第67話 罪と罰
「王配暗殺事件調査? 私、全然関係ないじゃん」
私こと、ファウスト・フォン・ポリドロは、第二王女相談役として王家より与えられた下屋敷。
その応接室にて、使者に答えた。
「いや、関係ないとは言えないでしょう」
長椅子の横に座っている、未だ9歳児にして大人顔負けの叡智を誇るマルティナが呟く。
何故だ。
私はもう明日には下屋敷を引き払い、我が領地たるポリドロ領に帰るつもりであったのだが。
何故その悲願を邪魔するのだ。
今年の軍役は果たした。
山賊相手のヴァリエール様初陣のはずなのに、規模が大きくなり地方領主の精鋭を敵に回す事になったが。
次に、和平交渉も果たした。
ムチムチの肢体をした同い年のカタリナ女王と、2年後に褥を共にする約束をしたけど。
いや、それは別に嫌じゃないからいいんだけどさ。
最後に、東の果てからいずれやってくる遊牧民族国家対策のためにゲッシュを立てた。
これは7年以内に遊牧民が攻めてこなければ私が死ぬんだけど、まあ良い。
あのやり方以外に、私の愚かな知能では思いつかなかったのだ。
どういう道に行きついたにせよ、やるだけの事はやったのだと諦めがつく。
で、だ。
「私は頑張ったんだ。本当に頑張ったんだ。もう領地に帰って休ませてくれても神罰は下らないだろう? 神様だって天地創造の7日目には休息を取ってるんだぞ?」
「スケールの大きな話をしますね。小さな話を大きくすると、ファウスト様の格が落ちますよ?」
「割とスケールの大きい事をこなしてきた記憶が残ってるんだが」
目の前の使者を置き去りにして、横のマルティナと会話する。
使者の言葉はこうだった。
王命により、只今より王配暗殺事件調査に当たれ。
調査に必要な権限は、全てを与える。
何故私がそのような事をせねばならぬ。
そう考えるが。
マルティナが、形の良い眉をひそめて呟く。
「ファウスト様、お忘れではないと思いますが。私の助命嘆願にて、王命に一度逆らっておりますよね。そこでリーゼンロッテ女王陛下に貸しが一つ残っております」
「記憶している」
それは覚えている。
だからといって、何故に王配ロベルト殿の暗殺事件を調査せよと?
私はもう明日には下屋敷を引き払い、我が領地たるポリドロ領に帰るつもりであったのだが。
何故その悲願を邪魔するのだ。
それより何より、私は王配ロベルト殿と会った事が無い。
さすがに筋違いではなかろうか?
「そして王配ロベルト様のバラを黙って盗んだ事、もちろん覚えておられますよね?」
「覚えている。が、未だに謝っていない。その件については私のミスだ」
帰り着き次第、ヴァリエール様と一緒にリーゼンロッテ女王に謝罪するつもりであったが。
私の嘆願と、ゲッシュでウヤムヤになったままだ。
思わず頭を押さえる。
謝るの忘れて、領地に帰ろうとしてたわ。
あれ、これもしかして女王陛下、激怒しておられる?
私はマルティナに尋ねる。
「女王陛下、怒ってるかな」
「いえ、ファウスト様は和平交渉の大役を果たされました。その和平を結ぶのに必要であった以上は、怒ってはいらっしゃらないと思いますが……」
マルティナは口元に小さな手をやりながら、首をかしげる。
私としては、拙いミスをしたと戦々恐々なんだが。
私達二人の無視に耐えかねたように、使者が口を開いた。
「リーゼンロッテ女王陛下は、その件については怒っておられませぬ。ですが、これも何かの縁であると仰せになられました」
私は答える。
「御言葉ですが、王命といえど、お引き受け致しかねます。解決の糸口が見えませぬ」
私はリーゼンロッテ女王陛下を、心の底から評価している。
あの女王が、手練手管を駆使して犯人が見つからなかったのだぞ。
ましてや、死後5年が経った事件など解決するものか。
私はオーギュスト・デュパンではないし、シャーロックホームズでもないのだ。
超人ではあれど、『武』の一文字のみを掲げる武骨一辺な領主騎士にすぎない。
「解決は求めておりませぬ」
「と、いうと?」
使者の言葉に、私は怪訝に答える。
「女王陛下は、事件の解決を求めておりませぬ。求めるのは心の安寧であります。1ヵ月でよいのです。ポリドロ卿の助力を得て、それで解決しなければ諦めてしまおうと」
「つまり、王配暗殺事件の調査を打ち切るにあたって、何かしらのきっかけが欲しいと?」
私の言葉に、使者は黙って頷いた。
――いかんな。
女王陛下の気持ちを慮ると、可哀想になってきた。
ヴァリエール様から話は聞いた。
リーゼンロッテ女王は、心の底から王配ロベルト殿を愛しておられたと。
冷静沈着な威厳ある女王陛下として、いつも振舞っている彼女が、だ。
発狂したかのように手を尽くして、犯人を捜したのだと。
しかし、見つからなかった。
