第133話 「渦巻」

ポリドロ卿と話していると、どこか心がむずかゆく感じる。

どういうことかと少し考えたが、どこか同郷人の気配を感じるのだ。

故郷でも、男(おのこ)など目にすることは少なかったのだが。

それに、ポリドロ卿は家に閉じこもってひっそりと双六などを楽しんでいた男とは違う。

身長2mを超える巨躯の英傑であり、女顔負けの強力な武人であるのだ。

どこにも自分の故郷の男と似たところなど無かったが、それでも妙に心がほぐれた。

はて、男に惚れたことなどないのだけれど。

少々色気づいたことを言ってしまえば、私は生まれて初めてポリドロ卿のような人物が好みであることを知った――というより、齢28にして恥ずかしいばかりだが、これが初恋なのかもしれない。

あのレッケンベル卿が、色に溺れて負けたというのも案外嘘じゃないのではなかろうか。

嗚呼――くだらないことを考えている。

あの酒呑童子もかくやといった鬼そのものの超人が、そのような事で手を抜いてくれるわけがない。

テメレール様とて、下手すればこの世の誰よりもそれを理解しておられるだろうに。

レッケンベル卿の死から2年、いくら忠言したところで聞く耳をもってくれぬ。

色に溺れて手を抜いて死んだ。

あの人肉食ってそうなアンハルト第一王女の卑劣な罠にかかり、数百人の重装甲騎兵にたった一人で挑んで、全てを道連れにして死んだ。

実はこっそり生きていて、私を騙そうとしているのではないか。

悪魔であって人間じゃないから、死んでも生き返るはずだ。

そのような空想に溺れている。

眼前のポリドロ卿を見れば、その全てが悲しい妄想にすぎなかった。

もうしばらくすれば醒めてしまう、浅い夢である。

クラウディア・フォン・レッケンベルは、ポリドロ卿に正々堂々たる一騎打ちにて敗れた。

それが真実だ。


「――」


息を吸う。

事ここに至っては、なるようにしかならぬ。

ポリドロ卿は私を破り、「狂える猪の騎士団」の団員を破り、テメレール様の眼前に立つであろう。

その先の想像などつかぬ。

私がやれることはもはや、剣を抜き放つ事のみであった。

自分の愛刀の位置は、爪先の誤差すらなく把握している。

刀身5尺の大太刀であり、本来の柄は2尺、合わせ7尺(およそ2m10cm)とポリドロ卿のグレートソードと得物の長さは変わらぬ。

なれど、刀身5尺の全てが鞘に収まっているわけではない。

戦場で振り回しやすいように刀身の鍔元から中程の部分に、朱色の革紐を巻き締めてある。

これを「長巻」と私は呼んでいた。

今まで何百人もの血を吸ってきた豪刀である。

騎馬武者を人馬諸共叩き切った事さえある。

ああ、けれど。

私と同じ姿勢にて、わざわざ私の剣の間合いにて正座し。

それでいて、私に掴みかかるにはやや遠い。

なれど、その太刀を鞘から抜き放った後に、その場にて勝負をと望む者に。

横道など無いとでも言うように、私を穏やかな目で見つめている武人に。

そのような豪傑に、どのような豪刀であろうと通じるものか。

きっと、何も通りはしない。

武器が悪いのではない。

私の武力が及ばぬゆえに。


「――」


だけど、それは私が挑まない理由にはならないのだ。

一撃を浴びせねばならない。

テメレール様に、あの御方のために何もしないわけにもいかぬ。

心が静まるのを待つ。

私が許されるのは、ただの一撃である。

人生で一番の、最強最速の一撃である。

レッケンベル卿に浴びせ、そして敗れた一撃を、あの今までで最高の一撃を上回るものである。

そうでなければ、通じそうにない。

幸い、時間はあった。

ポリドロ卿は、私が本当に刀を鞘から抜き切ってしまうまで何もしない。


「や――」


やりましょうか、と口にしようとして。

やめた。

ポリドロ卿は、その私の心を読んだようにして、少し笑った。

どうにも恥ずかしい。

口にするまでもないことを、口にしようとした。

どこか浮ついている。

