転ぶべき石

伊藤一六四(いとうひろし)

転ぶべき石

「ねえ? おっかしいでしょー?」

 そう私が言ったのにも、としくんは間抜けな生返事を返すだけだった。

 大学のゼミで一緒になって、発表のネタ集めを手伝ってもらったり手伝ったりで、何だか仲良くなった…気がする。

 気になったキッカケ? なんだろ。ノートパソコンを打つ指が、男の人とは思えないくらい、きれいだったこと、かなぁ。

 好きになるきっかけなんて、そんなもん。だよね。

 とりあえず彼女がいないらしいってことは、友達から聞いている。家に帰ってもネトゲばっかやってるっていうんだもん。

 でも、私の生来のひねくれ性、っつうか、妙な意地張っちゃう、損な性格のお陰で、こうして自宅に帰る方向が同じで、一緒に歩く機会に恵まれてるというのに、今だに進展してるんだかしてないんだか、良く分からない状態が続いているのでした。

「聞いてる?」

 少し苛立った振りをしてみるが、また生返事。のれんに腕押しとはこのことね。

「ねえ」

 ちょっとトーンを変えて、立ち止まってみる。

 敏くんは少し先を歩いて行くが、しばらくしても私が歩いて来ないのに気づいてようやく足を止め、私の方に振り返る。

 じっと彼の目を見据えてみる。自分的には、結構彼をどぎまぎさせてるつもりの眼光なんだけど。

「なに?」

 悠然とした態度を崩さない敏くんを見ると、まるで効き目がないのが分かってしまって、何だか暗くなる。

「道を歩いてると、石につまずいちゃうことってあるでしょ?」

 私ったら、何ワケわかんないこと言ってんだろ。比喩のつもりなのに。

「は?」

 そう言われるのも無理はない。分かってるけど、止まらない。

「転んじゃって、膝なんか擦りむいて、痛かったりするけどさぁ」

 敏くんの眉間に皺が寄る。怪訝そうな表情。

「100円玉見つけたりするじゃん?」

 支離滅裂だ。自分の声が上ずって行くのが分かっちゃう。とほほ。

 しかし、予想に反して敏くんは話に乗り気になっている。

「あーあるある。この前、俺も500円玉拾ったよ。旧硬貨って結構貴重なんだよね。新しいのってまだ自販機とかで使えなかったりするからさぁ、ちょっと嬉しかっ……」

「そういうことじゃなくて!」

 たまらず話を切った私に、目を丸くする敏くん。

「な、なに?」

 一人で苛立っているのは自分でも分かってるんだけど。

「だからぁ、その、変な言い方なんだけどさ、この石に転んで良かったぁ、とか、転ぶべくして転んだ、とか、そういう状況ってアリだと思うのよね」

 目を瞬かせる敏くん。本当に変な言い方だ。

「結果論だな」

 淡々とそう言われると、ミもフタもない。

「そんなの、転んでみないと分かんないじゃん」

 真理だ。

「100円玉期待して、わざわざ毎回石に躓くヤツなんて馬鹿そのものだろ」

 口を尖らせるが、私は何も言い返せない。自分で始めた話で、自分で袋小路に入って動けなくなってる。それこそ馬鹿そのものじゃん。

「ってゆーかさぁ」

 トーンを微妙に変えると、敏くんが逆に私の目を見据えて来る。え? また予想に反した行動だ。動悸が微妙に高まる。

 彼は、冷静に考えてみれば、至極もっともな質問を私に投げかけて来る。

「さっきから、何が言いたいの?」

 徹頭徹尾、敏くんは正しい。正しすぎて、私はどんどん追い込まれてしまう。自業自得なんだけど。もう、この性格が自分で厭んなっちゃうよ。

 えーと、えーと、と言葉にならない言葉でひとりごちながら立ち尽くす。

「ねえ」

 問いかけられても、まともに彼の目を見られない。何やってんだかなぁ。

 一向に要領を得ない私にしびれを切らした敏くん。肩を竦めると、踵を返し、

「変なヤツ」

 そう言い残して、ずんずん歩き始める。

 私は動けない。恨めしく、徐々に遠ざかって行く彼の背中を見送るしかない。なんで肝心な時に素直になれないんだろ。いっつもそうだ。まるで成長しないなぁ。

 すっと、歩みを進める彼の足下に目を遣ると、アスファルトの上に、小さな、白い、ごつごつとした石が一つ転がっているのが見える。でもいい加減良い大人の敏くんだもん、あんなのに転んじゃうなんてことは起こらなさそうだ。

