第72話 カモ食わねえか?

第二王女親衛隊は貧乏である。

第二王女親衛隊の隊員達に与えられた寮、その共有の小さなダイニングルームにて私は思う。

ヴァリエール様の初陣における功績により、我々は一階級昇位した。

私達の手柄とはとても言えないが、来年にはヴィレンドルフ和平交渉の功績により、更に昇位するであろう。

経済状況は多少マシになってきた。

だが、世襲騎士の階位まではまだ遠い。

更に言えば、第二王女親衛隊の役職手当は、第一王女親衛隊のそれと比べると安い。

ヴァリ様の歳費が、とにかく安いから仕方ないのだ。

とかく金がない。

どうしても、装備を重視すると金がかかるのだ。

私達は、実家から騎士装備一式を与えられて送り出されたのではなく、それこそ捨てるように放逐されたのだから。

まあ愚痴を言えば長くなるので、もう止めておこう。

そんな金がない私達に、だ。


「カモ食わねえか?」


親衛隊長であるザビーネが、何故か数匹の鴨を腰にぶら下げて帰って来た。

私達三人と言えば、朝食中である。

硬いパンをミルク粥に漬けて柔らかくして、流し込むように口に詰め込みながら、少し考えた後。

親衛隊員の一人である私は、思わず呟いた。


「どこの教会から盗んできたの?」

「盗んでないわ! 私をなんだと思っている!!」


なんたって、アンハルトからヴィレンドルフまでで、一番頭がおかしい女と後世で言われてもおかしくないのが、目の前のザビーネだ。

お腹空いた→肉食いたい→どこぞの教会にいって肥育されている鴨を盗んできた。

このルートはあり得る。


「お前等、肉要らないのかよ」

「いや、食べたいけど、どっから盗んで来たのかを、まず聞いてから判断するよ」


ヤバイところのものじゃなかったら、食べよう。

ヤバイところのものだったら、私と他の隊員の計三名でザビーネをシバいて、謝りに行こう。

ストッパーであるヴァリ様がいない今、私達三人がしっかりザビーネを止めなければならない。


「ちゃんと実家で肥育している鴨を奪ってきたから大丈夫だよ!」

「……」


少し、考える。

私達、実家と縁切りしてるから家に帰れないだろ。

というか、私達だって実家なんぞに帰りたくない。

この隊員寮が私達の家だ。

ヴァリ様だけが私達の主である。

それだけはザビーネも仲間として、絶対に裏切らない。

ザビーネ、何しに実家に帰ったんだよ。

というか、奪ってきたってお前。


「朝っぱらから飯も食べずに姿を消したと思えば、実家に鴨盗みに行ったの? そもそも何で鴨なんか肥育してんのさ、お前の家」

「いや、真正面から怒鳴り込んで、金せしめに行ってた。鴨は来客用に肥育しているもので、ついでにぶっ殺して奪ってきた」


金って、何の金だよ。

三人して訝し気な顔をしながら、粗末な朝食を終え、木製の食器を片付ける。

その間もチラチラと、ザビーネが何故だか凄い自慢げに、私達の目の前に突き出してくる鴨を見る。

鴨食いたい。

そんな私達の思考など、ザビーネの悪賢い頭では理解しているのであろう。

ニンマリと笑いながら、これを見ろ、と言い放ちながらダイニングテーブル上に袋を投げた。

その袋から、ジャラリと零れ落ちる金貨。

選帝侯として鋳造権を持つ、アンハルト王家が発行した金貨である。


「……」

「どうだ、凄いだろ」

「え、これ何枚あるの?」


ダイニングテーブルから、自分の年給に値する額の金貨が零れ落ちて床に転がる。

眼が眩むどころか、正直ドン引きした。

袋の中身は少なく見積もっても、私の一生分の給金を遥かに超えている。

お前、何したの?

背筋にゾクリとした悪感が走る。

絶対ヤバイ事した。

絶対にヤバイことしやがったぞ、コイツ。


「とりあえず殴る」

「なんで!?」


私達三人は親衛隊長たるザビーネを捕まえて、リンチする事にした。


 


 






「お前等カモ食うな」

「謝ったじゃん!」

「お前らが謝ったら、私の殴られた痛みが消えるのか?」


行きつけの、小さな安酒場である。 

ザビーネと隊員三名、今回ばかりは貸し切りとはいかない。

隅っこのテーブルで安ワインを口にしながら、鴨肉のスープが出来上がるのを待つ。

この酒場は材料持ち込みで、料理してくれるから好きだ。

 

