぞる神聖な行為です。蘇生してこそ、主の意思に沿うこととなります」


ポリドロ卿の言葉。

さきほど処置した治療法は「結局、贖罪主はどのようにして蘇生の奇跡を起こしたのか」をケルン派が念入りに調べたうえで、学術的結論として導き出したものであるとポリドロ卿は話してくれた。

いや、学術的に可能であれば、奇跡でも何でもないではないか。

そうツッコんだのだが、この治療工程を踏まえねばならぬ事を贖罪主は拳一つで為されたのだ。

これは結論として奇跡としか言いようがないとケルン派は主張しており、その狂った宗派に幼少期から洗脳を受けてしまった可哀そうなポリドロ卿も奇跡だと認めている。


「新紀元――贖罪主が生まれた年が世紀元年であることから、聖書は『新世紀贖罪主伝説』ともケルン派では呼ばれております」


特に知りたくもない豆知識。

ケルン派には狂った経緯から生まれた謎の英知が垣間見られる。

なれど、狂った経緯から生まれた以上、正気に返ることもまた無かった。

始まりがそこならば、結論が悲しいことになるのは至極当然であったのだ。


「アレクサンドラ殿」


思い悩む私に、ユエ殿がささやいた。


「フェイロンでも、ケルン派のように頭のおかしな人々は結構おりましたよ」


フェイロンという、今は滅びた王朝からヴィレンドルフに訪れた客将の言葉である。

私への慰めなのか、それともフェイロンだって負けていないぞという主張なのか。

前者ならばあまりに虚しい慰めで、後者ならフェイロンは滅んでよい国だったのではないか。

口にすると喧嘩になるので言わないが、そんな思いを抱く。

ああ、もういい。

ケルン騎士は蘇生すれど、負けを認めて立ち去った。

我々三人はというと薄暗い堡塁内をしばらく歩き、すでに眼前には次の決闘相手が見えている。


「お待ちしておりました」


四番目の決闘相手。

サムライと同じく異邦人である。

西洋甲冑こそ着用すれど、兜のスリットから見える肌の色は帝国領邦民の者ではない。

ユエ殿が詳しくなかろうかと、横を見ようとした瞬間に。

――強烈な殺気を感じた。


「問う」


ユエ殿の殺気である。

我ら立会人は甲冑こそ身に着けざれど、腰にナイフ程度ならば帯びていた。


「カタリナ女王陛下の御傍にて、テメレール公の背後に控えるお前を見た時から――もしやと思っていた」


それを抜き放ち、刃を向けながらにユエ殿は呟いた。


「貴様、我が祖国を滅ぼした民族の者ではないか」


フェイロンを滅ぼした存在、遊牧騎馬民族国家の人間に違いない。

ユエ殿は確信を抱いて、それを口にしていた。

私は一瞬判断に困るが、ポリドロ卿がユエ殿の激昂に応じた。


「ユエ殿、これは私の決闘相手で、貴女は立会人にすぎない。手出し無用」


当然の理屈であった。

そのあと、何かユエ殿は呟こうとして――やめた。

すん、と鼻で何かを啜る音がした。

激情は収まらねど、正論だと理解していた。


「すまない、ポリドロ卿。後をお願いする」


ポリドロ卿の言葉一つで、冷静になったのだろう。

そうだ、色々聞きたいことはあり、疑問も沢山ある。

なれど――


「貴女に問う。貴女の「狂える猪の騎士団」における名は何か? できれば出自もお聞かせ願いたい。今回の決闘相手全員に尋ねることにしているのだ」


これはポリドロ卿の決闘であり、そして疑問があれば全て彼が尋ねてくれるのだ。

我々の出る幕はない。

彼女は質問に答えた。


「私の名は『敗北者』。そこの女――ユエ殿が見抜いた通り、私はフェイロンの北方にある大草原にてある部族の長だった。だが、少しユエ殿の見解とは違うところがあるなあ」


水を向けられたユエ殿は、怒りに燃えた瞳をしている。


「そう怒るなよ。お前は遊牧騎馬民族国家が単一の部族とでも考えているのか? 嗚呼、さすがにそんなことはお前も承知か。お前は何かを疑っているね」


ユエ殿が何を言いたいのかわかっている。

それを承知で、彼女は笑った。

ポリドロ卿が、たまりかねたように言葉を遮って呟く


「ユエ殿を挑発するのはその程度にしてもらおう。率直に質問に答えぬならば」


その四肢この場で斬り落とす、と。

ポリドロ卿が呟き捨てた。

彼女は笑った。


「おっかないね。私は確かに、彼女の言う民族の出身であるが。私があの国からテメレール公の領地へ流れたのは10年も前なのさ。レッケンベル卿とも戦って、勘当者やサムライと一緒にぶちのめされた頃には神聖グステン帝国にいた。フェイロンを襲ったことなんて、私には一度もないね」


