第68話 石鹸、献上

少しばかり苛めるか。

さてはて、それとも焦らすか。

いやいや、ファウストの心証を悪くするのは良くない。

この王の間にて玉座に座る私は、色々な事を考えながらもファウストの到着を待ちわびていた。


「リーゼンロッテ女王陛下、ファウスト・フォン・ポリドロ卿が到着されました」

「通せ!」


衛兵に命じる。

現れたのは当然、礼服姿のファウストであり、その顔は太陽のように暖かく、同時に凛々しい。

身長2m体重130kgの筋骨隆々の体つきにして黒髪を短く刈り込み、騎士として不要な男の部分をかなぐり捨てたその姿は、私にとって逆に「そそる」ものがあった。

アナスタシアもアスターテも、ヴァリエールですら今はいない!

その事実を脳裏に浮かべると、思わずうなじから股座にかけて痺れのような衝撃が走りそうになる。

快感という名のそれである。

なにしろ、邪魔者はいないのだ。

ここから一か月ばかりは私の天下である。

姉妹を蹴落とし、王位を手にした時ですら、こんな興奮は得られなかった。

人生で唯一他にあるとすれば、私の結婚相手の釣書に亡き夫ロベルトの似顔絵が入り込んでたときくらいか。

ああ、あの時は興奮したものだ。

この世の全てすら手にしたかと錯覚を抱いた。

もう一度だ。

もう一度、あの美酒を味わいたい。


「まずはポリドロ卿、いや、ファウストと気軽に呼んでもよいか?」

「御随意に」

「では、プライベートではファウストと呼ばせてもらうぞ」


良いな。

格別に良いな、ポリドロ卿ではなくファウストと気軽に名を呼べるのは。

まるで、それだけで距離が縮まった気がするぞ。


「まずは登城に応じてもらった事に、礼を言おう。本来は今頃、お前は領地への帰路についていたであろうが」

「いえ、リーゼンロッテ女王陛下におかれましては――」

「待て、それは良くない」


私は確かにファウストと気軽に名を呼ぶ許可を得たのだ。

なのに、お前が女王陛下呼びは少し寂しいではないか。


「ただのリーゼンロッテと呼べ」

「しかし」

「ここから一か月ばかり、私とお前は、ただのリーゼンロッテとただのファウストである。敬称はいらぬ」


肉体関係に溺れるための、その一。

まずは気軽に名前を呼び合う仲になるべきだ。

味気ない女王陛下としての装飾を取り払わせ、ただの二人の男と女。

つがいとしてのそこに落とし込まねばならぬ。


「かつて、我が夫であるロベルトが、気軽に私の名を呼んでいた風にして欲しい。嫌か?」

「それは」


ここで私は、寂し気な微笑みをファウストに見せる。

鏡で若き頃から必死に練習した寂し気な笑顔、今ではそれを超える『寂しげな未亡人の微笑み』を食らえファウスト。

王家が古より伝えてきた人心掌握術に歪みは無いぞ。

なんか娘たるアナスタシアは眼光がめっちゃ怖いので、あの娘にとっては全くの役立たず。

私の代で断絶する恐れがある技だが。


「――ッ。判りました」


ハッとした顔をして、少しばかり悲しげな顔で頷くファウスト。

よし、無茶苦茶効いてるぞ。

威力はバツグンだ!


「では、名を呼んでくれ」

「……リーゼンロッテ」


大男たるファウストの口から、私の名が漏れ出た。

うなじから股座にかけて、甘美な痺れが私を襲う。

いい。

実に良いな。

ロベルトとの愛溢れる日々を想いだす、が――いかん。

私は油断しない。

油断してはいけないのだ。

今回のチャンスを逃せば、私がファウストとの肉欲に溺れる日々は二度と来ないかもしれない。

気を取り直せ、リーゼンロッテ!


