王配ロベルト暗殺事件調査編

第66話 女王陛下の政務室

金が足りない。

時間が足りない。

政務がしんどい。

要はこの三点である。


「リーゼンロッテ女王陛下、次の案件の決裁であります」

「またか」


政務室。

王城の一室に設けられたその部屋にて、リーゼンロッテこと私は愚痴を吐いた。

机の横には実務官僚の中でも選り抜きたる、若手の上級法衣貴族が立っている。

寝不足である。

すでに述べた三点が、私の最近の寝不足とストレスを引き起こしていた。

まず金がない。

今年の予算に支障をきたしている。

我がアンハルト王国は銀山を王領内に有しており、裕福ではある。

だが、最近の案件にはいささか今年の歳費に事欠く羽目になった。

「カロリーヌの反逆」、この報酬に関してはポリドロ卿が10年での支払いを望んだ事で問題ない。

「ヴィレンドルフとの和平交渉」、これに関しては大きい。

ファウスト・フォン・ポリドロ卿は今回の嘆願、「ポリドロ卿ゲッシュ事件」を起こした事から報酬の受け取りを拒んだが、それはそれ、これはこれ。

功績には報酬を、罪には罰を。

今回の功績に対し、多額の報酬を与えぬわけにはいかぬ。

まして、今回別に王家は損をしていない。

ポリドロ卿の嘆願により、王家が遊牧民に対する軍権を得たというメリットだけだ。

結果としてファウストの申し出を断り、今回多額の報酬を与えることを約束した。

今年におけるアンハルト王国の歳費は、明らかにオーバーしている。


「今度は私の胃に優しい話なのだろうな」

「とっても優しいお話ですよ。リーゼンロッテ女王陛下。例のバカ共の処分の話です」

「ああ」


入れ、と声をかける。

ドアから入って来たのは、ファウストの嘆願を一字一句書き残した紋章官。

アンハルト王国における全ての貴族の名前と顔を一致させている、類稀な記憶力の持ち主だ。

彼女には、仕事を一つ頼んでいた。

『いるもの』と『いらないもの』の区別だ。


「リーゼンロッテ女王陛下におかれましては、ご機嫌麗しく」

「世辞は良い。リストを渡せ。直接持って来い」

「は」


机の上で、指と指を交差させながら。

私は、ようやくストレスが解消できそうな案件が来たと胸をなでおろす。

差し出されたリストを眺める。


「これが『いらない』奴らだな」

「家ごと潰しましょうか、個人を潰しましょうか」


横に立っている上級実務官僚たる彼女が、若干楽しそうに声をあげる。


「家ごとで良い。細かい配慮の必要はない。こんな愚か者を当主にした家が悪いのだ」

「了解しました。処理はヴェスパーマン家の方に?」

「いや、殺すまではしなくてよい。死体の処理も面倒だ」


我々は山賊でも暗殺集団でもないのだ。

そして、今回潰すのは法衣貴族であり、領主騎士ではない。

工作員を使うまでもない。

真正面から叩き潰す。


「王命として命ずる。この『いらないもの』リストの家は全員爵位を取り上げる。全員に返上させよ」

「もし拒めば?」

「ああ、救いようもないアホだからそういう女もいるか。何、そこらの壁に顔でも叩きつけて歯を全部折れば、嫌でも頷くだろう。そこから先の人生は知らんが」


私は決済書類たる『いらないもの』リストの名前を読み上げる事もなく、そのままサインした。

これにて十数人の法衣貴族の処分が決定された。

その先、家族一同平民となるであろう。

その先は何とか食っていくのか、飢えて死ぬのか、知った事ではない。

救済措置など取る必要はなかった。

救国の英傑たるファウスト・フォン・ポリドロ卿を侮辱したのだ。

その無能は、死にも相応しい罪であった。

その場で首を刎ねないだけ優しいではないかというのが、リーゼンロッテの心中であった。


「これで予算が浮くか?」

「正直、下級の法衣貴族の給金が十数人分浮いたところで大差ないかと。まあ数十年単位で眺めれば効果的ではありますが。数年後にはアナスタシア第一王女殿下の親衛隊30名全員を世襲貴族にしなければなりませぬ」

