ファイル13 娘さんを預かっている事件

 我が家は、現代日本にしてはご近所付き合いが深くて広かった。


 私自身、我が家から半径三百メートル以内で知らない人間はいないというほどだ。


 また、ご近所さんへの挨拶は欠かさないし、周辺の清掃などがあれば率先して参加する。


 ただ、そのせいか、たまに若い人手が欲しいとかなると面倒事・厄介事を頼まれたりもする。


 例えば公園清掃、お祭の運営、町内の見回り、そして子守り。


「スズねーちゃ、これあげる」


「わー、ありがとう。美味しそうなお団子ね」


「たべて」


「はーい。ぱくぱくぱくぱく……。うん、美味しいわ」


「それ、あんこあじ。つぎは、きなこつくる」


 言うと、その幼女は小さな肩掛けバッグを揺らしながら、トテトテと砂場に戻っていった。


 私はお団子(泥団子。四歳が作ったにしては、かなりツヤがいい)を、座っていたベンチの脇に置き、改めて幼女を眺める。


 この幼女は、我が家から八軒となりの家の一人娘、真奈ちゃん、四歳だ。


 ご両親に急な仕事が入ってしまったために、夏休みで家でくつろいでいた私が子守りという大役を承ることになった。


 ……正直、面倒くさいが。


 なにせ炎天下の公園で、鉄棒、滑り台、ブランコ、うんてい、バネのついた馬、そして砂場――それを一時間だ。


 もう公園フルコースなのだが、真奈ちゃんはまだ飽きたという言葉を知らないらしい。


 今はなんとか真奈ちゃんに頼み込んだ結果、休憩時間を貰っているところである。


 これならば体育祭のほうが圧倒的に楽だ。


 私も子供の頃は、ここらへんの公園で凛と遊んだ記憶はあるが、これほどは――


「あれ? 鈴先輩じゃないですか」


 ――と、噂をしていたわけじゃないが、凛――もといアイリが現れた。


 私はちょっと驚いたが、アイリは「えへへ」と笑った。


「偶然ですね、こんなところで。家、この辺なんですか?」


「……そうだけど、あなたは違うでしょ。なんでここにいるの?」


「え、ええええっと……散歩、です……」


 私は、アイリがこの辺に住んでいない設定なのにアイリが現れたことに驚いたのだが、どうやらアイリはそのための言い訳を考えてきていなかったらしい。


 会って早々に雑な子だ。


 普通、電車に乗るほど遠い距離の町を散歩するか?


