第71話 お前何しに来たの?

何の成果も上げられませんでした。

ロベルト暗殺事件における、その報告を聞いた時。

ヴェスパーマン家を潰そうか、と頭によぎった事がある。

だが、辛うじて思い留まった。

あの時は出来なかったのだ。

諜報統括たるヴェスパーマン家を、感情のままに取り潰す事など出来はしなかった。

世襲の法衣貴族は、その家系の存続に意味がある。

その家が持つ技術や知識の伝承、築き上げてきた寄子や親族関係の継承。

すでに出来上がった諜報網の破棄をしてまで、諜報統括者たる役職を別な家に挿げ替える事はできなかった。

だが正直、最近はどうでもよくなってきている。

あまりにもヴェスパーマン家の失点が多すぎるのだ。

私の後を継ぐ長女であるアナスタシアが、現在のヴェスパーマン家の当主たるマリーナを見込んでいるからこそ放置していたのだ。

代替わりの時期は近づき、私ことリーゼンロッテは女王としての役目を終えつつある。

だから、何事も今後はアナスタシアが決めて行けばよいし、私が口を挟む事ではない。

国家にとって最重要であったヴィレンドルフとの和平交渉も、少々ファウストに知恵を与えるだけで、基本的にはアナスタシアに任せた。

何もかもこれでよい。

これからはアナスタシアの時代になる以上、邪魔にならぬように自分は権力の座から退いて行かねばならぬ。

今の今までは、そう思っていた。

この王宮のバラ園にて、ファウストに連れられて、マリーナ・フォン・ヴェスパーマンが私の眼前に姿を現すまでは。

そうだ、私は失敗した。

酷く後悔しているのだ。

機会を見て、この愚劣な女の首を挿げ替えておくべきであった。


「貴女、何しに来たの?」


そう呟いた、私の顔は怒りで酷く歪んでいるであろう。

公人の私は酷く鉄面皮である。

だが、怒りの沸点を超えると、それは微笑みへと表情を変化させる。

私の表情は、それはもう酷く酷く微笑みを深くしながら、笑っている事であろう。

この自分の奇妙な癖に、今は少しばかり感謝した。

王家の事情に疎いファウストには、私が激怒している事を悟られずに済む。


「リ、リーゼンロッテ女王陛下におかれましては、本日もご機嫌麗しく! 本日は王配ロベルト様の暗殺事件において、ファウスト・フォン・ポリドロ卿の補佐を務めるべく参上いたしました!!」


上級法衣貴族たるマリーナは当然、私の微笑みが激怒を表す事を理解している。

声は上擦り、いつもの武官然とした様子は見られない。

もはやヤケになったように声を張り上げ、膝を折った姿のままで、私の顔を見据えている。

いい度胸だ。

真正面からブチのめしてやる。

アンハルト女王にして、代々狂戦士の超人たる血筋を引く、このリーゼンロッテを甘く見るなよ。

貴様の首をへし折り千切る事ぐらいならば、武器が無くとも素手で十分なのだ。


「貴女、何しに来たの?」


マリーナの言い訳なんぞ聞きたくもない。

ただ繰り言を吐き捨てる。

何故、諜報統括者たるお前が、私のファウストに対する恋心を読めないのか。

先代のヴェスパーマン家当主は、もうちょっと空気読めたぞ。

私はもう、今日こそはバッチリ決めるつもりで来たのだ。

お気に入りのオープンバックドレスに、王家一族の自慢である赤毛の長髪によく櫛を通し、ファウストから貰った石鹸でよく湯浴みをし。

ファウストと同じ、カモミールの匂いを身体中から振りまきながら、バラ園に来たのだ。

二度言うが、もうこのバラ園でバッチリ決めるために。

私は泣く予定であった。

亡きロベルトの事を思い出しながら、心の底から大いに泣く予定であった。

ファウストはその巨躯で、私に胸を貸しながら慰めてくれたであろう。

そして、私に股を開いてくれたであろう。

もう私の中で、それは決定事項であった。

今頃はもうバラ園で、二人して凄い事になっている予定であったのだ。


「リーゼンロッテ女王陛下――失礼、リーゼンロッテとお呼びする約束でしたね。今回の王配ロベルト様暗殺事件の調査には、前任者であるヴェスパーマン家の協力が必要と考えます。バラ園を歩きながら、当時の状況について尋ねたいと思います」