「そうだな、それがあった。だがそれは予算に計上済みであろう? もうよいぞ。今回はよくやった。お前の働きはよく記憶しておく」


下がってよい。

立派に働きを為した、有能なる紋章官に命令を告げる。

コイツみたいに有能な奴ばかりになれば、こんな気苦労をしなくてもすむのだが。

優雅に紋章官が頭を下げ、そのまま部屋から立ち去る。

ドアが閉まる音。


「眠い。少し寝ても良いか」

「御歳を召されたようで」

「夫を手に入れたばかりの若者に何がわかる」


軽口を叩く。

私はこの横に立つ、まだ歳若い実務官僚が嫌いではない。

有能だから。

それは今のリーゼンロッテの心を慰めるには何よりの事であった。

もう無能のアホには心底ウンザリさせられていた。


「ロベルトが生きていれば。夫を一晩抱きもすれば眠気など吹っ飛ぶのであるが」


愚痴、猥談めいたそれを一つ、口にする。


「気の利いた侍童を寝所に寄越しましょうか?」

「いらん。ロベルトが死んだ今、代わりなど――」

「ファウスト・フォン・ポリドロ卿であれば?」


閉口する。

ファウスト・フォン・ポリドロ卿であれば、か。

それにはさすがに、言葉が詰まる。

私のロベルトへの愛は、間違いなく本物である。

だが、逝ってしまった。

殺されてしまった。

5年前、バラ園にて一人寂しく逝ってしまった。

原因不明。

亜ヒ酸等の毒ではない。

銀は反応しなかった。

外傷もなかった。

ただ青白くなった死体が横たわるのみであった。

ヴェスパーマン家に調査を依頼したが何も得られず。

何の成果も得られませんでした。

あの時、あのセリフを聞いた時は、思わず先代のヴェスパーマンを殺してやろうかと思った。

5年経つ。

調査は娘マリーナの代に移っても、ヴェスパーマン家の威信を懸けて続けられている。

だが、もう無理であろうな。

諦めるべきだ。

調査を断念すべきだ。

今のアンハルト王国には、調査を続けるのに無駄な予算と人員を割く余裕などない。

ファウストの嘆願とゲッシュ。

それにより、この国は北方の遊牧民族の族滅。

そして――私には未だ信じられぬ事であるが。

ファウストの言葉によれば、7年以内に侵略してくるであろう。

東の果ての遊牧民族国家への対抗策を練らねばなるまい。

だが。


「嗚呼、口惜しい。誰がロベルトを殺したのか」


棺に泣き縋る、当時9歳だったヴァリエールの姿を思い出す。

誰も彼もが泣いていた。

誰からも愛された男だった。

本当に誰からも愛された男だったのだ。

太陽のような男であったのだ。

その容貌を揶揄する人はいても、心の底では親しまれていた。

私以外にも発狂するように、嘆き悲しんだ者が多くいた。

その多くは、下級の法衣貴族であった。

夫、ロベルトは私の施政に対する苦情や嘆願などを一手に引き受けていた。

私の手を煩わせる事など無かった。

本当に窮する者がいれば自らの歳費を削って、職や食い扶持を用意して、その者達を助けてやっていたのだ。

誰もが、ロベルトを殺した犯人を見つけ出すための協力を申し出た。

私も手練手管を尽くした。

だが、それでも見つからなかった。

嗚呼。


「今更、今更だ。犯人が見つかるはずもない。ロベルト暗殺事件の調査は打ち切りとする」

「リーゼンロッテ女王陛下、一つ、思いついたのですが」

「何か」


ロベルトの事を考えると泣きそうになる。

机の上で交差した指と指をほぐし、実務官僚の声に応じる。


「ポリドロ卿に、犯人捜索を依頼しては如何でしょう」

「何故そうなる?」


意味が判らん。

何故、そこでファウストの名前が出てくる。

ファウストは工作員でもなんでもない。

ゲッシュの際に見せた、演説と軍事面における知性の輝きには正直驚いたものだが。

それでも『武』の一文字を極めた、超人のイメージからは逸脱しない。

暗殺犯の調査など、てんで似合わない。


「ハッキリ言いますと、しばらくポリドロ卿には王都に居て頂きたく。すでにポリドロ卿は帰り支度を始めようとしていると伺いました。領民はともかく、ポリドロ卿だけは留め置いて頂きたく」

「ふむ。関係整理のためか」

「そうです」


思いつく用件をとりあえず口にしたが、当たったようだ。


「ファウスト・フォン・ポリドロ卿の嘆願とゲッシュにより、誰もがポリドロ卿の人柄を知りました。あの一件で、アナスタシア第一王女殿下とアスターテ公爵の手によりベールに包まれていた、ポリドロ卿の騎士ぶりを皆が知りました」

「ポリドロ卿と縁を結びたい貴族が増えると。領地に沢山の使者が訪れるであろうな」

「そうです。基本、問題はないと考えています。すでにヴァリエール第二王女殿下との婚約により、横から婚姻面で邪魔が入る可能性は消え失せました。ですが、官僚団は戸惑っております。ポリドロ卿と他貴族との関係が深まるのをどこまで認めるのか。場合によっては阻害に動かなくてはなりませぬ。少し、判断する時間をください」


