ファイル6 お風呂ではイチャつくべきか事件

 湯船に浸かると、私は細いく長い息を吐く。


 先程までゲリラ豪雨に当たっていた分だけ、お湯のぬくもりが身に染みる。


 それに、自宅では味わえない広い風呂というのも気持ちいい。


 足をどれだけ伸ばしても反対側に届かないなんて、さすが山河家の風呂だ。


 私の家の二倍、いや三倍の広さである。


 ちなみに山河というのは日本有数の自動車メーカーの創業者一族の名で、また果南の名字であり、つまりここは社長令嬢果南の家の浴室だ。


 雨宿り目的で家に入れてもらったのだが、「よかったらお風呂に入るといい。そのままでは風邪をひく。着替えは適当に私のを用意させよう」と、自慢の風呂を開放してくれた。


 まったく果南という女は、悪友ながらも気配りができる良い友人である。


 しかしまあ――


 果南というのは面白いことが好きな悪友でもあるのだが――。


 具体的には、私に好意を持ち、暴走癖を持ち、私と一緒に雨宿りをしにきたアイリと私を一緒の風呂に入れることを面白いと思うやつである。


 ということで、今の私はサバンナを裸体でいるのと同じ状況にあった。


「シャンプーとかも使っていいって、部長は言ってましたけど、本当にいいんでしょうか? これ、どれも高いやつですよ?」


「ん? ああ……平気だよ。私も何度かお泊りしたときに使わせてもらったし」


「おおおお泊り!?」


「……」


 ――いや、あなたはいつも私とお泊りしているようなものじゃない。


 そう言いかけたが、私は平静を装うのに集中していたため、その言葉は飲み込んだ。


 だが、この状況になったからには、その集中は何も守りのためだけにしているわけではない。


 ピンチはチャンスと言ったのは誰か知らないが、私はここをチャンスと捉え、攻めの姿勢で集中していた。


 私はアイリの素肌を凝視し、観察していたのだ。


「こういうお金持ちの家のお風呂って、やっぱ殺人事件起きそうですよね」


「ん、そうね……」


「お風呂で殺人と言えば、有名なのはヒッチコックのサイコですけど、鈴先輩は見たことあります?」


「ん、ないわ……」


 できるだけさり気なく、アイリにバレないように、私は観察していた。


 というのも、凛という子は人格こそ内向的だが、幼少期に好きだった遊びはアクティブなものばかりだったのだ。


 そのため、一人で遊ばせていたら足を骨折して大泣きということすらあったし、その身体は歴戦の勇士がごとく古傷が多い。


 まあ、親の適切な治療もあって、今では傷痕らしい痕はほとんど見えないが、よくよく見れば、先日のコーヒーの染みのような痕があっても不思議じゃない。


 そして、それさえ見つければ、この状況でもアイリを追求し、この身を守ることができる。


 だから私は平静を装い、アイリに無用な刺激をせず、アイリの身体観察に集中していたのだ。


 例えば膝は、その上部の太腿の柔らかさに比べて固く、またアイリのそれは一見して滑らかな流線型を描く現代アートのようだが、目を凝らしてみれば傷跡が見えるような気がする。


 また、アイリの背中は肩甲骨や僧帽筋、腹斜筋のラインがとても綺麗ではあるが、幼少期に熱湯で火傷したことがあるので、その痕があるような気もする。


 だが――


「すす鈴先輩? あの……さすがに私もじーっと見られると、ちょちょちょっと緊張するというか……」


「え?」


 傷痕探しに集中しすぎて、アイリにバレないようにすることを忘れていた。


 アイリは微笑しつつも、その眉は八の字に垂れ下がり、困ったような顔をしていた。


「あ――! ごごごごめん!」


 私は慌てて謝り、顔を背けるが、勢いでアイリみたいになってしまった。


 顔が熱い。


 風呂とは無関係に急激に顔が熱くなり、恥ずかしさで死にそうになった。


 だがそんな私の様子を見たアイリはと言えば――。


「あ、えっと、ちょちょちょっとくらいなら、鈴先輩なら、たたたたたたくさん見てもらってもいいいいいいいいんですけど……、そそそそそそれに、鈴先輩がその気になってくれたっていうのなら……」