相変らず私のファウストは真面目である。

貞淑で無垢でいじらしい、朴訥で真面目な人柄。

その行動に澱みは無い。

ああ、確かに真面目なお前なら、ヴェスパーマン家に調査の協力をさせるであろうなあ。

私は額に手をやり、幾分か体温の低い手で、火照った熱を冷ます。

この展開は、想定の一つではあった。

だが、余りにも早すぎる。

空気の読めないこの目の前の小娘が、必死になってファウストに渡りを付けようにも、それを可能にするアナスタシアは今公爵領に向かっていて――そうか、ザビーネか。

ヴェスパーマン家から放逐された、第二王女親衛隊隊長。

あのチンパンジーがまだ居たか。

小娘どもが!


「問おう。ファウストへの渡りを付けたのは、お前の姉であるザビーネか?」

「――はっ、その通りです」


幾分か逡巡した後、マリーナが頷く。

この小娘! この小娘! この小娘どもが!!

表向きには微笑を浮かべながら、内心でひたすらに罵倒する。

何故に私の邪魔をするのだ。

私は本日のファウストとのデートを、心の底から楽しみにしていた。

ファウストと、私の愛の結実。

教会は激怒しようが、それを認めてくれない神の方が間違っているのだ、と。

昨日、一度はそう考えたものの、湯浴みの最中で考えなおした。

むしろ、神は認めてくれないどころか、私に神命を与えたのではないか。

私は神から祝福を受けたのだ。

そうとしか思えない。

だってアナスタシアもアスターテもヴァリエールも、まるで計画されたように今は王都にいない。

これはもう、明らかに神の祝福を受けている。

神が私にファウストの初物を摘むよう、使命を与えたのだ!

それはもう誰の目にも明らかではないか!!

油断すれば奪われる。

所詮、この世は弱肉強食が定め。

力無き統治者ほど、国民にとって害のある物はない。

女王の座を退く前に、この世の厳しさを、この母であるリーゼンロッテ自身が娘や姪に教える。

もうこれは感謝されてしかるべき事案であり、譲ってもフィフティ・フィフティであり、喧嘩両成敗であるとして娘や姪は許すべきなのだ。

そもそも創世記において、息子と近親相姦しやがった奴に比べたら大したことじゃない、些細な事であるのだ。

目の前に差し出された肉食って何が悪い!

自分の娘の婚約者に手を出して何が悪い!

思考は散文的に、ただひたすらに暴走を続けるが。

もちろん私は微笑みを浮かべたまま、口から虚を吐く。


「なるほど、ファウストの言はもっともだな。それはそれとしてだ。本日のバラ園の調査に関しては、まずファウストと私の二人だけで行うべきだと――」


私は勝利の美酒を味わうため、ファウストの羞恥という名の無花果の葉を一枚一枚取り去っていく作業をバラ園にて行うため、当初の計画案を実施しようと口にするが。


「リーゼンロッテ、それは駄目です。調査ではなく、無駄な散策となってしまいます。ここは一度三人で当時の様子について話し合うべきです」


ファウストは真面目だなあ。

でも私が調査したいのはお前の身体なんだよ!!


「私もそう考えます!」


ここで声を張り上げるマリーナは、空気が本当に読めない奴である。

小娘は黙ってろ!

クジラのケツにドタマ突っ込んでおっ死ね!

私は脳内で罵倒しながらも、考える。

どうすればいい?

どうすれば、この邪魔な小娘を潰せる?

