第132話 サムライ

意識を失った勘当者が、命あることを確認した後。

私とポリドロ卿とユエ殿は、3人して再び歩き出す。

数百人単位が籠城できる堡塁はさすがに巨大であり、一種の城のようなものである。

さりとて、超人と超人が存分に斬りあえる場所となると少ない。

やがて、我々はまた一人の超人に行き当たった。

超人は、異邦人であった。

肌は白かれども、少し私たちと違い、例えるならユエ殿の――


「もしや、貴女はフェイロンの産まれであるか?」


ユエ殿が、目を見開いて叫んだ。

同じ国の生まれのように見受けられたのだ。

異邦人は返した。


「ユエ様は、大陸の御方とテメレール様にお聞きしておりますが。残念ながら、違います」


異邦人は、奇妙な姿をしていた。

膝を屈しているのである。

石畳のうえに絨毯を敷いており、そこに膝を屈していた。

膝を折り畳んで、その太ももに手を置いて鎮座しているのだ。

足が痛くはならないのだろうか?


「それよりも東方の、海を隔てた島国です。フェイロン産まれであるユエ殿ならば、知っておられるかもしれませぬ」

「倭国の者であるのか!?」

「フェイロンではそう呼ぶとお聞きしております」


彼女は兵士らしからぬ長髪を伸ばしていた。

髪は白布で縛っており、美しい黒髪であった。

膝を曲げたまま、まるで首を差し出すようにして、頭を絨毯近くまで深々と下げた。

身をかがめて、頭を地に打ち付けるように擦り付けている。

――このアレクサンドラは、この姿を知っている。

まるで、リーゼンロッテ女王陛下に頭を下げた、ポリドロ卿のようではないか。


「お初にお目にかかります。私、フェイロンの東、島国から流れ着いた元傭兵奴隷、現狂える猪の騎士団所属の『サムライ』であります。此度、テメレール様より皆様のお相手を仰せつかりました」


頭を下げたままに、彼女が呟いた。

正直、困る。

おそらく彼女が礼を尽くしてくれているのだとは理解できるのだが、神聖グステン帝国にこのような礼儀はない。

ふと、ポリドロ卿を見ると。

グレートソードを石畳の床に置き、膝を折り畳んで。

彼女と同じようにして、頭を下げたのだ。


「こちらも、初めて礼をいたします。神聖グステン帝国アンハルト選帝侯領、ポリドロ領の領主騎士たるファウスト・フォン・ポリドロであります」

「あら」


額は、石畳の上に擦り付ける寸前まで下がっていた。

『サムライ』は嬉しそうに微笑んだ。


「有難うございます」


柔和な笑顔であった。

本当に、本当に嬉しそうな顔であったのだ。

はて、騎士らしくない。

ポリドロ卿の対応にも驚くが、それよりも彼女は異質である。

さて、どうしようと思うが、私には何もできぬ。

決闘相手への問い掛けも、どう戦うかも、何もかもポリドロ卿に主導権があるのだ。


「サムライ殿。先ほど、貴女は傭兵奴隷と申したが」


ポリドロ卿が、腑に落ちぬように呟いた。


「戦で負けました」


サムライが慎ましく、ぽつりと呟いた。


「ポリドロ卿はご存じないと思いますので、説明いたしますね。祖国には今もちゃんと統治機構たる幕府があるのですが――神聖グステン帝国と同じ、いえ、それ以下ですね。この国で例えれば皇帝陛下の相続争いで、歳遅くに子を産んだ正室と、養子との相続争いで帝国地盤が無茶苦茶になってしまって。諸侯が沢山起こした戦の一つで、私の国が負けてしまいました」


こてん、と首を横に傾けた。

私、困ってしまった、などという風情であった。


「私自身が負けたわけではないのですが、総大将を討ち取られ、人質に一族を捕らえられてしまってはどうしようもありません」

「それで、奴隷に?」

「はい。お前もお前の一族も殺さないが、お前だけは超人ゆえ邪魔である。この国を出ていけ。そう言われて、異国人の船に奴隷として売られてしまいました」


ポリドロ卿は、何か深く考えるような顔をしている。


「流れ流れました。私を買った人間は、この帝国で言う「神殺しの民」の一人でありました。奴隷商人は金のために贖罪主の宗教に改宗したと呟いておりました。布教のため――そう偽って、いいえ、本人は間違いなく自分は善良であるなどと信じていたのでしょう。船に乗って様々な異国に赴き、色々な人々を襲い、殺して財産を奪い、新しい奴隷を得て掠奪しました。私はその手伝いをした、奴隷商人の傭兵であったのです」


