第70話 前任者の立場

ファウスト・フォン・ポリドロ卿は、特異な存在である。

ヴィレンドルフ戦役における勝利。

ヴァリエール第二王女殿下の初陣から発展した、国賊カロリーヌの討伐。

ヴィレンドルフ和平交渉の成立。

遊牧民族国家戦に向けての軍権の統一、まあ、こればかりは未だポリドロ卿の予想が正しいかどうか判らないのだが。

たった二年間で、数々の功績を成し遂げた。

もはや、アンハルトの大英傑であるのは誰もが認めよう。

だが、英傑だからといって、ヴェスパーマン家が担当している王配暗殺事件の調査の役目を奪われては困るのだ。

もちろん、ヴェスパーマン家が何の成果も上げられていないのは事実だ。

それは恥じよう。

だが、困る。

いよいよもってウチの面子は危ない事になっており、場合によっては貴族として死ぬ。

これでポリドロ卿が事件を解決に導きでもしたら。

ヴェスパーマン家は5年間、一体何をしていたのだと言う話になる。

王配ロベルト様は本当に愛されていた。

誰もがヴェスパーマン家の無能を罵倒するであろう。

上からも下からも突き上げられ、諜報統括者としての役職は誰かに奪われるであろう。

なので、それこそ姉妹二人して地に頭を擦り付けてでも、ポリドロ卿に調査への参加協力を嘆願しなければならない。

その覚悟で来たのであるが。


「まずは、先日のヴェスパーマン家への非礼をお詫びしよう。申し訳ない」


王宮の一室。

ポリドロ卿が与えられた客間の長椅子にて姉妹して座り、対面のポリドロ卿と顔を合わせる。

先手を放ってきたのはポリドロ卿であった。

眼を閉じながら頭を下げ、謝罪の言葉をこちらに述べる。


「先日、諸侯や法衣貴族が集まった満座の席で、ヴェスパーマン家を侮辱した。酷い事をしたと思う。だが、あの時あの場所にては、私にとっては必要な事であったのだ。何を言っても、言い訳にしかならぬ事は理解している。ただ言おう。本当に申し訳なかった」


じっと許しを請うように、頭を下げたまま姿勢を崩さないポリドロ卿。

意外である。

いや、もちろん諜報統括として、ポリドロ卿の人柄は知っている。

貞淑で無垢でいじらしい、朴訥で真面目な人柄。

王家の評価ではそうであるし、もちろん私の中でもかつてはそうであった。

だが、あのポリドロ卿が為した演説とゲッシュにおいて、印象は少し変わっている。

――あまりにも、直情的なのだ。

思えば、噂に聞くマルティナ嬢の助命嘆願でもそうであった。

女王陛下の王命に逆らい、頭を地に擦り付けながらの必死の嘆願であったと聞く。

ポリドロ卿の立場からはどう考えても、そのような事はすべきではないのだ。

何のメリットもない。

だが、自分の誉れゆえにそれをやってしまった。

別に頭が悪いわけではないのだ、むしろ知能は優れていると推測するのだが。

何か、ポリドロ卿はその独自にある誉れの価値観を元に行動しているようにすら思える。

騎士の誉れとしては、別に間違っているわけではない。

だが、領主騎士として、あそこまで直情的なのはいかがなものか。

考える。

そんな事は今、どうでもよい。

ヴェスパーマン家としては、その当主としては、ポリドロ卿の謝罪にどう答えるべきか。


「お気になさる必要はありません。ヴィレンドルフ戦役において敵の防諜を破れず、その侵攻を読めなかったのは事実であります。ヴェスパーマン家の明らかな手落ちでありました。こちらこそ申し訳ありません」