「良いな。亡き夫がそう呼びかけてくれたのを想いだす」

「……女王陛下」

「リーゼンロッテだ、ファウスト」


私は再び、寂しげな微笑みをファウストに投げかける。

ファウストは私の悲しみを少しでも癒せないか、そんな瞳で私を見つめていた。

よっしゃ。

チョロいぞ、この男。

薄々理解してはいたが、ファウスト・フォン・ポリドロは女慣れしていない。

貞淑で無垢でいじらしい、朴訥で真面目な、童貞のファウスト。

私に手折られるために、今まで純潔を守り抜いてきたとしか思えない花そのもの。

愛おしい。

この22歳の純潔を未だ守る男が、私は今何より愛おしい。

最初はワンチャンあるかと悩んだくらいだが、これは一夜の想い出どころか凄い事になるやもしれぬ。

もう凄い事になってしまうかもしれぬ。

私はファウストに悟られぬよう、ゴクリと唾を飲み干す。


「ファウストよ。お前が今回、王配暗殺事件の調査をする事になった理由についてだが」

「理解しております。マルティナの助命嘆願における、リーゼンロッテへの貸しですね」

「そうだ。そして、まあアレだ。皆まで言う必要はなさそうだが」


ここは余り、苛めない方がよさそうだな。

言葉を濁し、ファウスト側から自ら謝罪させて話は終わらせる事にしよう。


「王配ロベルト様の育てたバラを黙って盗んだ事、真に、真に申し訳なく」

「良いのだ。ヴィレンドルフへ向かう前の壮行会の夜に、亡きロベルトが育てたローズガーデン。あれを、ファウストが心の底から美しいと褒め称えてくれた事。今は亡きロベルトも喜んでいよう。それが和平交渉のために役立てられたと言うなら、なおの事である」


これは心の底からの本音だ。

バラが盗み取られている事に気づいた時はカチンときたが、和平交渉の話を詳しく聞けば、あのバラがヴィレンドルフ女王カタリナの心を斬ったと聞く。

心を斬るよう命じたのは私である。

そして、ファウストはあのバラを盗んで入手しなければならない事情があったのだ。

それを考えれば、怒る方が傲慢といえよう。


「ファウストよ。本当の事だ。心の底から言っている事だ。亡きロベルトは間違いなく天国で喜んでいる。保証してもよい」

「女王陛下――いえ、リーゼンロッテと呼ぶ約束でしたね」

「そうだ。しばらく慣れないと思うが、慣れよ」


ああ、ロベルトよ。

何故お前は逝ってしまったのか。

未だ、天国のお前への愛は尽きぬ。

それはそれとして。

これはこれなのだ。

許してくれ、ロベルト。

正直、お前への愛を抱きつつ、ファウストを抱くと思うと、背徳感という名の興奮で胸が一杯になるのだ。

これは凄いぞ。

もう、なんか言葉で言い表せないくらい凄いぞ。

三度言うが、とにかくなんか凄いのだ。


「カロリーヌの反逆事件における、マルティナの助命嘆願において。ファウストは私の王命に逆らった。だが、今回のロベルト暗殺事件の調査に参加してもらうことで、私への貸しは帳消しにしよう。それでよいか?」

「承知しました。亡きロベルト様へのお詫びのためにも、一人の騎士として力を尽くします」

「それでよい」


私は微笑む。

何事も上手くいっている。

計画は順調だ。

ところで一つ気になっている事があるのだが。


「ファウストよ。先ほどから実は気になっているのだが、その脇に抱えている木箱は何であろうか?」

「使者殿から何も報告が上がっていないのですか?」

「聞いていないが」


ふむ、ファウストの言葉を聞くに、送り付けた使者にも中身は伝わっているはず、と。

――こちらの連絡ミス、つまり手落ちか?

私が眉をしかめるのを見て、ファウストがやや焦った顔をする。


「バラの件の謝罪として持ってきた物なのですが、質素な物のため、やはりお恥ずかしく。これは持ち帰ってもよろしいでしょうか?」

「まあ待て。中身は何だ」

「ただの石鹸でございます。何の特産品も無い貧乏な領地の、私が作った何の装飾も無い粗末な品で――おそらく、見た瞬間笑われるものと。私や領民が使っている様な、何度も申し上げますが、本当にその粗末な物なのです」


ファウストが、顔をやや赤らめて恥ずかしそうに言う。

石鹸か。

まあ、ありふれた物と言えば、ありふれた物なのではあるが。

安物というわけでもあるまいに。

確かに王家に贈るものとしては相応しくないかもしれないが、石鹸は市場で高級品である。


「ファウストよ、お前の作った物であるならばそれで――」


よい、と言おうとしたが、妙な言葉を聞いたぞ。


「何だファウスト、お前は石鹸を領民に使わせているのか? 今、おかしなことを耳にしたが」

「はい、そうでありますが?」


ファウストが第二王女相談役として就任して以来、暇を見つけてはよく会話するのだが。

時々、領民300人程度の小領主としては妙な事を口にするのだ。

この報酬で領民の減税が出来る、だの。

領民の男にも土産を市場で買って帰らねばだの。

領民を愛する小領主らしい、ひしひしとした思いが伝わる言葉を耳にはするのだが。

今の言葉通りを受け止めるとだ。

領民が、領主の一生懸命作った石鹸を使っている。

ちょっと立場がチグハグな気がするのだが。

自分の領地には特産品が無いとたまに愚痴を漏らしていたが、石鹸を大量に作れるならそれを売ればよいのでは?