もう両手で自分の顔を覆って、隠してしまいたくなるが。


「やりましょうか」


優し気な声で、ポリドロ卿が囁いた。

本当に、優しそうな声であった。

何処かが蕩けてしまいそうだった。

私は、少しだけ顎を動かして答えた。

長巻に右手を伸ばす。

左手にて、鞘を掴んだ。

ポリドロ卿は、動かない。

その両の手は膝の上に置かれており、動く気配はない。

ポリドロ卿は黙って此方を見つめている。


「――」


鞘は握るだけ。

足の爪先を立たせる。

下半身の全てに血肉躍らせ、上半身は脱力させる。

同時に、全身を回転させる。

ポリドロ卿に背を向けた。

まだ鞘は抜かない。

回転している間にも、体に捻じれを加える。

身体を仰け反らせる様にして、大きく捻るのだ。

背筋が、腹筋が、太腿が、脛肉が、いや、筋肉どころかその血管一本に至るまで、奇妙な捻じれを作るのだ。

超人という物体の弾性が、その行為に耐えうることで。

その全身の血肉が、剛力によって圧縮された超人の総身の血肉が、一つの爆発した力を産み出すのだ。

神速にして狂気の暴力に至る一撃を産み出すのだ。

刹那の間に、その全ての所作を行う。

戦場における百人殺しの達成により、ようやく主家から教えが許されたもの。

超人といえど血の滲む修練によって結実する、我が一族の秘奥義である。

その名も「渦巻」という。


「――ッ!」


声にならぬ絶叫とともに、鞘を斬り捨てるように右手を振るった。

爆発を行うのだ。

剣を始めるのだ。

静から動へと、暴力がための渾身の力を振るう。

左手と右手、両の手が滑るように互いからするすると離れていった。

右手が柄の端まで、緒紐を通すための穴である鵐目にて小指がかかり。

左手が剣先までの鞘を抜き取り、刀身の全てを顕わにして。

我が右腕にのみ、全身全霊の「渦巻」の力が圧し掛かる。

腕、脳、血管の全てが破裂しそうになる、刹那の瞬きの後に。

全ての暴力が長巻に籠められた。

痛みによる声なき発狂とともに、人生で最速にして最狂の一撃が放たれた。

真向勝負。

最上段斬り下ろし、唐竹割り。

頭蓋を割り、眉間を切り裂き、頭が柘榴のように弾ける一撃である。

仏陀切りの一撃であったのだ。

嗚呼、なれど。

酒呑童子には届かぬだろう。

レッケンベル卿には届かなかった。

であるならば。

当然、眼前の男騎士にも届かぬ一撃であった。

ポリドロ卿は、目を見開いていた。

背を向けているがゆえに分からぬが、私が鞘を抜き放った瞬間に動いたのだろう。

膝は崩さず、グレートソードには手を伸ばさずに。

ただ、両手を頭上に伸ばした。

神の恩寵を承る騎士がごとく両手を天にかざした後、拍手のように両掌を重ねた。

その手の間には、我が長巻の剣先があった。

銅鑼のような大きな濁音。

ただのそれだけで、我が「渦巻」の一撃は防がれた。


「嗚呼」


口から、感嘆が漏れた。

なんと呆気ない。

そして、ふざけていると思った。

そのような方法で受け止めるのであれば、他にも防ぐ方法があったろうに――


「ご無礼」


ポリドロ卿は、私の心を読んだように呟いた。

真剣勝負である。

命の取り合いをしないことを前提としているが、まあ死んでしまっても構わない。

そういう勝負であった。

力量差のある相手であるならば、如何に相手が自分を弄ぼうが。

それこそ、石ころのように蹴飛ばしてしまっても構わない。

そういう勝負であった。

だから、ポリドロ卿がどのような無礼を通そうが、それに文句を言うことはしない。

ただ。

あまりにも、自分の能力の低さが腹立たしかった。

頬肉が引きつるのを感じる。

ポリドロ卿が両の手指を動かし、剣先を握りしめる。

めきりと、玉鋼を叩き割る奇妙な音色とともに、剣先が飛散した。

我が全身全霊の一撃を、ポリドロ卿はただ受け止めるだけでなく、握り潰したのだ。

私は自分の正気を少しだけ疑い――一瞬だけ置いて、狂ったように嬌声を挙げた。