「鈴先輩もお散歩ですか?」


 アイリは、自分の無理な設定を誤魔化しきれないと見たか、私に同じ問いをした。


 しかも、なぜか期待した目で。


 私は、何を企んでいる? と疑うが、すぐに『あ』と内心で声をあげて思い出す。


 そういえば私は、一時間前に家を出るとき、「公園に行ってくる」としか凛には言わなかった。


 つまり凛は、私が珍しく散歩に出かけたので、自分も一緒に――と企んだのだろう。


 だが、その企みは残念なことに――。


「スズねーちゃ、きなこだんご、できた」


「ありがとうね」


「あれ? 真奈ちゃん?」


 新しい団子を持ってきた真奈ちゃんにアイリは驚く。


「今日は子守りなのよ」


 私が言うと、アイリは「あ、あー……」と状況を理解しつつ、うっすらと落ち込んだ顔を見せた。


 アイリの期待は打ち砕かれたわけだ。


 しかも、真奈ちゃんがアイリを見て「リンねーちゃ?」と、言うと、


「ちちちちち違うよ。わわわわ私は凛ちゃんとは顔が似てるけど、ぜぜぜぜ全然違う人だよ。わわわわ私は、凛ちゃんのお友達のアイリだよ」


 子供相手だというのに、いつものバグったロボ登場。


「アイ……ねーちゃ?」


 真奈ちゃんも真奈ちゃんで、突然現れた知人のそっくりさんが動揺する姿に混乱している。


 私は、今なら真奈ちゃんを利用して、アイリを追求できるかもしれないな、とわずかに思う。


 だが、さすがにご近所の娘さんを、私とアイリのいざこざに巻き込むわけにはいかないと、息を吐いた。


「そうよ。このお姉さんは、アイリお姉ちゃん。私の友達でもあるのよ」


 私が言うと、アイリがわずかに驚いた顔をする。


 しかし私の意図を理解したのか、アイリは、


「よろしくね、真奈ちゃん。私とお友達になってくれる?」


 アイリは、すっと真奈ちゃんに視線を合わせて、ニコリと笑ってみせた。


 子守りモードである。


 すると真奈ちゃんも、


「うん! よろしく、アイねーちゃ」


 すぐに笑顔を見せた


 さすがだ。


 こういうところは本当に私の自慢の妹である。


 もともと、私と凛の子守りスキルを比べれば、凛のほうが圧倒的に上手なのだ。


 しかも凛が真奈ちゃんの面倒を見るのは、これまでにも何度もあり、二人はもはや本当の姉妹に近い仲の良さだった。


 なので、凛に面倒を押し付けるようで悪いけど、今からの私はもはや二人を見守るだけでも良いと言える。


 私は、肩の荷が下りた、と小さな溜め息をつく。


 だが、


「ねえ、アイねーちゃは、なんで、マナのなまえ、しってるの?」


 真奈ちゃんは、私がさっきから言いたかったけど言わなかったことを言った。


 そして、


「えっとえっと、あのあのあの、その――」


 アイリはバグりロボになり、その様子を見る真奈ちゃんが、なんだか怖いものを見たような顔になってきた。


 マズい――。


「ほら、バッグ! ここここに名前が書いてあるから!」


 私はとっさに真奈ちゃんのバッグを指差した。


 そこには確かに、小さくMANAと刺繍があったのだ。


「そ、そうだよ! バッグに名前が書いてあったから知ってたんだよ!」


 アイリも私の言い訳に乗る。


 無論、そんな小さなアルファベットを短時間で見つけ、それがその子の名前と判別できる人間はそうそういないはずだが、どうやら真奈ちゃんは納得してくれたらしい。


 私は、とりあえず話題転換する。


「あ、そうだ。真奈ちゃん、苗字はなんていったっけ?」


 ただし、その話題は、真奈ちゃんの基礎的な情報について。


 凛とアイリの情報格差を埋めるためのものだ。


 あらかじめ、こうして聞いておけば、今のようにバグりロボットが現れることはない。


「イカリ、マナ。よんさい」


「四歳か。いい子だねぇ、名前も歳も言えて」


 真奈ちゃんの自己紹介にアイリが相槌で拍手する。


「さくらはまし、せーなんく、しまむらちょー、に、に、じゅうさん」


「わー、住所も言えるんだ。凄いね」


「アイねーちゃは、いえる?」


「私? もちろん言えるよ。私はね、愛里坂アイリ、十六歳です。住所は桜浜市、西港区、島村町、二の三の――ゲホゴホッ――」


 アイリは、住所の途中で、森井家の住所を言いかけていたことに気づいた。


 私は思わずツッコミを入れかけたが、突然咳き込むアイリを真奈ちゃんは心配そうな目で見だした。


 私は、今は真奈ちゃんの子守り優先と、また話題を変える。


「ほら、アイリ。真奈ちゃん、お団子作ってるのよ。上手でしょ?」


「わ、わー、本当。上手だね」


「この、こうえんの、すなだと、じょうずにできる」


「へえ。公園によって違うんだ。しかも、その違いが分かるなんてすごいね」


 アイリは改めて子守りモードの調子を取り戻し、笑顔で言った。


 だが、


「あっちの、こうえん、だめ」


「そうなんだ。あー、だからかー。私も小さい頃にお団子作ったことあったけど、全然できなく――ゲホゴホッ――」


 それは、あっちの公園でお団子を作ったことのあるやつのセリフだ。


 また私はツッコミを入れかけたが、また真奈ちゃんが心配そうな顔をしたので、私さらに話題を変えた。


「真奈ちゃんには兄弟いたっけ?」


 もう一度、凛とアイリの情報格差を埋めるための質問だった。


 だが――。


「ねーちゃ、いる」


「そうなんだ。私と一緒――ゴホゲホゴホゴーホゴホッ――」


 コイツ、バグりロボにはならないが、異様な重病人になりやがった!


 もう真奈ちゃん、ドン引きしている!


 一歩、二歩とバックしはじめていた。


 っていうか、別にアイリに姉がいてもおかしくないのに、なんでそこで咳き込むんだ!


 さっきから私も気を使ってツッコミしてないのに!