パワーバランス。

第一王女派閥ですでに纏まっている貴族が崩れることはない。

私も基本、問題は無いとは考えるのだが。

先代マリアンヌ・フォン・ポリドロ卿はその行動から狂人として扱われ、周囲の貴族との縁が全て断ち切られた。

その改善はしてあげたいというのが、リーゼンロッテの私人としての正直なところだ。

だからこそ、ヴァリエールとの婚姻も認めた。

だが、超人たるポリドロ卿との関係を強化され、一丸となった領主騎士達の立場が強くなりすぎても、王族としては困るのだ。

公人としてのリーゼンロッテはさて、どう動くべきか。

少し、考えてはみたが。


「正直に言おうか、面倒臭い。それにファウストを足止めすると、また私が嫌われる」

「それが女王の仕事です。それに、いいではないですか」

「何がだ」


ファウストに嫌われるその行動の、何がいいと言うのだ。

ただでさえ今回の和平交渉にて、領地からトンボ返りさせて軍役外の仕事をさせたのだぞ。

多分、領地に帰らせろという心境で一杯だぞ。


「ここらでしばらく休暇を御取りください。政務は決済を除き、我々実務官僚が行います。その間に、女王陛下はしばらくポリドロ卿と二人でバラ園の散策など」

「何を考えている」

「何、女王陛下の御心は判っているつもりです。第一王女殿下と、公爵は軍の再編に追われています。遊牧民対策においては軍権を領主騎士から一時預かる事になったものの、ではそれをどう統一させるのか。指揮系統をどう再編するのか。お二人はその対応に追われています。今がチャンスです!」


何がチャンスであるのか。

そう言いたくなるが、私には何が言いたいのか判っていた。

アナスタシアとアスターテ、あの二人がいない。

この僅かな空白期間を逃しては、二度と私とファウストが褥を共にするチャンスなど来ないであろう。


「しかし、どうやってポリドロ卿を引き留めるのだ? ロベルトの死と、ポリドロ卿とは何の因果関係もないぞ。今度こそは『私、全然関係ないじゃん』と激怒するやも」

「女王陛下におかれましては、カロリーヌ反逆の一件にて王命に逆らった件で一つ貸しと、そしてバラを盗んだ件でお怒りになられる権利があるかと」

「なるほど」


王命に逆らった貸しが一件、それにロベルトが大事に育てたバラを盗んだ件。

それを合わせれば、確かにロベルトの暗殺事件に絡む説得力も持たせられるか。

亡き夫のバラを盗んだのだ、私の最後の心残りを解消するのに協力しても神罰は下るまい。

ファウストも、私への貸しを返す方を選択するだろう。


「男と女がバラ園で二人きり歩く事もありましょう。事前に人払いはします。何が起きてもおかしくありません」

「お前は本当に有能だな」


手配もバッチリである。

だが、一つ問題がある。

私はロベルトを未だに愛しているのだ。


「私はロベルトを愛している。亡き夫に貞操を誓っているのだ。その愛にお前は疑念を持っているのか?」

「じゃあ、お止めになると言う事で」

「馬鹿を言うな! それとこれとは話が別だろうが!!」


すまない、ロベルト。

お前を本当に愛しているのだ。

でも私を残して死んじゃったし。

さすがに一人寝を5年も続けるのは寂しかった。

本当に寂しかったのだ。

お前も天国で、残した妻がちょっとばかし新しい恋に生きてみることを祝福してくれると思うのだ。


「最初からやるならやるで、そう仰ってください」


しれっとした顔で呟く実務官僚。

コイツはコイツでいい性格してるよな、と考える。


「ポリドロ卿は今何を?」

「先ほども言いましたが。下屋敷にて、領地への帰り支度中であるかと」

「判った。お前は本当に意地の悪い女で、人を追い込むのが好きなようだ」


今すぐファウストを呼び出そう。

そして、少しの時間、私の相手をさせよう。

願わくば、褥を共にしよう。

亡き夫のバラ園の中で、強いダマスク香が漂う中、想い出に浸りながらファウストを押し倒すのもいいかもしれない。

もちろん、同じ超人同士とは言えど、力づくでファウストを押し倒す事は不可能であろう。

だがファウストはその巨躯に見合わず、朴訥で純情で、心優しい男である。

私が一夜の想い出が欲しいと泣き縋れば、その身体を開いてくれるかもしれない。

アナスタシアやアスターテに先んじて、その初めての貞操を奪えるかもしれない。

想像するだけで、とても興奮する。

まるで18年前、侍童であったロベルトを初めて見た時のように胸が弾む。


「悪くないな、本当に悪くないな」

「では、第二王女相談役ファウスト・フォン・ポリドロ卿の下屋敷まで使者を出します。宜しいですね」

「そうしよう」


ああ、本当に楽しみだ。

アンハルト王国女王リーゼンロッテの表情は政務室の机の上で、だらしなく、かつ卑猥に崩れた。

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