第134話 ケルン騎士

嫉妬している自分の心が、酷く醜いように思えた。

理由は明確で、ポリドロ卿があのサムライとやらに酷く優し気であり――まあ、その割に鉄靴で頭を蹴り飛ばす素振りなども見せていたが、騎士の優しさは決闘相手を傷付けぬ事ではない。

それが真剣勝負であるならば、仮に自分の主君とて討ち果たさなければならぬ。

武人としては双方、この以上ない敬意を払った結果があの勝負であった。

ハッキリ言えば二人だけの世界に入っており、私やユエ殿など邪魔者とすら見ていた。

気に食わない。

私とて、あのようにポリドロ卿に想われたかった。

ポリドロ卿は私の心内など知らぬだろうが、私は貴方と小さな家族を作りたいのだと。

そのような軟弱な心など打ち明けられぬのが、もどかしかった。

とはいえ、立会人の務めは果たさねばならぬ。

私とユエ殿、そしてポリドロ卿の三人は無事を確認したサムライを置き去りにし、再び三人そろって歩き出した。

当然、また超人と出くわす。

超人は今までの異邦人と違い、同国たる神聖グステン帝国内の者であると思われる。

というよりも――


「ケルン?」


思わず呟いた。

兜は脱いでいる。

煌めくような銀髪の麗人であった。

胸甲冑にはクロス・アンド・サークルの紋章が刻まれている。

ありとあらゆるケルン派教徒が使用を許されている紋章である。

知っての通り、ケルン派は頭がおかしい。

あのような紋章を好んで使う騎士などそうおらぬ。

そもそも、騎士であるならば盾に、家の紋章、あるいはそれを少しばかり変化させた紋章を刻むのだ。

仮に、ケルン派の紋章を意図的に誇示するものがいるとすれば、それは――


「ケルン派司教領の騎士であられるか?」


私より先に、ポリドロ卿が問うた。

知っての通り、ポリドロ卿もケルン派の信徒である。

答えはすぐに出たのだろう。


「仰る通りであります。ポリドロ卿」


ケルン騎士は答えた。


「『狂える猪の騎士団』に私以外の信徒はおりませぬ。それゆえに私は『ケルン』と呼ばれております。我が騎士団の全ては、愛称やテメレール様より頂戴した名など、その者が名乗るものでしかお互いを知りませぬがゆえに」


随分と変わった騎士団である。

そして、随分と変人ばかりを集めている。

とはいえ、ケルン派教会からどうやって騎士を動員しているのだ?

何の関りがある、と悩んだが。

先に、ポリドロ卿が憶測を口にした。


「もしやテメレール公は、ケルン派信徒であられるのか?」


話が飛びすぎであり、いくらテメレール公が無茶苦茶な人物とて、そのような事はせぬ。

領主の改宗とは個人のみならず、家臣や領民、外交関係にすら及ぶのだから。

そんな簡単にしてよいものではない。

しかし。


「ええ、お察しの通り3年程前にケルン派に改宗されておられます」


ポリドロ卿の言葉通りであった。

私の表情に、困惑が浮かぶ。

何をやっているのだテメレール公は。


「私はお会いしたことがありませんが、かのレッケンベル卿がご存命の頃でありますね。今でも覚えております。テメレール様はケルン派の司教区に訪れ、自身の改宗と領地の改革について相談に来られました」


『ケルン騎士』が両手両指を組み、胸甲冑のクロス・アンド・サークルを隠すようにして呟いた。


「きっかけは、貴方が相手をした勘当者やサムライなどのように、私という超人を求めてではなく。テメレール領における軍事改革を望んでのことでありました。どうも、このままでは来るべき災厄に対抗できぬ。今世の全てにおいて最高の軍備を整えねばならぬ、そのためならば私自らが改宗することも厭わぬと」


災厄とは何ぞやと考えるが、現状においては一つしか思い浮かばぬ。

眼前のポリドロ卿がアンハルト国中にゲッシュを誓いて訴えた、遊牧騎馬民族国家の事。

当時、レッケンベル卿は存命であり、ヴィレンドルフのカタリナ女王が話す限りでは。

――まだ、テメレール公とレッケンベル卿は繋がっていた。

テメレール公とレッケンベル卿は、3年前には騎馬民族国家の西征を危惧していた?

その可能性が高い。

そんな思考が止まらぬ私を置いて、ポリドロ卿とケルン騎士は会話を続けている。


「軍事改革を望んでと仰るが。つまり、具体的には?」

「象徴するものとしては砲兵であります。テメレール様はケルン派が開発している大砲、キャニスター弾と呼ばれる対人用兵器、それを火力として放つための砲兵という兵科の導入を望まれました。堡塁にてポリドロ卿が撃ち返された砲弾、あれを放ったファルコン砲なども成果の一つです」


ケルン派の火器開発状況は、このアレクサンドラも知っている。

アンハルトでは本当に一握りしか知らないこと。

リーゼンロッテ女王陛下、アナスタシア第一王女殿下、アスターテ公爵、そして第一王女親衛隊長たる私アレクサンドラ、そういった本当に国の運命を左右するものしか知らない。