こんな時に、傲慢になるほど愚かしい事はない。

まして、今は追い詰められているのはこちらの方。

ここはポリドロ卿の謝罪を受け入れ、快く許すべきである。


「顔を、お上げください」

「本当に申し訳なかった」


ポリドロ卿が、その巨躯を揺すりながら顔を上げ、私の瞳を見つめる。

本当に、ポリドロ卿の性格自体は悪くないのだが。

そのポリドロ卿に、我が家は潰されかけている。


「ザビーネ殿、今回は謝罪の機会を設けて頂き、誠に有難く」

「これでも長女だったからねー。私、家から放逐されたけど」


ザビ姉が余計な事を言う。

姉ちゃんは、私を指さしながら呟く。


「別に恨んではないし、ヴァリエール様の下は居心地いいので、構わないんだけどさ」

「その話はヴィレンドルフからの帰路にて聞いておりましたが。本当に姉妹なのですか?」


訝し気にポリドロ卿は私とザビ姉を、つま先から頭まで比較し。

何故か、一瞬胸元を凝視した後、更に訝し気な顔になる。

まあ、確かに私の胸は平たく、ザビ姉のようにふくよかで、かつ前方に突き出してもいないが。

子にやる乳など、乳母に頼めばよいだけの話だ。

何故、ポリドロ卿は一瞬私の事を心底哀れそうな目で眺めたのか。

ザビ姉ほどではないとはいえ、私も諜報統括者として多少の能力は持ち合わせている。

視線で、どこで何を観察したかぐらいは判るのだぞ。


「なるほど、ご苦労されたようで」


ポリドロ卿は、私の苦労を憐れんでくれた。

なるほど、一瞬感じた哀れみの視線は、ザビ姉に振り回され続けた私への哀れみであったか。

納得する。

そろそろ、本題に移らなければならない。

王宮に滞在できる時間も少ないのだ。


「ポリドロ卿、先ほどの謝罪は受け取りました。二度の謝罪は必要ありませぬ。それよりも、本日は話が有って参りました」

「何の話でありましょうか? お詫びもありますし、多少の事ならお引き受けいたしますが。今は女王陛下からの王命もあり、その後にしては頂けないでしょうか」


ポリドロ卿の、その碧眼が私の顔を見つめる。

私は英傑としてのそれに、多少の威圧感を感じながら答えた。


「その、女王陛下からの王命が問題なのであります。王配暗殺事件において、本来その調査が任命されていたのはヴェスパーマン家でありました」

「……」


空気が止まった気がした。

ポリドロ卿の表情に、ピシリ、とひび割れるような音が入った気がする。

今理解した。

ポリドロ卿、おそらくは王配暗殺事件における前任者の面子とか考えていなかったな。

まあ、もちろん5年もの間、何の成果も出せなかった前任者の面子など考慮する必要が無いのは判るのだが。


「時間がありません、ハッキリと恥を申し上げます。このまま、もしポリドロ卿が事件を解決された場合、ヴェスパーマン家の名誉は地に落ちるでしょう。それは貴族としての死を意味します」

「まあ、そうでしょうね」


ポリドロ卿が顎に手を当てながら、思案の表情を見せる。

私は必死で言いつのる。


「下働きで良いのです。手足と思い、ご自由に使って頂いて構いません。どうか、何卒」


私は長椅子から立ち上がり、背をピンと伸ばし、靴の踵を合わせながら。

深く、頭を下げながら頼み込む。


「ヴェスパーマン家を、この私を、王配暗殺事件の調査に加えて頂けるようお願いいたします。我が家を助けて頂きたい。もちろん、謝礼金はお支払いいたします」


ここで断られでもしたら、酷い事になる。

数々の失態の責任を取って私に家督を譲った母も、家で頭を抱えながら待っている事だろう。

何の成果も得られませんでした。

そう報告した時の、卒倒する母親の姿が思い浮かぶようであった。

母はまだ若いが、ヴェスパーマン家に降り注ぐ数々の難題、そしてザビ姉に対するストレスのせいで、明らかに歳より老け込んでいた。

今、私の肩に家の浮沈がかかっているのだ。


「コイツ金払うって言ってるしさあ、それで勘弁してくれない?」


ザビ姉がヘラヘラ笑いながら、ポリドロ卿に話しかける。

このクズ、ちょっとは真面目に手助けしろよ。

ポリドロ卿の前でなければ、確実に殴っていた。

こっちは死ぬか生きるかの状況なんだぞ。

だが感情を隠せなければ、諜報統括役は務まらない。

落ち着け、私。


「……承知しました。協力して頂きましょう。謝礼金はいりません」


しばし思考の後、ポリドロ卿は頷いた。

押し潰されたように追い詰められていた肺が機能を回復し、安堵の息を勢いよく吐き出す。

なんとか、ギリギリで命を拾ったぞ。


「正直、私が暗殺事件を解決する事は経った歳月もあり、困難でしょう。ですが命じられた以上は、全ての事を行わなくてはなりません。どのみち前任者からは、全ての情報を譲っていただけるよう頼むつもりでありました。丁度いいお話です。調査に任命された立場として、ヴェスパーマン家に正式な参加協力を要請します」

「誠に良い判断かと!」


勢いよく、下げていた頭を上げる。

良い人だ。

本当にポリドロ卿は良い人だ。


「え、ポリドロ卿はお金要らないの? コイツ言えば絶対払うよ」

「さすがに受け取れませんよ。立場の悪用です。その調査役としての立場を悪用してお金を受け取ったなどとリーゼンロッテ女王陛下が聞けば、心の底から私に失望されるでしょう」