 果たして、敏くんはその石に目もくれないで足を前に出す。瞬間、その石が勢い良く蹴飛ばされるのが見える。カッ、カッ、カッ。アスファルトの上をころころと転がって行き、路肩の壁にあたって、二、三度回ってから落ち着く。

 思わず、私は駆け出していた。何に突かれたのか、何を思いついたのか、あとで思い返してみても分からなかったんだけど、とにかく私は猛然と走り出し、敏くんを追い抜くと、彼の5mぐらい前で立ち止まり、タータンチェックのスカートにも構わず、その場でアルマジロのように身をかがめてうずくまった。

 さすがの敏くんも、びっくりして立ち止まる。見えている訳じゃなかったけど、予想はつく。当たり前だよね。アスファルト近くにそばだてた耳もとで、足音が止まったもの。

「なんだよ」

 私は、自分でしているこの奇行に途方にくれながら、半ばヤケで、こう叫んでいた。

「おっきな石でしょ?」

 言ってから、耳が火照っていくのが分かった。うわー、しっかし、なんちゅー歪みまくった告白なんだろ。しかも普通こんなの「告白」なんて言わないよね。顔中に感じる熱とともに、情けなさやらなんやらで泣きそうになってくる。とても彼のことを見上げられないよ。

 その敏くん。しばらく立ち尽くしているようだった。きっと彼も途方にくれてるんだろう。周りに誰も人の気配がないのだけが救いだ。

 溜め息を一つ。

「なんーだかなぁ」

 冷たくそう言い放って、再び歩き始める。足音が、耳にどんどん近付いて来る。その音が、不意に私をすり抜けて、私のお尻の方…足下の方に少し遠ざかっていくのが分かる。

 ああ、嫌われちゃった。完璧だ。完璧すぎる。

 不意に足に、何かに乗りかかれたような痛みが走る。

「あっ」

 男の人の、小さな叫び声が、次いで勢い良く、どたーん、と地面に崩れ落ちる音が、耳に捩じ込まれて来る。

 足の痛みも忘れて、私は思わず半身を起こし、振り返る。

 敏くんはアスファルトに倒れ込んでいた。いててて、と苦笑気味に顔を歪ませて、左膝をさすっている。

 今度は私が目を瞬かせる番だ。なんで? と言いそうになったが、言葉が出ない。きっと凄く間抜けな顔をしているんだと思う。

 頭を掻く敏くん。バツが悪そうに、少し乱れたメガネの位置を指で整えて、先程とはまるで違った口調で、こう言い訳をするのだった。

「参ったな。転んじゃったよ」

 口が半開きになっちゃうよ。私も馬鹿だけど、敏くんだって同じくらい馬鹿じゃん。

 しかも、どう見てもそれと分かるおっきな石に躓くなんて。

「ほら立って」

 私の腕をつかんで立たせる。

「スカート汚れてんじゃん」

 今だぼんやり立ち尽くしている私のスカートについている砂を、ぱんぱんと手で払ってくれる。

 彼は、この石に転ぶべくして転んだんだろうか。そんな言い分を結果論と片付けないんだろうか。

 そんなこと、今は分からないけど。

「お腹空いた。ファミレス行こ」

 そう、少し声を上ずらせて先に歩き出す敏くんに、少し納得出来ないながらも、とりあえずついて行くことにする。

 彼の背中に、やっとこう言うことが出来た。

「馬鹿」

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