ユエ殿が眉をしかめた後に――嘘ではないと判断して、ナイフを鞘に納めた。

ポリドロ卿が言葉を繋ぐ。


「念のため伺うが――テメレール公が、遊牧騎馬民族国家に内通しているということは無いのか? 貴女を仲介としてだ」

「神聖グステン帝国を裏切ってか、まあ、そりゃ心配するだろうけどさ」


けらけらと、「敗北者」殿が笑った。

掌を縦に向けて、ひらひらと横に振る。


「いや、そんな器用な事できたなら、こんな状況になってないって。あの人は、テメレール様は人に頭下げるのが死ぬほど嫌いなんだよ。何が悲しくて、皇帝陛下にすら下げたくない頭を他に下げるのさ」


少し私も内通を疑っていたのだが。

まあ、そんなことができる性格ならば、こんなややこしいことになってないな。

私たち三人は納得した。


「そもそも内通を疑うどころか、テメレール様が強烈に帝国に働きかけて各選帝侯領に、アンハルトやヴィレンドルフに遊牧騎馬民族国家に備えるよう促したんだ。あの御方に、勘違いして変な疑いをかけてほしくないね」


……神聖グステン帝国内に、アンハルトとヴィレンドルフ双方の争いにおいて、それをやめて遊牧騎馬民族国家対策に注力せよと意見した者がいる。

警告を促した者がいる。

それは間違いなく帝国において中枢ともいえる人間であり、最低でも有力な諸侯であった。

テメレール公が遊牧騎馬民族国家に対し、強硬派なのは聞き及んでいるが。


「それは真実か?」

「間違いなく真実さ。まあ、テメレール様はレッケンベル卿が死んだことにしばらく呆然としていて、初動が遅れた嫌いはあるがね」


だから、疑うのはよせ。

そのように敗北者が呟き捨てる。


「テメレール様は役目を果たされた。自分が帝国との軍事契約において果たさなければならぬ最低限の領分を果たしたのだ。皇帝陛下に訴えた、教皇猊下に訴えた、選帝侯に訴えた、だけど誰もテメレール様の望み通りには動いてくれない」


結局、テメレール様は自分が生涯で唯一敗北したレッケンベル卿以外の事を認めていなかったし、そのレッケンベル卿さえもテメレール様の期待を裏切ってしまった。

この世で史上最強の存在であるという期待を裏切ってしまった。

相互不理解。

へらへらと、やや腹の立つ表情で、敗北者はそのように語る。


「だから自分でやることにした。テメレール様は、まあ、アレなお人だし。そのような結論に陥るのも仕方ないのだろうなあ。まあ、私はそれに従うだけさ」


敗北者はどうでも良さげであった。

何もかもがどうとでもなれ、という口ぶりであった。

それでも唯一、たった一つ。


「貴女は何故、どうでもよさそうなのにテメレール公に仕える? 何故、自分を敗北者などと呼ぶ?」


眼前の「狂える猪の騎士団」四番目の超人は、テメレール公への忠誠だけは捨てていないようであった。

それをポリドロ卿が問うた。


「――それを教えるためには、私の話をしなければならない。私の出身、私の部族の話だ。フェイロン王朝の北方にある広大な高原の中には、人が草の海にさすらう必要がない土地があることを知っているだろうか。私の部族はそこを生活拠点とした、半定住・半遊牧民の生活を続ける者達であった。私はそこの長だった。まだ年若くして部族を継いだが、親族が協力してそれを支えてくれた」


敗北者は懐かし気に語る。


「このまま何事もなく愛する婚約者と結婚し、私の部族という小さな火種を次に繋げて。小さな生活拠点を大きくして、やがてフェイロンとも交易することで大きな都市を作る。そんな夢みたいなことばかり考えて暮らしていた」


一瞬、奇妙な誇りさえ抱いた表情をした。

なれど、すぐに自分自身を嘲笑するように言葉を繋げた。


「ある日、不思議な少女がやってきた。奇妙な少女だった。まだ幼ささえ感じさせる風貌であるが、大草原の果てまでも見通してしまうような少女だった。名をセオラと言った。当時すでに大きな戦いに勝ち、諸部族をまとめたトクトア・カンの次女で、私に服属を命じにに来たそうだ」

「……それで?」

「勝ち目は最初からなかった。私は服属を受け入れた。それで部族の命を繋げることができるならば、それで良いじゃないかと納得した。血の気の多い親族もいたが、最終的には力づくで納得させたよ」


東方の事情はさっぱり分からぬが、まあそれは仕方あるまい。

勝てない戦などする意味がない。

彼女は賢明な判断をしたのだ。

そう思う。


「そこまでは良かったんだ。トクトア・カンは味方に対しては寛大で惜しみなく褒美を振る舞う。服属を拒むのであれば息を吸うように虐殺するが、私は最初から受け入れた。ならば、後は自分の超人としての貢献を成せば、部族の未来は明るいように思えた。それで何もかもが片付くと単純に考えた」