 私はアイリを睨みつけるが、アイリはアイリでもう自分はまっとうに子守りができないと判断したのか、


「じじじじゃあ、私はそろそろ帰りますね。ちょっと忙しいもので」


 ついに帰る宣言をした。


 しかも理由が忙しいから、と言うが、それなら何でこんなところを散歩していたのか。


 私は今度こそツッコミを入れようかと思ったが、今度はなんと真奈ちゃんの言葉に邪魔された。


 それも、


「かえるの?」


 真奈ちゃんは寂しそうな顔で、アイリを見つめた。


 もともと凛にはなついていた真奈ちゃんだ。


 一見すればドン引きした様子だったが、この数分でアイリのことも好きになったのだろう。


 それ自体は、私も羨ましいとは思うし、アイリも嬉しいだろうが、


「もももももう少し、いようかな」


 そう言うアイリの顔は、とても複雑な笑みだった。


「じゃあ、アイねーちゃに、きなこだんご、あげる」


「あああありがとう。お団子くれるなんて、真奈ちゃんは優しいんだね」


「うん。マナは、やさしいの」


 アイリは相変わらずの顔だが、二人は再び和やかな会話を始めた。


 ただ、すぐに真奈ちゃんは、思い出したように「スズねーちゃ」と私のほうを向くと、


「マナ、リンねーちゃにも、おだんご、あげる。マナは、やさしいから」


 そんなことを言った。


 アイリが肩をびくりとさせた。


「えーっと、……ああ……。それじゃ、私が預かっておくわ」


 私はちょっと悩みつつも、そう返事をしたが、真奈ちゃんは首を横に振った。


「マナが、ちょくせつ、あげる」


「……でも、凛はお散歩してて、どこにいるか分からないんだ。だから、私がお団子を預かって、ちゃんと凛にあげておくから」


「マナが、あげる」


 わずかに、わずかにだが、真奈ちゃんの目が鋭くなった。


 おそらく、自分で直接あげることで、凛に褒めてもらいたいのだろうが――


 まずい。


 私は凛ほど真奈ちゃんのお世話をしてきたわけじゃないけど、これがまずいとは分かる。


 子供は妙なところで強情で、自分の意志が貫けないと分かると、癇癪を起こすのだ。


 そして癇癪を起こせば、泣く。


 そして泣けば、ご近所さんに、森井さんの娘が碇さんの娘を泣かせたと評判になる。


 私は、真奈ちゃんの強情に対し、返答に窮しが、、


「そそそそそそれなら――」


 不意にアイリが言う。


「私が凛ちゃんを探してきてあげるよ。ひひひひょっとしたら、そこら辺にいるかもしれないし」


「――え?」


 アイリの提案に、私は思わず声をあげたが、アイリは言うや否や走り出し、あっという間に公園の外へと飛び出してしまった。


 そして、五分もすると、


「……ま……真奈ちゃん……ぜぇ……ぜぇ……」


 服装が変わったアイリ――じゃなくて、凛が姿を現した。


「アイリちゃんに聞いた……けど……ぜぇ……ぜぇ……お団子、くれる……って……? ぜぇ……」


 凛は、呼吸を絶え絶えにし、全身から汗を垂らしていた。


 ちなみにこの公園と我が家の距離は、全力で走っても片道二分はかかる。


 また、着替えには一分は必要だろうから――つまりは全力だろう。


 だが、それだけ走った甲斐もあり、真奈ちゃんはいい笑顔で凛を出迎えた。


「うん! これ、リンねーちゃに、あげる」


 真奈ちゃんが、この五分間であらかじめ作っておいてくれたお団子を、凛に手渡した。


「ぜぇ……ありが……ぜぇ……」


 凛はお礼を言――えてない。


 だが優しい笑顔を作っていた。


「リンねーちゃ。これ、わさびあじ、だよ」


「ぜ……ぜぇ……そうなんだぜぇ……。美味し、そうだぜぇ……ぜぇ……。パク……ぜぇ……パク……ぜぇ……。うん……美味しい……ぜぇ……」


 なんか、ところどころ凛の口調が男らしくなっていた。


 だが私もさすがに、本当にツッコミを入れられない。


 なにせ、この後の展開を私はもう知っており、凛が不憫だと思ったからだ。


「リンねーちゃ。アイねーちゃは?」


「え?」


「これ、アイねーちゃに、あげる、おだんご。こんそめあじ」


 真奈が、足元に用意しておいた別のお団子を手に取る。


 それもまた、この五分の間に、真奈ちゃんがアイリのために作っておいてくれたお団子である。


「…………そそそそそれじゃあ……アイリちゃんを……呼んでくる……ぜぇ」


 凛は言うと、再び全力で走り出した。


 アイリはともかく、あんな全力で走る凛は珍しい。


 しかし、今日はその後も嫌というほどその姿を見ることになった。


 その数、およそ二十回。





 ・・・幕間・・・



 翌日。


 外の天気は相変わらずいいが、今日の凛はずーーーーっとソファに突っ伏していた。


 何を聞いても「うー」とか「あー」しか言わない。


 もはやゾンビと言っていい。


 ただ、私は、ゾンビと化していようとも、凛に言わなければならないことがあった。


「ねえ、凛……。ちょっといい? ……実は、真奈ちゃんが、昨日遊んでくれたお礼に折り紙をプレゼントしてくれるらしいんだけど…………。私と、凛と、アイリに……」


 私が言うと、凛はしばらく何も言わず、やがて虚空を見上げ、やがて顔をソファのクッションに埋めて、やがて「ぅぅぅーー」と呻き、やがて呟いた。


「……お姉ちゃん……、助けて……」

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