 まずい雰囲気になってきた。


 アイリは目をあちらこちらにやり、頬を染め、暴走の予兆を見せている。


 私はとっさに頭をフル回転させ、展開を変えようとし、見事思いつく。


「そ、そうだ。アイリ、背中洗ってあげましょうか? こういうときだし、せっかくだし……」


 私は恐る恐る提案するが、


「え!? いいんですか!?」


 アイリが目を輝かせ、私の餌に食らいついた。


 背中洗いは、対象をじっと静止させると同時に、対象をじっと観察するにうってつけの体勢になる。


 とっさの思いつきだったが、私はとても良い一石二鳥だ、と自画自賛した。


 だが、どうやら私は甘かったようで――。


「そそそそそれじゃあ、最初は私が鈴先輩のお背中を洗ってあげます」


「…………え?」


「ほらほら、えええ遠慮なさらず」


 アイリは言うと、有無を言わさず私の背に周り、私の肩を押し、私をバスチェアに座らせた。


「ふふふ……。すすす鈴先輩の背中、とっても綺麗です」


 鏡の向こうで、艶っぽく笑うアイリの顔が見えた。


 私は慌てて「いや、最初は私が――」と言いかけ、また立ち上がりかけたが、それをアイリは阻止した。


 私を抱きしめて。


 それだけで私は固まってしまった。


 ただ、それは、決して強い力ではなかった。


 むしろ優しく、柔らかなものだった。


 アイリの柔肌が、私の湯船で火照った身体に重なり、より熱く感じられた。


 そして、私の背中には当然のように、他のなによりも柔らかな人体の感触があった。


 無論、間にタオルなどもなく。


 ゆえに、私は固まるしかなかった。


「もも、もう、鈴先輩ったら――。おおお風呂で暴れちゃダメですよ。ささ殺人事件はともかく、普通に事故になったらどうするんですか」


 アイリはいつものように壊れたロボットになり、言葉を詰まらせていたが、その声は私の耳元で、ひっそりと囁かれた。


 そしてゆっくりと私から離れ、そのまま私の背中をスポンジで洗いはじめる。


「だだ大丈夫です、優しくしますから」


 アイリは言うと、宣言通り、優しい手付きをした。


 しかし、優しすぎて、私は背筋が震えた。


 いや、それは優しいというより、なまめかしい手付きだ。


 アイリが「ごしごし」と言ってスポンジを上下させるたびに、太腿のあたりから、下腹部、胸、首、そして顔までゾワゾワとなにかが這っていく感覚に襲われる。


 なにこれ、なにこれ、なにこれ。


 恥ずかしいし、変な感じだし、怖いし――訳が分からなかった。


 私はアイリ――もとい凛のことは妹としか見ていない。


 だからアイリに何かされたとしても、それは意味を持たないことのはずだった。


 だけど、だけど、だけど――


 さっき抱きしめられて、今は背中を無防備に預けていて、得体の知れない感覚が胸の底から沸々と湧いて出てきているのは確かだった。


 そんなの意味不明って一蹴したいけれど、気づけば、私の心臓はドラムロールがごとく激しい打音を鳴らしていた。


 こんなになったのは、凛の高校入試の合格発表のとき以来だ。


 あの時、凛はとても喜んだ顔で――


 ふと、鏡越しにアイリと目が合った。


 凛と同じだけど、湯気のせいか、鏡越しだからか、いつもと違う顔に見えた。


 また、当然ながらその顔の下は裸体を曝け出している。


 それを見て変な感情が浮かぶわけでもないが、何も思わないでもない。


 何かを私は感じた。


 私はゆっくりと腰を回した。


 アイリの顔を直接覗き込むために。


 そして、


「やあやあボンジュール。せっかくの機会だ。私も仲間に入れてくれたまえ。そのほうが面白そうだ」


 堂々たる声と裸体で現れた果南が、私の目に飛び込んできて、私は果南に釘付けにされた。


 その肢体は褐色であるが、それだけに浴室の照明を浴びるとよく艶めき、滑らかなボディラインと長い手足の美しさをより強調していた。


 しかも特によく張りでたバストとヒップは、普段は制服に隠されているぶんだけ、こうして露わになると、私は雷に打たれたような衝撃を受ける。


 また、果南はそれをことさら隠そうともせず、しかし自慢するふうでもなく、自然なポージングをしており、それがまた逆に私の目を奪った。


「ふむ。背中の洗いっこかい? それじゃあ、アイリ君の背中は私が受け持つか――、いや、それは我が友モ・ナミに任せたほうがいいかな? では、我が友モ・ナミにはアイリ君と私の二人分背中を流してもらおうかな?」