「まあ、考えればそうか。でも、私にはキチンと紹介料を払えよマリーナ」


ポリポリと頭を掻きながら、クソ姉が私に言い放つ。

コイツ、ポリドロ卿が断ったのに自分はキッチリ金取るのかよ。

しかも、本当にポリドロ卿には渡りをつけるだけで、一緒に頭を下げる事すらしてくれなかったぞ。

だけど、それでも――ポリドロ卿の手前、ここで言い争うわけにはいかない。

いくらクソとはいえ実の姉で、確かにポリドロ卿には渡りをつけてくれたし、ポリドロ卿とザビ姉が近しいのも事実ではあるようだ。

悔しいが、姉への仲介謝礼金だけは支払うしかない。

半額になっただけマシと思うしかないのだ。

私は胸をムカつかせる。


「用件は以上でしょうか?」

「はい。日も遅いのに、こちらの急な申し出に応じて頂き、誠にご迷惑をおかけしました」

「構いません。こちらも王宮の勝手がわからず、茶の一つもお出しできず、誠に申し訳ありません」


互いに、頭を下げ合う。

なんで、こんな良い人がザビ姉と親しいんだ?

理解不可能だ。

こういう真面目な人は、クズでアホな姉の事を嫌いそうなものなのだが。


「衛兵に追い出される前に失礼する事にします。ポリドロ卿は明日から調査を開始される予定ですか?」

「はい。女王陛下が公務を一時、実務官僚に任せるそうで。私と陛下で、明日はバラ園の調査を行う予定です」

「では、明日からさっそく参加させて頂きます」


さて、考えろマリーナ・フォン・ヴェスパーマン。

リーゼンロッテ女王陛下は、めっきり我が家に失望しているだろう。

お前何しに来たの?

そういった冷たい視線、或いは言葉を受けることも覚悟しなければならない。

おそらく、ポリドロ卿から正式に参加協力を要請されたとの一言で、話は通るであろうが。


「ねえ、ポリドロ卿。今晩は泊っていっちゃ駄目かな? 夜まで話したい事があるんだ」


このクソ姉何言いだすんだ。

その視線は、黙って大きなベッドを見つめていた。

お前ぶん殴るぞ。


「生憎、ヴァリエール第二王女殿下の婚約者としての立場がある以上、女性を部屋に御泊めすることはできません」


ポリドロ卿が、残念そうに呟く。

何故、そんなに残念そうなんだ。

え、本当にザビ姉とポリドロ卿、男と女の関係的な意味で仲がいいのか?

冗談じゃなくて?


「結婚まで純潔を守らなくてはなりません。そしてヴァリエール第二王女殿下を裏切る事も私にはできません」


ポリドロ卿は、当然の事を呟く。

呟くが、明らかに挙動不審である。

性的な事を発言されて、戸惑っていると最初は判断付ける、が。


「でも、私と褥を共にするのは嫌じゃあないでしょう」

「……」


ザビ姉の言葉に応えるのは、ポリドロ卿の沈黙。

ポリドロ卿の顔を見つめるザビ姉の表情が、卑猥に歪んだ。

ザビ姉は、人の顔色を見つめるだけで真偽を判断できる。

え、ガチなの?

ガチなのか、この人?

ザビ姉のどこがいいんだ?

私は、ポリドロ卿の女の趣味を心底疑った。


「お答えできません」


ポリドロ卿は首を横に振っているが、もう何だか私の目にも明らかに判るくらいに残念そうである。

貞淑で無垢でいじらしい、朴訥で真面目な人柄。

それには間違いない。

だが、些か直情的であり、思慮には欠けるところがある。

その性格に、更に追記すべき事項がある。

ファウスト・フォン・ポリドロ卿は、実はエッチな事に凄く興味がある。

女顔負けの大英傑が22歳にして未だ純潔を保ちながら、実は淫乱な事に酷く興味があるとは。

もちろん、これは誰にも言えない事だ。

もしアナスタシア第一王女殿下やアスターテ公爵に一言でも呟いた場合、その場での激昂とともに、私は首を刎ねられるであろう。

口にしても、誰にも信じてもらえないだろう。

だが、それでも、いや、それゆえにか。

眼前の男騎士が純潔の淫乱であるという事実を知り、私ことマリーナ・フォン・ヴェスパーマンは、何だか股が濡れる程に酷く興奮してしまったのであった。

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