だが、そうはならなかったんだろうな。


「だけど、トクトア・カンは言ったよ。私の目の前で言ったよ。お前の婚約者が気に入ったから寄越せと、飽きたら返してやると言った。お前の占有地は交易都市として使えるから全て奪えと財務官僚どもが言っていた。代わりの牧草地を用意してやるから、全員そこに移動しろという。お前自身はセオラによる超人部隊の配下にする予定なので、長の地位は別な誰かに譲れという」


婚約者も、先祖代々の領地も、自分の地位も。


「トクトア・カンは味方には寛大などと嘯くくせに、私には何の配慮もしてくれなかったんだ。服属を承知したならば、何もかも全て奪うだけだった。とんだ噓吐きだった」


何もかも全て奪われてしまったのか。


「それで?」


ポリドロ卿は、目を閉じながらに呟いた。

自分が同じ立場ならばと考えたのであろう。


「何もかも投げ捨てて逃げたよ。だって、戦っても絶対に勝てないことは分かり切っている。それなら、婚約者も親族も皆が幸せになれる可能性がまだ残っている服属の道を選ぶべきだった。かといって、そこまで屈辱的な仕打ちを受けて大人しく従うのも嫌だった。私一人が消える分には、全てを奪ったトクトア・カンも気にしないだろうと思った」


流れ流れて、昔話で聞いたシルクロードを通って。

草の道を歩いて歩いて、やがて旅人としてテメレール領に辿り着いた。

そのように、敗北者が語る。


「ある日、テメレール様の元に招かれた。私は当時商人の護衛などで生計を立てていて、山賊団を返り討ちにしていたことで目に留まったらしい。私はそこでテメレール様に自分の出自を尋ねられたので、正直に答えたよ。私は敗北者でございます、と自嘲気味にな」


敗北者は薄ら笑いを浮かべている。


「さて、テメレール公はなんと言った?」


ポリドロ卿は、興味深げに尋ねた。


「生きてりゃ勝ちだろ、と単純に言ったよ」


そういう問題ではないと思うのだが。

眼前の敗北者は悲しいかな、完全に人生の荒波に揉まれて負けている。


「そこで自殺してたら、お前は誰かが同情して泣いてくれたとしてもいつかは忘れ去られる。もう、どうしようもないくらいに負け犬になってしまうわけだが。生きてたら、報復するチャンスはまだ残っている。再戦の機会は残っている。次に勝てばよいのだ。お前はまだ負けていないぞ」


だんだんと、テメレール公の価値観が気になりつつある。

視野狭窄にして、性格はどんなに負けても捨て台詞を吐いて逃げる小物にすぎぬ。


「人は負けたと自分が認識してしまったときに、初めて負けるのだ。自分がオケアノスの海の果てに消えてしまわぬ限り、まだ勝負は終わってない。勝つのはこれからだ!」


なれど、それで片付けるにはあまりにも奇妙な生き方をしている。


「私はそれを聞いても、じゃあ負けたと思いきってしまった自分はトクトア・カンに完全に負けたんだなと思っただけだよ。だけど、奇妙な事にいつの間にかテメレール公の配下になってしまっていてね。そうして人生を過ごして、レッケンベルに五回も殺されかけたのにまだ負けを認めない、アホみたいな、いや、アホそのものの我が愛しのテメレール様を眺めている間に気づいたんだよ。この人、あの時の言葉は真実本音で言ってたんだって」


敗北者が息を大きく吐いた。


「まあ、このアホに付き従って生きていくのも、そう悪くはないと思っている自分を理解してしまった」


小骨を鳴らすような音が鳴った。

ポリドロ卿が大きく首を回した音であった。

戦いの準備である。


「まあ、なんだ。理屈だっての説明ができたものか。トクトア・カンは嘘つきで、テメレール様は馬鹿にしたくなるほど正直だった。少々不安だけど、私が敗北者を名乗る理由と、テメレール様が愛しの主君である理由はそれだけだ。私は完全に気分であの御方に仕えている。理解できたかい、ポリドロ卿?」

「理解した。私はテメレール公の意見全てには賛同せぬが、まあ、なんだ」


ポリドロ卿は、少々愉快そうに笑った。


「なかなか楽しそうな主君様じゃないか」

「そうだろう?」


敗北者とともに、楽し気に笑い合う声が掠れて響いた。

その一拍だけを置いて。

剣がぶつかり合う音が、周囲一帯に響いた。

両者裂帛の叫び声とともに、全力で剣技を振るう。

勝負は十三度目の金属音が鳴ったと同時に、ポリドロ卿の勝ちで終わった。

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