中華料理

伊藤一六四(いとうひろし)

中華料理

 とりあえず、さっきから恵里子えりこは泣きっぱなしだ。

 夕方に呼び出されたのだけど、勿論暇なワケじゃないし、苛立ってる時は受話器に向かってスパークして顰蹙ひんしゅくを買う、こんなあたしに、平気で仕事中にかけてくる根性があるのは、高校の頃からのくされ縁である恵里子ぐらいのものだ。

 だいたい恵里子はワンパターンだ。突如あたしを呼び出すのは、大抵彼氏にふられたのに決まっている。今度の彼氏は長いこと続きそうって言ってたのに……そいや毎回言ってるな。

 あくまでも、さっきから恵里子は泣きっぱなしだ。

 理由を聞くのもめんどくさくなるけど、一応礼儀として、話のとっかかりを作ってあげることにする。世話の焼けるやつ。

「なんかあったの?」

 20代も後半に差し掛かろうといういい大人が、ひゃっくひゃっく、しゃくりあげるのを、傍らを早足で歩き去るウェイトレスが、ちらりと怪訝そうな一瞥を投げかけて行く。泣いている本人は気づいてなさそうだけど。

 「最近LINE送っても返事が来なかったのよ。電話しても留守電になっちゃうし。で、一昨日やっとかかってきたから慌てて取ったらさ……」

 展開は読めてしまう。が。

「どうしたの?」

「『元カノと逢ってた。またつき合うことになった。別れてくれ』だって……」

 ああああ、まただよ。一昔前のテレビドラマじゃないんだから、そこまで大げさに泣き崩れられても。

「もー、マジやめてよぉ毎回毎回。またこの店も次回から行きづらくなるじゃんかぁ」

「あのー」

 聞き覚えのない声がねじこまれて、その方に振り向くと、先ほど恵里子の横を通り過ぎたウェイトレスが正体をなくして立ち尽くしている。

「ご注文、お決まりでしょうか?」

 メニューに目を移そうとした瞬間、恵里子があたしの手から強引に奪い取って、

「今日は秋美あきみのおごりだよ」

 と、いきなり勝手な宣言をはじめやがる。

「ちょっと待ってよぉ。誘ったのはあんたなんだからあんたがおごるのが筋でしょ?」

 しかし恵里子は怯まず、まだ湿った瞳のままで、あたしをじっと見据えて、

「秋美の紹介でつき合い始めたんだよ? 責任取ってよね」

 それは確かにそうなのだ。あたしの男友達から、企画してくれ、とせがまれて嫌々開いた合コンに連れて来られた会社の同僚。でもあたしお見合い仲介人じゃないんだから、そんなことまで責任取れないっての。

「ほらぁ、横で店員さん困ってんじゃん。早く注文決めなよ」

 話題を変えるべくそう切り返すと、恵里子は、そこでようやく横のウェイトレスの気配に気づく。が、あまり悪びれる様子もなく、

「今日は食べるよ! 食べてやる! 餃子4人前と、麻婆豆腐と、天津飯と、小海老のから揚げと、酢豚と、八宝菜と…」

 どんだけ喰うんだ。目を瞬かせていると、勝手に注文を終えてメニューを閉じてウェイトレスに手渡し、

「だいじょーぶ。あんたの分も頼んどいたから。あと生中2つね」

 と、気張った表情で答えてくれる。そいやこいつ酒癖も悪いんだった。

「今日はあんま付き合えないからね。お酒はほどほどにしといてよ」

 おひやに口をつけながら、恵里子が目を丸くする。

「なに、明日出勤なの?」

「違う」

 最後の言葉に、微妙に勢いがなくなったあたしの口調に、恵里子は敏感に反応する。

「そか」

 妙に納得しているのが気になる。

「なによ」

 崩れた目もとのマスカラを、子供みたいに強引にハンカチで拭ると、いきなりにっこり微笑みかけて、

「手塚くんと逢うんでしょ」

 くだんの男友達の名前を、得意そうに挙げる恵里子。

 思わず目を背けてしまう。

 嫌々、とさっき言ったのは、集団デートに持ち込んでしまっているみたいで少し後ろめたかったからだ。あたしがもたもたしている間に恵里子が先に相手を見つけてしまったのには驚いたけれど。

「もう結構逢ってんでしょ? ふたりで」

 こんなに早くダメになったのにはもっと驚いたけどね。それにしてもほんっとに立ち直りが早いんだから。

 それでも私は、ついうつむいて、うん、としか答えられないでいる。この後で続く言葉が分かり過ぎるくらい分かってしまうからだ。

「いい加減コクりなよー」

 うーん。まるで叱られた子供みたいな口調になってしまう。

「なんか向こうの気持ちがわかんないのよ。逢ってはくれるんだけど、『ひとりでいることを恐れるのは嫌だ』とかワケわかんないことばっかり…」

「恰好つけてるだけじゃないの?」

「そうかな」

 立場逆転。なんでアドバイスされる側にあたしが立たなきゃなんないのよ。

「前から言ってるじゃん。恋愛はね、あれこれ考え過ぎるとダメなのよ。流れのままに、自分の気持ちの赴くままにいくのが大事なのよ」

「でもそればっかりだと単なる自己チューじゃんか」

 やっとそう言い返すが、恵里子はふっと肩を竦める。

「人の目を気にしすぎるんだよ、秋美は」

「あんたが気にしなさすぎなの」

 その言葉には、ほんの少し羨望もあった。あたしも恵里子のように、気持ちの赴くままに恋が出来たら、どんなに楽しいだろう。

「お待たせしましたぁ」

 さっきのウェイトレスが生中を2つ、続いて小海老の天ぷらと天津飯をテーブルに置いてくれる。

 恵里子は嬉しそうに、あたしは少し沈んだ気持ちのまま、ジョッキを手に取る。

「秋美」

 顔をあげると、何か複雑な感情を閉じ込めたような表情で、きめ細やかな白い泡を眺めている。

「あたしみたいに、すぐダメになっちゃダメだよ」

 何の事を言っているのか、一瞬分からなかった。分かった瞬間、顔が火照ってしまう。

「呑んでんの? あんた」

 照れ隠しで切り返したけど、あんまりうまく行かなかったな。

「本気で言ってんの」

 恵里子にはかなわない。こういう時、つくづくそう思ってしまう。

「乾杯しよ。泡なくなっちゃうよ」

 やっとそう言って体勢を整える。恵里子もジョッキを構え直して、

「餃子はあたしがみんなもらうからね」

 と、舌を出す。あたしも食べたかったのに……などという心根はあっさりと見抜かれてしまう。

「この悔しさを明日手塚くんにぶつけなさい」

「はぁい」

「じゃ、乾杯しよ」

 こうなったら景気づけだ。呑んでやる。あたしはジョッキを、いつもより少しだけ強めに恵里子のそれにぶつけてみるのだった。

「かんぱーい」

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