まさか、本当に力技で亡き者にしてしまうわけにもいくまい。

少なくとも、ファウストの眼前でそれは出来ないのだ。

奥歯を噛みしめる力が、自然と強くなる。

考えろ、リーゼンロッテ。

何か、何か方法はないのか。


「リーゼンロッテ。手を」


ファウストが歩み寄り、私の手を握る。

――冷えた私の手と違い、その手はゴツゴツと剣ダコと槍ダコで膨れ上がっており、熱量を感じさせる。

ふ、とロベルトの事が、頭を横切る。

この手が原因だ。

もっとも、ロベルトの手は鍬ダコであり、農業と園芸のそれによる膨れであったが。

胸が、きゅうと小さくなるように痛む。

たまらなく悲しくなってしまう。

あまりにも、このファウストという一人の騎士は、その行動の一つ一つにおいてロベルトを想い出させる。

顔は似ていない。

ロベルトも身長は高く筋骨隆々とした容姿ではあったが、さすがにファウストのような鍛え上げられた鋼の肉体ではなかった。

ロベルトとファウストを相似させるのはたった一つ。

太陽としてそこにある、その雰囲気だ。

私は、太陽を一度失ってしまった。

だが、もう一度手に入れようとしている。

私は強く、ファウストの手を握り返す。


「とりあえず、一緒にバラ園を歩きましょう。一緒に手を繋いで、王配ロベルト様がリーゼンロッテに捧げたバラ園を私に紹介してください。」

「……ああ」


頷くしかない。

とりあえず、今日は諦めるしかない。

私の心中には燻る物が残っているが、それでも今日は――

二人手を繋いで歩くだけでもよい。

私は、もう納得しかけてしまっていた。

侍童だった時のロベルトが、私にニコニコと笑いながら、まだ基礎すら出来上がっていないバラ園がこれからどうなるのか。

他の侍童とは違い、女王候補である私に何の悪意も目論見も無く、地面に木の棒で線を引きながら。

本当に心の底から、嬉しそうにあの人は笑って私にバラ園の説明を――。

そう、一言一句覚えているのだ。

ここが、中央のローズガーデンで、ガーデンテーブルを置いて、そこから100mも続くバラの小径――散歩道を作って。

本当に嬉しそうに笑っていた。

嗚呼、本当に。


「何故死んでしまったのだろうなあ、ロベルトは」

「……それを、今から調べ直しましょう」

「ファウスト、今一度、私の心をお前に話しておきたい」


手を握ったまま、それが離れぬよう指を絡め合い、会話を続ける。


「私はな、今回の事件の解決など求めていないのだよ。もちろん、解決するに越したことはないが。もう5年になる。私は心の安寧が欲しい。全てをやるだけやったのだという、諦めが欲しいのだ」

「伺っております」


ファウストが、歩き出す。

一言、マリーナに対して後ろから付いてくるように、指示を飛ばしながら。

慌てて立ち上がったマリーナを背後につれ、ただただバラ園へと足を踏み出す。


「私は心の底から騎士としてあるがままに熱狂者として忠誠を尽くし、可能な限りの調査を行うように致します。女王陛下の心残りがせめて消える様に。やるだけの事はやったと満足がいくように」

「ああ、そうだな」


ファウストは鈍い男だ。

アナスタシアからの強い好意にすら、全く気づいていないし。

アスターテの事はただの尻好きの淫獣と看做している。

私の好意に至っては想像の範疇外であろう。

だが、その恋愛に疎いズレたところが私にはただただ、愛おしかった。

仕方ない、ひとまず妥協しよう。


「マリーナ、ひとまずお前の話を聞いてやろう。全ての情報の引継ぎ、お前の役割を話し終えた後は立ち去れ」


今日ばかりは、ファウストを抱く気にはなれなくなってしまった。

今度にしよう。

とりあえずは、ファウストとマリーナの考える様にやらせてやる。

ヴェスパーマン家の面子を立たせてやろうではないか。

正直、族滅させてやりたいものだが。


「あ、有難うございます。この一か月、ポリドロ卿の手足となってヴェスパーマン家一同にて、再調査にあたります!!」


ハキハキとしたマリーナの声。

酷く鬱陶しい。

ファウストさえこの場にいなければ、既に首をねじ切って玩具にしているというのに。

惚れた男の前では、選帝侯たる私と言えど、さすがに淑女でいなければならなかった。

空を仰ぎ見る。

ロベルトは、今頃天国で私の様子を眺めてくれているだろうか。

もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。

神により照らし出されたその場所にて、私を見守ってくれているだろうか。

もし見守ってくれているのならば、私の本願が叶う事を願って欲しい。

お前の造り上げたバラ園にてファウストを押し倒し、5年ぶりに凄い事をする。

女王という公人の立場からも、なんか母親への敬意が微妙に感じられない娘達からも解き放たれ、5年ぶりに全てを解放するのだ。

お前が天国から見てくれていると思えば、もうそれだけで私は背徳感から興奮できる。

味気の無い、塩味だけのパンすら美味しくなるのだ。

だから、ずっと私を見守っていてくれ、ロベルトよ。

手を繋ぎながら、バラ園の中に入る。

私はファウストを案内するように、ローズガーデンの入り口を見渡しながら。

バラ園のデートにて、初めてロベルトとキスをしたときの味を口内に思い出していた。


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