「お見事なり!」


それ以外に何を言えというのか。

全身全霊の一撃を、無手にて受け止められた。

他に言うべき言葉など無かった。

そうして、ポリドロ卿は我が剣先の破片を膝上より跳ね除けながら。

こう呟いた。


「貴方のカタナを破壊したこと、済まぬとお詫びします。なれど、これは勝負ゆえに」


近づいて。

私に近づいて、振りかぶり、全身の力を込めながらに、続きの言葉を紡ぐ。


「貴女を倒します」

「勿論」


私は微笑んで答えた。

次の瞬間、私の腹にポリドロ卿の握り拳が突き刺さった。

襤褸切れのようにして、ただの一撃にて身体は吹き飛んだ。

腹の臓物が盛り上がったような吐き気とともに、私は地面に倒れこむ。

胃から液体が逆流した。

肉が破れて、液体には血が混ざっている。


「勝負あり! ポリドロ卿、それ以上は」


フェイロン産まれの武将、ユエ殿が叫んだ。

気持ちは有り難いが、正直この勝負に他者の裁定などいらぬ。

私は敗れた。

何をされようが文句は言わぬ。

この勝負に死は無いというが、私はこれでポリドロ卿が死んでも良いという人生最高の一撃を放ったのだ。

ならば、逆に殺されても文句など言えるわけもない。

それだけであった。

私は、せめて無様に俯けに寝っ転がることは避けなければ、と。

必死になって、天井を睨みつけながら倒れる。

意識が混濁している。


「ユエ殿、気持ちは有り難いが。この勝負は私とサムライ殿が決める」


私と似たようなことを考えている。

ポリドロ卿の言葉を聞き、私は少し微笑んだ。


「敗北をお認めになるか」


どう答えようか、少しだけ考えて。

素直な気持ちが口から出た。


「私の負けですよ、ポリドロ卿」


濁音交じりに答える。

涙と胃液が止まらない。

それでも気が触れたようにして、どうにも笑いが止まらなかった。

ああ、そうだ。

このような強い人間が、世界には何人もいるのか。

私の国では出会えなかったもの。

初めて、自分が傭兵奴隷として祖国から離れたことを感謝している。

今日出会って決闘したばかりのこの男に、先ほどからめっきり惚れてしまっているんだ。

武人としてなのか、女としてなのかは、さっぱり分からぬが。


「宜しい」


負けを認めぬとあれば、頭を蹴飛ばすつもりであったのだろう。

ポリドロ卿は不要になったとばかりに、鉄靴の爪先をトントンと石畳で叩いた。

そうして少し、私の嘔吐が収まった様子を眺めた後に。


「先ほど」


ポリドロ卿は私に話しかけた。

自分の身体をぐっ、ぐっと捻りながら、何か身体の調子を確かめるようにしている。

別に、疲れていないだろうに。


「先ほど放った一撃にて、身体に捻りを加えた動作がありましたが。良ければ技の名を教えて頂けないでしょうか」


ポリドロ卿に全く通じなかった奥義。

そのような名を聞いてどうすると思ったが、答えぬわけにもいかぬ。

私は枯れ木のように掠れた息を整えながら、一言だけ答えた。


「渦巻」


ポリドロ卿は、少しだけ、何か思案した様に停止した後。

「渦巻」と同じ所作を真似るようにして自らの身体を捻り、二、三回試した後に。

頭がぼうっとして少しづつ遠くなりつつある私の耳元に、囁くように呟いた。

私の視力がまだ確かならば、ポリドロ卿は私の祖国の最上位の敬意の姿勢。

両手を身体の横にやり、綺麗な姿勢で身体を45度前傾に向けている。

その所作を行った後に、呟いたのだ。


「有難うございます」


脳が蕩けるような声であった。

何の礼なのだろうか。

勝負への礼かと思ったが、少し違う気もした。

まるで、何かの教えを聞き、それを覚えたばかりの弟子のような謙遜さに見えたが。

私には、それ以上のことを考える余裕などなく。

やがて意識は闇に溶けていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る