「鴨肉が食べたいんだよ!」

「そうだろうと思って、家の鴨ぶっ殺して持って帰って来たのに、なんで私殴られなきゃならないの?」


ザビーネは酷く不機嫌である。

いや、お前の日ごろの行いが悪いからだろ。

絶対にコイツ、ヤバイ事やらかしたと思うだろ。

今までの人生で見た事も無い、とち狂った枚数の金貨をダイニングテーブルにぶちまけたんだぞ。

私達は悪くない。

鴨食べたい。

肉汁で口の中を一杯にしたいのだ。


「とりあえず、話は聞いたけど。ようするにあの金貨の山は、ポリドロ卿と渡りをつけるための仲介金なんだな」

「そうだよ。私とポリドロ卿との共同作業だよ」


何が共同作業だ、何が。

それにしても凄まじい額だった。

ヴェスパーマン家、かなり貯め込んでたんだな。


「いや、本当によかったの?」

「何が?」

「いや、さすがに……」


あの額を分捕ってくるのは無いだろ。

それに、その上で「お腹が空いたから、ついでに鴨をぶっ殺して持って帰ろう」って山賊でも考えないわ。

どういう思考回路してんだザビーネ。


「もう実家じゃないから知った事じゃない。私はザビーネ・フォン・ヴェスパーマンと名乗ってはいるけど、ただそれだけ。もう諜報統括としてのヴェスパーマン家とは赤の他人だから」

「……」


しれっ、と呟きながら、ザビーネは安ワインを口にする。

呟いたその声色は、酷く冷たいものであった。

背筋が寒い。

身内としては怯える必要ないのだが、ザビーネの冷酷さを見た。

貴族教育としての冷酷さ、騎士教育としての冷酷さ、どちらでもない。

ザビーネ・フォン・ヴェスパーマンという一人の女は、おそらくは最初からこう産まれついたのだろう。

そういえば、初陣でも最初に敵をぶっ殺したのはザビーネだ。

何のためらいもなく、至極当然の事のように平気な顔をして殺していた。

その後は戦争の熱狂に呑まれるでもなく、後方に下がり、淡々と戦闘指揮を執っていた。

正直、あの時は後ろから掛けられる指示が、心の底から有難かった。

ザビーネを隊長にして良かったと思った。

それはそれとして。

お前ぶっちゃけ怖いよ。


「そんな目、するなよ」


酷く傷ついた表情でザビーネが呟く。

いつものヴァリ様にシバかれている時の顔ではなく、本当に傷ついたという顔だ。

思わず目を覆い、恐怖の目で見てしまった事に後悔する。


「悪かった」


素直に謝罪を口にした。

ザビーネは私達の隊長であり、それ以前に仲間だ。

それをこんな目で見てはならない。

ハンナがヴァリ様を庇って死んだとき、狂ったように泣いていたザビーネの事をもう忘れたのか。


「本当に、悪かったよ」


心の底から謝罪をする。

椅子に座ったまま頭を平に下げる。

それは私だけでなく、他の二名も同じであった。


「もういいよ。それより、あの金の使い道についてなんだけどさ」


あっさりとザビーネが許しの言葉を呟く。

そして、金の使い道について矛先を向けた。


「使い道って、まあザビーネが鎧や馬でも買えば?」

「まあ、私も使うよ。使うけど、それより兵が欲しいんだよ」

「兵?」


ザビーネの言っている事がよく判らない。

我々は騎士教育も中途半端なので、この辺りは教養のあるザビーネに負ける。

騎士教育はちゃんと受けたのに、どこか頭がおかしいからという理由で放逐されたらしいザビーネとは違う。


「従者だよ、従者。騎士にはやっぱり従者が必要でしょ」

「馬も持ってない私達に従者が必要だと?」

「要るに決まってる。馬も必要かなー、とは思ったけどさあ。先に兵だよ兵。やっぱり数が必要だよ。私達はポリドロ卿みたいな、一騎当千に値する超人じゃないんだよ。数こそが暴力になるよ。ぶっちゃけ死にたくないし」


ズバズバと本音を吐く。

まあ、私もヴァリ様のために死ぬなら笑って死ねるが、別に好き好んで死にたいわけでもない。

ハンナの死は大きかった。

これ以上騎士の数を減らすのは、ヴァリ様にとっても宜しくない。

未だにハンナの死による欠員補充を、ヴァリ様は拒んでいるのだから尚更だ。

我々はもはや、簡単には死ぬことが許されない立場なのだ。


「私達が初陣を共にしたポリドロ領民程の練度も忠誠も求めちゃいない。だけど、最低限逃げない奴が欲しい」

「つまり?」

「どこにも行けない、行く場所の無い、私達と同じようなスペア。平民の三女や四女を、従者として雇い入れようと思う」


あれだけの金があれば、確かに可能だろう。

そして「私達と同じようなスペア」という言葉は、酷く聞こえが良かった。

なるほど、私達と同じく家から放逐された女達なら、青い血と平民の垣根はあれど上手くいくかもしれない。


「捨てられた者同士、仲良くしましょうねー、て奴だよ。装備だって、あれだけの金があれば買える。ポリドロ卿を見習おう。騎馬対策に、柄の長いパイクを用意しよう。マスケット銃やクロスボウもいいな」

「銃が手に入るの? あれ、金さえあればって物じゃないでしょ」

「私、ポリドロ卿に司祭への推薦状書いてもらって、この間ケルン派の改宗受けて来たんだよ。何せ実家から放逐された立場だから、私個人が改宗しても誰にも迷惑かけないし」


何時の間にそんな事になってたんだ。

というか、何から何まで準備が良すぎる。

いつからザビーネはそんな計画を考えていた?