「領民が育てたオリーブや菜種畑から油をとっておりますので、当然の事であると思うのですが」

「いやまあ、お前が良いと言うなら、それでよいのだが」


まあ、王家が独立した封建領主の運営方針に口を挟むのはどうか、と思うので止めておく。

アナスタシアとアスターテは、ファウストを見事愛人にした暁にはポリドロ領に金をジャブジャブつぎ込んで、領地開発する計画を密かに立てているが。

勝手な事すると絶対嫌われるぞ。

後でファウストに怒られろバーカ。

私は口を挟まないのだ。

敵に塩を送る趣味はない。


「絞った後のオリーブの実はワイン漬けにして食べております」

「うむ、まあそういった話はこの一か月で沢山出来よう」


領地の運営方針に口は挟まないが、ファウストとその領民がどういう生活をしているのかは気になっている。

まあ、今はそれよりもだ。


「それよりファウスト。贈答品というのであれば、有難く受け取ろう。直接受け取るから、こちらへ」

「本当に質素なものですが」


ファウストがこちらに木箱をもって歩み寄る。

私は玉座から立ち上がり、木箱を受け取った。

それにしても――石鹸か。


「一応、香料としてカモミレ油を混ぜております」

「亡きロベルトも、バラの精油を混ぜた石鹸をよく作ってくれたものだ」


石鹸で肌身を綺麗にしてから、夜は――そう、夜だ。

うん、夜は本当に楽しかった。

5年前から私、一人寝で身体を夜鳴きさせてるけど。

開けても良いか、の一言に頷いたファウストの前で、木箱を開ける。

そこにはレンガのような塊の、粗雑な石鹸があった。

石鹸づくりにおいてはロベルトが上のようだが、それが何だ。

私には、そのファウストの粗野なところが好ましい。

嗚呼。

そうだな、ファウストよ。

お前は確かにロベルトのように、太陽のように温かい。

少しばかり気が短くて無茶をするが、どこまでも優しいのだ。

だけれども。


「その、リーゼンロッテ様?」

「様はいらんよ」


少し、ボーっとしていたようだ。

いかんな。

少し、本当に悲しい事実に浸ってしまった。

お前はロベルトによく似てはいるが、確かに違う人物なのだな。

石鹸一つで、つい泣きそうになってしまった。

ロベルトはもう、この世にはいないのだ。

5年前に、誰かに殺されてしまった。

私の目的は――


「ファウストよ」

「はい」


もう一度、ロベルトを殺した犯人を捜しだす事が本音なのか?

それとも、ファウストをこの手で抱きたいだけなのか?

なんだか、自分でも良く判らなくなってきた。

いかんな。

泣きそうだ。


「この一か月、よろしく頼むぞ」

「お任せください」


唇の震えを誤魔化すように言葉を発し、それにファウストが答えた。

それにしてもだ、天国のロベルトよ。

お前が手ずからに作り上げた石鹸を贈ってくれた際、その夜はもうとても燃えたものであったよな。

バラの薄っすらとした香りが、ベッドのシーツと体液の匂いが混ざり合って獣臭のようになる。

とても興奮したものだ。

あの時はバラであったが。

私は今、その匂いがカモミールと体液の匂いが混ざり合って、獣臭のようになる。

そうなってしまっても構わないというか。

むしろ、世の中の法則的には、そうなるべきであるというか。

ロベルトが死んで五年、なんか眼光が爬虫類っぽい冷血な長女と、どことなくビクビクオドオドしている次女を育児しながら頑張って来たのだ。

一人寝の淋しさに耐えながら。

何か、私がちょっといい思いをしても神罰は下らないと思うのだ。

というか、もう次女の婚約者の初物を奪い取るってすごい興奮しないか?

私的には十分にアリだと思うのだ。

教会は激怒しようが、それを認めてくれない神の方が間違っているのだと思う。


「本当に、よろしく頼むぞ」

「お任せください」


私はファウストの股間。

先日の話によれば、完全体では25cmになるという代物に激しく興味を示しながら。

とりあえず、今日に限ってはファウストも準備があるであろうし。

私もこの石鹸で身体を洗いたいし。

王宮の一部屋をファウストに与え、話を終わらせることにした。

決戦は明日、人払いをしたバラ園で。

男と女がバラ園で二人きり歩く、何が起きてもおかしくない。

私はファウストにバレないように口端を卑猥に歪めながら、その時を心待ちにすることにした。

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