女王陛下は、その選帝侯の権力を以てしてもどうにもならない、その結果に打ちひしがれたのではないか。
バラ園での会話、ロベルト殿と初めて会った時の事を話していた女王陛下。
あのローズガーデンにて、私が美しさを褒め称えた事を、夫が褒め称えられたように心の底から笑顔を見せていた女王陛下。
それを思い出す。
駄目だ。
私はすっかり同情してしまっているではないか。
女王陛下は、どのような気持ちで今回の事を依頼したのであろう。
どのような悲しい気持ちで、もはや解決など望まぬと、これでお終いにしてしまおうと。
貸しを消費してまで、今回の事を依頼したのであろう。
いかん、真にもっていかんな。
私は心の底から女王陛下に同情しているのだ。
自然と亡き母、マリアンヌの事を想いだす。
心の底から愛している人間を失った時の喪失感は恐ろしいものだ。
まるで自分が生きていてはいけないような気分になる。
だから。
私は自然、言葉を口にしていた。
「今回の件、お引き受けいたします。それが女王陛下にとって少しでも、心の慰めになるのであるならば」
「おお、さすがポリドロ卿」
使者が喜んで答え、安堵の息を吐く。
横をチラリと見る。
マルティナは、未だに何かまだ考え込んでいるようであった。
何を考えているのであろうか。
公人としての女王陛下のことなら、何か策を巡らしているのかもしれぬ。
領主騎士として、領民300名足らずの小さな国の君主として警戒せねばならぬ。
だが、今回は私人としての頼みの側面が強い。
リーゼンロッテ女王は、心の慰みを求めているのだ。
ならば、何も裏を疑う余地など無い。
私は心の底から騎士としてあるがままに熱狂者として忠誠を行い、王命のあるがままに王配暗殺事件の調査を行う。
多分、何も見つからないであろう。
何の成果も得られませんでした。
そう、女王陛下には報告する事になるであろう。
悲し気に、そうか、と一言呟く女王陛下が頭の中に浮かぶ。
だが、それでリーゼンロッテ女王の心残りが消えるならば、それで良いではないか。
5年晴れる事の無かった心の安寧が訪れるならば、それで良いではないか。
そう思う。
「ヘルガ!」
声を張り上げ、従士長たるヘルガにドアを開けさせ、応接室に入らせる。
「お呼びでしょうか、ファウスト様」
「私は王都に一か月ほど残る。お前達は先に領地へと帰れ」
「ファウスト様を置いてですか?」
ヘルガが、批難に満ちた視線を使者へと向ける。
私はそれを止めさせるべく、言葉を続ける。
「置いてだ。今回残るのは私の意思によってであり、王命による強制などではない。理解せよ。マルティナも一緒に連れて帰れ」
「ファウスト様、私は騎士見習いとして常に傍におります! 第一、ファウスト様の身の回りの世話はどうするのですか!!」
マルティナが続けていた思考を止め、抗議の声を挙げる。
世話など、本来はいらんのだ。
そもそも、この世界ではやや窮屈な男の身であるからして、生活の殆どは自分で処理しているのだ。
「お前には騎士たるものが何か、その殆どを何も教えてやれていないのが私も不満ではある。だが、一か月後には私も領地に帰る。それまで教えた剣術の練習でもしていることだ。何、ヘルガが相手をしてくれる」
あえて言葉にはしないが、愛馬フリューゲルも今はいない。
以前にアスターテ公爵と約束した種付けのため、アスターテ公爵の領地へと旅立ってしまった。
やや不服そうな顔をしたフリューゲルの顔を思い出すが、お前の行きつく先はハーレムだぞ。
未だ童貞たるこの身には実に羨ましい事である。
「これはファウスト・フォン・ポリドロの名誉を賭しての決定事項である。ヘルガ、マルティナを連れて明日には皆で領地へと帰れ。私はイングリット商会の商業馬車にでも乗せてもらい、領地へと一か月と少しで帰る」
「……承知しました」
不服そうに、ヘルガが答える。
横のマルティナは、何か腑に落ちない、という表情を続けていたが。
元々、マルティナの助命嘆願に端を発する貸しである、反対できる言葉も無かったのであろう。
コクリ、と黙って頷いた。
「それでよい」
私も黙って頷く。
うむ、何やら晴れ晴れしい気分である。
まあ、それは結論としていいとして。
「それはそれとして、リーゼンロッテ女王陛下の御機嫌を伺わねばならぬ。マルティナ、そして使者殿。いくら女王陛下が気にしていないとはいえ、謝罪はキチンと行わなければならぬ。何かないか」
「何か、と言いますと?」
「ヴァリエール様と一緒に謝罪する以外の何かだ。今いないだろ、ヴァリエール様」
ヴァリエール様は今、王都におられない。
ドサ回りである。
アンハルト王国中を親衛隊の一部と共に馬で駆けまわっての、地方領主への挨拶である。