第二王女ヴァリエール様とて知らぬことだ。

とはいえ、神聖グステン帝国の中枢諸侯たるテメレール公であれば、知っていて当然の事でもある。

下手をしなくてもアンハルトやヴィレンドルフよりも中央の情報を熱心に入手しており、その有効活用を考えていたはずだ。

彼女が帝都における情報源であるならば、レッケンベル卿も全てを知っていたはず。


「詳細はテメレール様に直接お聞きになって下さればと考えます。私とて全てを知る身分にありませぬ。もっとも、素直に答えてはくれぬでしょうが」


テメレール公とレッケンベル卿。

三年前、二人は何を考えていたのか、何をしようとしていたのか。

どうしても聞き出さなくてはならない。

とはいえ、これ以上の情報をこの場で得ることは難しいだろう。

結局は、あの頑迷固陋なテメレール公を打ちのめさなければならない。


「では、次に貴女の事などを尋ねたい。貴女は何故、テメレール公の配下となっておられる? 今までの事情を聞く限りでは、貴方は直接勧誘を受けたわけではないようだが」


ポリドロ卿は、軍事情報をこれ以上聞き出すのを諦めた。

代わりに、彼女の素性を聞き出そうとする。


「仰る通りです。勧誘を受けたのではなく、私はケルン枢機卿の命で来ております」

「枢機卿の命で?」

「はい」


凛とした声が堡塁に通った。

迷いなど感じられぬ、肯定の声だった。


「私は超人としてケルン司教領の家人に産まれ、その能力により枢機卿から騎士叙任を受けた者でした。司教領の聖職者であり、領邦を防衛するための騎士でしたが――現世利益の事しか口にせず、改宗してやるし金もやるから銃と大砲よこせと、傲岸不遜にふるまうテメレール公を叱り飛ばしたのです」


まあ、あの性格である。

いくら諸侯相手とは言え、マトモな聖職者であればあるほど気に食わないのであろう。


「しかし、彼女は言い返してきました。現世利益以外に何が必要なんだ腐れ坊主ども。銃と大砲が無ければ、火薬の製法を貴様らが抑えてなければ、こんなところ好き好んで来るものか大馬鹿者。お前ら、他人からケルン派がどのような目で見られてるのか理解してないのか、聖書の記述すら平気で捻じ曲げる気狂いどもが!」


それはそれとして、まあテメレール公の言い分も正しかった。

こればかりは正しかった。


「聖書のどこを読めば『贖罪主は頭を殴れば頭を果実のように砕き、心臓を殴れば一生心臓を止めることができる奇跡を起こした』などという描写があるんだ。お前らは狂っている!」


これだけはテメレール公が明らかに正しいのだ。

どこがおかしいの? と不思議な顔をしているポリドロ卿も大概である。

すっかりケルン派の聖職者に洗脳されてしまっているのだ。


「彼女は大聖堂に唾を吐きながら、我らケルン派を罵りました。とにかく大砲を差し出せ気狂いども! 帝国を守るためだから。苦汁を飲んで、改宗してやるのだからと。そのようにテメレール様は仰られましたので、枢機卿は浄財を投じること、改宗することに加え、一つ要求を出しました」

「それは?」

「監視役をつけることです。つまり私ですね」


ケルン騎士が、自分を指さして呟いた。

お前、『勘当者』や『サムライ』みたいになんか悲しい過去とか無いのか。

無いんだろうなあ。


「要するに、私は「狂える猪の騎士団」同僚のように、テメレール様に絶対の忠誠を誓っているわけではないのですよ。レッケンベル卿とも御会いしたことがありません。今回の状況には少し戸惑っております」


キッパリと、ケルン騎士は別に忠誠など抱いていないと言い放った。

声は冷たく、そして何の迷いもないようであった。

ああ、そうか。


「私の監視役としての役目は、テメレール様の『帝国を守るため』という言葉に虚偽があった場合、即座に殺害することです。この身が如何に同僚に切り刻まれようとも、役目を全うしなければなりません」


眼前の騎士は『勘当者』や『サムライ』のように、ある意味で狂っているのだ。

ケルン派から差し向けられた、もしもの時のための処刑人であった。

宗派の敵を排撃するためならば、どのような事でも平気でするのだ。

とはいえ。


「ゆえに、ポリドロ卿とは争う理由がない、と言いたいところですが」


ケルン騎士の言葉通りである。

そういう話であるならば、我らが争う理由はなかった。

私とユエ殿は、ポリドロ卿に次へと進むように視線を送ったが。


「そうはいかぬ。『心臓殴りの儀』を行いたい」


ポリドロ卿の口から、何か良く分からぬが明らかに狂った儀式の名前が出た。

うん、なんか嫌な予感はしていた。

あのクロス・アンド・サークルのケルン派の紋章を目にした時から嫌な予感はしていたのだ。


「ケルン派の騎士同士として『心臓殴りの儀』を行いたいのですね。それも結構、お相手仕ります」


勝手に二人で話を進めている。

聞きたくない。

聞きたくはないが。


「ポリドロ卿、『心臓殴りの儀』とはなんでしょうか」


聞いてしまった。

聞くのかよお前、という顔をユエ殿がした。

立会人として、よくわからぬ事をよくわからぬ内に始められても困るのだ。

他にどうしようもなかった。


「聖書の逸話に端を発するものなのですが。アレクサンドラ殿も知っての通り、贖罪主には多くの弟子がおりました。その一人がある日、贖罪主の奇跡を疑いました。人は死んでしまえば生き返らないのだと。贖罪主は人を蘇生させたことがあると伺いましたが、そのような事ができるはずがないと」