よくある話である。

このアレクサンドラにとっては、別段これといって感じるところはない。


「私の運命が変わったのは、その商人が私を奴隷として連れ、神聖グステン帝国に帰り着いてのことであります。ある日、テメレール様が私のところにいらっしゃいました。私の超人としての実力を聞きつけて『狂える猪の騎士団』に勧誘にきたとのことでありました」

「それで?」


対して、ポリドロ卿は酷く興味深げである。

サムライは答えた。


「私は奴隷の立場で、そのような勧誘をお受けできる立場にありませんと答えました」

「何故そのようなことを? 私なら受けている」


ポリドロ卿は不思議そうに呟いた。

なるほど、確かに法の上では奴隷である。

だが、そんなこと「どうでもよい」ではないか。

奴隷商人など、ぶっ殺して逃げたら良いのだ。

悪法も法など所詮は戯言である。

勝てばよかろうなのだ。

奴隷とて「後はどうでもいいから」の覚悟があれば、皇帝だってぶっ殺してよいのが世の中である。


「多分、疲れてしまったんでしょう。ええ、何もかもに疲れてしまっていたんです。私は意思が弱く、その――子供の頃から、こうでして。その気になれば一族を見殺しにて、どこか遠くに行くこともできたでしょう。気が向けば奴隷商人風情などその場で嬲り殺しにして逃げればよかった。でも、こうなんです。多分頭が弱いのでしょう」


そうやって生きてきました。

そのように、寂しげに呟く。

確かに、どうも意志薄弱で何をやっているのか、よくわからない人間もいる。

サムライもその類であるのだろう。


「ポリドロ卿が今お尋ねになられましたように、テメレール様も不思議そうになされました。

何故殺さない? お前の両手は何のためについている? ああ、たまにお前のような奴がいるんだが。お前、自分はもうそれでよいと思っているかもしれないが、本当にそれでいいのか、と」


ぽつぽつと、先ほどまでは語っていた。

それとは打って変わって、少し饒舌にサムライは口を紡ぐ。


「お前なんか勘違いしているな。腹が立たんのか? お前、奴隷商人に腹が立たんのか。お前だって薄々気づいているだろう。お前、侮辱されているんだぞ。お前はそれでうまく生きてきたなどと思い込みたいのかもしれないが、お前の事を嘲ってへらへらと笑っている奴がいるんだぞ。あの奴隷、なかなか使えるじゃないか。あの奴隷、主人に仕える心得が分かっているなどと」


テメレール公はこのように仰られた、と。

そのように楽しそうに語っている。


「お前を侮辱してへらへら笑っている奴がいるんだ。それだけで殺してやりたくならないのか。ならないなら、お前はもう奴隷どころか人間ではないぞ」


テメレール公の言うことは至極真っ当である。

貴族であろうが平民であろうが奴隷であろうが、侮辱されたら相手を殺すしかないのだ。

名誉を守るという理由、立場を守るという理由、大事だが、それだけではない。

自分の面子を踏みにじられたら、相手を殺すしかないではないか。

だが。


「お前を笑っている奴がいるんだ。お前、何どうでもよさそうな顔してんだ。さっさと殺してこい。侮辱には死をもって報復することが神聖グステン帝国全体ではともかく、ヴィレンドルフなんかじゃ当たり前のこととして許されている。レッケンベルを産んだあの狂った国では、殺された方が悪いとまで言われる」