先日の女王陛下への嘆願、仮想モンゴル帝国相手への軍権の統一は殆どの諸侯、地方領主から同意を得たが。
あの場におらず、代理人も居なかった者もいるのだ。
もちろん、その全てに対してヴァリエール様が軍権を委ねるよう話し合いに行くのではない。
あの場に居なかった小領の領主騎士には、寄親から話もあるだろうし。
侯爵といった、その勢力圏内に領地を構える地方領主には、その諸侯から話が有ろう。
だが、いるのだ。
この私、ファウスト・フォン・ポリドロのように、どこの貴族とも縁を持ち得ない偏屈な領主騎士が。
最低限の軍役は双務的契約により行うが、それ以上の事はお互い不干渉を決め込む領主が。
私の場合は望んでではなく、母たるマリアンヌの狂人としての汚名が原因ではあるが。
ともかく。
ヴァリエール様は、そういった領主騎士へ軍権を預ける様に説得のため出立された。
あの方はあの方で、ちゃんと私と一緒に女王陛下に謝ろうね、という約束を忘れている。
私もつい忘れてしまっていたけどさあ。
まあ、似た者同士というか。
政治オンチの馬鹿者同士というか。
私とヴァリエール様は似通ったところがあるのかもしれない。
そんな事を、ふと考えながらも脱線した話を戻す。
「とにかく謝罪の際に、何か言葉だけでなく贈り物を持参しなければなるまい」
「そういうことですか」
マルティナが、得心したと頷く。
そして言葉を紡いだ。
「高価な贈り物など飽きておられるでしょう。ファウスト様が、領地にて手慰みに作られた物でも贈られるとか?」
「特産物など何もない領地だとお前も知っていよう? 我が領地にて作ったもので、今持ち合わせている物なんぞ石鹸ぐらいしかないぞ」
石鹸。
ふと、私がこの異世界に落ちる前に得た知識を思い出すが、石鹸なんぞ西洋では珍しくも何ともない。
その製法に特別な材料なんぞ何も必要ないから、物の小説やら何やらで異世界転生チートの一つとして持てはやされていたのは判るのだが。
前世でも今世でも、西洋では8世紀頃から手工業生産品としてそこら中で製造されている、取り立てて言うほどの価値は無い物だ。
もちろん、我が領地でも私が産まれる前から作られている。
菜種やオリーブの実から油を搾り、それらを加工して作るのだ。
石鹸製造は、この異世界における男の家事仕事の一つでもある。
完全に家内工業として定着しているのだ。
「ファウスト様の石鹸は特別でしょう? 私は気に入りましたが。ボーセル領の男どもが造る石鹸は、何の味気も無く結構いい加減でしたよ」
「あんな粗末な物に、特別も何もあったものか」
香料をつくる蒸留は紀元前3000年頃には行われ、もちろん我が領地にも蒸留器はある。
そこから作られたカモミレ油を石鹸に混ぜ込んである。
私がやったのは、ただのそれだけ。
外観はレンガブロックそのものの、質素な塊でしかない。
少しばかりの贅沢として、また領地の男どもの井戸端会議や愚痴聞きついでに一緒に石鹸を製作し、領民の各家庭に配布して使用している。
まあ、意外と喜ばれたので、領主としては満足なのだが。
「とても女王陛下の前にはお出しできない。醜い男騎士が醜い粗末な品を出してきたと笑われるわ」
「女王陛下は御喜びになると思われます。ファウスト様の手作りとあれば」
マルティナは知った風な口をきくが。
いや、本当に味も素っ気もない石鹸ブロックの塊だぞ。
気の利いた男なら、石鹸で彫刻や、何か器で綺麗に形どったりもするのだろうが。
所詮、内輪で消費するだけの石鹸なんぞに、そんな事する気にはなれなかった。
自分の手作りとはいえ、あんなもんでいいのだろうか。
まあ、聞いてみるか。
「使者殿、念のため尋ねるが。そのような品でも女王陛下は御喜びになられるだろうか。陰で馬鹿にされないか?」
「ファウスト様を笑うような真似は決してなさらないと。亡き王配ロベルト様も、バラ園から搾りだした精油による石鹸を製作されておられました。おそらくは亡きロベルト様を想い出し、優しく微笑んでくださるのでは?」
ならいいか。
公爵家としての教育を受け、私より石鹸づくりが上手であっただろうロベルト様と比べられると恥ずかしいものがあるが。
「では、未使用の石鹸を箱詰めにでもして贈ろう」
「そうしてください」
マルティナが頷く。
そして、続けざまに呟いた。
「ファウスト様、身体にはお気を付けを」
「何を気を付けると言うのだ?」
「いえ……何でもありません」
全くおかしなことを言う9歳児だ。
私は、本当にあんな粗末な石鹸で良いのだろうか。
もう一度頭を悩ませながらも、使者殿を屋敷の外まで見送るように、ヘルガへと命じた。
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