贖罪主が蘇生した話は確かにあるが、弟子が疑った話などあっただろうか?

さすがに聖書の全てを通読したことはないから、何とも言えぬが。


「高弟や多くの人々が居並ぶ中で、贖罪主は答えました。信じられぬなら、今ここで見せようと。疑った弟子の心臓を思い切り強く叩きました。弟子は仰向けに倒れ、心臓が止まりました。『心臓を殴れば一生心臓を止めることができる』という奇跡をその場で起こしたのです。弟子は死にました」


ポリドロ卿はめっきり信じてしまっているようだが、それは奇跡ではなく単なる暴力である。


「次に、贖罪主は人々にこう言いました。心臓が止まっている。呼吸をしていない。白目を剝いている。弟子が確かに死んでいるか確認しなさいと。人々は弟子の様子を確認し、贖罪主の仰ってる通り死んでいると確認しました」


確認している場合ではないだろう。


「贖罪主は仰いました。この神を信じぬ背教者を蘇生してみせようと。『弟子よ。あなたに言う。起きなさい!』。そう叫んで、仰向けに倒れている弟子の心臓を大きく叩きました」


ただの追い打ちではなかろうか。


「弟子は起きません」


そりゃそうだろう。


「今のは冗談であると贖罪主は仰いました。そうして、もう一度『弟子よ。あなたに言う。起きなさい!』と叫び、心臓を大きく叩きました」


ユエ殿が「冗談で済まないと思うんですが」と呟いたが、ポリドロ卿は無視した。

酷く真面目な顔であった。


「弟子は動きません」


それ本当にケルン派の聖書には書いてあるのか?


「人々はざわざわと騒ぎはじめ高弟すら疑うような顔をしました。本当に蘇生できるのですか?と。贖罪主は仰いました。はっきり言っておく。三度目は必ず蘇生に成功する。コツがあるんだ、私を信じろと。贖罪主は『弟子よ。あなたに言う。起きなさい!』と三度叫んで、弟子の心臓を大きく叩きました」


コツとかそういう問題でないと思うのだけど。


「すると、どうでしょう。弟子が蘇生したではありませんか。止まった心臓が動きだし、呼吸を始め、白目を剝いていた瞳からは涙を流しています。贖罪主は確かに蘇生の奇跡を起こすことができたのです。蘇生した弟子は贖罪主の奇跡を疑ったことを謝罪しました」


もう誰もが言いたいことを言ってしまうと、それは「贖罪主が弟子を生き返らせた」のではなく「贖罪主が弟子をうっかり殺しかけた」の間違いではなかろうか。


「この説話は、神は三度目までなら疑っても優しく信徒を御赦しになられ、主は悔い改めて生き返った信徒を受け止め、再び立ち上がらせてくださるという意味と伝えられているんだ。誠に情け深い贖罪主の説話である」


ケルン派がいかに狂っているかの説話はどうでもよいが、それはそれとして。


「で、その逸話が『心臓殴りの儀』と、どう関係するんでしょうか?」


とりあえず聞いてみた。

別に聞きたくはないのだが、聞かざるを得ない。


「要するに、この逸話を起源としたケルン派の騎士同士が望まずも争うことになった場合の神前決闘作法である。お互いの陣営から出てきた代表者二人が心臓を狙って殴り合い、仮に心臓が止まって死んでも遺恨無しとする。同時に、勝者は倒れた敗者の蘇生を誠心誠意行わなければならぬ」


無理やり解釈すれば、信徒同士の被害を最小限にするために定められた神前決闘作法なのであろう。

最悪でも一人が死ぬだけだ。

一応理屈は分かるのだが、ハッキリ言っておきたい。


「ケルン派は頭がおかしいのですか?」


自分が口にする前に、ユエ殿が口を開いた。

そして、ポリドロ卿もケルン騎士も全く聞いてやしないのだ。


「いくぞ、ケルン騎士殿!」

「かかってこい、ポリドロ卿!」


立会人の私たち二人が止める声も聞かずして、勝負が始まった。

一分も経たない内に、ポリドロ卿の鉄拳がケルン騎士の胸甲冑、クロス・アンド・サークルの紋章ど真ん中に突き刺さる。

心臓真上である。

そして――ケルン騎士は仰向けに倒れこみ。

私とユエ殿は、慌てて彼女を蘇生するために駆け寄ったのだ。

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