ヴァリ様に用意された歳費では、とても成し得ない計画だぞ?

ザビーネの頭が幾ら回るとはいえ、急に大金が入るなんてことは想像の余地もなかったろう。

想像できてたら怖い。

というか、想像できなくても、こうも頭がくるくる回っているザビーネは純粋に怖い。


「ケルン派はメリットが大きい。ケルン派は火力を信仰している。ケルン派は信徒の浄財を火器開発に注いでいる。ケルン派は宗派の拠点でマスケット銃を大量生産している。ケルン派はマスケット銃を信徒に安く売ってくれる。なんて素晴らしいんだ、ケルン派」


頭おかしい宗派。

どう考えても頭おかしい宗派である。

この世界のマスケット銃持ってる傭兵を見れば、もう確実にケルン派である。

ポリドロ卿に関してはポリドロ領自体が、遥か昔からケルン派を信仰していたらしいから、どうしようもないのだが。


「ついでだ。お前等もケルン派に改宗しろ。従士にする平民達も、全員ケルン派に改宗を受けさせるぞ。数を集めれば、より安くマスケット銃を売ってくれるだろう。楽しくなってきたな」


私はお前が恐ろしくなってきたよ、ザビーネ。

何でコイツ、長女なのに家継げなかったんだろう。

いや、品性もない、理性もない、コイツが家を継げなかったのは理解できる。

4年間、この馬鹿と付き合ってきた第二王女親衛隊とヴァリ様なら、もう嫌というほど理解できる。

それにしたって、ヴェスパーマン家は最後の最後、ギリギリまで死ぬほど悩んだんじゃないかと思う。

一度、登城してた先代のヴェスパーマン家当主を目にしたことがある。

年齢に見合わず、酷く老け込んでいた。

全部ザビーネのせいだろうなと思う。

コイツを押しのけて家督相続を勝ち取ったマリーナは、それほど優秀だったのだろうか?


「なあ、ザビーネ。お前の妹って優秀?」

「何だよ、突然。そりゃ優秀だよ」


お前より優秀なのかが聞きたい。

理性も品性もあるザビーネを想像すると、吐きそうになってきた。


「当主ついでも問題ないくらいには、優秀だけどなあ。アイツ空気読めないところあるからなあ」

「空気が読めない?」

「うん。まあ経験が足りないってのは、とにかくデカイ。私みたく、本当にキッツイ目を味わわされた事が――ハンナの死を契機にして、どうすれば皆が死なずに済むか、どうすればヴァリ様を守れるか、みたいな事を一度も考えた事が無いんじゃないかと思う。ギリギリの限界まで、追い込まれた事が無い。自分が死んだほうがマシだったって目に遭った事が無いから、ぬるいのはまあ仕方ない。でも、やっぱりぬるい」


そんな事考えてたのかザビーネ。

考えてたんだろうなあ。

さっきから口にしているアイデアは、ずっとずっと考えていないと、さすがに出てこないだろう。

まだハンナの死を気にしているのだろうか。

――している、だろうな。

ヴァルハラに逝ってしまったハンナは、ザビーネの事などこれっぽっちも恨んでいないだろうに。

ザビーネの知能は、ハンナの死を契機に異様なまでに発達している。

品性と理性が払底している事だけには変化ないが。


「要するに、詰めが甘い。色々とぬるい。何も諜報統括で文官たるヴェスパーマン家の当主に、本当に戦場に出て命のやり取りやってこいとまでは言わない。でもまあ、一度痛い目に遭った方がいい。これから遭うだろうけど」

「ん?」


何か、今妙な事を口にしたが。

ザビーネは口元に手をやりながら、何やら思案顔で呟く。


「お前等に尋ねるけどさあ。仮に自分が好みの男と、バラ園で二人きりのデートの誘いに成功したとしよう。私ことザビーネが、何故か邪魔しに現れました。さあどうする?」

「ぶっ殺す」


答えは一つだ。

ぶっ殺すに決まっている。


「うん、殺すだろね。私だって、ポリドロ卿とのデートを邪魔されたら、そいつを殺すし。まあそう言う事だよ」

「どういう事?」

「そう言う事だよ」


ザビーネが一人で、よく判らない事を口にする。


「なんかライオンは子供を育てる際に、その愛情から子供を崖に突き落とすって吟遊詩人に聞いたことあるけど本当なのかねえ? 私は実家の仕事、吐き気がするほど大嫌いだったけど、まあ妹の事は嫌いじゃなかったよ」


ザビーネは金髪の長髪を搔きあげ、その美麗な顔で、何もかも忘れてサッパリしたような顔で呟いた。

その呟きは愛憎が入り混じった声であったが、ザビーネの心は判らない。

でもヴァリ様、ザビーネが私費を投じて第二王女親衛隊を強化する事に賛成するだろうか。

立場が逆転している、と反対する気もするのだが。

ザビーネもザビーネで、私費を投じてまで、我々を守ろうと言うのは。

なんとなく、こそばゆい。


「鴨肉のスープです」


安酒場の店主が、私達の席まで料理を持ってきた。

今はただ、ザビーネに感謝して肉を食べよう。

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