ポリドロ卿を侮辱した口で、どうほざいてんだ。

そう思うが、はて、そういえば。


「お前がどうしても人に許可してもらえなければ動けない、頭がよろしくない類の人間なら、仕方ない。私が赦してやろうじゃないか。さっさと殺してこい」


ああ、そうだ。

私に対し、テメレール公は謝らないと答えた。

金を払うが、ポリドロ卿に山のような謝罪金を払ってもよいが、誤魔化せと。

私側の責任ではあるとちゃんと認識しているが、それだけはできぬと。

アナスタシア様の面子を潰したくはないが、あの男に謝罪するのだけは嫌だと。

レッケンベルに勝ったなどと虚偽を吐く男に頭を下げるなどと死んでもあり得ぬと叫んだ。

多分、あの時絞り出した言葉は、テメレール公の本音であったのだろう。

はて。

今、テメレール公は。

嗚呼、考えがまとまらない。


「私が赦してやるのだから、お前さっさと自分を侮辱した者を殺してこい。そう仰せられた」


どうも、眼前のサムライの言葉を聞きながらでは考えがまとまらぬ。

テメレール公とて、理解しつつあると思うのだ。

大砲の砲撃を跳ね返したことで、ポリドロ卿が本物の狂ったレベルの超人であることを。

ならば、今のテメレール公は何を考えているのだろうか。

答えが導き出せない。

ポリドロ卿の、銅鑼の様に笑う声が響いた。


「それで、殺しましたか」

「殺しました」


サムライは答えた。


「あの奴隷商人、時々私が人を殺す姿を見ては笑っておりましてねえ。テメレール様に言われるまで気付きませんでしたが、私腹が立ってたんですねえ」


サムライは、嬉しそうに語っている。


「まあ、奴隷商人をぶっ殺して、その後はテメレール様に仕えました。あの人、評判は悪いですけれど、自分が認めた人には優しいんですよ。そればかりか、領地と城までもらっちゃいました。異邦人なのにですよ。私なんか、祖国でも一族の隅っこに偶然産まれた超人だったのに」

「よかったですね」


ポリドロ卿は、その言葉に、本当に優しそうに答えた。

何故だかポリドロ卿、この人に酷く甘いな。

なんとなく女として嫉妬を覚える。


「さて、まあ、そういうわけです。ポリドロ卿、私は大砲の砲弾を撃ち返す貴方の姿を見ました。私が勝てるなど、欠片も思っておりません。なれど、私がテメレール様に従わない理由とはならないんです。そんなもの、口悪くいってしまえば糞ほどの理由にもならないんですよ」

「そうですね」


二人が、優しく会話している。


「私ね。私はですね。あのテメレール様のことが何処か好きなんです。あの夜会で侮辱された貴方がお怒りになられるのは当然です。それは私にとっても当然のことなんです。ですが、どうしても私はテメレール様のお味方がしたい」

「わかります」


優しい会話は続いているが。


「なれば、貴方に刃を向けることをお許しください。勝負の方法は、貴方の望む方法にて」


この二人は、お互いが死ぬ寸前まで刃を向けることを理解している。

サムライが鎮座する脇には、ふと奇妙な形の刃物があった。

鞘に入っており、長大であり、反りがある。

刀身だけで目測1.5mにもおよび、柄を含めるとなると更に長い。

普通の兵士なれば、馬の上でも振るえぬような武器であろう。

なれど、超人であれば扱うことができる。

私が知る最強超人たるポリドロ卿の様に。


「貴方の望む方法にて、と申したか」


ポリドロ卿が、小さく呟いた。


「はい、言いました」


サムライが答えた。

ポリドロ卿が再び小さく、それこそ私やユエ殿など無視をして。

――まるで、サムライと二人だけの空間に入ってしまったようにして呟いた。


「ならば、今すぐこの場にて。その太刀を鞘から抜き放った後に、その場にて」

「ポリドロ卿」


サムライが、本当に嬉しそうに答えた。


「すみません。すみませんね。そう仰ることは、先ほど頭を下げられた際に分かっていたのです。そういう御方だろうなと、理解してしまいました。もはや、言葉はいりませぬ。大変失礼をいたしました。鞘にまで気を配っていただいて」


そうして、深々と膝を折ったままに頭を下げた。


「申し訳ありません。テメレール様が貴方への侮辱に、貴方がテメレール様の元に辿り着いて、我が主がまず謝罪を為される前に、臣下としてお詫びいたします。本当に失礼いたしました」


そうだ、おそらくテメレール公は、あの性格を複雑骨折をしたような女は。

あの女が、超人といった優れた者に一定の敬意を払うことを私は理解しつつある。

ポリドロ卿が見事辿り着けば、あの女から出てくる言葉はまず謝罪からであろう。


「テメレール公は謝ってくださるんでしょうか」

「ちゃんと謝ってくださりますよ。まあ、それはそれとして死に物狂いで『私はまだ負けていない』と斬りかかってくるのがテメレール様なんですけど」


ポリドロ卿とサムライ。

二人は、本当に奇妙と思えるくらいに朗らかに笑った。

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