 果南は言うと、私の前に無理矢理座り込み、私に背を向けた。


 そしてその背中を見て私はまた息を呑んだ。


 普通、背中というのは自分で見えない分だけ手入れが行き届かない場所だが、果南の背中は大理石でも張り付いているのかと思うほど美しい。


 しかも驚くべきは、私は何度も果南とのお泊りを経験しているので、こうして裸体を見るのも初めてではないが、見るたびにそのプロポーションがより完成されたものに進化しているのだ。


 もしもこの世に峰不二子がおり、それが褐色であれば、それはきっと果南本人である。


 こんな芸術品を洗わせてもらえるなんて、私は友人といえどとても畏れ多く、できれば辞退したい。


 だが、その友人が望む以上は、私も覚悟するしかない。


 私はできる限り優しい手付きで果南の背中を洗い始める。


 ただ、ふと鏡越しにアイリの身体を見た。


 それは高校生としては恵まれたものだが、私、まして果南とは比べられるものではない。


 この中で序列をつけるなら、最下位だ。


 そして、アイリの手が止まっていることに気づく。


「ちょっとアイリ。私の背中も洗いなさいよね」


 私が注意すると、アイリは「はーい」と不機嫌そうな声で言った。


 私は、なんだ? と思ったが、ともかく今は果南の背中を流すことに集中した。





 ・・・幕間・・・


 私、果南、アイリは仲良く湯船に浸かっていた。


 だが、果南が浴室に乱入してきてからというもの、アイリがなんだか不機嫌だ。


「ぶくぶく……部長が来なければ……もう少しだったのに……ぶくぶく……最初っから警戒されてたの気づいてたから、隙を見て仕掛けてうまくいってたのに……部長のせいだ……部長のせいだ……ぶくぶく……」


 アイリは口元まで湯船に浸かり、泡ぶくを出しながらぶつくさ言っていた。


 部長のせいだ、とは聞き取れたが――


 あぁ――、そういうことか? と私は一つ思い至ったので提案する。


「果南、よかったらこの子におっぱい触らせてあげて」


「んな!!!!!!!」


 アイリは私の提案にキテレツな声をあげた。しかし、


もちろんビアン・スー、いいとも」


「にゃあ!!!!!????」


 果南の了承に、さらにキテレツな声をあげた。


 そして、


「いやいやいや、わわわわ私はいいですよ。そそそそそれはもちろん鈴先輩のだったら触りたいですけど、かかかか関係ない部長のおっぱいをささささ触らせてもらうなんて、ななななななんか浮気みたいですし、わわわわ」


 バグロボットになる。


 その様子に私は思い違いしたかな? と思ったが、しかしこれは良い機会であるので、そのままアイリに勧めることにした。


「ほらほら、せっかくなんだから触らせてもらいなさい。私のはダメだけど、こいつは私と違って変態気質なんだから、そこんところの遠慮はいらないわよ」


「そう。私は構わない。というか私は可愛い女の子相手なら触ってもらいたい。それとも、アイリ君は好きな人以外の胸は触りたくない人かな?」


 私だけでなく、本人からの猛烈な誘いもあり、アイリは数秒間悩むが、「それじゃあ……」と手を伸ばした。


 その手は恐る恐る果南の胸に触れ、


「え――?」


 アイリは目を見開く。


「なななななんですか、これ……。すっごい重量感なのは見た目通りですけど、それを打ち消す柔らかさが……まるで水を握っているみたいです……。しかもそれでいて肌の張りはしっかりあって……、私の手が磁石みたいに張り付いてしまいます……。ななななんで? ここここんなおっぱい、初めてです……。ずっと揉んでいたいです」


 さっきまで不機嫌な顔をしていたのに、驚きと感動に支配された顔になっていた。


 その様子に、なぜか私まで誇らしくなる。


 だが、


「じゃじゃじゃじゃあ次は鈴先輩のおっぱいをイタタタタタタタタ!!」


「果南は触られるの好きなやつだけど、私は触られるのが嫌なのよ。そういうのは人によって違いがあってデリケートだから注意しなさい」


 私はアイリの指を掴み、ひねり上げていた。

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